ノート:小籠包
この記事は2017年10月7日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
小籠包
[編集]- 小籠包にWikipedia:メインページ新着投票所/新しい項目候補ノミネート。素早い対応に心から感謝。どうもありがとう!
- Opponent 2006年10月4日 (水) 15:29 (UTC)
商標、および中立性
[編集]「ゼライス」は商標です。明示する必要がありませんので削除しました。また、それとともに工業的に製造されたゼラチンを使ったのを「まがいもの」としているのは中立的とは言い難いと思われますので修正しました。220.146.145.69 2006年10月6日 (金) 17:36 (UTC)
- 上のご意見を拝見して、昨日から長文の詳細な反論を書き始めました。が、その間、次の二点に気付きました。それは、まず「商標」(文字商標)を記述するのがいけないという理由と、次に「まがいもの」が中立的ではないという理由について、いまひとつ説得するに足る理由を、詳細に述べていただく必要がある、ということにです。
- 上記申し述べました件につき、一定期間内にご返答いただけなかった場合、現在執筆中の「詳細な反論」(徹底批判)を公開いたします。結論を先に申し上げるならば、二つの削除はいずれも到底容認しがたいものであり、特に後者の削除は両論併記で加筆するならば容認できますが、一方的な削除編集は到底承服できないと申し上げておきます。二週間ほどお待ちいたしますが、それでも応答いただけない場合には強硬対応をする用意があると、あらかじめ申し上げておきます。これは、ご指摘を一両日間、慎重に検討申し上げた結果として辿り着いた現在のわたくしの意見ですので、いまいちどの熟慮のうえご返答いただくよう、伏してお願い申し上げます。
- Opponent 2006年10月8日 (日) 14:18 (UTC)
- 横から失礼します。必然性があればウィキペディアに商品名を書くことは問題ないと思います。ただしゼライスと書くからには中国や台湾の料理店も含めその商品を確実に使用している確証が必要になってきます。たんに食用ゼラチンを用いている旨を説明するのであれば、いち商品名を指定するのは焦点がずれています。また「まがいもの」の件ですが何が正統な小籠包の料理法であるかの証明が難しいため、ゼラチンを使用した料理法を一概に偽物扱いは避けた方が良いでしょう。この場合正統と伝統は区別します。「まがいもの」という表現を「簡便的」や「手を抜いた」などの表現にすることは事実なので中立性に問題ないと思います。いかがでしょう。--Takora D 2006年11月17日 (金) 08:21 (UTC)
- 小吃を辞書で調べたら「一品料理」、「ちまき」という意味も含まれています。--Naohiro19 2006年12月6日 (水) 01:14 (UTC)
著名な店?
[編集]この日本国内で著名な店とはどのような基準で選んでいるのでしょうか?閉店した店なども含まれており、本当に著名なのかも怪しいですし、著名とする根拠は加筆した人のPOVに偏っているようにしか見えません。Wikipediaで禁止されている商業宣伝の恐れもあります。また小籠包は日本固有の事物で無いのに日本の著名な店だけを載せるのは「日本中心にならないように」に完全に違反していませんか--Pro se 2007年10月4日 (木) 13:08 (UTC)
- 確認したところWikipedia:外部リンクの選び方にも違反していると思います。「小籠包」で検索すると出てくる外部リンクをペタペタ張りまくって、リンク先に行っても特別役に立つ情報が見当たりません。(「記事の扱っている事柄についての理解を促進するのに特別役立たない外部サイトへのリンクを記事に掲載することは避けるべきです」に違反する?)いち利用者の意見ですが、この項目を立ち上げたOpponentさんの個人的主観が目立ちすぎて、記事としては信憑性に疑問があり、公平さに欠ける気がしました。補足ですが「小籠包を食べる女性」と「食べかた注意書(割り箸の袋)」の画像は小籠包を理解するうえでまったくの蛇足であり、見た目の美しさも損ないます。この画像を使用しているのも日本だけで、これをコモンズにアップロードした人といえば…やはりOpponentさんですね(^^;;複数の編集者でもう少し中立的に修正していただけないでしょうか?--Pro se 2007年10月4日 (木) 13:08 (UTC)
- この記事の初版をご覧くださいませ。書いたのはわたくしですが、ご明察通り、Flickr で小籠包の特長をリアルに表現したこの写真に遭遇したのが執筆の動機となりました。思えば何年も前に、とある地方都市の中華料理店で小籠包を初めて食べたときの印象がきっかけになっています。たまたまメニューにあった料理を頼みました。出てきた小籠包について配膳した女将曰く、「ものすごく熱いから気をつけて食べてくださいね」。話に夢中になっていたため、何の気なしにパクッとかぶりついて火傷しそうなぐらい熱いスープに驚愕。その後、その店に、小籠包を食べるため、機会を見つけるたび何度も通ったのは言うまでもありません。◆ですから、この記事の執筆動機は、初版に挙げた「小籠包を食べる女性」の写真にあったことを否定はいたしません。◆初めての驚きの遭遇して何年かのち、コマーシャルにより小籠包ブームが起きました。多くの中華料理店から居酒屋まで、あちこちで供されるようになり、メニューで見るたび注文したんです。その結果は惨憺たるものでした。冷めたもの、皮が破れてスープがないもの、スープがあっても、味わいのないもの・・・正直なところを申し上げると、最初に遭遇した以上のものに出会ったのは極めて少数です。鼎泰豊しかり、南翔饅頭店しかり、冷凍食品しかり。◆最初の店主(料理人)に聞いてみたところ、この方は日本人なんですが台湾で修行して店を開いたとの由。開店当初は、小籠包の出来に自信がないためメニューに載せなかったといいます。それまでは一般の客に対しランチタイムの麺類などを中心に料理を供していて、ある日、自分なりに納得できる小籠包を会得でき、思い切ってメニューに載せたと説明していました。◆話を戻しますと、Flickr で見つけた写真は、小籠包の醍醐味を十二分に表現していると感じられました。火傷しそうなぐらい熱々の超美味なスープを味わう。これが小籠包の真骨頂だと。そういう意味で「個人的主観が目立ちすぎ」というのは当たらずとも遠からずと申せましょう。けれども POV にはなっていないと思います。脚注を含む多数のリンクを配することにより「個人的主観」ではなく、一般的な共通認識であることを再確認しながら注意深く執筆いたしました。◆さて、そこでご指摘の点を吟味いたします。「リンク先に行っても特別役に立つ情報が見当たりません」、果たしてそうでしょうか。すべて役に立つと断言はいたしませんが、小籠包の特徴をうまく表現したものを中心に選んだつもりです。ちなみに脚注は典拠にすぎません。◆「『食べかた注意書(割り箸の袋)』の画像は小籠包を理解するうえでまったくの蛇足」、これも疑問です。最初の店に出会ったのち、「熱いから気をつけて」と注意をしてくれた店は皆無でした。それは当然でしょう、火傷しそうなほど熱い小籠包を出してくれる店は少数だったからです。箸袋には英語で CAUTION(注意!)と題し「まんじゅう(小籠包)は熱い」と赤い字で警告、食べ方を解説し、小籠包の特徴が表現されています。◆「見た目の美しさも損ないます」、これは言うまでもなくあなたの POV です。単なる見解の相違でしょう。◆つまるところ、食べ物についての POV を判断するのは、実は極めて難しいのだと言わざるを得ません。大衆化した瞬間に、本来のものが変化してしまうことも往々にしてあります。また検証可能性にしても、宣伝文句は多数ありますけれどもその料理を、中立かつ系統的・実証的に検証している文献は非常に少ないんです。仮に検証されていたとしても、その食文化は刻一刻変化し、流行り廃りのスピードも驚くほど早い、というのも事実です。そのうえ、その検証も結局は一人ひとりの作業に過ぎず、総体を検証するのは不可能です。たとえば広島風お好み焼きの傾向を調べるにしても、ある一日のお好み焼きの売上げは数で推定可能ですが、そのある一日の味や食べ方、レシピすべてを検証するのは不可能なんです。しかもそれは刻一刻(毎日)少しずつ変動している。◆お好み焼きはともかくとして、日本アジア航空が提起した「中華街? それとも台湾?」というコマーシャルのキャッチコピーは秀逸でした。なぜならば、台湾で修行した料理人が、自分で納得できる小籠包を会得したことでメニューに載せた事実、その後、あちこち食べ歩いた経験から、確実に本物に出会うためには、台湾に行くしかないのかもしれない(最初に出会った店は店主の転身で閉店)とすら感じたからです。◆食べ物の好み・嗜好の変動するサイクルは、ひょっとすると意外に短かいのかもしれない、ということに着目したとき、百科事典でその項目を作る際に必要なのは削除による整理ではなく、変化の動向を積み重ねていく方向で考えるべきではないでしょうか。変化が生じた結果、整理されない記述が生じたり、「見た目の美しさ」を損なうことがあっても、ある程度は仕方がないのではないか、というのが現在のわたくしの認識です。◆以上のような視点を踏まえたうえで、複数の編集者による編集・加筆がなされるのであれば、文句のつけようはございません。・・・と申し上げる以前に、「もう少し中立的に修正していただけないでしょうか」とおっしゃるその根拠、すなわち中立的でないと主張なさる根拠を、個々具体的に指摘なさらず、ご自身で調査・検証もなさらず、さらにはご自身で編集・執筆もなさらず、第三者(複数の編集者)に丸投げなさるその態度は極めて無責任で、単に非難しているだけのように感じられます。もし非難の意図がないのであれば、修正すべき点を具体的に列挙なさったうえで、詳細な説明を述べてくださいませ。
- Opponent 2007年10月3日 (水) 02:43 (UTC)
- この記事の初版をご覧くださいませ。書いたのはわたくしですが、ご明察通り、Flickr で小籠包の特長をリアルに表現したこの写真に遭遇したのが執筆の動機となりました。思えば何年も前に、とある地方都市の中華料理店で小籠包を初めて食べたときの印象がきっかけになっています。たまたまメニューにあった料理を頼みました。出てきた小籠包について配膳した女将曰く、「ものすごく熱いから気をつけて食べてくださいね」。話に夢中になっていたため、何の気なしにパクッとかぶりついて火傷しそうなぐらい熱いスープに驚愕。その後、その店に、小籠包を食べるため、機会を見つけるたび何度も通ったのは言うまでもありません。◆ですから、この記事の執筆動機は、初版に挙げた「小籠包を食べる女性」の写真にあったことを否定はいたしません。◆初めての驚きの遭遇して何年かのち、コマーシャルにより小籠包ブームが起きました。多くの中華料理店から居酒屋まで、あちこちで供されるようになり、メニューで見るたび注文したんです。その結果は惨憺たるものでした。冷めたもの、皮が破れてスープがないもの、スープがあっても、味わいのないもの・・・正直なところを申し上げると、最初に遭遇した以上のものに出会ったのは極めて少数です。鼎泰豊しかり、南翔饅頭店しかり、冷凍食品しかり。◆最初の店主(料理人)に聞いてみたところ、この方は日本人なんですが台湾で修行して店を開いたとの由。開店当初は、小籠包の出来に自信がないためメニューに載せなかったといいます。それまでは一般の客に対しランチタイムの麺類などを中心に料理を供していて、ある日、自分なりに納得できる小籠包を会得でき、思い切ってメニューに載せたと説明していました。◆話を戻しますと、Flickr で見つけた写真は、小籠包の醍醐味を十二分に表現していると感じられました。火傷しそうなぐらい熱々の超美味なスープを味わう。これが小籠包の真骨頂だと。そういう意味で「個人的主観が目立ちすぎ」というのは当たらずとも遠からずと申せましょう。けれども POV にはなっていないと思います。脚注を含む多数のリンクを配することにより「個人的主観」ではなく、一般的な共通認識であることを再確認しながら注意深く執筆いたしました。◆さて、そこでご指摘の点を吟味いたします。「リンク先に行っても特別役に立つ情報が見当たりません」、果たしてそうでしょうか。すべて役に立つと断言はいたしませんが、小籠包の特徴をうまく表現したものを中心に選んだつもりです。ちなみに脚注は典拠にすぎません。◆「『食べかた注意書(割り箸の袋)』の画像は小籠包を理解するうえでまったくの蛇足」、これも疑問です。最初の店に出会ったのち、「熱いから気をつけて」と注意をしてくれた店は皆無でした。それは当然でしょう、火傷しそうなほど熱い小籠包を出してくれる店は少数だったからです。箸袋には英語で CAUTION(注意!)と題し「まんじゅう(小籠包)は熱い」と赤い字で警告、食べ方を解説し、小籠包の特徴が表現されています。◆「見た目の美しさも損ないます」、これは言うまでもなくあなたの POV です。単なる見解の相違でしょう。◆つまるところ、食べ物についての POV を判断するのは、実は極めて難しいのだと言わざるを得ません。大衆化した瞬間に、本来のものが変化してしまうことも往々にしてあります。また検証可能性にしても、宣伝文句は多数ありますけれどもその料理を、中立かつ系統的・実証的に検証している文献は非常に少ないんです。仮に検証されていたとしても、その食文化は刻一刻変化し、流行り廃りのスピードも驚くほど早い、というのも事実です。そのうえ、その検証も結局は一人ひとりの作業に過ぎず、総体を検証するのは不可能です。たとえば広島風お好み焼きの傾向を調べるにしても、ある一日のお好み焼きの売上げは数で推定可能ですが、そのある一日の味や食べ方、レシピすべてを検証するのは不可能なんです。しかもそれは刻一刻(毎日)少しずつ変動している。◆お好み焼きはともかくとして、日本アジア航空が提起した「中華街? それとも台湾?」というコマーシャルのキャッチコピーは秀逸でした。なぜならば、台湾で修行した料理人が、自分で納得できる小籠包を会得したことでメニューに載せた事実、その後、あちこち食べ歩いた経験から、確実に本物に出会うためには、台湾に行くしかないのかもしれない(最初に出会った店は店主の転身で閉店)とすら感じたからです。◆食べ物の好み・嗜好の変動するサイクルは、ひょっとすると意外に短かいのかもしれない、ということに着目したとき、百科事典でその項目を作る際に必要なのは削除による整理ではなく、変化の動向を積み重ねていく方向で考えるべきではないでしょうか。変化が生じた結果、整理されない記述が生じたり、「見た目の美しさ」を損なうことがあっても、ある程度は仕方がないのではないか、というのが現在のわたくしの認識です。◆以上のような視点を踏まえたうえで、複数の編集者による編集・加筆がなされるのであれば、文句のつけようはございません。・・・と申し上げる以前に、「もう少し中立的に修正していただけないでしょうか」とおっしゃるその根拠、すなわち中立的でないと主張なさる根拠を、個々具体的に指摘なさらず、ご自身で調査・検証もなさらず、さらにはご自身で編集・執筆もなさらず、第三者(複数の編集者)に丸投げなさるその態度は極めて無責任で、単に非難しているだけのように感じられます。もし非難の意図がないのであれば、修正すべき点を具体的に列挙なさったうえで、詳細な説明を述べてくださいませ。
- 必要ないと思います。どうやらご本人が独自調査であると自白なさっておられるようですし、百科事典はレストラン・ガイドではないのですから。写真に関しては、まず「食べ方注意書」は当のお店である鼎泰豊のページに置いておくべきでしょう。すべてのお店が小籠包の食べ方を決めているわけではないですから。女性の写真は、食べ物だということは判っているにあえて食べている人の写真を掲載しても新たに得られる情報はないと思われます。どうしても削除すべきとも思いませんが、掲載する必要性もまたないでしょう。「美味しそうな印象」が必要だというのはコマーシャリズムであって、百科事典的な主張ではありません。--Clarin 2007年10月3日 (水) 03:47 (UTC)
- Opponentさんが小籠包を最初に食べた際の感動を伝えたくてこの項目を作製されたのは分かりました。しかしWikipediaは想いを語る個人のブログに非ず、事実を伝える公の百科事典ですよね。Clarinさんも書いておられるように、執筆者それぞれが食べて美味しかったレストランを紹介するレストランガイドではありません。それとOpponentさんにはノートにはもう少し要点をまとめて文章を書いていただくお願いをいたします。まことに恐縮ですが、Opponentさんがなにを仰りたいのか上記の長文からは私の拙い読解力では分かりません。Opponentさんの質問に対する答えですが、複数の執筆者によって内容を充実しつつ公平な記事にしていくのはWikipediaの基本理念だと理解しています。Opponentさんが項目を立ち上げたからといって、今後この項目の発展をOpponentさん一人に責任を押し付けるべきではない理解しています。私は間違っていますか?--Pro se 2007年10月4日 (木) 13:08 (UTC)
- 210.128.238.113 さまが「拙い読解力」とおっしゃるのは謙遜ではなく、事実かもしれないと理解いたしました、それは「食べた際の感動を伝えたくてこの項目を作製された」とおっしゃっていることから推測できます。コメントで、わたくしは単に「執筆の動機」あるいは「執筆動機」と申しております。感動を伝えるためではなく、小籠包の特徴が描写された写真を利用して、まともに小籠包について説明してみようという動機となったにすぎません。Clarin さまの読解力は、さらにそれを下回るのではないかと受け取りました。「独自調査であると自白なさっておられるようです」という部分は、わたくしの文章を理解していただけなかったから出た言葉だと感じられました。(ここまで前振り)◆「ノートにはもう少し要点をまとめて文章を書いていただくお願い」ですが、これは何度も不毛なやり取りをする手間を省くため、述べるべき論点は一度ですべてを提示する、というわたくし流の方法ですので、やめるわけには参りません。「◆」で文章を区切るのは、できるかぎり論点をひとかたまりにするために分けているわけです。長くて読みづらいのであれば、ひとかたまりずつお読みになってください。(ここまで「要点をまとめて」に対するお返事)◆「今後この項目の発展をOpponentさん一人に責任を押し付けるべきではない理解しています」についてはその通りだと思っています。それはわたくしのコメントの「以上のような視点を踏まえたうえで、複数の編集者による編集・加筆がなされるのであれば、文句のつけようはございません」ですでに述べました。多様な視点から記事を充実させる編集・加筆をむしろ望んでおります。ですからあなたのお考えが「間違ってい」るとは思いません。(ここまで「私は間違っていますか?」に対するお返事)
- Opponent 2007年10月4日 (木) 09:16 (UTC)- 今回210.128.238.113氏の読解力には何らの問題もなかったと考えています。
- Flickr で見つけた写真は、小籠包の醍醐味を十二分に表現していると感じられました。火傷しそうなぐらい熱々の超美味なスープを味わう。これが小籠包の真骨頂だと。そういう意味で「個人的主観が目立ちすぎ」というのは当たらずとも遠からずと申せましょう。けれども POV にはなっていないと思います。
- ↑POVって言葉の意味、わかってますか。ポイント・オブ・ビューです。あなた個人の感覚・感情・価値観で記事書かれたらたまったもんじゃありません。「個人サイトでどうぞ」ウィキペディアではときたま見られる言い回しですが、まともなユーザーに使われた例はありません。でも今のあなたにはその言葉の他にないと思います。--Clarin 2007年10月4日 (木) 10:09 (UTC)
- 210.128.238.113 さまが「拙い読解力」とおっしゃるのは謙遜ではなく、事実かもしれないと理解いたしました、それは「食べた際の感動を伝えたくてこの項目を作製された」とおっしゃっていることから推測できます。コメントで、わたくしは単に「執筆の動機」あるいは「執筆動機」と申しております。感動を伝えるためではなく、小籠包の特徴が描写された写真を利用して、まともに小籠包について説明してみようという動機となったにすぎません。Clarin さまの読解力は、さらにそれを下回るのではないかと受け取りました。「独自調査であると自白なさっておられるようです」という部分は、わたくしの文章を理解していただけなかったから出た言葉だと感じられました。(ここまで前振り)◆「ノートにはもう少し要点をまとめて文章を書いていただくお願い」ですが、これは何度も不毛なやり取りをする手間を省くため、述べるべき論点は一度ですべてを提示する、というわたくし流の方法ですので、やめるわけには参りません。「◆」で文章を区切るのは、できるかぎり論点をひとかたまりにするために分けているわけです。長くて読みづらいのであれば、ひとかたまりずつお読みになってください。(ここまで「要点をまとめて」に対するお返事)◆「今後この項目の発展をOpponentさん一人に責任を押し付けるべきではない理解しています」についてはその通りだと思っています。それはわたくしのコメントの「以上のような視点を踏まえたうえで、複数の編集者による編集・加筆がなされるのであれば、文句のつけようはございません」ですでに述べました。多様な視点から記事を充実させる編集・加筆をむしろ望んでおります。ですからあなたのお考えが「間違ってい」るとは思いません。(ここまで「私は間違っていますか?」に対するお返事)
- 小籠包の特徴を示す典拠は探せばいくらでもあるはずです(執筆中いくつも読んだ記憶があります)が、とりあえずひとつ挙げておきます。マレーシアの有力紙 The New Straits Times 社が出版する雑誌 The New Sunday Times の記事 Savours: Little pockets of soup [1] (ブログではありませんかられっきとした典拠です)。これはマレーシアの著名店 Crystal Jade La Mian Xiao Long Bao を紹介した文章です。この中で著者 TAN BEE HONG さんが小籠包の食べ方を解説しています。要約すれば、著者の個人的好みは小籠包を口に入れる前に散蓮華の上に乗せ、小さな穴を開けてスープを吸う食べ方。ほかに、皮を破ってスープを小さなボールに入れ(おそらくそれを飲んで)から食べる方法や、(マレーシアから見た)外国人に見られる食べ方として、小さなストローを小籠包に挿してスープを飲む方法を紹介し、その直後に、「いずれにしても、よく注意しないと口を火傷します」と警告しています。これが何を意味するかおわかりですね、火傷しないようにしながら熱いスープを味わう極意を解説しているわけです。英語でも、小籠包は通称 "Soup Dumpling" と呼ばれることからも、熱々のスープを味わうところに特徴があることがわかります。これは、わたくしの独自の見解ではありませんので POV ではありません。しかも、引用なさった箇所は記事本文ではなくノート(英語ではディスカッション)の文章ですから、それを持ち出してあげつらうのはフェアではありません。問題点の指摘は記事本文から引用して下さいませ。
- Opponent 2007年10月4日 (木) 12:37 (UTC)
- 小籠包の特徴を示す典拠は探せばいくらでもあるはずです(執筆中いくつも読んだ記憶があります)が、とりあえずひとつ挙げておきます。マレーシアの有力紙 The New Straits Times 社が出版する雑誌 The New Sunday Times の記事 Savours: Little pockets of soup [1] (ブログではありませんかられっきとした典拠です)。これはマレーシアの著名店 Crystal Jade La Mian Xiao Long Bao を紹介した文章です。この中で著者 TAN BEE HONG さんが小籠包の食べ方を解説しています。要約すれば、著者の個人的好みは小籠包を口に入れる前に散蓮華の上に乗せ、小さな穴を開けてスープを吸う食べ方。ほかに、皮を破ってスープを小さなボールに入れ(おそらくそれを飲んで)から食べる方法や、(マレーシアから見た)外国人に見られる食べ方として、小さなストローを小籠包に挿してスープを飲む方法を紹介し、その直後に、「いずれにしても、よく注意しないと口を火傷します」と警告しています。これが何を意味するかおわかりですね、火傷しないようにしながら熱いスープを味わう極意を解説しているわけです。英語でも、小籠包は通称 "Soup Dumpling" と呼ばれることからも、熱々のスープを味わうところに特徴があることがわかります。これは、わたくしの独自の見解ではありませんので POV ではありません。しかも、引用なさった箇所は記事本文ではなくノート(英語ではディスカッション)の文章ですから、それを持ち出してあげつらうのはフェアではありません。問題点の指摘は記事本文から引用して下さいませ。
- 210.128.238.113です。私は利用者で執筆活動はしませんが、話が長引いてしまったようで、不特定多数の人間が使うIPが紛らわしいのでアカウントを取得しました。Opponentさんはご自分の主張が通らないことで、感情的になって対話は無理なようですね。私はWikipediaを読んでいた一般の利用者で、疑問に思った事を率直に書いた返礼が子供じみたけんか腰とは非常に失望しました。私はこれまでWikipeidaを利用していましたが編集出来るほど文才の無い私は、大人の編集者の方が編集活動を行っていると尊敬し読んでいました。でもそうでもない人もいることを知りました。ただ中にはClarinさんのような立派な方がいる事を再確認できて良かったです。--Pro se 2007年10月4日 (木) 13:08 (UTC)
- 典拠があるのでしたら最初から示していただきたかったです。というか、物事のやり取りをする際はまず重要な情報から先に伝えましょうよ。この記事を書くきっかけが何だったやら配膳した女将の言やら小籠包ブームやら台湾で修行して店を開いた日本人の店主やらの話を読むことを対話の相手に課した挙句に相手の読解力に問題があるなどと言って最後の最後に英語の典拠を示されたこちらとしては、非常に徒労で不愉快でした。ただし、あつあつをいただく料理は小籠包以外にもあるわけで、小籠包の特徴は熱いということを非常に特記した形にするのであればもうすこし質量ともに確かな情報源が必要でしょうね。外部リンクに関してはWikipedia:外部リンクの選び方に際して甚だしく過剰な状態で、これに関しては議論の余地のないところと考えます。--Clarin 2007年10月4日 (木) 13:29 (UTC)
- 「非常に徒労で不愉快」は、そのまま返上いたします。◆そもそもの発端は、「記事としては信憑性に疑問があり、公平さに欠ける気がしました」との抽象的ご指摘にあります。「Opponentさんの個人的主観が目立ちすぎ」とおっしゃるならば、どこが主観で公平でない記述なのか具体的にご指摘をなさるべきでした。長文の返答になったのは、ご指摘の趣旨にまったく手掛かりがなかったからです。「複数の編集者でもう少し中立的に修正していただけないでしょうか?」などと、第三者に修正を丸投げなさるより、「○○○○」の記述に正確な典拠があるのか、という疑問をお書きになれば済むはずです。あるいは、本文中の「熱々の肉汁(スープ)を含んだジューシーな味わいがその最大の特徴となっている」の直後に「Template:要出典」を貼付するという方法もございます。◆拙文を誤読されて「独自調査であると自白」などとおっしゃり、画像が「小籠包を理解するうえでまったくの蛇足」と断じたうえ「『美味しそうな印象』が必要だというのはコマーシャリズム」、「百科事典的な主張(ママ)ではありません」とまでおっしゃいました。酷評もいいかげんにしていただきたいと思います。再度、写真をご確認いただければおわかりのように、顔を少し下に向けた女性が、箸でつまめる固形食品を口に運び、その直下に散蓮華が添えられています。これ、何を意味するとお思いですか。焼売や餃子、肉団子などを食べるのに散蓮華は不要ですし、そもそも散蓮華など用意しません。小籠包は配膳時に散蓮華が付いてくる固形食品の代表格ですから、食べたことのある人ならこの画像から一目で、「小籠だ」「湯包だ」「Soup Dumpling だ]、とわかる説明写真として採用したのです。食べたことのない人に対しても「こんなふうに食べるんだな」という説明にもなっております。同様の理由で「食べかた注意書(箸袋)」の画像も貼付しました。説明写真であると同時に、これら画像が本文中の記述を裏付ける典拠のひとつと看做すことも可能です。画像から情報を読み取る読解能力もお持ちではなかった。◆拙文に対する「あなた個人の感覚・感情・価値観で記事書かれたらたまったもんじゃありません」というご批判で初めて、これはたぶん典拠をお求めなんだなと推測でき、急遽典拠を検索いたしました。ですから、「まず重要な情報から先に伝えましょうよ」、は困惑の極みです。 Clarin さまが「重要な情報」とお考えになり、それを示唆なさったのは、拙文を引用のうえ POV だと決めつけ、わたくしが「まともなユーザー」ではないかのような予断を印象付ける文章に続けて、「今のあなたにはその言葉の他にない」と結論付けた、「あなた個人の感覚・感情・価値観」とのコメント時点 (2007年10月4日 (木) 10:09 (UTC)) であって、それ以前に具体的なご指摘はございませんでした。このような経過から、執筆・編集をしたわたくしに「非常に徒労で不愉快」を強いたのは、むしろ Clarin さまでした。あなたのクレームに「先に伝えるべき重要な情報」が何であるかをご提示なさらなかったためです。◆拙速な修正をお求めになる前に、一見した印象だけで判断するのではなく、慎重な下調べや調査・検索をなさったうえでクレームをお付け下さいませ。この程度の長さの文章で「非常に徒労で不愉快」などとおっしゃったり、正確な記述をお求めになるにしても、何故そんなにお急ぎなのか理解に苦しみます。ウィキペディアは、一つひとつ吟味しつつ、地道かつゆっくり着実な修正の付加を可能にする百科事典だと思っているからです。
- Opponent 2007年10月7日 (日) 07:18 (UTC)
- 「非常に徒労で不愉快」は、そのまま返上いたします。◆そもそもの発端は、「記事としては信憑性に疑問があり、公平さに欠ける気がしました」との抽象的ご指摘にあります。「Opponentさんの個人的主観が目立ちすぎ」とおっしゃるならば、どこが主観で公平でない記述なのか具体的にご指摘をなさるべきでした。長文の返答になったのは、ご指摘の趣旨にまったく手掛かりがなかったからです。「複数の編集者でもう少し中立的に修正していただけないでしょうか?」などと、第三者に修正を丸投げなさるより、「○○○○」の記述に正確な典拠があるのか、という疑問をお書きになれば済むはずです。あるいは、本文中の「熱々の肉汁(スープ)を含んだジューシーな味わいがその最大の特徴となっている」の直後に「Template:要出典」を貼付するという方法もございます。◆拙文を誤読されて「独自調査であると自白」などとおっしゃり、画像が「小籠包を理解するうえでまったくの蛇足」と断じたうえ「『美味しそうな印象』が必要だというのはコマーシャリズム」、「百科事典的な主張(ママ)ではありません」とまでおっしゃいました。酷評もいいかげんにしていただきたいと思います。再度、写真をご確認いただければおわかりのように、顔を少し下に向けた女性が、箸でつまめる固形食品を口に運び、その直下に散蓮華が添えられています。これ、何を意味するとお思いですか。焼売や餃子、肉団子などを食べるのに散蓮華は不要ですし、そもそも散蓮華など用意しません。小籠包は配膳時に散蓮華が付いてくる固形食品の代表格ですから、食べたことのある人ならこの画像から一目で、「小籠だ」「湯包だ」「Soup Dumpling だ]、とわかる説明写真として採用したのです。食べたことのない人に対しても「こんなふうに食べるんだな」という説明にもなっております。同様の理由で「食べかた注意書(箸袋)」の画像も貼付しました。説明写真であると同時に、これら画像が本文中の記述を裏付ける典拠のひとつと看做すことも可能です。画像から情報を読み取る読解能力もお持ちではなかった。◆拙文に対する「あなた個人の感覚・感情・価値観で記事書かれたらたまったもんじゃありません」というご批判で初めて、これはたぶん典拠をお求めなんだなと推測でき、急遽典拠を検索いたしました。ですから、「まず重要な情報から先に伝えましょうよ」、は困惑の極みです。 Clarin さまが「重要な情報」とお考えになり、それを示唆なさったのは、拙文を引用のうえ POV だと決めつけ、わたくしが「まともなユーザー」ではないかのような予断を印象付ける文章に続けて、「今のあなたにはその言葉の他にない」と結論付けた、「あなた個人の感覚・感情・価値観」とのコメント時点 (2007年10月4日 (木) 10:09 (UTC)) であって、それ以前に具体的なご指摘はございませんでした。このような経過から、執筆・編集をしたわたくしに「非常に徒労で不愉快」を強いたのは、むしろ Clarin さまでした。あなたのクレームに「先に伝えるべき重要な情報」が何であるかをご提示なさらなかったためです。◆拙速な修正をお求めになる前に、一見した印象だけで判断するのではなく、慎重な下調べや調査・検索をなさったうえでクレームをお付け下さいませ。この程度の長さの文章で「非常に徒労で不愉快」などとおっしゃったり、正確な記述をお求めになるにしても、何故そんなにお急ぎなのか理解に苦しみます。ウィキペディアは、一つひとつ吟味しつつ、地道かつゆっくり着実な修正の付加を可能にする百科事典だと思っているからです。
- Pro se氏はウィキペディアの方針を持ち出してまで指摘を行っているわけですから、それに対し「抽象的ご指摘」「具体的にご指摘をなさるべきでした」と言われるのであれば議論の継続にすら非常に困難さを感じます。
- もう一点。独自調査かどうかを決めるものは典拠であると考えます。執筆者の言の読解ができたかどうか、個人の感覚如何で決まるものでは普通ありません。出典を示さず個人的体験や考えを長々と書かれ、「典拠を示せと言わなかった方が悪い」とまで仰るのであれば、ますますこの議論の継続に困難を感じざるを得ません。
- もう一点、「慎重な下調べや調査・検索をなさったうえでクレームをお付け下さいませ」に関しては出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。(Wikipedia:検証可能性)という方針をもって返答とします。
- で、Opponent氏は最初に「その検証も結局は一人ひとりの作業に過ぎず、総体を検証するのは不可能です。」とおっしゃっています。それでは、食べ物の項目では検証可能性はなくともよいとおっしゃっているのでしょうか。検証可能性はウィキペディアの3大方針の一つで、そこから覆して議論をする必要があるのであれば、やはり他のサイトでやった方が妥当だと思います。--Clarin 2007年10月7日 (日) 09:07 (UTC)
それで結局「日本で著名な店」節に客観的な選定基準はないということでよろしいですか。ブログでどうぞとしか言いようがありません。--MikeAz800o 2007年10月7日 (日) 12:16 (UTC)
Opponent殿、自重めされよ。貴方の怒りと個人的感情を書きなぐった長文を読まされる立場になって欲しい。 「日本の有名な店」は要らない。POVだ。海外の有名な店もあまり必然性が無い。別に日本で無名でも現地の名店はいくらでもある。他人が物食ってる写真も汚らしい。割り箸の袋も只の紙塵である。「出す店も存在する」、「販売しているところもある」、「たれが不要のものもあるなど、さまざまである」等はWikipediaで推奨されない曖昧な記述が存在し修正が必要と思われる。「ホイチョイ・プロダクションズ」、「Youtube」など相応しくない外部リンクが数多く存在している。などなど全て指摘出来ないほど、多く問題を抱えた項目である。ただし良いポテンシャルを持っているので、中立的にスリム化すれば読みやすく、楽しい項目になるであろう。--ホオズキ 2007年10月7日 (日) 16:14 (UTC)
- 『割り箸の袋も只の紙塵である』は言い過ぎでしょう。日本に小籠包という新しい食べ物を広めた(とされる)店ゆえ、食べ方の解説が必要であったという説明のための画像であって、紙屑とはあんまりです。画像の要否は「紙屑か否か」ではなく、鼎泰豊に関する部分についての記述の意義を考えていく中で判断すべきです。--しいたけ 2007年10月7日 (日) 17:54 (UTC)
- 「小さい画像なので紙くずに見える」、と書くと長いので縮めたので説明が足りなかったことをお詫びします。画像というのは視覚に訴える効果が無いと逆効果です。わざわざ拡大画像を見ても小さい字で、しかも英語なので果して日本語版利用者にどれだけ有益な情報を与えられるのか?画像は数多く貼るより厳選するべきである。それらを考慮するとあのような画像は無い方が良い、といった説明でご納得いただけますか。現状の小籠包の項目は、鼎泰豊に偏った編集(写真も含め)になっており中立的とはいえません。小籠包は中華圏と中国人の住む地域では、ごくありふれた食品なのに、利用者に小籠包とは鼎泰豊や一握りの有名店でないと食べられない特別な食品のような誤った印象を与える項目に現状はなっていませんか?--ホオズキ 2007年10月7日 (日) 19:11 (UTC)
率直な感想
[編集]コメント依頼を見てやってきました。率直な感想を言いますけど、怒らないで聞いてくださいね。よく書けていると思うんだけど、《食べられる地域》の節以降は「鼎泰豊の宣伝みたい」と思いました。確かに鼎泰豊の小籠包はうまいけど、現在の記事はちょっと入れ込み過ぎていると感じます。それと店のリストも要らないと思います。観光ガイドなら必須の情報でしょうが、『ウィキペディア(Wikipedia)』は百科事典ですから。写真を問題にされている方もいるようですが、私はこれで良いと思いますよ。どの写真も必要不可欠ですね。 --赤い飛行船 2007年10月7日 (日) 10:49 (UTC)
- 同じくコメント依頼より来ましたので、感想を記述します。(現状は議論の争点がいまいち不明確なので賛否表明がしにくいです。ある程度意見が集まってからでもいいと思うので、まずは論点と合意すべき点を明確にしていただきたいです。)
- 現状は「小籠包ファンの著述」になっているので、過剰な表現を推敲すべき。(例:冒頭文『上海生まれの料理として中華圏全域で人気のある』→「中華圏全域で食べられている」など、抑えた表現にできないでしょうか?また「上海生まれ」云々は概要の節で記述されているので冒頭では必要なし。)
- 『人気が出たのは鼎泰豊の日本進出が契機』という記述について。(必要な記述だとは思いますが、店舗の宣伝・応援である疑念もあるので、Wikipedia:検証可能性を満たすソースが必要。)
- 鼎泰豊の詳細(店舗展開・創始者についての記述)は、当ページには不要。
- 「日本で著名な店」のリストは不要。(考えうる限りでは検証不可。但し、例えば公的機関や中華系の業界団体などが発表したものがあれば記述可能かも。)
- 南翔饅頭店について。店舗所在地(六本木ヒルズ)はこのページには記述不要。
- 『本場ものと比べれば食感は劣る』との記述は問題あり(食べ物の優劣を検証するのは難しい)。「本場とは違う食感である」などに改めるべき。
- 外部リンクについては、読売新聞のリンク以外は不要。(ホイチョイのサイト:推薦店舗がリスト化されており「独自研究」にあたる為、リンクは避けるべき。TaipeiNavi.com:リンク切れ。Flickrのリンク先:画像のみで説明がほとんど無いのでリンクの意義が薄い。Youtubeの各リンク先:検証可能性が担保されない=一般的なのか:::::個性的なものかわからないため不要(コモンズのマルチメディアにあるものなら本文中にてリンク可)。挙げられた個人ブログは全て旅行記・日記的なものであり、独自研究なので不要。)
以上です。--しいたけ 2007年10月7日 (日) 12:35 (UTC)
- いますぐ対応できませんが、赤い飛行船さまとしいたけさまのコメントに心より感謝いたします。いずれも具体的な提言というのが嬉しい。すぐに返答をしたい衝動にかられていますが、とりあえず少なくとも一日程度の冷却期間をおき、コメントの内容を冷静に判断すべきだという自らに課した原則(原則ですので例外もあり得ます)から、後日あらためてご意見を熟慮のうえ申し述べたいと考えています。いずれも看過しがたい貴重なご提言だと思い、ご指摘について熟慮のうえ最善を尽くそうと思います。本当にありがとうございました!
- Opponent 2007年10月7日 (日) 13:47 (UTC)
- いますぐ対応できませんが、赤い飛行船さまとしいたけさまのコメントに心より感謝いたします。いずれも具体的な提言というのが嬉しい。すぐに返答をしたい衝動にかられていますが、とりあえず少なくとも一日程度の冷却期間をおき、コメントの内容を冷静に判断すべきだという自らに課した原則(原則ですので例外もあり得ます)から、後日あらためてご意見を熟慮のうえ申し述べたいと考えています。いずれも看過しがたい貴重なご提言だと思い、ご指摘について熟慮のうえ最善を尽くそうと思います。本当にありがとうございました!
- ノートに出ていた意見に従い修正いたしました。しいたけさんも指摘されているように「中華圏全域で人気のある」、「名高い」、「爆発的な人気」など過剰の装飾句で飾られWikipediaのルールから逸脱した文章にも修正をかけました。参考にしたのはWikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:外部リンクの選び方です。脚注に付いても宣伝など問題の修正が必要なようですが、ノートで具体的な指摘が上がっていないため、手を付けていません。Opponentさんの私文がコメントアウトで書かれているのを発見し驚きました。おそらくそのような行為が、多くの編集者の反感を買っている原因ではないでしょうか。
- わたくしは1990年代の初め頃から地元中華料理店で賞味して感激した記憶・記録がある。(中略)初稿起草者である Opponent は少なくとも15年以上前に地元の中華料理店で食べ、感激のあまりその店で小籠包を繰り返し食べた事実と(以下略)
- WikipediaはOpponentさんの私物では無いので、感想を書きたければブログでお願いします。--Takora D 2007年10月8日 (月) 10:03 (UTC)
- お疲れ様です。一定期間後に、コメントアウト部分は完全に削除した方が良さそうですね。--MikeAz800o 2007年10月8日 (月) 10:22 (UTC)
- 冒頭の「小籠包とは何であるか」が解りにくかったので修正しました。起源、特徴、食べられる地域も整理したほうがいいですが、ノートでの合意を待ちます。本文に小籠包=小吃と有ありましたが、中国語として間違っているため修正いたしました、正しくは「点心」の一種です。--Takora D 2007年10月8日 (月) 11:19 (UTC)
- Clarinさんも本文の編集内容の要約で語っていますが、観光ガイドによる南翔小籠包、小籠包起源説についてはかなり眉唾です。お店の宣伝として自分達が最初に発明したと主張するのは良くある事で、それは逸話や観光案内としては、面白いですが百科事典に歴史上の事実として載せる根拠としては弱すぎます。史実である歴史資料が欲しいところです。小籠包は水餃や肉包くらい一般的な食べ物なので、特定のお店が発明したというのは珍奇な主張に聞こえます。--Takora D 2007年10月13日 (土) 08:26 (UTC)
- 何ら合意なき突然の一方的改変に唖然というしか言葉はございません。とりあえず申し上げておきます。詳細は後日。> Clarin
- Opponent 2007年10月13日 (土) 14:37 (UTC)- 「何ら合意なき」「突然の」「一方的」何れも、否と考える。Opponent氏のその今もって甘い認識に唖然。--Clarin 2007年10月13日 (土) 15:31 (UTC)
- しいたけさん、Takora Dさん、MikeAz800oさんを始め多くの編集者が合意して、その後一週間待ってからClarinさんが編集されていますよ。初稿起草者であるOpponentさんがゴーサインを出さないと、ページを触っちゃいけないのですか?--Pro se 2007年10月15日 (月) 00:30 (UTC)
- Takora Dさんがコメントアウトした部分への除去についてはすでに議論ののち充分な期間が取られていたと考えます。それ以外の編集についてであれば、具体的かつ簡潔なご説明を希望します。コメント依頼後のOpponentさんは「後日」というばかりで議論に参加しているように見えません。--MikeAz800o 2007年10月15日 (月) 01:16 (UTC)
- Opponentさんは議論に参加しないばかりか、その期間にとった行動は荒らしの暴言を復活です[2]。この行動はWikipediaの編集方針違反ですよね?この行動は議論に参加する気がないとも取れるので、今後はしいたけさんやMikeAz800oさんやClarinさんやTakora Dさんや赤い飛行船さんなどきちんとコミュニケーションのできる方とお話をいたします。
- 皆さんから出ていた修正案をまとめてみました。
- 「人気が出たのは鼎泰豊の日本進出が契機であった。」の記述は根拠に乏しくお店の商業宣伝といえる
- 個人の感想文を本文にコメントアウトで入れるのは良くない → Clarinさんにより削除済み
- 起源の箇所は出典に疑問がある(観光宣伝ガイドのため)。英語版、中国語版にも記載があるが、出典が書いていない、南翔小籠包の宣伝とも受け取れる → ネット検索しましたが証明できる情報は見つかりませんでした
- 脚注に観光ガイドHPがあったり、リンク切れのものがあったり整理する必要がある
- 文章が散文的で読みづらい(特に「特徴」の項目を読んでも小籠包の特徴が見えてこない) → 全体の文脈を組み立てなおし読みやすくする
- 全体的に小籠包の百科事典の説明というより、「美味しい小籠包観光案内」の匂いがする。小籠包を食べたことがない利用者が読んでも、小籠包がどういうものか分かりづらい。
- 以上です。足りない部分があれば補足をおねがいします。--Pro se 2007年10月16日 (火) 03:39 (UTC)
- Opponentさんは議論に参加しないばかりか、その期間にとった行動は荒らしの暴言を復活です[2]。この行動はWikipediaの編集方針違反ですよね?この行動は議論に参加する気がないとも取れるので、今後はしいたけさんやMikeAz800oさんやClarinさんやTakora Dさんや赤い飛行船さんなどきちんとコミュニケーションのできる方とお話をいたします。
- 提案から一週間経過。反論が無いため上記にしたがって本文の修正をいたしました。--Takora D 2007年10月23日 (火) 07:57 (UTC)
- とてもすっきりしたと思います。百科事典に大言壮語は不要ですね。--MikeAz800o 2007年10月23日 (火) 08:54 (UTC)
- MikeAz800oさん、ありがとうございます。Pro seさんも指摘しているように「起源」の箇所の出典を探しても、日本の観光ガイドのページが数個見かっただけでした。本文の箇所は逸話として面白いので消さずに残してありますが、事実としては疑問が残ります。出典を示せないため本文には書いていませんが、おそらく小籠包に似たスープ入り包子料理、もしくは小籠包そのものは「南翔小籠包」以前から存在していた。それを南翔饅頭店というお店が、自分たちが伝統的な小籠包を改良して作った、もしくは小籠包そのものを最初に作ったと観光的プロモーションの効果を狙って主張しているのでは無いでしょうか。--Takora D 2007年10月24日 (水) 01:39 (UTC)
台湾はいつから中国になったんでしょうね?
[編集]2010年11月26日 (金) 06:56 港町奉行(→地域・名店: 台湾はいつから中国でなくなったのか?「中華民国」とて中華圏。単なる「地域」では明確に説明不足。)
一般教養の範疇の知識ですが、今の日本で台湾を中国と呼ぶことは有り得えませんよね。ウィキペディア内でも台湾を中国と呼んだ項目は見たことがありません。港町奉行さんが故意に発言したのか、それとも単なる無知ゆえの失言なのかは測りかねますが、自分の知識の貧弱な項目を編集するのは自粛されたほうが宜しいでしょう。このような発言は台湾人に対し非常に失礼かつデリカシーに欠ける発言です。港町奉行さんは、政治や他国の文化を語る上で無知な発言が、他人を傷つけることがあるのを噛み締め猛省されるべきです。 港町奉行さんの編集履歴[3]をみれば港町奉行さんは機動戦士ガンダムやらパタリロやらといったオタク系の項目に集中して編集をされている人物像がみてとれます。今後はそういったご自身が精通されたサブカルチャー系の項目に注力されるのが良いでしょう。--189.108.118.138 2010年11月26日 (金) 12:20 (UTC)
気づいたのが今朝でしたので、ご返事が遅れて失礼しました。でも、多重アカウントされているのでなければまだここに出ていらっしゃらないようですから、遅れてもかまわないのかもしれませんが。こんな言い方をするのもあなたが恐るべき詐術でこちらを窮地に追い詰めようとなさっておいでだからです。確かに、台湾人の皆さんは「中国」と言う場合「中華人民共和国」のみを連想し、「中華民国」の略称であるとは認めないようですね。そこは一言、台湾人の皆さんに謝っておきます。しかし、その文章を見て次の文が「中華民国とて中華圏」とあるならば、一般人は「ああ、国体ではなくて小籠包の食べられる地域を指しているのだな」と思うのが普通ではないでしょうか。だいたい誰が「台湾は中華人民共和国の一部だ」と書くものですか、馬鹿馬鹿しい。食べ物の話をしているのですよ。だいたい食べ物の項目で差別的な文節について言えば、もっと差別的な文章を書き付けていた人がおり、それはあなたの正体ではないかと疑っているのですが、確証がありませんのであげつらう事はしません。ともあれ、あなたも自重してください。「オタク系」だ、「サブカル」だと鬼の首でもとったようにはしゃいでおられますが、そんなことは「自分の勝手」な領域であり、それ以外に「食べ物」について書く場合でも、検証さえ間違えねば個人の勝手です。という前に他人に指図するあたりは傲慢ですらあります。次も「失礼かつデリカシーに欠ける」発言をなさるようならこちらも早々に手を打ちます。私のまわりで「かまって欲しい」ような荒らしを行なっている迷惑者があなたでない事を祈るばかりです。--港町奉行 2011年5月7日 (土) 00:24 (UTC)