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ノート:山藤章二

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「ブラック・アングル」逸話 選択の基準

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「ブラック・アングル」での逸話」が、無制限に長くなっているように思われます。ここに記されている挿話が、どのような基準で記されているのか不明です。「傑作である」「アイデアがよい」「絵がうまい」などで判断すると、主観的になり、ほとんどの作品が該当してしまいます。客観的な基準が必要でしょう。

私としては、次のような基準でどうかと思います。

〔「時代の諸相」について〕

  • その作品について、他の箇所で言及されているもの(山藤氏本人による言及か、他の人による言及かは問わない)。例、1982年9月24日号のセ・リーグ会長の絵について筒井康隆氏が「ドーミエに迫る一級の芸術作品」と評しているなど。
  • 後に、書籍の表紙になったり、アンソロジーに収録されたりして、代表作とみなされるもの。例、1976年4月30日号の、田中角栄らの「仲良き事は美しき哉」(新潮文庫版「ブラックアングル(1)」の表紙になっている)。
  • 社会的な反響を呼んだもの。例、1992年7月24日号の「虱の党」。
  • 歴史に残る出来事・事象を扱っていて、山藤氏の社会観・政治観が典型的に現れているもの。例、湾岸戦争前夜、日本人が「ピーヒャラピーヒャラ」と「ちびまる子ちゃん」の歌に浮かれている様子を批評した絵(日付失念)。

〔「人物寸評」について〕

  • 何度も描いている人物。また、山藤氏と親交のある人物。山藤氏が別の箇所でその人について批評している文章が参照できればベター。

ほかに、つけたすべき基準はないでしょうか。異論が出ず、基準が一応確定すれば、それに合わないものは思い切って削除して(一方で増補すべきものも出てくるはずです)、記事を整理したほうがいいと考えますが、どうでしょうか。--Hamlet 2007年8月21日 (火) 09:09 (UTC)[返信]

そもそも、百科事典として具体的な作品の内容を詳しく述べるのって適切なんでしょうか? 削除すべきでしょう--彩華1226 2007年8月21日 (火) 14:27 (UTC)[返信]

作品解説は異例ですが、社会・世相との関連や、画風・作風の発達といった観点から触れることは可能だと思います。これまではまるで無原則だったので、きちんとした原則を立てて、何点かの注目すべき作品にしぼって(あとからあとからつけ加えないで)記すことはよいと思います。上記の原則でもまだゆるいかもしれません。全部で10点ぐらいが限度と思っています。--Hamlet 2007年8月23日 (木) 22:27 (UTC)[返信]

故人の表記

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Wikipedia:表記ガイド より「故人において、人名の前に故を付けたり、人名の後に(故人)や(物故者)を付けたりしない」--NTFS 2008年1月11日 (金) 17:01 (UTC)[返信]

筒井康隆の似顔絵について

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現行の版では「後述の夕刊フジ百回連載で筒井康隆が執筆した『狂気の沙汰も金次第』の挿絵を描いた際、山藤は筒井の似顔絵を「美男子過ぎて描けない」という理由で、「のっぺらぼう」で描き、以降定着した」とのことですが、筒井は自身が描いた漫画の中でも自らの顔を「オトコマエ過ぎてマンガの似顔は描けない」との理由によりノッペラボーで描いています(漫画版『色眼鏡の狂詩曲』)。筒井の顔をノッペラボーで描くというアイデアは筒井と山藤とどちらが先だったのでしょうか? --Keysrapid 2009年3月14日 (土) 14:21 (UTC)[返信]