ノート:山口多聞
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煩雑を避ける為、敢て簡略に書かれているのだとは思いますが、「ミッドウェイ海戦で飛龍を指揮」という記述について、「第二航空戦隊司令官として飛龍に座乗」等とした方がより正確ではないでしょうか?
また「唯一の反撃」は、その後の潜水艦の攻撃でヨークタウンが沈んだ事も考えると疑問無しとしません。Martin 21:54 2004年5月5日 (UTC)
- どなたからも意見がありませんので、上の線で書きました。後、中将は戦死後追贈だと記憶してたんですが、勘違いでしょうか? もうちょっとちゃんと調べてみます。martin 15:39 2004年5月29日 (UTC)
- 飛龍は6月6日午前2時10分に味方に雷撃処分されているので本人の戦死はその日で確定なのですが、6月5日付で海軍中将昇進と功一級金鵄勲章が贈られています。ここからは推測なのですが、6月5日の総員退避勧告後に艦に残ったために戦死確実となり、贈られたのではないでしょうか?私も調べてみます。また、「唯一の反撃」についてですが、潜水艦による攻撃を含めるとやはり疑問ですね。もう改訂されたようですが、「航空部隊による唯一の反撃」という旨では駄目でしょうか?--NH 05:57 2004年5月30日 (UTC)
- 反応下さいましてありがとうございます。反撃の記述に関してはお説のとおりで結構と思います。将官が艦と運命を共にして特進なしと言うのは考え辛いこともあり、追贈と考えて良いのではないかと思いますが、明確にそう書かれているものが見当りません。読んだ記憶はあるのですが......お手数ですが、そちらで裏が取れたら改訂お願い致します。martin 12:14 2004年5月30日 (UTC)
戦艦伊勢艦長、巡洋艦五十鈴艦長、陸攻部隊の指揮官在任時などの事を言及されないのでしょうか。--参謀中佐 2005年11月16日 (水) 19:52 (UTC)
- 陸攻部隊指揮官については書かれているのですが、戦艦や巡洋艦の艦長在任時についてはまだ書かれていませんね。ここまで書くのは難しいのでしょうか--Stangun 2007年5月29日 (火) 16:31 (UTC)
運命の五分間
[編集]「運命の五分間」についてですが、文庫「大東亜戦争、こうすれば勝てた」(小室直樹+日下公人)117,118ページに、澤地久枝さんが「ミッドウェーの生き残りの人たちを調査して「電爆転装はなかった」ということを突き止めた」という話が出ています。これは根拠になるんでしょうか。確認してどなたか編集していただければ幸いです。--210.143.246.94 2008年7月14日 (月) 08:40 (UTC)
ミッドウェー海戦での進言
[編集]「直ちに攻撃隊発進の要あり」の進言内容の是非について、最近の調査(米国で保管されている第2航空戦隊戦闘詳報など)で判明したそれまでの定説と異なっていた事実(進言時点で攻撃隊は飛行甲板になんら用意できていなかったetc)を基に山口の具申内容が本当に適切だったか客観的に判断するには南雲が却下した理由も書いた方がいいと思いましたので書き換えました。--210.224.111.90 2011年1月21日 (金) 03:44 (UTC)