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ノート:山岳ベース事件

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丸写し?

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http://www.dict-keyword.com/54/25750.html 一字一句同じ。以上署名のない発言はIP:60.41.31.179会話 / 投稿記録さん 2005-08-24 15:46 (UTC)によるものです。Unamuによる追記

加藤兄弟に関する記述

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「兄に弟を殺させる」は、正しくは「弟に兄を殺させる」です。(by加藤兄弟の高校の後輩)

以上署名のない発言はIP:219.185.4.37会話 / 投稿記録さん 2006-08-28 15:03 (UTC)によるものです。Unamuによる追記

リンクについて

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山岳ベース事件へのリンクはどこへ行けばよいのでしょう?? 今は連合赤軍へリダイレクトされていますが、このままでいいですか? --スイタヨウスケ 2008年1月23日 (水) 10:14 (UTC)[返信]

このページ、復活していますが、いいんでしょうかね? 何をいまさら、か。--スイタヨウスケ 2008年5月8日 (木) 08:56 (UTC)[返信]

被害者の実名

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被害者の実名が不記載になっていますが、その理由は「連合に統合する以前の過激派団体にこれらの犠牲者が所属していたという証明が必要」とあります。

それでは、1972年1月17日に死亡した革命左派出身の男性メンバーは

  • 1969年9月には反米愛国行動隊としてソ連大使館を火炎瓶を持って襲撃、逮捕
  • 真岡猟銃店襲撃事件に関わる
  • 1971年8月には2名同士を殺害した印旛沼事件に関わる

とあります。このようなテロル行為を行っていた人物などに限り、実名記載可能としてもいいのではないでしょうか? --経済準学士 2008年7月28日 (月) 16:18 (UTC)[返信]

死亡メンバーの活動経歴

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死亡メンバー
死亡日 メンバー 学歴 活動経歴
1971年12月31日 22歳男性 東京水産大 東京水産大の学園紛争で逮捕
1972年1月1日 21歳男性○ 秋田高卒 安田講堂事件逮捕
赤軍派M作戦に参加
1972年1月1日 22歳女性○ 市邨学院短大 印旛沼事件に参加
1972年1月4日 22歳男性 和光大 1971年11月に逮捕歴有
1972年1月7日 25歳女性 明治大 佐藤訪越阻止羽田闘争参加
1972年1月9日 25歳男性 岡山大 安田講堂事件逮捕
1972年1月17日 24歳男性○ 横浜国大 ソ連大使館火炎瓶投擲事件
真岡猟銃店襲撃事件
印旛沼事件
1972年1月19日 21歳男性○ 早稲田大 赤軍派M作戦参加
1972年1月30日 28歳男性 北九州大卒 不明
1972年1月30日 23歳女性 横浜国大 都内各所に火炎瓶投擲で逮捕
1972年2月4日 24歳女性 横浜国大 不明
1972年2月12日 27歳男性 京大 不明

過去の革命家活動経歴からして○をつけた人物に関してはテロリスト認定をして、実名可能とすることを提案します。--経済準学士 2008年10月19日 (日) 17:38 (UTC)[返信]

ノートでの議論がなされないまま全員が実名表記に直されていますが、しかるべき議論がどこかでなされたか、指針の変更があったのでしょうか?Unamu 2009年8月8日 (土) 00:49 (UTC)[返信]

整合的真または対応的真にもとづく歴史的事実(ただし、客観的真理とは異なる)であり、マスメディアにおいて顔写真とともに公表されていることから、実名の公表は、問題はない。なぜ、「テロリスト」なら、実名でかまわないのか。いわゆる「悪い人」の実名なら、公表していいのか。以上署名のない発言はIP:183.77.73.139会話 / 投稿記録さん 2010-12-08 04:21 (UTC)によるものです。Unamuによる追記

6年前に、ほんの一瞬活動しただけのIPユーザーに言っても詮のない話ですが、同様の考えをお持ちの方がいらっしゃる場合はWikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してを一読してください。「マスメディアにおいて顔写真とともに公表されている」だけではウィキペディアに実名を記載してよいわけではありません。--Unamu会話2016年6月3日 (金) 13:34 (UTC)[返信]

オウム真理教と関連づける記述について

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以下の記述は、本項目との関連を示す典拠の表示が行われていない上、本項目の説明に必要不可欠な内容とは考えにくいため、ここに移します。--Isorhiza 2010年6月27日 (日) 13:12 (UTC)[返信]

==その他==

後のオウム真理教においては、麻原彰晃により「ポア」という言葉が本来の意味からすりかえられて実質的には殺人の婉曲的表現となり、これを正当化するようになっていき、最終的にオウム真理教事件という日本犯罪史に残る大事件を引き起こすに至った。

これに至る過程については、本事件も含む一連の連合赤軍事件で、追い詰められた組織とその指導層が暴走し、挙句の果てに「総括」として殺人行為を正当化していく様になる、その過程との類似性が指摘されることがある。

「事件の経過」節について

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いくつかの問題点を指摘する。

内容について
  1. そもそも、出典がない。これでは、加筆も修正も校正もできたものではない。
  2. 全体にわたり、事実のみが淡々と報告される形となっており、「誰のどの行為がどのような結果につながったか」という因果関係が見えてこない。いわば串刺しのごとく筋道立った論理展開が理想だが、そうでなくてもせめて「AによるBに対する総括要求は何を受けてのもので、それは結果的に何をもたらしたか」くらいは書いてもいいと思う。一つ一つの事実が事件全体のなかでどのように位置づけられ、事件の発生に対してどのような貢献をしているのかが明確に示されない限り、「雑多な内容の羅列」と呼ぶほかない。
表現について
まるで日記かメモ書きのような、明らかに人に読ませるつもりのないような文体が、「1972年1月」節の後半あたりから目立つ。主語の「が」「は」や漢語動詞の「する」が抜け落ちているような文章は、日本語としてまともなものとはいえず、校正が必要である。これらの表現上の不備のために、主語(人)の直後に目的語(人)が複数列挙された際に、それらを区別することが容易ではなくなる。

いずれにしても、原典が手元にない以上は修正・校正のしようがない。独自研究を独自研究で上塗りするようなこともできれば避けたいので、現時点では私は何も手出しできない。「参考文献」をお持ちの方にお願いすることにして、今回は取り急ぎ指摘まで。--核青会話2015年11月14日 (土) 18:01 (UTC)[返信]

はじめまして。「事件の経過」節のうち、ご指摘の1972年1月以降の箇所は利用者:Syrotyna会話 / 投稿記録 / 記録氏が2010年12月から2011年1月に書けておこなった加筆[1]が中心のようです。念のためにSyrotyna氏の会話ページに、指摘内容と対応のお願いを書いておきましたが、Syrotyna氏は昨年4月を最後に(このアカウントでは)編集をなさっていないので、対応いただける可能性はかなり低いように思います。これらの記述の出典となりうるのは「参考文献」に挙げられている当事者の手記であることは間違いありませんが、かなり大部なもの(坂口の手記は全3巻)も含まれており、容易に手が出せないのがもどかしいところです。--Unamu会話2016年6月4日 (土) 02:32 (UTC)[返信]