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ノート:展望車

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「トロッコ列車 から転送」されてきて、トロッコ列車の説明はないんでしょうか? 展望車とトロッコ列車は、目的(展望する)とするところは同じとしても、別物として認識されていませんか?

そうですよね、「展望できる」という面では一緒かもしれないけど、トロッコ列車は展望を目的とした観光用。展望車はどちらかといえばステイタスな面が大きいのでは?
同一視はおかしいと思いますね。
Yoshi rf 03:22 2004年5月11日 (UTC)

別物でしょう。トロッコ列車展望車を一緒にしては、展望車に失礼です。というヨタはともかく、これを同一の物と認識している方は少ないのではないでしょうか。車両史的にも、JR北海道がトロッコ客車(ノロッコ号、スタンディングトレイン)に「テ」という記号を与えているぐらいの接点しかありませんし。また、トロッコ列車はトロッコとも別物になってしまっています。それぞれ独立で記事があってもしかるべきと思います。Kone 03:59 2004年5月11日 (UTC)
Yoshi rfさんやKoneさんの意見も分かりますが、実際の機能の上で同じと見なせるのではないでしょうか?また、Koneさんの挙げた「テ」の例で行けばJR西日本の「オクテハ12」がありますよね。あれはどう落としますか?まさか「ジョイフルトレインの1形式ですので例外」と見なしますか?JR東日本の「風っこ」やJR四国のトロッコ車両のように気動車でのトロッコ列車は展望車の変形とも見なせる筈ですし、そう説明しています。「トロッコ列車展望車を一緒にしては、展望車に失礼です。」というのは過去の1等車におけるステータスの部分のみを強調されており、現在ではこういった考えは皆無かと思います。Sat.K 10:15 2004年5月11日 (UTC)
はたしてそうでしょうか。かつての1等車のステータスを直接体験したわけではありませんが、今に残るマイテ49を見れば、かつての一等車がどれだけ特別な存在であったかがわかろうものです。それこそ、鉄路を走るのは特急と普通しかないような現代ではなく、特急列車が真の意味で特別な列車だった時代のさらに特別な存在だったのが一等車=展望車だったわけです。展望車のデッキは、今のようにミーハーな庶民が走行中に風に吹かれるためのものではなく(というより、庶民には全く縁のないというか、近づくことすらかなわない存在だったわけだが)、当時の日本を率いる一握りのエリートの方々が、駅に見送りに来た人に別れの挨拶をするためのものだったわけで、「展望車」といいつつ、乗客が風景を楽しむためのものではなかったわけです。「展望車」と「トロッコ列車」は、態様こそ似ているかもしれませんが、全く系譜を別にするものといえます。
また、Sat.Kさんは、「現在ではこういった考えは皆無かと思います。」と述べていらっしゃますが、このような過去の事象があたかも無価値であると断じるが如き物言いには、少なからず反発を覚えます。申し訳ないが、あなたが皆無と断じた考えの持ち主が、少なくともここに2名いるという事実は、どう解釈されますか?
蛇足ですが、JR西日本の「オクテハ12」とは、もしかして「奥出雲おろち号」のスハフ13 801のことでしょうか?あれは、立派な「トロッコ列車」の系譜に位置する車両だと思いますが。Kone 12:17 2004年5月11日 (UTC)
昔乗った雨の某東北紅葉名所のトロッコ列車、あまりの寒さに鼻水をたらしながらそれでもトロッコに座っていたら、車掌さんが「車内の方が暖かいですよ」と誘ってくれた。やはりトロッコは庶民の乗り物であり、展望車と一緒にしてはバチが当たる。つ・ま・り、トロッコというのは、自動車で言えば「トラックの荷台」のようなもの。「トラックの荷台」は「オープンカー」といっしょにはできませんな?Miya.m 14:14 2004年5月11日 (UTC)

(しきりなおして) しかし、眺望という機能は同じではないでしょうか?Miya.mさんの「「トラックの荷台」は「オープンカー」といっしょ」は元々の機能が異なるので暴論ですが、少なくとも現在の運行状況などを鑑みると、果たして展望車の持っていた「ステータス性」の側面だけで区別するのはどうなのかといえますね。なお、koneさんに問うた「オクテハ12」は、「奥出雲おろち号」のスハフ13 801のことです。確かに、あれはトロッコ車両ですね。ただ、現場では展望車=トロッコ車両と扱っているという事実を考えると、果たしてステータス性の側面のみで差違を問うのはもはや時代遅れではないでしょうか。実際の所、機能以外の面で差違があるのは認めますし、そこで大きく扱う気持ちは十分心情的にも分かります。しかし、展望車=トロッコ車両と見る向きもあるのでその辺も考慮すべきではないか。また、ステータス性のみをクローズアップすると意外と落とし穴にはまると思いますよ。
たとえば、トロッコ車両の場合は、大部分のものは新製車体というより改造車両ですよね。展望車の場合、新車ないしは新製車体を持ちますが、その比較を論じているという場面がないですね。確かに、トラックの荷台の上に椅子を括り付けたものと、あらかじめ椅子を括り付けた観光バスの天井を切り取ったもの(昭和30年代に「はとバス」で運行していたそうですが。)との差は歴然としているはずです。なのに、そういったものを示されていないというのはいささか片手落ちといわざるを得ないのではないでしょうか?署名されているkoneさんやMiya.mさんは「与太話」で片付けておりますが、私以上によく知っておられるお二人ですのでそれを示して貰いたいです。
蛇足ながら、私も一等展望車については話程度でしか知りませんが、151系電車以降では外国人専用車両となった事や「旅立ちJR西日本号」での復活を考えると「貴族性」といった側面を押し出すのは十分理解できます。ただ、「旅立ちJR西日本号」の後に日本に来た「オリエント急行」の車両にこれがあったかどうかや、英語版wikiにおいて展望車に相当するen:Observation carでは記述がなく、諸外国ではどうかという所で計りかねる部分がありますね。確か、最近のアメリカ合衆国の大統領選挙で選挙列車の演説台でこれを使用するとか、そういった側面も大事ではないのかという気がします。Sat.K 15:24 2004年5月11日 (UTC)


この議論の翌日、展望車とは機能と形状の異なるトロッコ列車についての記事が執筆されました。Miya.m 2004年10月19日 (火) 12:22 (UTC)[返信]


だいぶ書き加えたので補足しておきます。ついでに今までの議論にも追加しておきます。

  • 展望車とトロッコ車両に関して

 ステータスというよりも、形状で分類するのが無難かと思います。

 形状上の違いを意識しないでステータスで区別するのは相当難しいでしょう。アメリカの1890年代から1930年代までの展望車は、日本のそれに比べると庶民的で、少し余裕のある普通の人が(展望車を利用できる条件は一等、すなわちプルマン寝台車を利用する事だったと考えられるが、その運賃と料金は特別な列車でない限り寝台料金込みで普通座席車運賃の2倍程度で、現代の庶民が一流ホテルに泊まるような感じで使っていたのではないかと推測できる)少し気取って使うようなものらしかったのですが、形状は日本のそれとほとんど同じです。ステータスで区別するなら、日本の展望車の文化的な背景を説明する必要があるかと思いますが、それは直感的には簡単でも、色々な例を引き出して語るのであればそんなに簡単ではないかと思います。

  • べスティビュールカー

金沢様

1880年代、アメリカのジョージ・ウェスティングハウスは、鉄道車両間の連結部分に蛇腹状の幌で覆った貫通路を設けることで、乗客が安全に車両間を往来できる構造を考案した。この構造の「べスティビュールカー(貫通式車両)」は、その機能性から1890年代までに全米の鉄道に広く普及した。

 という加筆を頂きましたが、これは私自身どこかで耳にした記憶があるのですが、信頼に足る資料の中では出てこないので、どうなんでしょうか。

 この分野で一番信頼できる参考文献としてはスミソニアン博物館の学芸員だったWhite, John H., Jrの"The American Railroad Passenger Car"という本があるのですが、べスティビュールカーについては、プルマン社のシカゴ工場の監督者であったヘンリー・セッションズが緩衝機能付きのものを1887年にペンシルベニア鉄道向けの車両で使用し、それがその後各地に広まったとあります。貫通路は思いつきやすいアイディアで、この時までに40以上の特許があり、1850年代から実車での試用も行われていたとの事で、考案者を確定するのは難しそうです。なお、この解説書ではウエスティングハウスは空気ブレーキを実用的なものに改良した人物の一人として紹介されています。 FEGdelM 2004年10月17日 (日) 02:00 (UTC)[返信]

お話、お伺いしました。確かにご指摘の通り、ウェスティングハウスの貫通路の一件は確度の低い編集ですね。いったん削除しておきたいと思います。別記事の件ですが、昭和9年の地方路線一等車全廃の件は「しまった、書いておくべきだった!」と頭を叩きました(我ながらダメだなあこりゃ)。FEGdelMさんは国内・海外ともにしっかりとした調査をもとに、慎重に記事をお書きになる方とお見受けしますので、今後とも厳しくご指摘をお願いいたします。Wikipedia日本語版の鉄道記事は、日本国内のネタでもしばしば危なっかしい傾向があるもので(私自身も汗顔の至り)……。

あと、「アキソン・トペカ・サンタフェ鉄道」の「アキソン」は綴りがAtchisonですので、「アチソン」の方が原語発音に近いかなと思いますが、いかがでしょうか。ミュージカル映画「ハーヴェイ・ガールズ」の中で、ジュディ・ガーランドがOn the Atchison,Topeka and Santa Fe というナンバーを歌ってましたが、彼女の歌の発音も「アチソン」の方が近い感じでした。金沢 2004年10月22日 (金) 14:02 (UTC)[返信]

金沢様:ATSFの発音の件は、言われるとおりかと思います。直しておきました。元々アメリカ型の客車情報を集めるのが趣味なのですが、同世代の日本の車両はどんなもの?という疑問をもち、あれこれ調べてまわっています。アメリカ型の情報は英語でも構わなければかなり手に入るのですが、日本の情報は・・・。戦災の影響があったからなのでしょうが。

皆様:私が海外事例について長々と書き込んだせいで、記事の構成がわかりにくくなってきたような感じがします。私の区分についての意見は、いずれ必要になると思われる編集に関する私見ととって頂ければ幸いです。 FEGdelM 2004年11月4日 (木) 14:15 (UTC)[返信]


FEGdelM さん初めまして、Miya.mです。ご指摘の内容のうち上半分は討論に参加したKoneさんやSat.kさんたちが協力して、事実に即した記事に仕上がっています。当事者たちはそれで終わったと思っていましたが、後から来る人のためにノートページで議論終結の報告をしていなかったことをお詫びいたします。

「パーラーカー」について

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展望車と時刻表上表記されていたが、蛇足かな。Sat.K 2005年5月30日 (月) 10:45 (UTC)[返信]