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ノート:岩国藩

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古文書を原本とする著作物を出典元とした場合の出典元表示の仕方について

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吉川広家が岩国に着任した年を、『玖珂郡志』(広瀬喜運・著)という名の江戸時代(享和年代)に著された資料を元に追記したのですが、この場合、著作年月日はいつになるのでしょう?(年号までしかわからない)

わたしの閲覧した『玖珂郡志』は、原本に対し、桂 芳樹という方が校訂を実施して書籍の形に製本・出版されたものなのですが・・・(校訂本の出版年は、昭和50年(1975年)10月20日、徳山・マツノ書店・発行)

Template:Cite book に、どう記述すれば良いものやら。

Westwind 2006年11月22日 (水) 10:52 (UTC)[返信]

主観的過ぎはしませんか?

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なんか、きわめて文章が主観的になっている気がします。 吉川広家が嫌いなのか知りませんが、それをウィキペディア上に持ち込むのは いかがなものでしょうか?ここは百科事典であり、個人の落書き帳ではないんですよ? --218.131.208.12 2007年9月25日 (火) 16:11 (UTC)[返信]

関ヶ原後の毛利の状況が誰のせいなのかはいつも議論のあるところで、一方的に「自身の過ち」「欺かれた失態」と断罪されるほどの史料はないように思います。 その後に続く文章も個人の思い込みで書かれているのではないでしょうか。 そもそも岩国が陪臣だということ自体、幕府の公式見解ではなく毛利氏側の主張にすぎなかったように思うのですが。 --218.46.196.14 2011年9月7日 (水) 15:29 (UTC)[返信]