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ノート:岡部幸雄/秀逸な記事の選考に関する議論

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  • あら金さんのご提案により、ここを始まりが終わりさんの指摘に始まる議論を詳細に行う場としたいと思います。まず、私廉が主張を書こうと思います。

さんのご主張

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  1. すでに柴田政人から引き継ぐ形で騎手会長となったことは記述済みです。始まりが終わりさんはその詳細について記述する必要があると主張されていますが、岡部の著書、および岡部の騎手人生をまとめた内容の『岡部幸雄全史』に一切記述がないことから、活動の詳細までもが「百科事典において必ず説明されるべきこと」として要求されているとは思いません。
  2. 岡部と競馬関係者との関わりについて、岡部が著書で名を挙げている者について言及しているほか、八大競走GI競走優勝馬の騎乗を依頼した調教師の名を列記しています。始まりが終わりさんは依頼数の多かった厩舎の加筆を要求されていますが、何を持って多い少ないを判断するのか不明確であり基準として不適切です。不適切な根拠に基づく要求を受けいれることはできません。
  3. 始まりが終わりさんはオリビエ・ペリエによる岡部評の記述を要求されていますが、私は岡部・ペリエ両氏の著書の中に互いの名前が登場しないことから2人の関係は希薄であり、ペリエによる岡部評は「百科事典において必ず説明されるべきこと」ではないと判断します。なお、始まりが終わりさんは記述が必要であることの根拠としてペリエが「二流三流」ではないこと、および「岡部の周囲にいた(同時期に藤澤厩舎の主戦を務めている)」ことの2点を挙げています。しかし「二流三流」については定義が不明確、「同時期に藤澤厩舎の主戦を務めている」ことは2人とも特定の厩舎に所属しないフリーの騎手である以上、同時期にある厩舎からの依頼が多かったとしてもそれは単なる偶然であって、そこから特筆すべき関係は伺えません。以上の理由から始まりが終わりさんの指摘には説得力がなく、ペリエによる岡部評は記述は不要と考えます
  4. 始まりが終わりさんは岡部が馬具の改良に携わったことを記述すべきだと主張され、その根拠として『こんな騎手』という本と『週刊Gallop』を挙げています。しかし『こんな騎手』という本は著者の正体が不明、当事者に取材を行っている形跡がないなど問題点が多く、信頼できる書籍とは言えません。『週刊Gallop』についてはその『週刊Gallop』をもとに編集されている『岡部幸雄全史』に馬具改良に関する記述がないことから、『週刊Gallop』に「百科事典において必ず説明されるべきこと」が記載されているとは思えない(「必ず説明されるべきこと」が『週刊Gallop』に記載されていたのであれば、『岡部幸雄全史』にも記載されていてしかるべき)と判断します。以上の理由から始まりが終わりさんの指摘には説得力がなく、記述は必要ないと考えます。
  5. 始まりが終わりさんはご自身が「空で記憶している」ことを根拠に岡部が持つ「歴代最速記録」について記述すべきだと主張されましたが、「始まりが終わりさんの記憶に残っているから岡部の著書や関連書籍に載っていなくても明記すべきだという主張こそ通らない」と反論したところ、再反論がありません。
  6. 始まりが終わりさんは「武豊、政人、晩年近くにいたペリエからの評価が記載されていない点は特に惜しい。彼らの著作はいくつか存在するし誌上での発言もある。」と主張され、ペリエの著書をあたればペリエによる岡部評が分かるかのように示唆されました。しかし、実際にペリエの著書『武豊×オリビエ・ペリエ勝つには理由がある』と『野望ありマス』 を読んだところそのような記述は見当たりませんでした。さらに始まりが終わりさんは2008年12月15日 (月) 11:07 (UTC)におけるおけるコメントで根拠となる文献について「週刊Gallopか週刊ブックのウイングアロー~シンボリクリスエスの時期、出走馬情報の内容にあった。」と、実に曖昧な回答をされています。雑誌の号(発行年月日)はもちろん、具体的な雑誌名すら特定できていないのです。これらの事実から、始まりが終わりさんはある文献をかつて目にしたという曖昧な記憶・印象、さらにこの文献に載っているだろうという憶測を根拠に議論を展開されている可能性が大であると判断せざるを得ません。その上で要求をします。週刊誌については発行の時期を明確にしてください。それが明示されていないものについては、どの号をあたればよいのかが分からず、「条件付賛成・保留・反対票を投じる際は、執筆者に改善方法が伝わるように、できるだけ具体的な問題点を指摘してください。」というルールに反するため、指摘として正当性を欠くと判断します。
  7. なお、箇条書きとレオダーバンに関する記述についてはすでに改変を加え、問題点を解消したと主張しておきます。-- 2008年12月15日 (月) 14:36 (UTC)[返信]

 

  1. 詳細を選考にて説明済み。依頼内においてコメントを移動させた履歴を確認した。尚、この度万人に理解しやすいよう経過を筆記したので此方への移動については不了解。転載については許可する。
  2. 詳細を選考にて説明済み。単なる数字・事実を書けと指摘済み。多い少ないの判断は閲覧者の判断に任せるのがwikipediaWP:NPOV
  3. 両氏の著書に登場しない事が全ての事実ではない。この事は『全史』関連でも明確に指摘済み。第三者がどう記載しているかを書くべき。本項での見出しが岡部と同じ時期に騎手として活躍した人物からの評価である事を指摘済み。90年代後半フランスGalloでリーディング1位を複数回獲得した世界の名手のコメントを書けと言った意見。藤澤の主戦については、選考にて説明済み。藤澤は身元引受人としてペリエを招致、積極的に2人に依頼している。
  4. 詳細を選考にて説明済み。尚、この件に関しては当方に限らず「岡部が誰の記録を抜いて歴代1位になったかは特記事項だと思います」とFederidco-baswaardzさんが指摘済みだが、依然として改善無しのままである。
  5. 詳細を選考にて説明済み。国立国会図書館までGallopを探しに行けとは当方も求めない。ちり紙交換に出してしまった事が悔やまれるが、当方が国立国会図書館にて確認できれば改めて指摘しなおす。
  6. 詳細を選考にて説明済み。あれは適切な編集であった。--始まりが終わり 2008年12月22日 (月) 14:03 (UTC)[返信]

2008年12月22日 (月) 21:11 (UTC)におけるコメントの詳細

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  1. 強行排除の件についてですが、そのような意思はありませんでした。あくまでも暫定的な措置です。また選考の性格を考えると、暫定的な無効に対して他のユーザーから異議が出た場合にあくまでも無効だと主張を押し通すことは不可能でしょう。従って強行排除であるという指摘はあたらないと考えます。そのかわり、代替案を提示します。たしかに暫定的に無効とすることについて、会話ページに連絡を入れるべきだったかなとは思います。しかしそれは返答が遅れた理由を説明しなかったそちらも同じことです。そこで、互いに連絡を怠ったことを謝罪し合うということであれば同意します。なお、今後のために無効化の手順について合意形成を提案しています。
  2. 騎手会長についてですが、まず騎手会長であった事実を「関東のトップジョッキーとして活躍」の節に加えました。さらに活動の具体例についても加筆を行うことができました。私は騎手会長であった事実そのものについてはともかく、活動の詳細は秀逸な記事として不可欠な事柄とは考えませんが、記事が充実するに越したことはありません。
  3. フリー騎手の節について、「どの厩舎に比較的多く依頼を受けたか」について加筆するべきという提案についてです。「一番依頼が多かった厩舎」と簡単におっしゃいますが、厩舎ごとの騎手への騎乗依頼数をまとめた資料があるという前提でのお話でしょうか?そうではなく過去の中央競馬の成績表を調べて個人的にまとめよというお話でしょうか?前者であるならばその資料名をご提示ください。後者であるならば、正確性の担保や第三者からの検証が困難なデータ(私がカウントを間違えても、おそらく誰も気づかないでしょう)ということになるので反対です。提案ですが、「依頼数」ではなく「勝利数」を示すということでも調教師からの信頼の大きさは計れるのではないでしょうか。すでに「大レースを勝つような馬の騎乗を任せるほど岡部を信頼している」という観点から、大レースを勝利した馬の管理調教師の名前は列記しています。これを重賞優勝にまで拡大するという案を提示します(ちなみに一般レースにまで拡大すると、それを調査した文献がない限りは正確性の担保や第三者からの検証可能性という点で困難が生じると思います)。
  4. もう一つフリー騎手に関してですが、私はすでに日本初のフリー騎手・渡辺正人の名を挙げています。さらに武邦彦と小島太について加筆しました。これをもって「岡部以前にフリー騎手がいたこと」について記述に曖昧な点はなくなったと考えますが、いかがでしょうか?また、岡部のみが初めて成功した理由についてですが、加筆できればそれに越したことはないとは思います。しかし、残念ながらをそれを分析した文献が見当たりません。どのようにしてこの点を加筆せよと主張されるのか、具体案をお示しください。ひょっとして以前何が成功の要因か判らないのであれば、事実に頼る必要があろう。どの厩舎に比較的多く依頼を受けたか、だ。と提案されていますが、そのことでしょうか?もしそうであるならば、上に示した通り「依頼数」を「勝利数」に替えることを提案します。
  5. ペリエについてです。本項内に「調教師となった後に多くの競走馬の主戦騎手を岡部に任せた藤沢和雄」とあるが?とのことですが、岡部は藤沢厩舎の所属騎手ではないというのは始まりが終わりさんがご指摘の通りです。また、オリビエ・ペリエは99-04まで身元引受人は藤澤和雄であ(った)としても、それはペリエが藤沢厩舎の所属騎手であったことを意味しません。つまり2人のフリー騎手がたまたま同じ厩舎から多くの騎乗依頼を受けていたというだけの話で、2人が特別な関係にあったという根拠にはなり得ません。「見出しは岡部と同じ時期に騎手として活躍した人物からの評価だよ。」と既に指摘した。その点で明確な返答を求める。 とのことですが、私は同じ騎手に騎手であったというだけで必ず評価を記述しなければならないとは考えていません。「岡部と同じ時期に騎手として活躍した人物からの評価」という見出しは、関係者のコメントを分類するための基準にすぎません。もちろん、ペリエによる岡部評があれば記事としては充実するでしょう。しかし、それが秀逸な記事として欠かすことのできない要素とは思えないということです。その根拠は再三指摘しているように、2人の関係性の希薄さにあります。私は記述が強く求められるのは岡部と深い結びつきがあった競馬関係者(とくに高橋英夫のように岡部の騎手人生に影響を与えたような人物は重要でしょう)だと思います。岡部との交流が深い関係者による岡部評は重みが違うと思うからです。ペリエのように単に同じ厩舎からの騎乗依頼が多いというだけで人間関係が希薄な人物による評価は、あってもいいと思うがなくても構わないと思う、ということです。その上で、記事を充実させるという観点からは、ペリエによる岡部評が「今後加筆されることが望ましい」という意見には同意します。ですから、今後の課題とすることで同意ができるのであれば歓迎します。
  6. 『競馬笑っちゃう事典 : レースよりも大興奮!』についてですが、この本を参考にしていたのは杉浦元騎手を殴ったという事件についてのみです。そのことは記事の履歴を見て頂ければ分かると思います。したがって、『競馬笑っちゃう事典 : レースよりも大興奮!』(著:こんなに儲けて委員会)の参考文献リストのみ削除されているが、参考にされた本項内の記事内容はどこであったのか不明のままその部分の消去編集はなされておらず、参考にされた内容が残っているのか残っていないのかさえ不明でこの状態では改竄であって不適切である。というご指摘はあたりません。また、『こんな騎手』との違いを問うた。先に述べたこの違いを明確に説明していただきたい。という要求については既にお答えしている通り、具体的な著者が不明という点では『こんな騎手』と同じであると考えます。つまり2冊とも信頼できる資料と見ることは困難であるということです。ですから、杉浦元騎手殴打の箇所については参考文献を『競馬笑っちゃう事典 : レースよりも大興奮!』から岡部の著書に差し替えましたし、『こんな騎手』を参考文献にするべきでないとも主張しているわけです。なお、私は著者の正体が不明であることだけをもって本全体の信頼性を否定する(内容が杜撰であればなおのことです)立場をとっています。ですから、岡部関係については実名で書かれている事や出版社名だけを見て『こんな騎手』を信頼できる文献とみなし、参考文献とすることには反対です。この点についてあくまでも見解が相違するようであれば、他のユーザーの意見を伺うことにしましょう。
  7. 記録についてですが、500勝単位での記録達成日時を記載し、さらに最速のものについてはその旨記載せよということですね。了解しました。これについては改変を加えたいと思います。
  8. 私も、「一冊の全史に必要な事実全てが記載されているとは限らない」と思います。ただ「○○は記事に書かせない重要な情報であり週刊Gallopに記載されている」という主張への反論材料や、競馬マスコミがどの程度その情報を重視しているのかという有力な判断材料になると主張しているだけのことです。「この文献には載っていないが必要な情報である」ということが説得的に説明されればそれに同意します。-- 2008年12月22日 (月) 21:14 (UTC)(改変に伴い加筆-- 2008年12月23日 (火) 15:24 (UTC)[返信]
  1. 意思の有無に拘わらずいささか独断にして即断であった感は否めないと思うが、ご自身どうお考えか?返答が遅れたと言えど、杓子定規で2週間待って独断排除する行為には到底同意しかねる。尚、返答が遅れた由については連続投稿にて迷惑を受けた件で合意が成立しているであろう。その件とリバートまでは此方には非は無い。当方が謝罪し擦り寄るべき点では何処かを考えた場合、冷静さを欠き、些か怒りを文に出した点だと思うが如何?そろそろこの話題もお互い時間の無駄であろう。当方とて貴方を責めるのは本意にあらず。貴方とて。お互い文字打つも疲れよう。当方の目にもこたえる。
  2. 確認。指摘の正当性が認識され合意が成立しよかった。しかし前回、会長職についての重要性を説明し加筆を求めたが、十分な形で加筆が行なわれておらず未だ些か不十分である。理由は、38年2943勝の名勝負+10年会長を務め競馬の発展に寄与した事が受賞理由であるが、10年会長を務め競馬の発展に寄与した事の内容が述べられていない点が残っている事である。10年務めた事については加筆がなされたが、会長として何の業績を残したか・その結果表彰理由に至ったかが書かれていない。『全史』や岡部の著作に記述が見られない場合の対処として、2008年12月15日(月)11:07(UTC)の当方の編集にて指摘済み。当方も資料を当たってはいるが、断片的でこれと挙げて手助けすることは容易ではない。しかしこの現在の編集内容では不足なので以下を検討頂きたい。会長在職期間内の騎手に関係する重要案件として、安藤勝己騎手移籍問題が勃発、移籍による騎乗数の寡占化、若手騎手の騎乗数確保、等騎手会競馬会が対応した諸問題が発生した点の記述で当面代用可能と考える。よりよい資料からの改変・編集が有る事が将来的に歓迎される。ソースとして[1][2][3][4]などは最低限挙げておく。
  3. 「多い・少ない」ではなく依頼実績と勝数の数字を挙げればよい。その間の年度毎で一番依頼の多かった厩舎を挙げればよい。と前回に記したが、勝数の実績、例えばその年度藤澤12勝・松山康7勝・田中清6勝だとしたなら左様に記せば良いのではないかとの話。依頼数=騎乗数であり、勝率の分母でもある。依頼数は客観的に依頼が多い厩舎を明確に示唆する指標ではあるが、資料上確認が難しいのであればその旨の説明はあればよい。もちろん総論として、全年度に亘っての数字は求めないし、フリー化に関する時期の資料として付則があれば十分。
  4. 前段について確認、指摘の正当性が認識され合意が成立しよかった。岡部がフリーになったエピソードは書かれているが、岡部のみが初めて成功した理由は一切記述が無い。現在では不足である。と述べたが、文献が現在確認できないのであれば、上記3.の対応で良い。これは以前2008年12月15日 (月) 11:07 (UTC)の編集にて何が成功の要因か判らないのであれば、事実に頼る必要があろう。どの厩舎に比較的多く依頼を受けたかと述べたとおりである。
  5. ペリエにつき前回努力目標とし、当初には週刊Gallopはじめ複数の書籍で確認できると指摘していたが、何をか況や。オリビエ・ペリエ『野望ありマス』(東邦出版)に2箇所に亘り記述があるようだが、廉氏もお疲れで見落としであろうな。よって事実より述べれば人間関係が希薄、では有り得ない。p.36とp.107を確認され加筆されたし。要旨は岡部を先生と呼び、礼を述べ、中山競馬場や日本での乗り方を学んだ旨、岡部のペース判断に対しての評価等々書いておる。WP:JPOVWP:NPOVの観点からもフランスのトップジョッキーからの評価が望まれる事は言うまでも無い。多くの反対事由を述べ、これまでに編集のあった点では全て正当性を認めさせ改善に寄与したが、内容不足の原因は調査不足や一部の参考文献に偏っている点があった。指摘や批判を受け編集をする事で畢竟良い記事になるであろう、今回の過程はその証左である。引き続き指摘・批判への理解を求め、さらなる奮闘を側面より微力ながら支援する。もう少しだ、頑張れ。
  6. 私は著者の正体が不明であることだけをもって本全体の信頼性を否定する(内容が杜撰であればなおのことです)立場をとっています。ですから、岡部関係については実名で書かれている事や出版社名だけを見て『こんな騎手』を信頼できる文献とみなし、参考文献とすることには反対です。とあったが、WP:NPOVの観点から事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな偏った意見を削除して良いかをそれぞれ一読して行動していただきたい。意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます。ある記述が偏った見方から書かれているという事実だけでは、その記述を即削除してしまう理由としては不十分だと考えます。 まず、廉氏がどうしても高崎武大の取材が杜撰、と主張するのあればそれを証明しなければならないがそれは著者の近辺にいなければ不可能ではないか?ペリエも高崎も東邦出版の書籍であり、信用性は保持していると考えられるが如何?作家で本名非公開のペンネームの活動は一般的であり、著者の正体が不明であることが出典として利用できない理由にはなるまい。廉氏の個人的判断であると考えられるが、wikipediaに左様な規則があるならばここは明確に挙げていただきたい。で、あるので『こんな』については引用を求めるし、当初より当方の求めていない削除であった委員会の引用は、必要であるなら復元していただいて結構。
  7. JRAの参考URLまで挙げて指摘したが、1992年には1週10勝の中央競馬新記録、中央競馬史上初の15000回騎乗・重賞100勝達成について未だ加筆が見られない。これは求めたいが。これは岡部幸雄特有の特筆すべき成績であるので書かれている必要があるとしたが、加筆されなかった根拠があるなら挙げて頂きたい。同じ公式発表にある成績でばらつきのある場合、偏りすなわちWP:NPOVにおいて些か疑問が残る。2017勝の新記録達成時は増沢を更新したものであるが、同様に前記録保持者がいた記録についてはその人名についての必要性が他者からも指摘されていたので加筆を求めたい。無論、さらなる記録の加筆は歓迎される。
  8. 『サンケイスポーツ』→『週刊Gallop』→『全史』と編集が至る際に、零れ落ちる内容も多々ある証左が今回の一件で確認されたと思う。一時期頑なに繰り返しておられたが、指摘を受け認識を改めて頂いたようなので、今後は左様な事は言われないと思う。以上に基づきこの件は終了とする。--始まりが終わり 2008年12月31日 (水) 09:24 (UTC)[返信]
(コメント)まず、われわれの行動に関する点については選考と切り離して記載したいと思います。私の連続投稿が速やかな返答を妨げたことは認めますが、2週間の間全く連絡がなかったことを全面的に正当化できるとまでは思いません。会話ページに一言連絡を入れればよかっただけのことなのですから。したがって私の提案は変わりません。ところで、この手の論点については「この後は選考と無関係ゆえコメント依頼に回しましょう。」とあなた自身が発言しています。ならばその言葉を守るべきではないでしょうか。ここから先はWikipedia:コメント依頼/廉 20081208でお願いします。-- 2008年12月31日 (水) 10:07 (UTC)[返信]
(コメント)ここからは記事の内容自体に関するコメントです。改変について予定を記します。
  1. 「会長在職期間内の騎手に関係する重要案件」についてですが、参考として挙げられているURLを見る限り、日本騎手クラブがそれらの問題にどう対処したかがよくわからないのですが・・・まず、「安藤勝己騎手移籍問題が勃発、移籍による騎乗数の寡占化、若手騎手の騎乗数確保、等」が「騎手会が対応した諸問題」であることの証拠を具体的に挙げてください。証拠が挙げられたならばそのことを日本騎手クラブに記載し、岡部幸雄から当該記事への誘導する改変を行いたいと思います。騎手会長は日本中央競馬会運営審議会の一員、正式かつ重要な役職という点との関連も同様です。それらの問題について日本中央競馬会運営審議会がどう対処したか、具体的な出典を明示してください。中央競馬に関連するトピックスであったというだけで、日本騎手クラブや日本中央競馬会運営審議会が対処したという証拠がない、つまり岡部が役職についていた組織との接点が不明な事柄をこの記事に記述する必要はないと思います。
  2. 厩舎別の騎乗数を記述する要求について、放棄されたのかどうかよくわかりません。私の見解は以前述べたとおりです。もしどうしても厩舎別の騎乗数を書けと要求されるのであれば、合意による排除を目指します。厩舎別の重賞勝利数については近いうちに加筆します。
  3. ペリエの岡部評について、『野望ありマス』を年明けに調べ、有意義な情報があると確認できた場合には加筆します。
  4. 『こんな騎手』についてですが、作家がフィクションをペンネームで書くことと、高崎を名乗る正体不明の人物がルポルタージュを書くことを同視すべきではないと思います。なにしろ本当に競馬関係者なのか、その辺の一般人や出版社の社員が書いたのかどうかすら不明なのです。正体不明の人物によるルポルタージュは信頼に値しないという考えに変わりはありません。この点については意見の対立が決定的となりましたので、合意による排除を目指します。
  5. 「1週10勝の中央競馬新記録、中央競馬史上初の15000回騎乗・重賞100勝達成」については見落としていたので加筆します。前記録保持者がいた記録についてはその人名についての必要性が他者からも指摘されていたので加筆を求めたい。とのことですが、これは具体的にどの記録についてでしょうか?何度も繰り返していることですが、指摘は具体的にお願いします。
  6. 『岡部幸雄全史』についてですが、秀逸な記事の目安に「その主題を扱う専門家(研究者、実務家、その他)から見て、百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている。」とある以上、『岡部幸雄全史』がどのような事柄に着目して報道しているかが「その主題を扱う専門家から見て、百科事典において必ず説明されるべきこと」が何であるかの判断材料の一つになる、と申し上げているわけです。私が調べた文献のいずれにも見当たらない事柄について、重要でないことが推定されるという主張を行う可能性は今後もあります。ただし、いずれにも見当たらないが重要であるということを示す別の証拠が挙がった場合はこの限りではありません。-- 2008年12月31日 (水) 11:53 (UTC)[返信]
(コメント)「1週10勝の中央競馬新記録、中央競馬史上初の15000回騎乗・重賞100勝達成」と、厩舎別の重賞勝利数を加筆しました。なお、1週10勝も記録についてはそれ以前の記録を誰が保持していたのか、そちらが提示したJRAのサイトに載っていないようです。そもそも、私は1週10勝の記録の前記録保持者が誰であったかが記事に不可欠な要素とは思えません。改変に応じたのはあくまでも(秀逸な記事の水準を超えたレベルでの)記事の充実のためです。したがって、自らが提示したソースに載っていない以上、この点についてあなたが加筆を要求することはできない、と申し上げておきます。この点についてあくまでも加筆を要求されるのであれば、合意による排除を試みたいと思います。-- 2008年12月31日 (水) 13:32 (UTC)[返信]
(コメント追加)1週10勝の記録の前記録について加筆することができました。「武豊に更新されるまで歴代最速記録をいくつか所持していたが、それらの記載が完全に欠如している。公式発表がある事由について記載すべき。」について解決したかどうか、ご判断ください。-- 2009年1月12日 (月) 06:56 (UTC)[返信]
(コメント追加)オリビエ・ペリエによる評価について加筆しました。廉 2008年12月14日 (日) 14:54 (UTC)に私が「『武豊×オリビエ・ペリエ勝つには理由がある』と『野望ありマス』 を読みました。しかし、いずれの本にもペリエが岡部を評価している文は見当たりません。」とコメントしてから2週間以上の間、評価が記載されている著書名とページ数が具体的に提示されませんでした。これは指摘の具体性という点で大変問題ですが、最終的に提示がなされたことは評価します。これで2008年11月21日 (金) 06:17 (UTC)における指摘の9点目は解決したと思われますが、いかがでしょうか?-- 2009年1月4日 (日) 03:16 (UTC)[返信]

『こんな騎手』について

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『こんな騎手』が資料として信頼できないとすることの根拠を列記します。

  1. 著者の正体が不明である。(つまり本の内容について具体的な個人・団体が著者として責任を負わない)
  2. 真偽不明の噂話や伝聞を、当事者のコメントもとらずそのまま掲載している。(取材方法が極めて杜撰)
  3. イニシャルによって当事者が誰であるか推測可能な状態にした上で、当事者の弁解を一切掲載せず「騎乗法が危ない」「電車の切符の買い方も満足に知らない」など、本人の名誉にかかわる事柄を記述している。(名誉にかかわる話を、当人の弁解を掲載していないことは取材方法が杜撰であるばかりでなく公正さに欠ける。)-- 2008年12月16日 (火) 09:11 (UTC)[返信]

 

  1. 詳細を選考にて説明済み。既に質問を行っているが回答が無いまま危険な編集が為されている。
  2. 詳細を選考にて説明済み。
  3. 詳細を選考にて説明済み。--始まりが終わり 2008年12月22日 (月) 14:03 (UTC)[返信]

(コメント追加)ちなみに『こんな騎手』の資料としての信頼性をWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料に照らして判断すると、まず、「真偽不明の噂話や伝聞を、当事者のコメントもとらずそのまま掲載している。(取材方法が極めて杜撰)」という点、つまり事実確認が極めて杜撰であるということが、「常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」という文に触れると考えられます。また形式的に見ればまともな出版社からの出版物であっても、実質的には著者が正体不明であることと取材方法が極めて杜撰であることから、「事実をちゃんと確認しない無責任な」姿勢で出版された本であると考えられます。-- 2009年1月1日 (木) 16:14 (UTC)[返信]

出典の明記について

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既に述べたように、オリビエ・ペリエに関する議論で始まりが終わりさんが文献として挙げたペリエの著書(『武豊×オリビエ・ペリエ勝つには理由がある』・『野望ありマス』)にペリエによる岡部評が記載されていませんでした。さらに始まりが終わりさんはWikipedia:秀逸な記事の選考/岡部幸雄での2008年12月15日 (月) 11:07 (UTC)におけるコメントで、根拠となる文献について「週刊Gallopか週刊ブックのウイングアロー~シンボリクリスエスの時期、出走馬情報の内容にあった。」と、雑誌名および発行年月日(号)を明らかにできていません。このことから、始まりが終わりさんは文献の内容、文献名、発行時期をしっかりと把握せず、ある文献をかつて目にしたという曖昧な記憶・印象、この文献に載っているだろうという憶測を根拠に議論を展開されている可能性が大であると考えます。そこで、始まりが終わりさんがこれまで挙げた文献について、雑誌については雑誌名と発行年月日(何年何月号か)、web上のデータについては具体的なURLの提示を要求します。これは「賛成以外では問題点や改善案を明確に指摘して下さい。」というルールからも導かれる要求であり、この要求を満たさない指摘は具体性を欠き、正当性を有しないと考えます。以下、具体的な要求を列記します。

  1. 岡部の騎手活動の詳細について、「95年以降の活動について週刊Gallop週刊ブックが比較的取り上げていた。」とのことであるが、それぞれ具体的にGallopとブックの何年何月何日号か。さらに「検索にかけても農水省、産経、JRA、競馬ニホンその他有用な検索結果が出てくる。やってみたのだろうか?」とのことであるが、ルール上そちらが具体的なURLを提示する必要がある。これまでの経緯から「やってみたのだろうか?」という疑問はむしろこちらが抱いている。
  2. 馬具に関し「週刊Gallopが比較的詳しい。」とのことであるが、具体的に何年何月何日号を指すのか。
  3. ペリエは岡部を手本としたとの説が週刊Gallopで確認できるとのことであるが、具体的に何年何月何日号を指すのか。
  4. 「ペリエと岡部は週刊Gallopか週刊ブックのウイングアロー~シンボリクリスエスの時期、出走馬情報の内容にあった。」とのことであるが、まず「ペリエと岡部」が何を意味しているのかが不明確であり、明確にするよう要求する。その上でGallopとブックのどちらの、何月何日号に載っているのか明らかにするよう要求する。-- 2008年12月16日 (火) 12:23 (UTC)[返信]

 

当人の書籍にて確認できないから記載しない、の不当性は選考内にて指摘済み。早々に了解され自説を仕舞われたし。Gallopを現時点で確認できない点について、さんのご主張にて記載済み。
  1. 詳細を選考にて説明済み。検索URLについては選考内で指摘済み。大いに参考にされよ。
  2. 以降. 詳細を選考にて説明済み。国立国会図書館等確認の取れる場所まで行ける日時は限られているが、確認できるよう努力しよう。返答期間年内30日まで1週間を要求する。--始まりが終わり 2008年12月22日 (月) 14:03 (UTC)[返信]