ノート:小田実
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右翼的な内容のまま保護されていることについて
[編集]管理人の一人が極めて右翼的、イデオロギー的に偏った内容で編集を保護しているのは不当だと思います。管理人は思想的に無色・中立で、公正であるべきではないでしょうか。管理人に選任の仕方に問題が大いにあると思います。--218.110.181.232 2007年11月17日 (土) 11:41 (UTC)
上記意見に賛成です。あまりに愚かな管理人の編集行動に、言葉もありません。 実名表記し、堂々と議論すべきです。--125.4.83.212 2008年2月25日 (月) 06:43 (UTC)
右翼的ともいえますが中傷的な内容で編集が固定されていると思います.「何でも見てやろう」という行動の人を強調したほうが小田実を彼が生きた時代の中で記録することができるように思います.アメリカ好き,憲法9条を守ろろうとした,王道楽土の幻想を抱いた,べ兵連では冷戦構造をも利用した,天皇制が嫌いだった,etc..... 小田実におそれることなく,編集解除したららよいではないでしょうかか... --Utou(会話) 2018年6月4日 (月) 03:12 (UTC)Utou
KGBと北朝鮮の問題は両論併記にしました
[編集]KGBからの資金提供疑惑と、北朝鮮理解は、イデオロギーが絡も、ウィキペディアンによって賛否が分れる問題であり、また編集合戦を避けるため、批判と反論という形で両論併記にしました。恐らく保守・革新両派の賛同は得られるものと思います。--218.110.152.119 2007年7月31日 (火) 07:33 (UTC)
「『北朝鮮の味方』」などのイデオロギーに満ちた記述が「評判と評価」にあります.しかし,そのそもWikipediaが辞典であるなら“評判”以前に,小田実の作家あるいは市民活動家としてのレビューがあって然るべきです.かろうじて「作家活動」の節がありますが他の記載と分量を比較するとバランスが悪すぎです.「評判と評価」は丸ごと不用ではないでしょうか.レビューがあることを期待してウィキペデアを調べてがっかりしました.小田実が死してほぼ10年たちますが,まるで小田実に取りつかれった亡霊がWikipediaを彷徨っているようです.--Utou(会話) 2018年6月6日 (水) 10:58 (UTC)Utou --Utou(会話) 2018年6月7日 (木) 00:38 (UTC)Utou
以下2つの注釈について
[編集]当時は「社会主義の意義を認める...」という記述は,゛現在からすると”という書き出しで小田実の限界を指摘するのと同様に,小田実が嫌っていた言説のような気がして仕方ありません.“当時”は小田実のような人が多くいましたが,かれらはイデオロギーというより憤りを抱え込んでいたように思います.それは日本を敗戦に導き街街を灰燼に帰した施政者や盲目的な大衆への憤りだったように思います.だから,”何度も見てやる”とともに”二度と騙されない”市民を渇望した生涯だったと思います.保守とか左翼とかの後付の批評もできますが,まずは小田実の晩年の著述を紹介したらどうでしょうか.--Utou(会話) 2018年6月17日 (日) 02:00 (UTC)Utou
この2つは賛否が分れる所。保守派の中にも下に書いたように(当時の時代状況における)社会主義の意義を認める人がいるくらいです。それを相対化し、注釈として節を分離し、「そう反論するウィキペディアンもいる」と書くのは、公平性に欠いていないでしょうか。ここはやはり、”両義的”或いは、両論併記に近い形で一つに繋がった文章にするのが、一番公平だと思いますね。--218.41.181.172 2007年6月11日 (月) 11:10 (UTC)
- ①当時はまだ、社会主義の理想が輝いていた時代。小田を始め、多くの知識人が社会主義に魅了されたのは、時代背景を考えれば、当然だった。現在、自民党参議院議員の舛添要一氏も1960年代において、「社会主義が東南アジア諸国など、欧米植民地の独立闘争に重要な役割を果たしたのは事実」であり、「それ故、多くのインテリに社会主義がインパクトを与えた」(朝まで生テレビより)と発言し、当時の時代状況における社会主義の意義を認めている。また、新しい歴史教科書をつくる会の西尾幹二氏や藤岡信勝氏らがいう「現在の価値観で過去を断罪するのは誤り」という主張は正しく、人権意識が高度に発達し、植民地支配が悪いことだとするのが当たり前になった今日の価値観で、日本の軍国主義、帝国主義時代を断罪するのと同じく、社会主義の崩壊が誰の目にも明白になった現在の尺度で、30~40年も前の過去を断罪するのは公平且つ、紳士的態度とは言えないだろう。
- ②北朝鮮の諸問題の原因は日本をまねたためだ」、というような発言を自身のホームページ(外部リンク参照)のコラム『新・西雷東騒』第4回に書いており、これは、一面においてはその通りで、軍国主義時代の日本と今の北朝鮮はうり2つであり、吉本隆明の言葉を借りれば、「ファシズムとスターリニズムは双生児」なのだ」と反論するウィキペディアンもいる。
- こういう問題は、まずノートで扱うべきなので、脚注から本文へと戻された記述は削除しました。あなたが自主的に削除してノートへ移されることを期待していたのですが。加筆部分には、あなたの極めて個人的な主観的評価・願望が多すぎませんか? Wikipedia:ウィキペディアは何でないかにある「ウィキペディアは演説場所ではありません」をお読み下さい。「小田を始め、多くの知識人が社会主義に魅了された」のが「当:然だった」ととか、「軍国主義時代の日本と今の北朝鮮はうり2つ」というのは、あなた個人の主観的評価以外の何物でもないでしょう? もちろん、あなたの価値観からすれば「当然だった」のでしょうが。だいたい、舛添要一の発言は、何年何月何日の放送の、何時何分に行われたものですか? それこそ{{要出典}}です。--Reamau 2007年6月12日 (火) 04:50 (UTC)
- 舛添氏の発言は1990年元旦に放送された朝まで生テレビです。ビデオが家にあります。テレビ朝日と舛添氏本人に問い合わせれば証拠は挙がると思います。2つの注釈は主観とは思えません。当時の時代では客観的な事柄だったのではないでしょうか。--218.110.152.119 2007年7月31日 (火) 07:33 (UTC)
ベ平連とKGBとの関係は削除すべし
[編集]記事には、ソ連側機密文書により小田氏と吉川氏が資金援助を受け、両氏がソ連のエージェントだったことが明らかになったとあるが、実際は、小田、吉川両氏は、KGBに勝手に、一方的にエージェントに祭り上げられていただけではないのか。日本赤軍もかつて、社民党を自分たちの勢力に取り込み、日本での日本赤軍の活動に利用する旨の彼らの資料が押収されたことがある。だからと言って社民党と日本赤軍が関係があった訳ではあるまい。べ平連に参加した人たちの多くは、純粋な平和運動。当時の社会党の旧綱領「社会主義への道」にあるような社会主義平和勢力、資本主義戦争勢力論に立脚していた訳でもない(極一部には居たかもしれないが、全体ではない)。同団体を始め両氏らが、KGBから資金・物理的支援を受けていたとは到底考え難い。KGB側の資料しかなく、両氏やべ平連側の資料や証拠がない以上、この項目は信憑性に欠け、名誉毀損の疑いもあり、削除すべきではないか。--218.41.181.172 2007年6月11日 (月) 05:10 (UTC)
- 出来れば、削除よりも大幅な書き直しが望ましいですね。小田実がソ連からの金と知って受け取るとは思えませんが、そうと分からないように寄付やカンパとして渡されていたとかいうことも考えられますから、ソ連から資金が“与えら得ていた”ことが事実である可能性はあります。問題の「機密文書」の正確な内容が分かればいいのですが。なんにせよ、この件は『ソ連の機密文書にそう書いてあった』という記述にすべきでしょう。 -- NiKe 2007年6月11日 (月) 05:27 (UTC)
- KGB側資料というより、ソ連共産党中央委員会の機密文書です。日本でいえば閣議書類に相当します。旧ソ連では、これ以上に信用できるものはない公文書です。信憑性において、新聞記事やベ平連が出している資料など、足許にも及びません。アンドロポフKGB議長がソ連共産党中央委員会に提出した報告書(1968年2月24日付)によれば、ベ平連とKGBの関係は吉川勇一がKGBに資金援助を依頼したことから始まったのですから、「小田、吉川両氏は、KGBに勝手に、一方的にエージェントに祭り上げられていた」ということはありえません。英訳版のアンドロポフ議長報告書には、
- At one of the meetings with our representative, the secretary of the "Peace to Vietnam" committee, YOSHIKAWA, appealed for financial support,
- とあります。さらに、
- At the same time, YOSHIKAWA reported that in late February of this year, the chairman of the Japanese committee "Peace to Vietnam," ODA, will travel through Cambodia to the Soviet Union and several European countries to establish closer contacts with European pacifist organizations that are taking up the cause of Vietnam.
- とも書かれています。そしてアンドロポフ議長は、ソ連共産党中央委員会に
- Exploiting the KGB's secret contact with the leaders of the Japanese committee "Peace to Vietnam," assist the committee to continue its activities including material support when needed to expand its propaganda activity and to accomplish illegal transportation of American military deserters from Japan to third countries.
- と勧告しています。そしてアンドロポフ議長は、この報告書を、
- the KGB is prepared through unofficial means at its disposal to assist in maintaining contact with the leadership of the Japanese committee "Peace to Vietnam" as well as in influencing it to the advantage of the Soviet Union.
- と締め括っています。繰り返しますが、これは、「両氏やべ平連側の資料や証拠」より、はるかに証拠能力が高い公文書です。公文書に記録された事実を頭ごなしに否定するようでは、百科事典にふさわしい客観的な記述など無理です。--Reamau 2007年6月12日 (火) 04:50 (UTC)
- KGB側資料というより、ソ連共産党中央委員会の機密文書です。日本でいえば閣議書類に相当します。旧ソ連では、これ以上に信用できるものはない公文書です。信憑性において、新聞記事やベ平連が出している資料など、足許にも及びません。アンドロポフKGB議長がソ連共産党中央委員会に提出した報告書(1968年2月24日付)によれば、ベ平連とKGBの関係は吉川勇一がKGBに資金援助を依頼したことから始まったのですから、「小田、吉川両氏は、KGBに勝手に、一方的にエージェントに祭り上げられていた」ということはありえません。英訳版のアンドロポフ議長報告書には、
- 少し検索してみたところ、この部分の「出典」について疑問を感じました。現在、出典とされている「Revelations from the Russian archives」はネット上で同名の文書が公開されているのですが( http://www.loc.gov/exhibits/archives/ )、ここには日本とベトナム戦争に関する記述が見当たりません。どうやらこの部分は{{要出典}}のようです。 -- NiKe 2007年6月11日 (月) 06:20 (UTC)
- 元から書かれていた出典をご自分が削除しておいて、{{要出典}}は酷いと思いますが。Library of Congress Online Catalogsで検索すれば分かるとおり、Revelations from the Russian archivesをメインタイトルとする本には、サブタイトルが
- a checklist : an exhibit at the Library of Congress, Washington, D.C., June 17-July 16, 1992
- a report from the Library of Congress. (1993)
- an exhibit at the Library of Congress June 17-July 16, 1992.
- documents in English translation (1997)
- の4冊があり、ソ連共産党中央委員会にベ平連援助を勧告するアンドロポフKGB議長の報告書が掲載されているのは、4番目の1997年に出版された本の699-700ページです。Web上で公開されているもの[1]は、Acknowledgmentsを見ると、明らかに1992年に開かれた展示会の目録類[2]で、1997年に出版された本[3]とは別物です。この本は日本の国会図書館でもマイクロフィッシュで閲覧できるので、それで御覧になればいいでしょう。--Reamau 2007年6月12日 (火) 04:50 (UTC)
- 元から書かれていた出典をご自分が削除しておいて、{{要出典}}は酷いと思いますが。Library of Congress Online Catalogsで検索すれば分かるとおり、Revelations from the Russian archivesをメインタイトルとする本には、サブタイトルが
(NiKe 2007年6月11日 (月) 05:27 に対して) なるほど。参考になりました わたくしも、あの豪傑、豪放磊落な小田氏がソ連から金をもらうようなちっぽけな事をするとは思えません。また、本文の記事は小田氏やべ平連がソ連、北朝鮮寄りだったことや、彼らへのイデオロギー的批判に重きが置かれ、小田氏やべ平連の平和運動への言及が少ない気がしますね。ただ、小田氏が社会党左派と同じく、80年代後半以降も北朝鮮寄り(ソ連寄りだったことはないと思います)だったことは、残念ながら認めざるを得ませんね。
- 冷戦の最中にKGBの手引きでカンボジアやソ連を訪問することが「ちっぽけな事」でしょうか? ベ平連時代を生きていない世代から見ると、朝生で都合の悪いことを指摘された際に、ヤクザを彷彿とさせるような恫喝をしていた小田実には、「豪傑、豪放磊落」というより「傲慢」そのものの「ゴーマニスト」という印象しかありません。--Reamau 2007年6月12日 (火) 04:50 (UTC)
それでも、今、米国のイラク戦争を自民党や民主党の保守系議員及び、西部邁氏や小林よしのり氏、一水会の鈴木邦夫氏ですら「イラク侵略戦争」と批判している様に、ベトナム戦争時の彼らの平和運動を過少評価している記述になっている気がします。--218.41.181.172 2007年6月11日 (月) 06:36 (UTC)
- 純粋な「平和運動」なら問題はなかったのですが、小田実はそれを堕落させた張本人でしょう。末端の活動家はともかく、ベ平連の上層部は、ソ連の「手先」として"the advantage of the Soviet Union"のために動いていたに過ぎなかったことが旧ソ連側機密文書で暴露されてしまったのですから。ちなみに私は、西部邁、小林よしのり、鈴木邦夫みたいなショーヴィニストは嫌いですよ。反米を明言している彼らは、親米保守派よりも小田実に親近感を感じているかもしれませんね。特に西部は60年安保反対運動の闘士ですから。--Reamau 2007年6月12日 (火) 04:50 (UTC)
ベトナムに平和を!市民連合の記事があるんだから、そちらでやってください。--fromm 2007年8月12日 (日) 11:18 (UTC)
- 「KGB側資料というより、ソ連共産党中央委員会の機密文書です。日本でいえば閣議書類に相当します。旧ソ連では、これ以上に信用できるものはない公文書です。信憑性において、新聞記事やベ平連が出している資料など、足許にも及びません」。
これはあなたの主観に基づく発言です。客観的な発言ではありません。べ平連側の資料、証拠がない限り、このように記述するのは問題だと思います。 前にも書きましたが、べ平連がソ連側に利用され、勝手にエージェントに祭り上げられていたり、平和活動家を偽装したスパイに資金を受け取らされていただけの可能性があります。まだ、可能性の域を出ません。でも、どんな形にせよ、資金を受け取っていたとしたら、-- NiKeさんが仰る通り、その部分は触れられるべきという考えもあります。 しかし、私は、べ平連側の資料及び、確たる証拠が見付かり、証明されない限り、(ソ連共産党中央委員会の資料の信憑性は高いと仰いますが、共産主義時代のソ連は謀略などお手の物でした。ソ連の情報に信憑性があるのか甚だ疑問です)削除すべきだと思います。それかそういう説がある、という言い方に改めるべきだと思います。その他、あなたの数々のコメントは、特定のイデオロギーに偏っていると思いますね。今はイデオロギーの時代ではありません。もう一度繰り返しますが、西尾幹二氏らの言う様に、今の価値観で過去を断罪するのは、正当なことではありません。--218.221.129.238 2007年6月28日 (木) 03:38 (UTC)
- 私はReamauさんとは別人ですが、吉川勇一が相手がKGBであると意識して接触していたことは、吉川勇一本人が認めており、旧ベ平連のホームページにも掲載されているほどです。
- >在日ソ連大使館との折衝は、べ平連事務局長、吉川の仕事となった。
- >「参事官や一等書記官と会ったが、恐らく、全員がKGB要員だった」
- >と言う。
- >当時の吉川は、
- >「脱走兵の日本脱出に事実上の援助を与えてくれるところなら、KGBだろうがスパイだろうが手を借りたいという気持ちだった」 と回想する。[4]--122.23.70.104 2007年6月28日 (木) 10:21 (UTC)
- 吉川氏の言が事実かは兎も角、当時は社会主義の理想が生きていた時代だったという事実を見落すのは不公平だと思います。それでは、日本の慰安婦や戦争責任を現在の尺度で批判・攻撃してくる、中国や韓国政府などと変らないと思います。--218.110.152.119 2007年7月31日 (火) 07:33 (UTC)
?秀実氏の空想によるべ平連批判
[編集]新左翼の?秀実は、「ちょっと考えれば分かることだが、発覚すれば国際問題になりかねない脱走兵幇助を、単なる「知合い」に頼まれたという程度で、ソ連が引き受けるものだろうか。…吉川勇一とソ連大使館とは「知合い」以上の密接な関係にあったと考えるのが妥当だろう」?秀実「リベラル・デモクラシーの共犯-鶴見俊輔の場合」(『en-taxi』2004年6月号)141ページ。「よほど信頼できる人間の依頼でないかぎり(とりわけ、ソ連の官僚主義的な体質を考えれば)、ソ連が日本の側からのそうした依頼を受諾するとは考えにくいだろう。…いかにベ平連事務局長として盛名を馳せていたとはいえ、一介のソ連派元共産党員の要請が簡単に通じるとは思えない(あるいは、吉川勇一が、それだけ「大物」のソ連派であったということであろうか)」<ref>?秀実『1968年』(ちくま新書、2006年)104ページ。</ref>と、鶴見俊輔の言い分を「捏造と疑われる、いかがわしい発言」、聞き手として鶴見に疑問を呈さなかった小熊英二を「美しい物語を語るために」「いかがわしさ」を「隠蔽」する「共犯」であると批判している。[1]さらに?秀実は、「ベ平連をソ連派に近い運動とする見方は単に日本共産党のみではなく、存在していた」として吉本隆明によるベ平連批判の例を挙げ、「ベ平連の運動は、ソ連派の支えなしには不可能であった」と述べている。<ref>?、前掲『1968年』96ページ、100ページ。
- 署名ぐらいしてください。タグが滅茶苦茶で書き込めない状態だったので形式的に修正しました。--fromm 2007年8月12日 (日) 11:15 (UTC)
私たちの世代(50代)では確かに小田実といえばべ平連ですが,より若い世代ではそれは常識ではありません.その活動を知っていることを前提とした批評(しかも上から目線の断言)より,小田実の著作「『べ平連』・回顧録ではない回顧」を照会したほうが辞典の役割として重要だと思います. 「生涯」の欄にべ平連と関連して,「KGBから資金的・物理的援助を受けていたことを裏付けるソ連側の機密文書が公開され、その歴史的評価が大きく下がることとなった。」とあります.ソ連だけではなくアメリカからも調べられていたと聞きます.”市民”の活動が超大国を相手にする様子は,(市民の?)「歴史的評価が大きく下がることとなった」ともいえますが当時の冷戦構造の中で(かりそめとはいえ/かりそめの)”市民が超大国と渡り合ったと高く評価できる”と記述しても良いわけです.現場に居合わせない安楽椅子の批評家の記述に小田実はどんな視線をおくるでしょうか...きっと”見に行く”と思いますが言葉は少ないと思います? 現在,ウィキペデイアの著作リストに「『べ平連』・回顧録ではない回顧」さえ掲載さされていません. これぐらい追加したら如何でしょうか.--Utou(会話) 2018年6月9日 (土) 23:47 (UTC) Utou
脚注
- ^ ?、前掲「リベラル・デモクラシーの共犯」141ページ、143ページ。
転載
[編集]このあたり[5]が転載のようです。どの版で書かれた確認してませんが、削除する必要がありそうです。--fromm 2007年8月12日 (日) 11:15 (UTC)
2007年7月31日 (火) 08:51の版 [6]か。引用として許容される範囲かもしれませんが危なっかしい印象です。--fromm 2007年8月12日 (日) 11:30 (UTC)
保護された記事から削除依頼が消されていることについて
[編集]削除依頼は、2つだされております。意見広告に関するものと、KGBからの援助にかんするのもです。意見広告の削除依頼だけが保護され、kGBからの援助の削除依頼が消されているのは、不当なことだと思います。至急、保護解除した上でKGBからの援助の削除依頼も再度掲載し、その上で保護依頼を行ってください。 --ドゥルーズ・ガタリ 2007年8月16日 (木) 11:44 (UTC)
- その削除依頼は「削除依頼として受付けない」で終了したのでもう問題はありませんね。というか、削除依頼テンプレートをむやみにあちこちにコピペして回らないように。--SINOBU 2007年8月16日 (木) 14:41 (UTC)
テレビ出演、外部リンク
[編集]テレビ出演
[編集]- NHK-BS 『世界・わが心の旅』「ベルリン 生と死の堆積」 旅人・小田実(作家)、語り・藤田弓子、1993年11月21日放送。 (2007年8月11日NHK衛星第2にて再放送)
- NHK 『BS特集』「正義の戦争はあるのか - 小田実 対論の旅」 語り・清川徹、2000年8月14日NHK衛星第1で放送。(2007年8月20日〔19日深夜〕「小田実さんを偲んで」とのサブタイトルとドナルド・キーンのコメント映像を追加してNHK総合にて再放送)
外部リンク
[編集]- 486. 小田実さん の葬儀の第一報。 2007/08/05 - 旧「ベ平連」運動の情報ページ
- 小田実さん葬儀での弔辞(全文)2007年8月4日 http://www.jca.apc.org/~yyoffice/saikin79OdaMakotoSougiChouji].htm - 吉川勇一の個人ホームページ
--試案橋 2007年8月23日 (木) 20:30 (UTC)
死去した年月日が投稿されないまま保護になっていますが
[編集]小田実さんは2007年7月30日に亡くなっています。--202.221.237.134 2008年2月1日 (金) 03:08 (UTC)
- Category:2007年没もあわせて加筆しました。--Carkuni 2008年2月10日 (日) 05:25 (UTC)
保護解除依頼についての意見をお願いします
[編集]2月に不公平な版で保護がされていて問題であるといった意見がIPユーザーから出ておりましたが、その後悪戯書きとその除去以外、ノートでの議論がされておりません。保護解除依頼を提出するべきかどうか意見をお願いします。--Tiyoringo 2008年12月7日 (日) 06:16 (UTC)
KGB
[編集]KGBの文書の原本はオンラインで利用可能です。注記されたソースのいずれも記事を支持するものではありません。救いようがないので削除しました。--Zenzaburo --以上の署名の無いコメントは、Zenzaburo(会話・投稿記録)さんが 2012年10月28日 (日) 16:37 (UTC) に投稿したものです。