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ノート:山崎蒸溜所

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分割提案

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プロジェクト:酒/酒関連の各種依頼でも依頼しましたが、ここに記載してあるウイスキーの山崎の情報山崎 (ウイスキー)と別個にしてもよい分量の記事のような気がします。個人的には響 (ウイスキー)サントリーオールドと同等の扱いがしたいと思っているのです。意見等あったらよろしくお願いします。--Kentin会話2014年10月4日 (土) 15:31 (UTC)[返信]

Wikipedia:分割提案で提案するのを忘れていたので、本日より議論の期間1週間程度延長したいと思います。意見あったらよろしくお願いします。--Kentin会話2014年10月15日 (水) 13:12 (UTC)[返信]
一週間経っても反対意見出ませんでしたので、ウイスキーの部分を山崎 (ウイスキー)に分割させていただきました。私も時間あったら文献等探して加筆してみますが、皆さんからも加筆等してくださるとありがたいです。--Kentin会話2014年10月22日 (水) 14:47 (UTC)[返信]

「サントリーの醸造所」としたほうが良いのではないでしょうか

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「メインページ」の「強化記事」の抜粋を見て気になったのでコメントします。現在、「山崎蒸溜所(やまざきじょうりゅうじょ、英語: Yamazaki Distillery)は、 大阪府三島郡島本町にあるジャパニーズ・ウイスキーの蒸留所。」となっています。しかし、「サントリーの蒸溜所」としたほうが良いのではないでしょうか。「ジャパニーズ・ウイスキーの蒸留所」というのも間違いではありませんが、サントリーのCMなどでも使われていて、一般的には「ジャパニーズ・ウイスキーの蒸留所」というよりも「サントリーの蒸溜所」と認識されているように思います。例えば山崎 (ウイスキー)の記事でもこの記事へのリンクとして「サントリー山崎蒸溜所が製造し」と書かれています。編集合戦をひきおこすほどの問題ではないので記事の編集はしませんが、ご検討をお願いします。--うみのたみ会話2024年2月28日 (水) 16:39 (UTC)[返信]

サントリーとジャパニーズウイスキーどちらのほうが優位かというのは個人の感覚によるところが大きいと思いますので、ひとまず「サントリー所有のジャパニーズ・ウイスキーの蒸留所」という形で二つを並列させました。--Keeezawa会話2024年2月29日 (木) 01:12 (UTC)[返信]

竹鶴初代工場長

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竹鶴初代工場長の退社時期について、「そして10年契約の満了間近である1934年3月、竹鶴は寿屋を退社した」とありますが、本文中にある竹鶴初代工場長の入社は1923年で、「満了間近」という記述は本文内で整合性がありません。実際、竹鶴初代工場長自身も手記で契約満了後に退社した旨の記述を残しています。特にご異議がなければ、「満了間近」は「満了後」に差し替えます。--Modeha会話2024年3月16日 (土) 14:56 (UTC)[返信]

賛成 おっしゃるとおりかと思いますので修正に賛成します。竹鶴政孝氏の手記について、後学のため書名をご教示いただいてもよろしいでしょうか?(『ウイスキーと私』でしょうか?)--Keeezawa会話2024年3月16日 (土) 23:49 (UTC)[返信]

はい。『ウイスキーと私』です。第八版p.130に、もともと10年の契約であったことと、期限の来た昭和7年に退社しようとしたところ保留にされた旨記載があります。そういえば竹鶴初代工場長は一貫して「山崎工場」と呼んでいますが、「山崎蒸留所」に改称したのはいつ頃なのでしょうかね。Modeha会話2024年3月17日 (日) 01:01 (UTC)[返信]

返信 ご教示いただきありがとうございます!
  • 名称については、国立国会図書館デジタルコレクションで「山崎蒸溜所」と検索すると1987年から雑誌類での言及が急増するので、山崎12年のプロモーションの一環でおそらくこの前後で名前が変わったんじゃないかと想像しています。個人ブログですがこちらの記事曰く1989年4月以降のボトルではじめて裏面に「山崎蒸溜所」の文字がみえるので、やはりこの時期なんだろうなと。--Keeezawa会話2024年3月17日 (日) 04:32 (UTC)[返信]
連絡ありがとうございます。特にほかからは反応がないので反映させました。「山崎蒸留所」という記事名は、竣工当時からこの名称であったかのように思われそうでまだ気になるのですが、ちょっと正式ないきさつが分からないのでいったんこのままにします。ニッカの2つの蒸留所のほうは正式名称には「北海道工場」、「仙台工場」が入ることが記事内に表記されていました。Modeha会話2024年3月19日 (火) 12:09 (UTC)[返信]

竹鶴に関してはもう1つ、「鶴見の工場へ事実上の左遷」とありますが、竹鶴の手記『ウイスキーと私』第八版p.128では(山崎、鶴見の)両工場長を兼任とあります。工場長職を解かれて役職が減ったり小規模プラントへの異動なら左遷ともいえるかもしれませんが、役職が増えていることを考えると、左遷というのは少し恣意的な言い方に見えますし、現在の記事内容のままだと、山崎工場長職を解かれて鶴見工場に工場長よりも下の職に異動させられたように読めます。一応、Wikipedia日本語版内で関連する記事類をいくつか見て回りましたが、山崎工場長職を解かれて鶴見工場に異動したように読める記事、左遷またはそう読み取れる記述は見つかりませんでした。これについても、ご異議がなければ「事実上の左遷」は除去し、両工場長兼任になったという記述に差し替えようと思います。Modeha会話2024年3月20日 (水) 10:10 (UTC)[返信]

「事実上の左遷」は出典としているウイスキーライジング内にその記載があります。ある人事が左遷か栄転か判断する場合、竹鶴本人の手記は一次資料であり客観的な評価をできていないと思われるので、「左遷ではない」と主張する根拠としては適切でないと考えます。また、jawpの他記事も根拠にはなりえません。折衷案を一つ提示するのであれば、「ステファン・ヴァン・エイケンは「事実上の左遷である」と評価している」と帰属化させる形にするのでいかがでしょうか?--Keeezawa会話2024年3月20日 (水) 10:23 (UTC)[返信]
一部読み飛ばしておりました、すみません。兼任であった点については「ウイスキーと私」を根拠に加筆することに問題はないと思うので、「鶴見のビール工場長を兼任することになった。ステファン・ヴァン・エイケンはこれを「事実上の左遷」であると評価している」という形でしょうか。--Keeezawa会話2024年3月20日 (水) 10:32 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。竹鶴が山崎工場長であったことも本文にははっきり書いていないので、少し冗長になりますが、「山崎工場と鶴見のビール工場の両工場長を兼任」でどうでしょうか。左遷うんぬんについては、実際にエイケンがそう書いているのでしたらいったん残しておいてもう少し調べる時間をとることに異議はありません。ビールに参入する際、ウイスキー部門を縮小することはしないという約束を取り付けたのでビール工場長兼任を引き受けたともあるし、(『ウイスキーと私』第八版p.128)ビール工場長就任後も竹鶴は鳥居の長男吉太郎をウイスキー製造現場見学の案内のため6か月間スコットランドに連れて行ったりしているし、(『ウイスキーと私』第八版p.125)正直、左遷した使用人に大事な長男をそんな長期間預けるのかとかいろいろ疑問も残りますが。
以前の記述にあった、「そして10年契約の満了間近である1934年3月、竹鶴は寿屋を退社した」の部分も、エイケンの記述でしょうか? そうだとするとエイケンは竹鶴は製造に失敗し左遷させられ契約満了前に辞めさせられたように印象操作をしようとしている記述者のようにも見えてしまうのですが。
一応書いておくと竹鶴の『ウイスキーと私』も、竹鶴にとって不都合なことは書いてなかったりすることはいろいろわかっていて、鵜呑みにはできない文献であることは認識しています。Modeha会話2024年3月20日 (水) 12:17 (UTC)[返信]

記事に書き加えました。ここで「山崎工場」の表記が出てくることから、プラント名変遷についても少し書き加えました。資料が見つからず漠然とした書き方になってしまったので、どなたか加筆していただけるとありがたいです。あと、前回「鳥居」と書きましたが、「鳥井」の誤りでした。記事内には書き加えませんでしたが、山崎工場建設当時の竹鶴の肩書きは「主任」でした。(『やってみなはれ サントリー70年史I』)他プラントの長もみな主任なので、当時の寿屋の体制はそうだったのでしょう。ただし同書には、戦前のことは空襲で焼けたので内容が不正確である可能性がある旨の断り書きがあります。 サントリーは名称を変更したものについては最初期のことを語る場合も最新の名称を使うようにしているようです。別にそれはかまわないのですが、百科事典としては1923年から山崎蒸留所という名称であったかの表記は混乱を生じるのと、サントリー関連以外の記事についても(例竹鶴政孝)山崎蒸留所という表記があってさすがにそこまで行くと不正確な記述になるので書き加えました。Modeha会話2024年3月23日 (土) 08:27 (UTC)[返信]

エイケンの『ウイスキー・ライジング』をざっと見てみました。竹鶴が横浜工場転勤になった際に、山崎蒸留所所長のままだったことは記載がありました。また、「左遷」も確かに書いてありました。一方、退社前後の記述は、契約の十年の終わりが近づき身の振り方を考えた的な記述はありましたが、契約満了前に退社したという意味の記述はありませんでした。よく調べて書いてある書籍ですが、竹鶴が北海道で起業する際にリンゴジュース製造の経験がなかったとか書いていたり(実際には寿屋横浜工場で濃縮ジュースの製造をしている)、ニッカ宮城峡蒸溜所の元の名称が仙台工場であったことは記載があるけれど余市や山崎の当初の名称のことは書いてなかったり、これも少し注意をして見る必要のある文献かなとは思いました。Modeha会話2024年3月24日 (日) 08:20 (UTC)[返信]