ノート:小笠原氏
「南北朝時代・室町時代>信濃小笠原氏」で「また、小笠原氏内部においても、京都で室町幕府に奉公する一族と信濃で守護を務める一族と二流に分かれ、やがて双方が対立した。」とありますが、当方の浅学ゆえかもしれませんが、このような事例を知りません。履歴を読み返すと、どうも総領家の持長(信濃守・民部大輔)と京都家の持長(備前守・民部少補)が混同されているように思えるので、しばらく様子見して「対立」を削除しようと思います。
また、「その他の小笠原一族」の項の奉公衆の小笠原家ですが、国史大辞典等では京都小笠原氏と呼ばれています。また分家の名称は「備前小笠原氏」と記述されていますが(実際備前に所領を持っていたようですが)、京都小笠原氏の宗家は代々備前守を名乗っており、熊本藩関係では小笠原備前家とも呼ばれており紛らわしいので、「分家」とするか、旗本となった子孫の通称から「縫殿助家」とする方が良いと思いますがいかがでしょうか。MizunoH 2007年4月21日 (土) 16:11 (UTC)
小笠原氏の家号に関して
[編集]本文の戦国時代・安土桃山時代と江戸時代において、小笠原氏の嫡流を「府中家」、「府中小笠原家」、「府中小笠原氏」と表現しておりますが、文献を見ると「深志家」、「深志小笠原家」、「深志小笠原氏」となっているものが多いように思います。小笠原氏の「深志」という家号は南部氏の「三戸」や上杉氏の「扇谷」のようなものなのではないでしょうか。--まさふゆ 2008年8月26日 (火) 03:04 (UTC)
- 「学術的に○○が正しい」って意見ならともかく、「多いように思います」って言われても根拠が曖昧すぎます。あと「深志」や「府中」の呼び名は、「扇谷」と同じく居館(井川館)のあった地名を冠しているので、同じものと言っても間違いではないでしょう。この場合、地名に深志か府中(信濃府中)のどちらを採用するかで表記が割れている。個人的には、支城に深志城(現在の松本城の前身)があるから、区別する意味でも府中の方が妥当だと思うけど、学術的にはどうなんだろう?--カイの迷宮 2008年8月26日 (火) 13:14 (UTC)
- 一応、小笠原氏の嫡流を府中小笠原氏(深志小笠原氏)のように記載しておきました。深志小笠原氏ではなく府中小笠原氏のほうをリンクにしたので、宇都宮氏の下野宇都宮氏のケースのように単独の記事を新規作成する場合には改めて議論が必要になるかもしれません。松尾小笠原氏(伊那小笠原氏)と遠江小笠原氏(高天神小笠原氏)にも同様の問題がありますが。--まさふゆ 2008年11月12日 (水) 09:07 (UTC)
系図の整理について
[編集]系図が膨大となっており、大変見にくくなっています。そこで以下の整理を提案します。
- 小笠原氏以外の氏族(安宅氏)は削除。
- 阿波小笠原、京都小笠原の系図は独立させてそれぞれの節に移動する。(いずれも総領家との関係があまりないので、節内で完結する方がわかりやすい。武田氏と同様のレイアウト。)
- 秀政以降を独立させて現在の系図の次に移動し、家ごとに系統を整理する。(現状は血縁で整理されており、家の継承がわかりにくい。3大名家をそれぞれ独立の系図としてもいいかもしれませんが、同族内養子が多くその関係がわかりにくくなるので、3家をまとめて記載するほがいいと思います。)
- 松尾家は信嶺または信之以降を独立させ、秀政以降の系図の次に移動。(松尾家を初代から分割すると府中家などとの内訌の関係がわかりにくくなるため。)
- 節の順番が、現在は阿波、石見、京都、信濃、遠江、幡豆の各系の順になっていますが、嫡流優先(嫡流→新しい分家→古い分家)で信濃、遠江、京都、阿波、石見、幡豆と整理する。
今後の編集方針として御意見あればよろしくお願いします。上記に御賛同いただいたとしても作業量が膨大ですぐには対応困難なので、徐々に改善していければ望ましいと思います。--MizunoH(会話) 2022年7月3日 (日) 08:43 (UTC)