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ノート:岩井町営軌道

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要出典について

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「不要不急線」に{要出典}としております。「岩美町誌」や「角川書店・鳥取県地名大辞典」では、この路線の目的は、旧・小田村にあった「荒金鉱山」から産出される銅鉱石の岩美駅への搬出であったとされます。この観点から「不要不急線」ということには、強く疑念を感じます。休止となった経緯については、「岩美町誌」や「角川書店・鳥取県地名大辞典」によれば、「荒金鉱山」の産出減少でトラック輸送への転換・岩井町の火災による温泉街焼失で町財政困窮・戦時下でのレール調達困難とされます。

「角川書店・鳥取県地名大辞典」では「岩井鉄道」という項目名で記載されています。--210.251.42.249 2007年4月26日 (木) 10:48 (UTC)[返信]

加筆中に気づいた、気になったこと

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まだ途中の段階で恐縮なのですが、いくつか気になったことを書き留めておきます。出典の性格上、検証は容易じゃない、という気はするのですが、もしかすると鉄道系の方々には容易なのかもしれません。鉄道系の層の厚さはすごいと思っているので。どれもかなり些細なことなんですが、鉄道系の方々はかなりそこらへんシビアという印象があるので、細かいことでも気になったことを書いておきます

怪しいと思うなら書かない、という選択肢もあり、それも考えています。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 17:55 (UTC)[返信]

記事名

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これは、「それでいいんだ」という話であればそれでおしまいなのですが、記事名について。

私にはデジタルライブラリーの 『鉄道省鉄道統計資料』に出てくる名称が「正式名」というやつじゃないのかなあという予感がします。それは「岩井村営自働車軌道」「岩井軌道(岩井村営)」「岩井軌道(岩井町営)」です。

私が使った文献は「岩井軽便鉄道」や「岩井鉄道」と書いていますが、まあそれは通称ということなんでしょう。

しかし「岩井町営軌道」という表現は、名取氏のブログでしか確認できず、これでいいのかなあという感じもします。いいんだよ、と言われればそれでおしまいです。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 17:55 (UTC)[返信]

起点・終点

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従前の記述では「岩美駅から岩井温泉へ」と書いてありました。

しかし大正10年の認可の文書では、「自 岩井村」(岩井温泉)、「至 浦富村」(岩美駅)とあり、起点は岩井温泉です。設立者が岩井村である、ということからも、岩井温泉(岩井村)→岩美駅(浦富村)というのがしっくりきます。

そんなわけで従前の記述の終点・起点を入れ替えました。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 17:55 (UTC)[返信]

開業日

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実はこれは困りました。デジタルライブラリーのこれ[1]には確かに「開業年月日 大正15年1月20日」と明記されています。

これに対し下記文献はいちように「大正11年に開通」となっています。

  • 『日本地名大辞典(角川日本地名大辞典)』p114は「大正10年の認可により翌春から岩井軌道が開通」
  • 『鳥取大百科』p74は「1921年秋認可を得、翌年春から鉄道の開通」
  • 『鳥取県の地名(日本歴史地名大系)』p90は「大正11年(1922)には山陰本線岩美駅との間に町営の軽便鉄道岩井軌道が敷設され、」

「開通」と「営業開始」は違うので、そういうことなのかもしれません。このぐらいの規模のもので、開通から開業まで4年も放っておくというのも腑に落ちないので、何かあるのかもしれません。

あるいは、上記3文献が全部間違っているのかも。『鉄道ファン』を私は読んでいないので、もしかするとそちらに書かれているのかもしれません(確認します)。そんなわけで「開業日」についてはひとまずボヤかした書き方にしました。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 17:55 (UTC)[返信]

開業日3冊とも大正11年に開通とは 絶句。 戦前の鉄道史の研究でよく使われているものをあげると『帝国鉄道年鑑. 昭和3年版』『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)などがネットで手軽に見られるようになりました。それと図書館で手に入れやすいものとして日本鉄道旅行地図帳があり、関西2の43ページにあります。--Tamrono157会話2015年9月17日 (木) 23:33 (UTC)[返信]
記事名所有が企業でないので岩井町営(村営)の通称岩井軌道にしたのではないかと、時刻表復刻版戦前戦中編の汽車時間表昭和5年10月号では岩井町営軌道線とでています。国立公文書館デジタルアーカイブの検索窓に岩井町営軌道と入れるとでてきました。残念ながら内容はネット公開していませんが。管理する側にとっては企業名または個人名であればいいのであって 高鳥順作(旧光明電気鉄道)(国立国会図書館デジタルコレクション)なんてのもありました--Tamrono157会話2015年9月18日 (金) 00:32 (UTC)[返信]

報告『鉄道ファン』が入手できるのは早くて連休明けになるので、いちど「工事中」を解除しました。

  • とにかく『鉄道ファン』が来ないことには話も検証も進まないのでどうにもならないのですが、「とりあえずの個人的な想像」のレベルで。
  • 教えていただいた『帝国鉄道年鑑. 昭和3年版』『地方鉄道軌道営業年鑑』をみると、「開業初年度」は「大正14年度」になるはずで、この年度は赤字(2ヶ月ちょっとしか期間がないですからね。)。名取氏はブログで「開業初年に見事に黒字を計上」と言っているけど、5422円の黒字を出した昭和元年度は年度では「開業2年目」になるはず。「最初の1年間」という意味なら昭和2年1月19日までの数字で言わなきゃいけないはずだけど、そんな統計は掲載されていない。まあ、些細な揚げ足取りですけどね。
  • 私が確認した文献は3件ですが、同じ文献の中でも異なる筆者が別のところで「大正11年に開通」と書いており(すべて等しく「開通」と書いてあって、「開業」とは書かれていない)、中には『岩美町誌』が出典として挙げられているものもあります。いずれの文献も、地元の学者や新聞社が執筆しており、これだけ揃うと、きっと『岩美町誌』にそう書いてあるんじゃないだろうかと思います。『岩美町誌』は昭和43年の刊行です。この手の町誌の類はたいてい、もっと古い「なんとか村沿革史」みたいなものに基づいて書かれており、何かおおもとの記述があるんじゃないかなあと思います。
  • いずれにせよ、「公式には大正15年開業」というのは 『鉄道省鉄道統計資料』ほか『帝国鉄道年鑑. 昭和3年版』などの堅い一次資料で裏付けがあるので、そこは揺るがないでしょう。
  • なお、「休止」をめぐっても、上記3文献は「昭和18年に休業」と書いており、「昭和19年1月11日に休止」という既存の記述と少々タイムラグがあります。これもまあ、実際に運行不能に陥ったのが昭和18年で、正式に書類として「休止」扱いになったのが昭和19年1月、ということなのかもしれません。
  • そこらへんも含めて『鉄道ファン』に書いてあれば小躍りしちゃいますね。
  • すぐに、というわけにはなかなかいかないのですが、『岩美町誌』も検証してみたいなと思っています。
  • ところで1点だけ。いまのところ「年表」節の「1934年(昭和9年) 同年6月6日の岩井温泉街大火(温泉街の旅館・民家など建物216棟のうち149棟が全焼)、同年9月の室戸台風による軌道の流失など、相次ぐ被害で運行休止」という部分の情報源について。今は出典として『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』が示されているのですが、私が見た限りでは、このリンク先では「昭和10年の時点で休止中であること」しか読み取れず、大火や台風などの具体的な原因については書いていないと思うんです。もしかしてこの文書の別ページにあるのかもと思って探しては見たのですが、私には見つけられませんでした。いずれ『鉄道ファン』が届けば解消できるかもしれませんが、そこに書いてなければちょっと困ります。
  • なお「大火の被害」については、手元の文献と齟齬があります。手元の資料では、民家が146戸、「警察署、郵便局、銀行などの」非住宅が162棟全焼とあり(わざわざ「戸」と「棟」が使い分けられている)、これはちょっとしたミスだろうなあと思います。よほどひっくり返すものが出てこないかぎり、手元の資料に拠る数字に直そうと思います。--柒月例祭会話2015年9月19日 (土) 17:14 (UTC)[返信]
  • (追記)現時点では出典なし扱いですが、車両節では「町が手続きや許認可をごまかして大型ガソリンカーを黙って運行してた」よいうような事が書かれています。それぐらいやるなら、正式な開業届けなんてしないで運行してた、なんてことがあったのかも・・・--柒月例祭会話2015年9月19日 (土) 17:42 (UTC)[返信]
開業初年これは名取氏のミスでしょうね土木局統計年報. 第28回の「昭和元年末現在開業軌道營業状況」をみて「大正十四年末現在開業軌道營業状況」を見落としていたのではないかと。実は私も鉄道省鉄道統計資料. 大正14年度「運輸成績」「営業収支」を見落としていたようで1925年分を追加しました--Tamrono157会話2015年9月19日 (土) 21:52 (UTC)[返信]
『岩美町誌』ですが国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館がお近くにあれば閲覧できます--Tamrono157会話2015年9月19日 (土) 21:59 (UTC)[返信]

報告『鉄道ファン』ほかをもとに少し加筆しました。(時間の関係でいったん途中で投稿します。)期待以上に詳細・具体的に書いてありました。ごく個人的には安保氏が、「営業当時に直接関わっていた人に安保氏自ら話を聞いた」という情報がちらほらあって、最高だなと感じました。ペーパーと実際が異なっていることについては、私としては全部書いたら「名誉毀損」的な観点でちょっと心配になるような記述もあるので、あまり深く突っ込まないことにします。

  • テクニカルなことでは、私の書いた文では「鉄道」・「軌道」、「軌道敷設」/「鉄道敷設」、「鉄道事業」、という表現/術語が混在していまして、これでいいのだろうか?という不安があります。私は鉄道に関してはド素人なので、イッパンジンの感覚で「鉄道」だの「貨物列車」だのと表現していますが、ヘンであればご指摘ください。--柒月例祭会話2015年9月25日 (金) 17:04 (UTC)[返信]

報告『岩美町誌』を確認しました。いまさらこの記事に新たに書けるようなことはほとんどなく、既存の記述と同じようなことばかりでした。

例の3つの文献が「大正11年開通」としていたわけは、なんとなくわかりました。
『岩美町誌』p633「大正10年11月30日付を以って認可を得、大正11年春から軌道が走ることになった。」のあとはもう開業後の話が詳述されていて、「だけど実際には大正11年には完成しなかった」と知ってて読まないかぎり、わからない。このあとしばらくいって「また、町営軌道開設後間もなく(中略)木島運送店が岩井温泉駅前に開業し、大正15年には井上運送店が開業した。」などとあり、これで「軌道の開業は大正15年」と思えという方が無理。答えを知ってる目で注意深く読むと、「大正11年に開通/開業した」なんて一切書いていないし、『岩美町誌』が嘘やマチガイを書いている、というわけではないのですが・・・。
読んでいて1箇所、私には判断できないことがありました。
  • 岩井温泉町営軌道汽車連絡切符発売駅一覧表」というのがのっていて、「山手線各駅」「東京、新橋、品川、横浜・・・(東海道線の主要駅と横須賀線の各駅)」「長岡、新津、新潟」「敦賀、福井、金沢、富山」そのほか九州・四国の主要駅、近畿・中国地方のほぼ全駅が載っています。
私にはこの表が「東京駅でも岩井軌道の切符を買うことができた」という意味なんだろうと解釈したのですが、もしかしたら逆に「岩井軌道の駅で東京行きの切符を買うことができた」という意味なのかも?と自信がありません。別のところには「岩井軌道は、国鉄と連帯運輸であったので、全国何駅でも共通で非常に便利であった」とあります。
私は「へー、山手線の各駅で岩井軌道の切符を買えるレベルだったんだ、それってすごいことじゃない?」と思ったのですが、どうなんでしょう。単に私が知らないだけで、当時からそんなの当たり前、別に岩井軌道が特別ではないのでしょうか?あるいはそもそも、「東京駅で切符を買うことができた」という解釈に問題があるでしょうか?とりあえずわからないので書かないことにしています。--柒月例祭会話2015年9月26日 (土) 16:03 (UTC)[返信]
連帯運輸  中学生の時読んだ津軽 (小説)に金木の町長が上京してきてかえるときにきつぷ売り場で金木までと言ったら知らないと言われたので怒ったとういう話が記憶に残っています。
連帯運輸は珍しいことではなくて岩井村営軌道の開始した時の「連帯運輸開始」『鉄道省年報. 昭和元年度』にも鉄道会社数170軌道会社数29とあります。赤字会社がこの預かり金に手を出して国鉄への支払いを滞納したとういう話がありますがこの軌道もやっていそうですけど史料がないのでわかりませんが--Tamrono157会話2015年9月27日 (日) 00:02 (UTC)[返信]

坂下(駅?)に関する要出典について

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過去の履歴を見ますと、坂下に関する加筆は2度行われています。

この編集での坂下に関する加筆(開業、廃止年月日不明)は『日本鉄道旅行地図帳』9 関西2のp43で確認できます。
この内容については、いまのところ私は出典になるものをみつけられていません。カンペキとは言わないまでも、それなりに関連文献を眺めたつもりではいるので、ひとまず「要出典」とさせていただきました。「要検証」ではなく「要出典」なので、「なんかホントっぽいんだけどなあ」ということです。
IPさんにはほかの編集履歴もなく、ちょっと対話できる感じでもないので、一定期間をおいても出典が見つからない場合には、Maxima mさんによる記述にとどめようと思います。
  • (3)これは鉄道系の執筆者さんになんですが、『日本鉄道旅行地図帳』9 関西2のp43によると、「坂下」は路線自体の廃線とは別のタイミング(だが時期は不明)で廃止となったとされています。(灰色▲マーク。)この場合、冒頭部のテンプレートの「停車場・施設・接続路線」は「休止当時」ということになっており、ここには「坂下」を入れちゃダメということでしょうか。(カッチリした運用が決まっていますか?)
なんとなーく、厳密には別路線であるはずの「荒金鉱山」(よくわからないけれど、もっと厳密には途中でトロッコとインクラインにわかれている)も出ているし、「休止当時」ではなくなるかもしれないけれど、「(距離不詳)坂下」も入れてもいいんじゃないかなー、とは思うのですが。
岩井町営軌道
STRq
国鉄山陰本線
exSTR+l
0.0 岩美駅
exBHF
不詳 坂下駅
exBHF
1.6 恩志駅
exmBHFe
3.4 岩井温泉駅
uexKBSTe
荒金鉱山

これではダメでしょうか?

あともうひとつ、利用者:ButuCCさんに「駅」を入れる編集をしていただいたのですが、この「駅」は除去したいのですが、どうでしょうか?他の記事(例:尾道鉄道)では「駅」は入っていないようですし、たとえば厳密には「坂下」が「」なの?とか(『日本鉄道旅行地図帳』では「無印は普通駅」となっているので、それに従えば普通駅のはずですが、IPさんの言う「住民の求めで臨時停車」というのが駅といえるのかとか)、停車場によれば「軌道法による軌道ではみな停留場である」とありますし、突っ込むとよくわからないのです。「駅」を外しちゃえば済むなあと思ったのですが・・・?--柒月例祭会話2015年9月28日 (月) 17:29 (UTC)[返信]
コメント - 「坂下」の扱いの問題から「駅」を外した方が良い、ということであれば異論はありません。
>他の記事(例:尾道鉄道)では「駅」は入っていない
編集履歴を見返したところ、Maxima mさんによって経路図が導入された記事では確かに概ね現役路線が「駅」つき、廃止路線が「駅」なしになっているようです。が、これについては特に取り決めがあるわけではないので、その後の編集で「駅」付きになったり、初めから「駅」付きで導入された記事もあります。廃線記事と現役記事とで意図的に「駅」を付けたり外したりすることについて、特に根拠がないならば必要ない区別ですので、「駅」なし記事を見かけた時は適宜付けたりしています。ただ、柒月例祭さんご指摘のように、記事によっては(路面電車関係を中心に)対象が必ずしも「駅」かどうか分からないケースがありますので、判断に迷う時は保留します(本件に関しては岩美駅はもちろん、恩志駅や岩井温泉駅についても「駅」表記で問題ないと考え追加しました)
>「軌道法による軌道ではみな停留場である」
これは「法律上の用語では」と言う事ではないでしょうか。東急世田谷線名鉄豊川線のように軌道法による路線でも営業上では駅と名乗ることができます(今現在記事で使われている「恩志駅」「岩井温泉駅」という表記については、少なくとも軌道法関係が原因で「○○停留場」に直さなければならない、と言うことはないはず)。--ButuCC+Mtp 2015年9月28日 (月) 20:35 (UTC)[返信]
コメント坂下は『鉄道廃線跡を歩く 6』JTB、1999年、125-127頁に岩井町営軌道の項あるのだけど坂下のことはは言及されていません。『日本鉄道旅行地図帳』が唯一の出典のようです。ほかに紹介できるものとして新編岩美町誌、2006年があるのですが国会図書館にいく暇がとれないので…
あと『軽便鉄道時代』JTB、2010年には1頁しかでていくて目新しいものはないのですが巻末の参考文献に「岩井軌道の足跡」(中国地方 鉄道史散策NO.2) 長船友則というものがあり、いろいろ調べたところ鳥取県立図書館で鉄道史散策と資料検索するとみつかりました。とりあえず目次のコピーをメールで依頼しました。--Tamrono157会話2015年9月29日 (火) 00:37 (UTC)[返信]
長船友則「中国地方鉄道史散策No.2 岩井軌道の軌跡」平成5年発行を手に入れました。それによると公式記録にはない坂上について客扱いをしていたと地元の複数の人の証言があったそうです。そのご新編岩美町誌も閲覧しましたが岩井軌道の節のかなりの分が中国地方鉄道史散策からの引用がみられますね。ほかにも木嶋よしが電気軌道を計画したとかおもしろい話はありましたが中国地方鉄道史散策の入手は困難で坂上は新編岩美町誌にはふれられていないので本文への反映はしていません-Tamrono157会話2015年11月23日 (月) 00:25 (UTC)[返信]
  • なぜか今まで気づかなかったのですが、「坂」ではなく「坂」でした。「坂上」と書いて「さかげ」と読むので思い込みとしか言いようがありません。失礼しました。--柒月例祭会話2015年11月25日 (水) 14:38 (UTC)[返信]

車両節

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車両節全体を書き直しました。従前の「キハ104」に関する記述では、町がインチキしていたとか、九十九里鉄道に行ってからもバレなかったというようなくだりがありました。が、「岩井町営軌道秘録」では導入時の許可が見当たらないことは言及がありますが、導入後はお上にも認知されていたことが示されており、「その存在を一切知らぬまま」というのはちょっと違うようです。ひとまず従前の記述はコメントアウトしています。

私も岩井町営軌道に関するありとあらゆる文献をチェックしたというわけではないのですが、なんとなーくですけども、ここらへんの記述は九十九里鉄道関係の資料・文献からの情報ぽい気がします。これを書いた利用者:Torekoさんはもう8年も編集が途絶えていますので、この方に問い合わせるのは無理のようですが。(九十九里鉄道側では利用者:Recluseさんが編集なさっていますが、直接の出典は示されていない)

ここまでボリュームが増えると写真がないと寂しいなと思ってテキトーに追加しましたが、「そのもの」の写真ではないので、こんなもの不要と思ったら除去いただいても構いません。ここにあるように、1944年の「休止」以前の写真は著作権保護期間は終了していますから、絵葉書などで当時から公開されていた写真については『鉄道ファン』の写真をスキャンして使用しても問題ないはずですが・・・--柒月例祭会話2015年10月3日 (土) 06:34 (UTC)[返信]

コメント尺、寸ではなくです。鉄道の申請でフィートからメートルになったのは昭和初期です--Tamrono157会話2015年10月3日 (土) 06:56 (UTC)[返信]
わあ、これは恥ずかしい。すみません。本文も直しておきました。ご指摘感謝します。--柒月例祭会話2015年10月3日 (土) 07:17 (UTC)[返信]
コメントキハ104について出典をつけました。--Tamrono157会話2015年10月3日 (土) 10:37 (UTC)[返信]
コメントいくつか手直しをしていただき、恐れいります。(ベンチレーターの「位置」と「向き」とか、明らかに私の手抜かりです。)
ひとまず、私のほうでは当面、いまよりも大きく加筆できる見込みがありませんので、私としてはいったん手仕舞いとさせてください。行きがかり上的な流れで手を付けたのですが、当初の目論見よりはずいぶん詳述することになりました。門外漢のため不手際も多く、いろいろご指導・助言をいただき、また文献の情報をいただき感謝します。
出典の[これ]については、多すぎる・みにくい(見難い・醜い)という印象はあろうかと思います。私個人としてはここらへんのスタイルについては迷いもあるところでして、「文章1[1][2]。文章2[1][2]。文章3[1]。」は「文章1。文章2。文章3[1][2]。」でいいのではないかとも思いますが、再編集や検証のことを考えると、細かく出典があって「見栄え」以外には問題がないのであれば細かいほうがいいかなあ、という感じです。とはいえ、醜いから整理して数を減らそうということであれば反対しません。--柒月例祭会話2015年10月13日 (火) 08:23 (UTC)[返信]

ファイル:Iwaionsenline after 800.jpgと「開業とその効果」節の記載追加について

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2015年11月25日私は ファイル:Iwaionsenline after 800.jpgの説明、「開業とその効果」節の軌道周辺の概略図には注釈で、「『鉄道ファン』397号(1994年5月号)p92-97「岩井町営軌道秘録」(安保彰夫)のp93掲載図をもとに作成」の文言を追加しました。これは第一段階として第二段階について考えているところを説明します。 ファイル:Iwaionsenline after 800.jpgの、相山・荒金鉱山の間の赤色線を消して 点線を直線で入れる「開業とその効果」節の軌道周辺の概略図の注釈は「岩井温泉・相山・荒金鉱山の間は推定」としたいと思います。理由は、安保彰夫氏の記事のp93掲載図の「インクライン」の位置ですが、現地のその場(相山の北)は自然のままの山です。1947年 米軍撮影の空中写真が国土地理院のサイトで見られますが相山の北のあたりで施設跡があるようには見えません。とりあえず、本日はここまでとします。--沙羅星人会話2015年11月26日 (木) 13:48 (UTC)[返信]

いろいろありがとうございます。基本的にはおっしゃるとおりと思います。中途半端に精緻な「図」にしてしまいましたが、もうちょっとふわっとした「概略図」のほうがいいかもしれませんね。画像ファイルについては、作成した私が修正するのが一番手っ取り早いだろうと思いますので、よろしければ近日中に用意しておこうと思います。--柒月例祭会話2015年11月26日 (木) 14:36 (UTC)[返信]
まあ、作者である柒月例祭さんが修正されるというのも よろしいかと思います。(こちらで修正するというのも考えなくもありませんでしたが)安保彰夫さんは「岩井町営軌道」が描かれた地形図により判断されるべきだったと思っております。p93掲載図では旧町村の境界線もでたらめですし・・・。うちはwikipediaにさける労力は多くはなくて、こちらでやるとすれば、いつのことになるのかというところです。--沙羅星人会話2015年11月29日 (日) 14:19 (UTC)[返信]