ノート:小江戸/過去ログ1
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題は、ノート:小江戸で行ってください。 |
「埼玉県川越市の昔の地名小江戸 (川越市) 」とあるのですが、気になる点がいくつか。
- 小江戸は「川越の昔の地名」ではなく、別名です。
- 小江戸は、小京都と同様に各地にあります(例、宇都宮)。確かに、川越は有名ですが。
秀の介 07:58 2003年10月1日 (UTC)
他国の江戸も江戸時代に呼ばれた物です。川越市だけではないですね。Miketsukunibito 2005年3月20日 (日) 23:35 (UTC)
- 江戸時代に川越を称して、「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と呼ばれていました。これは小京都と呼ばれる街はたくさんあるが、小江戸と呼ばれているのは川越のみであるという意味です。何とかの江戸のような事例はあるでしょうし、江戸時代に既に他の地域も小江戸と呼ばれていたのかもしれませんが、元々の起源は川越ではなかったかと思います。Natunohi 2005年3月21日 (月) 00:50 (UTC)
- 起源は関係ないと思いますよ。志摩市の事例では江戸時代の初期には既に呼ばれていました歌は複数の人によって詠まれていますのでその人の感性がでます。なにも読んだ人が居たから其れが起源とは限らないと思います。志摩市の場合は1600年ころに寺が3つになっていますのでこの頃読まれた物と思います。あと、「東京学」小川和佑 新潮文庫 2000年の書籍にも(江戸時代の小江戸は)川越ばかりではないと記されているそうです。 Miketsukunibito 2005年3月21日 (月) 01:27 (UTC)
- 御返事ありがとうございます。小江戸に関しては、小京都との対比の上記の言い回しが有名であり、他地域の小江戸はその派生であると解釈していましたが必ずしもそうとは言えないわけですね。
ただ、波切は「志摩の江戸」であって小江戸とは呼ばれていなかったのでないでしょうか。Natunohi 2005年3月21日 (月) 02:05 (UTC)
- 御返事ありがとうございます。小江戸に関しては、小京都との対比の上記の言い回しが有名であり、他地域の小江戸はその派生であると解釈していましたが必ずしもそうとは言えないわけですね。
- 志摩の江戸と志摩の小江戸と両方有るそうですよ。Miketsukunibito 2005年3月21日 (月) 02:08 (UTC)元々は、江戸城を造った藤堂高虎に縁の有る地域で、
江戸時代初期は藤堂家の領地で、更に町並る石工が大勢いた地域ですから、江戸の町並みと似てしまったのか、あとは交易の中継地でしたので賑わいを揶揄したのかは不明ですが・・Miketsukunibito 2005年3月21日 (月) 02:16 (UTC)-領地じゃないのでMiketsukunibito 2005年3月23日 (水) 01:14 (UTC)
いろいろと調べてみたところ、やはり江戸時代に小江戸と呼ばれたところは川越のみのようです。根拠に挙げておられた「東京学」を拝見しましたが、100万の江戸に対して2万・3万の城下町が小江戸と呼ばれたとしています。
しかし、関東地方の城下町の多くが小江戸を名乗らず、城下町ではない佐原や城があった期間が1591年-1619年の18年しかなく、江戸時代初期に城が既に無くなっていた栃木が名乗っていることを考えるとこの説は根拠に欠くといわざるを得ないです。
佐原については「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」と呼ばれ発展した街です。これが後年になって、川越の小江戸と結びつき「小江戸」と呼ばれるようになったものと思われます。他の地域についても、ほぼ同様のようです。
こういったことを考えるとやはり、まず小江戸の原義として川越を記述し、その後全国の小江戸を紹介していく形式に改めるべきだと考え、特に異論が無ければ記事の内容を改めていこうと思います。Natunohi 2005年3月26日 (土) 00:17 (UTC)
ちょっと、反対です。「原義として川越を記述し」では同時期もしくは其れより早期に小江戸と言われたかも知れない志摩の小江戸の定義が怪しくなります。起源説は今回記さない方が良いと思います。とくにWikiの定義は研究発表の場ではないとされています。現時点ではNatunohiさんの調査結果及び想定であり、この主旨にはそぐわないと思います。Miketsukunibito 2005年3月26日 (土) 05:02 (UTC)
- 川越の紹介記事などを見ても江戸時代から小江戸と呼ばれていたのは川越だけと記すものが多く、実際、川越以外の町が江戸時代から小江戸と呼ばれていたという具体的な事例を見つけることが出来ませんでした。とはいえ、過去に呼ばれていた通称ということもあり、明確に定義できるだけの絶対的な事実が存在するとはいえないので、原義は記さず各地の小江戸を並列に扱う形で記事を充実させていこうと思います。
しかし、今回反対の根拠としている「志摩の小江戸」については非常に疑わしい点があります。確かに波切は「志摩の江戸」と江戸時代、既に呼ばれていたようです。しかし同時に「志摩の小江戸」と呼ばれていた根拠は全く無い様に思われます。
「志摩の江戸」とは別に「志摩の小江戸」と呼ばれている事例が何かあるのでしょうか?Natunohi 2005年3月26日 (土) 13:32 (UTC)
波切の場合は、「志摩の江戸」が小江戸よりも先にあるのではと思います。「小江戸」語呂合わせの言い換えだけですので、伊勢の河崎と比較しているだけではと思います。(江戸が小江戸より小さいのも問題ですので。)これぐらいしか判りませんね。一つ判っているのは、水運の発達した町を江戸、小江戸と呼んでいたようです。Miketsukunibito 2005年3月26日 (土) 14:57 (UTC)
- それだとやはり、志摩の小江戸が江戸時代で川越より前に呼ばれていたとは考えにくいですね。志摩の小江戸は伊勢に限らず、他の小江戸になぞらえて最近になって呼ばれたものではないでしょうか?また、伊勢河崎が小江戸と呼ばれていたのはいつごろからで、どういった由来があるのでしょうか?Natunohi 2005年3月26日 (土) 15:34 (UTC)
- 伊勢の河崎は「江戸の金使い 上方の銀使い」か「江戸店持ち伊勢商人」じゃなかったかと思います。町自体は波切同様、江戸よりも古いです。家康が引き連れていった時期ですからそう遠くは経っていない時期だと思います。Miketsukunibito 2005年3月26日 (土) 16:23 (UTC)
- それは河崎が江戸を引き合いにした言われ方がされたというだけで、「小江戸」と呼ばれたというわけではないですよね。街が古いとかそういうことではなく、この記事にある小江戸という用例がいつごろから用いられたのかと言うことが聞きたいわけです。河崎は江戸よりも古く、且つ江戸と上方(東日本と西日本)の境界で金融・物流の拠点でもあったわけですから、江戸のみを意識した小江戸という通称が本当に江戸時代に用いられていたのか疑問です。Natunohi 2005年3月27日 (日) 01:58 (UTC)
- 河崎の方は、観光で「小江戸」と言っている場合もあるので定義はともかく、小江戸から外せ無いと思います。河崎は「江戸店持ち伊勢商人」が多く、これで呼ばれていたのかも知れません。「神田」の地名の由来、「伊勢屋」、「越後屋」など江戸にて活躍し、ここを発祥または拠点にしている物が数多くあります。これいじょうはわたしもわかりませんね。Miketsukunibito 2005年3月27日 (日) 02:53 (UTC)
- ちょっと思い出した。川越の小江戸ですが、「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」、これの解釈は、「小京都と呼ばれる街はたくさんあるが、小江戸と呼ばれているのは川越のみ」だけではなく「世に京都に似た町は数あれど、川越ほど江戸に似た町は他にない」という意味もあったと思います。Miketsukunibito 2005年3月27日 (日) 06:00 (UTC)
小江戸サミット欄について
- 「そのほか、千葉県夷隅郡大多喜町・神奈川県厚木市・静岡県磐田市(旧磐田郡竜洋町掛塚)・滋賀県彦根市なども、しばしば小江戸と呼ばれる。」これは必要ないのでは。これは小江戸サミットの説明ではなく小江戸の説明であり分かり辛い。また下記の欄「日本各地の小江戸」にも同様の市の詳細が書いてあるためここでの説明は無意味でしょう。