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ノート:小中華思想

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「明治」の由来は、『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」(聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む)から採ったといわれる。過去の改元の際、江戸時代だけで8回、計10回候補に上がったが、11回目にしてようやく採用された。


であって、明国の政治を次ぐなどという珍説は無い。 以上の署名の無いコメントは、219.118.177.9会話/whois)さんが[11:07, 22 July 2006 (UTC)]に投稿したものです(Extrahitzによる付記)。

小中華思想の定義

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以下の文面は小中華思想の定義である、「我こそが中華文明の担い手である」という思想からは外れていますので削除します。


日本にも中世に興隆した触穢思想の影響から、日本の支配に服していない異民族を蔑視する考え方があった(さすがに中国は例外とされた)。平安鎌倉時代の『聖徳太子絵伝』における蝦夷のような容姿として描いていることや、室町時代に編纂されたとされる伊予国河野氏の家伝である『予章記』には越智益躬三韓の捕虜の筋を切って(当時の観念では障害者非人扱いを受けた)自らの下人として漁業(仏教的には生物を捕殺する賎業)に従事させたという記事が残されている。蝕穢思想を後の小中華思想の原流として見る事も可能である。

659年遣唐使は蝦夷を伴って高宗に拝謁し、彼らが日本に朝貢する者であると述べている。

日本における小中華思想は、清朝の中国征服以前にも既に元寇の段階で一定の高まりを見せていた。この時代中華思想からすれば「蛮族」であるはずのモンゴル人が中国を侵略し、日本にも攻め寄せてくる過程で日本の知識人たちは失われた中華文明への思慕とともに小中華思想を高めたとされる。(←具体的に資料を示してください。)

宋学の影響下にあった後醍醐天皇北畠親房などの南朝の思想指導者たちは、武士を戎夷とみなし、君臣の義にとどまらず華夷の序をも倒幕の名分とした。また太平記作者も北畠顕家率いる奥州勢が京都を掠略した件について、「夷」ゆえの蛮行であると記述している。


また儒学における先進国であった朝鮮に対しても、「蛮族の建てた清朝に朝貢している朝鮮に中華の資格などあるはずもない。」と朝鮮が小中華思想を表すのを冷ややかに見つめる向きが強くなり、「蛮国」として扱う気風が強くなった。


朝鮮社会の後進性や気質を疎んじた事と、混同していませんでしょうか(朝鮮通信使参照)。以上の署名の無いコメントは、122.18.213.127会話/whois)さんが[01:09, 27 January 2008 (UTC)]に投稿したものです(Extrahitzによる付記)。

あくまで中華思想ですので、自文明が中国を凌駕するものであるという意識は必須ではありません。小さな中華として蝦夷や東国の「蛮夷」に向き合うということであれば十分に小中華主義といえるでしょう。--Extrahitz 2008年1月27日 (日) 10:14 (UTC)[返信]

自文明が中国を凌駕する意識が必須なんて一言も書いていませんね。それに自国内の弱小勢力に対し蔑みの態度で中央政権が接するということは世界中どこの国でもやっていることです。「彼らは中華にあらず。我こそが中華なり」という意識こそが「小中華思想」です。自ら国を建て、中華の王とは異なる王を奉ること=小中華と、日本に「小中華」を当てはめようとすることは間違いです。以上の署名の無いコメントは、122.29.118.62会話/whois)さんが[21:09, 27 January 2008 (UTC)]に投稿したものです(Extrahitzによる付記)。
貴方の定義しているものは「小」のない中華思想じゃないですか。自ら夷として華に向かい合っているのに、同時に自らが華として別の夷に向かい合おうとする考えが中華思想でしょう。また儒教的な華夷秩序の雛形をもってしてミニ天下に君臨することが小中華主義の要件であり、それを欠いた単なる覇権主義とは明確に区別されます。--Extrahitz 2008年1月28日 (月) 00:03 (UTC)[返信]
「同時に自らが華として別の夷に向かい合おうとする考えが小中華思想でしょう。」←訳のわからない珍説ですな。そもそも漢民族ではない満州族の国家など「蛮族と言われていた民族が中国を治めるようになってから」出てきた思想が小中華思想です。そもそも聖徳太子の時点で日本は中華世界の序列じゃないよと、宣言しているわけで。日本が小中華じゃないと都合が悪いわけでしょう。あなた。220.104.131.74 2008年4月7日 (月) 21:30 (UTC)[返信]
ノートでは署名を付記することになっていますので、よろしくお願いします。署名は~~~~(チルダ4つ、<nowiki>タグなし)により自動的に付記されます。また議論される場合はアカウントを作られログインされることをお勧めします。--Extrahitz 2008年1月28日 (月) 00:09 (UTC)[返信]

水戸黄門」こと徳川光圀の小中華思想

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すいませんが徳川光圀が小中華思想を唱えたという資料がさっぱりありません。具体的に資料を示してください。 以上の署名の無いコメントは、122.18.213.127会話/whois)さんが[02:29, 27 January 2008 (UTC)]に投稿したものです(Extrahitzによる付記)。

徳川光圀に限らず、この記事本文全体として出典を示すものが見当たりません。Wikipedia:検証可能性等を参照のうえ、信頼性の高い記事になるよう御願いいたします。--Panpulha 2008年1月31日 (木) 02:34 (UTC)[返信]

徳川光圀小中華思想説をこれ以上書き続けるなら、徳川光圀に関係する学会、施設へ通報しますよ。220.104.131.74 2008年4月7日 (月) 21:52 (UTC)[返信]

日本

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古代の日本が中華思想に倣ったとか、水戸学が日本の中華思想であるとする出典は幾らでもあります。[1] [2]インドのプロキシの方(peaceか?)、変な作文に置換えるのは止めて下さい。johncapistrano 2008年2月10日 (日) 10:57 (UTC)[返信]

へえ? 「幾らでもあります」と言う割には、リンク先にさっぱり見当たりませんね? さっさと具体的に論文を提示してくださいよ。要するに朝鮮が小中華思想以外の何物でもない現実から日本人の目を逸らすために、盛んに「日本こそが小中華思想」と喚き散らしているだけでは? 最初の時点で「明治という元号は明を継ぐ意味」なんていう珍説を出したのはあなたでは?wそもそも小中華思想とは、中華の衰えの後に出てきた思想にもかかわらず、なんで奈良時代だの平安時代だのの例を必死になって出すのかいな?ww220.104.131.74 2008年4月7日 (月) 21:30 (UTC)[返信]

中華思想は中原主義ではない

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明朝は好きな場所に都を置けたにも拘らず南京と北京を首都としています。聖人たる天子を初めとする文明的な人々のいる場所が中華なのであり、中原を押さえていないことをもって五代以降の華南政権を本物の中華ではない小中華だ、とする珍説は見たことがありません。中華思想を聖地思想のごとく解釈するのは誤りです。--Extrahitz 2008年2月10日 (日) 13:25 (UTC)[返信]

「小中華思想」という用語の歴史を今後記載してゆく必要があるようです。 「中華思想」の定義は、1支那文明中心の世界観、2広く自己中心の世界観、のどちらとも言えますが、1の固有名詞的定義を採るならば「支那文明」とは何を指すかの定義が必要です。黄河文明なのか、それとも漢字文明なのか。黄河文明であるならば必然の論理として南朝も南宋も非中華にして中華を自称する、つまり小中華です。漢字文明であるならば、日本も朝鮮もベトナムも支那文明のうちに含まれますから、その内部で真の中華を争うのが中華思想だという論理となり、大中華小中華という区別は論理的に成立しません。2の一般名詞的定義を採るならば、自己中心的世界観は全て中華思想ですから、みずから中華を凌駕したとする朝鮮中華思想も小中華思想ではなく立派な中華思想となるのが論理の帰結です。ウィキペディアでは論理に破綻のある記述はまかり通るのでしょうか。通らないはずです。 「聖人たる天子を初めとする文明的な人々のいる場所が中華なのであり」という定義は2の一般名詞的定義ですね。それに従えば、アジアで最も文明的な日本こそ中華であり、その君主=天皇=天子です。日本の史書では天皇を天子と呼ぶのが通例です。また世界で最も文明的な地域は中華と呼ぶにふさわしいわけですから、一般概念としてフランスなども中華と呼ばれるべきでしょう。 あなたが他人の編集を「主観的」と呼ぶのは、まさに横暴です。あなたこそ主観の最たるものです。2月12日、203.129.100.3

「文明的」というのはあくまで中華思想の立場による文明観によるものだということは文脈上明らかです。「日本とフランスが文明国だ」というようなあなたの個人的な価値基準と混同しないようお願いします。Wikipedia:独自研究は載せないをご参照ください。--Extrahitz 2008年2月16日 (土) 01:50 (UTC)[返信]

私は「日本とフランスが文明国だ」という個人的な価値基準を持っていません。繰り返しますが、あなたの「聖人たる天子を初めとする文明的な人々のいる場所が中華なのであり」という定義に基づけば、論理的に日本やフランスは中華となってしまうのです。この定義は完全にあなたの「独自研究」です。私は独自研究を載せていません。自然な論理的記述をしているだけです。「文明的というのはあくまで中華思想の立場による」とするならば、それは「中華思想」を固有名詞的に扱っているわけで、即ちあなたの言う聖地思想にほかなりません。中華思想が聖地思想と類似してることを否定したいのならば、矛盾しない論理をもって否定して下さい。「文脈上明らかです」との独りよがりは通用しません。文脈上極めて矛盾に満ちています。 さて何よりも問題は、小中華思想の定義がもともと不明確であることです。昔からどう定義されて来たか、昔の定義の論理的破綻はどこにあるのか、といったことを今後みんなで記載してゆくべきでしょう。横暴な削除は公共の秩序に反する行為です。慎んで下さい。2月17日、203.129.100.3

あなたの論理についての主張は成り立っていませんが、ここでそのことについて議論するのは記事と無関係でありプロジェクトへの迷惑ですので控えます。納得いかないとのことであれば私のノートでお願いします。
ここで申し上げるべきことはWikipedia:独自研究は載せないをお読みくださいということです。Wikipediaを学界の通説を覆す試みのために利用することは不可です。仮にこの場で私を論破したとしても「宋学は小中華思想だ」とする主張が歴史学界に見られない以上、その説をwikipediaにおいて採用することはできないのです。逆に史学界の通説であれば、それが「論理的に矛盾」と見えても採用せざるを得ないのです。この点についてご理解願います--Extrahitz 2008年2月17日 (日) 14:10 (UTC)[返信]

何度も繰り返しますが、私は独自研究を載せていません。「小中華思想」の定義について学界の通説は存在しないでしょう。有力な学説が存在するなら、それを明確に引用すれば良いのです。通説が存在しない以上、自然な論理のままに記述されるのは当たり前のことです。あなたが議論を控えるとの判断は賢明であり、賛同します。2月18日、203.129.100.3

李氏朝鮮

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小中華思想は「第三のローマ」のごとき、その担い手が本家に代わって立つという思想ではありません。たとえば朝鮮国王が北京の皇帝に代わって天子たるべしという思想は、近代における西洋や日本との接触以前には皆無です。「後継者」という表現はそういう意味での誤解を招くものです。--Extrahitz 2008年2月16日 (土) 07:34 (UTC)[返信]

「小中華思想は・・・という思想ではありません」の根拠が有りませんね。領土の上で言えば、豊臣秀吉は明朝天子に取って代わろうとしましたし、モンゴル皇帝・満洲皇帝は実際に取って代わり、中華思想を持つに至りました。領土でなく文明の上で言えば、南朝や南宋や日本や朝鮮の儒者は中華に取って代わる意識を強く持ちました。2月17日203.129.100.3

正確性のタグを貼りました

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定義が曖昧という現状があるならば、各論併記のような叙述しかないと思うのだが。現状では断言調でかかれているため、タグを貼りました。Petz 2008年4月5日 (土) 02:18 (UTC)[返信]

保護

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ノートって保護できるのですか? どこかで保護されてるノートを見た記憶があるのですが。--ΑΩ 2008年4月6日 (日) 10:36 (UTC)[返信]

あんまりよくないですね。半保護依頼でもしますか? johncapistrano 2008年4月6日 (日) 10:43 (UTC)[返信]
荒らしのターゲットになっているようですから、何年か保護した方がよいと思います。「半保護」というのをよく知りませんが。--ΑΩ 2008年4月6日 (日) 11:07 (UTC)[返信]
在日KOREANの皆さんが「日本は小中華思想」という大嘘のプロパガンダを広める具として、ここを使っているのに、それに加担するようなことをしてどうするんですか?というか管理者には在日が多いのかな?ww220.104.131.74 2008年4月7日 (月) 21:30 (UTC)[返信]
上にも書きましたけど徳川光圀小中華思想説をこれ以上書き続けるなら、徳川光圀に関係する学会、施設へ通報しますよ。220.104.131.74 2008年4月7日 (月) 21:53 (UTC)[返信]

たぶん保護になる場合は、リバートされて、記述が回復され、しかも、出典提示のための加筆もできない状態になります。そのような形での保護をご熱望のようですから、保護に賛成いたします。広域ブロックも必要かな。--ΑΩ 2008年4月8日 (火) 00:09 (UTC)[返信]

「半保護」の意味がわかりました。「全保護」が良いと思います。--ΑΩ 2008年4月8日 (火) 01:31 (UTC)[返信]

ノートは「半保護」で本文は「保護」で。--ΑΩ 2008年4月8日 (火) 01:32 (UTC)[返信]

おや? 日本が「小中華大国」かのような捏造をした状態で保護依頼ですか? そもそも大ウソの「日本小中華論」を執拗に書き続け、歴史を塗り替えてご苦労な事ですな。具体的にご自身の書き込みの裏付けを書いてくださいな。220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 03:24 (UTC)[返信]

どうしても保護して貰いたいようですね。もしかしてサヨクと言われる方ですか? --ΑΩ 2008年4月8日 (火) 03:33 (UTC)[返信]

ΑΩは「日本小中華論」のソース提示という現実の命題から話題を逸らしたいようです。www  さっさと提示すれば。「明治は明を継ぐ」って言う部分のソースも希望wwww 220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 03:37 (UTC)[返信]
どっちもどっちですね。レッテル合戦は不要です。学会に報告もできる立場ならすればどうですか(通報は誤りだろう)。公式な記事批評が出れば出典にできるかもしれないですね。IPの書込みは荒らしそのものです。本当に異議があるならもう少しマトモに書いては如何ですか?johncapistrano 2008年4月8日 (火) 03:39 (UTC)[返信]
おやー? どっちもどっち?? ソースが無いでしょ。困った時の朝鮮式言い訳「お互いに悪いニダ」ですか?www「通報は誤りだろう」思ったことがソースですか?大爆笑www220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 03:41 (UTC)[返信]
ソースは?「そう思ったからニダ!」「インターネットに書いてあるニダ!」「お互いに悪いニダ!」。。。だから、ソースは?「おまえは礼節が劣るニダ!」。。。。見事に朝鮮式ですな。220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 03:44 (UTC)[返信]
『中朝事実』だけでも充分な出典でしょう。報告を是非して下さいと書いていますよ。朝鮮式というのはどこから出てくるんですか?johncapistrano 2008年4月8日 (火) 03:46 (UTC)[返信]
あーまたですか。「俺の言ったことの裏付けはお前がやれ!」。。。。KOREANがよくやる手口ですね。。。。220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 03:49 (UTC)[返信]

johncapistrano様。当方の書き込みは「?」をつけた質問です。「おまえサヨクじゃねーか」などの表現ですとレッテル貼りになると思いますが。ともかく保護せざるをえない状況に持ち込もうと必死になっている方がいらっしゃいます。それはそうと、IPの方はサヨクでなくて韓国の方ですか? これも質問です。--ΑΩ 2008年4月8日 (火) 03:55 (UTC)[返信]

ジサクジエンご苦労様です。「多人数を装う」もーどこまでKOREAN丸出し何だろう。「オモニ!ウリを助けるニダ!」ですか? さっさとソースだせよ!「明治は明を継ぐ」も。wwwww220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 03:58 (UTC)[返信]
このKOREANはね。中央日報とかNAVERとかの掲示板で延々と自作自演で多人数を演技している人物ですよ。自分の別IDには「様」付けなんですwwwwww220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 04:00 (UTC)[返信]
まずは落著いて下さい。ご希望のように依頼を出しました。--ΑΩ 2008年4月8日 (火) 04:06 (UTC)[返信]
enjoykorea掲示板でcopy_saruというIDを見ましょう。これがこの人物の本音です。中央日報のニュース記事リプライを見ましょう。反日親日両方の側でID使い分けて書き続けている気持ち悪い姿を観察できます。で、ソースは?本題を逸らすためにありとあらゆる手を使うのがこいつの特徴です。220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 04:09 (UTC)[返信]

出典を出してから記述。まずこの基本を守って記載することが必要でしょう。その際、「このようなことしているから、それが小中華思想」と執筆者が判断する書き方はダメです。きちんと出典先に「だから日本(光圀は)は小中華思想でもあった」と直接書かれてなければなりません。その上で220.104.131.74氏もおかしな部分があると思えば、反証を記載すればいいだけです。個人的に日本が小中華思想というのはあまり耳にしないので出典に興味がありますね。

まず議論の前に、編集の時間的にあまりにタイミングが良すぎ、3RR避けとも思える入れ違い編集のアカウント、編集一徹氏・ johncapistrano氏・ΑΩ氏のCUをまずお願いしたいところですね。

--210.231.2.89 2008年4月8日 (火) 06:54 (UTC)[返信]

話し合っても無駄というのは今までのことから明らかでしょう。時間の無駄です。らりた 2008年4月8日 (火) 09:58 (UTC)[返信]

出典のない部分、コメントアウトしました。それが小中華思想であるという出典を出してから復活させてください--210.252.202.67 2008年4月8日 (火) 10:55 (UTC)[返信]

>その上で220.104.131.74氏もおかしな部分があると思えば、反証を記載すればいいだけです←はい。はい。また別IDに化けて説教始めましたよ。自分の別IDに様付け辞めて「氏」付け始めましたか。このKOREAN。みんな騙されちゃいけませんよ。自分の都合が悪くなるとコロッと態度変えますからね。「無いものを証明しろ」なんて悪魔の証明以外の何物でもないですな。みなさん~ このKOREANはenjoykorea掲示板を数百のID使い分けて占拠し、大英博物館に韓国コーナー作らせたり、中央日報ニュースリプライを親日反日使い分けて占拠しているプロ活動家ですからね~220.104.131.74 2008年4月8日 (火) 20:53 (UTC)[返信]

仕切りなおし

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小野妹子が隋に持っていった国書に「日出ずる処の天子」と書いてあった時点ですでに立派な「小中華思想」だと私は考えます。神功皇后の三韓征伐の神話が記紀に記載されたのも「小中華思想」の反映でしょう。学術的にもすでに石母田正が律令制国家の対外観念を「東夷の小帝国」と喝破して以来、日本の外交政策や対外観念が「小中華思想」に支配されていたことが通説化していると考えますが。戦国時代にポルトガル人を南蛮人と呼んだこともそうだし、江戸時代になっても山鹿素行みたいに勘違いしたのが出てますし。--呆庵入道 2008年5月13日 (火) 12:44 (UTC)[返信]

中華文明が最高のものであり、それを継承しているのは(担い手は)我が国(我が民族)だ、とする思想ですよ?日本は中華文化を古代を中心に取り入れはしたが、日本じゃそんな思想はないのでは?極一部の個人レベルではあったのかもしれませんが。--210.231.13.247 2008年5月21日 (水) 22:17 (UTC)[返信]

「日出ずる処の天子」は平等な仏教思想であって、中華概念の外にあるというのは既に定説じゃなかったのですか。定説ですよ。しかし南蛮の呼称は中華思想ですし、天皇を帝と呼び大名を藩・藩主と呼び、封建諸侯と呼ぶのも全て中華思想ですね。220.219.94.136  2008年6月3日21:45

たまたま見つけたので紹介しておきます。
「この他、もう一つの東アジアの重要な成員である日本は、既に六世紀中期以降から中国の冊封を受けていない状態にあり、それは、以降十五世紀始め足利義満が日本国王として冊封されるまで続く。この間、日本が直接間接に中国文化を摂取したことは事実であるが、特記すべきは日本がまるで『自己完結的な錯覚』を引き起こすほどの『小冊封体制』(=小中華)的構造を持っていたということである。」金成奎(『宋代の西北問題と異民族政策』、P3、ISBN 4762926450
なおこの文章については先行する田中健夫『中世対外関係史』を参照せよとのことです。機会があったらそちらの方も見てみます。
以上の文章・書名では旧字体が使われていましたが、面倒くさかったので新字体にしてます。--らりた 2008年7月3日 (木) 09:13 (UTC)[返信]

小中華思想とは、中華文明を最高のものであると考え「我こそが中華文明の担い手である」とする思想です。日本がいつ中国文化の担い手であるという主張・思想があったのでしょうか。聞いたことがありません。朝鮮ではありましたが。--210.252.200.15 2008年8月30日 (土) 21:23 (UTC)[返信]

違います。小中華は「自らが文明の中心地であり、他の地域を野蛮である」と見下すことです。--らりた 2008年8月31日 (日) 14:29 (UTC)[返信]


このさらに上でもちらちら出て来てましたが、明らかに一番大事な定義が各々で違っていますね。まずは定義を固めないと。

まず定義の出典をお願いします。--61.245.63.79 2008年9月13日 (土) 12:47 (UTC)[返信]


論点がずれますが、IPアドレスの方はIDを取得されて議論をなさるのが良いかと思います。ノートの半保護を提案されている下りもありますし、220.104.131.74さんのように相手を罵倒する人物の出現で保護等の状態になっても議論できるようにしていただけたらと思います。--Zell 2008年9月22日 (月) 16:15 (UTC)[返信]

>小中華は「自らが文明の中心地であり、他の地域を野蛮である」と見下すことです
それは中華思想ですよね。一番初めの議論#小中華思想の定義でも似たようなことがありましたが。最初の呆庵入道氏の意見もそうですが、それは単なる中華思想ですよね。--EULE 2008年10月3日 (金) 05:15 (UTC)[返信]

出典の提示

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『小中華思想』の定義を書いた本を見つけましたので、提示しておきます。

  • 河宇鳳『朝鮮王朝時代の世界観と日本認識』ISBN-13: 978-4750326788


この本によると、『小中華意識』の定義については(以下引用)

朝鮮は…中略…儒教文化の面では、自ら中国と対等か、あるいは中国の次を行くものとして自負し「華」と称した。…中略…これが、いわゆる小中華意識である。

(以上引用、P28より)とあり、これを定義にしていいのではないでしょうか。


次に『小中華』の定義ですが。(以下引用)

「小中華」または「小華」という言葉は、本来中国が朝鮮半島の国家をさして使用した用語である。

(以上引用、P55,56より)とあり、中原以外の所というより朝鮮半島のことと見なせるでしょう。そこで、ベトナムについては、「ベトナムにおける小中華意識」について書かれた出典が出るまではコメントアウトしておきます。


また「我こそは中華だ」という意識については(以下引用)

(17世紀以降の朝鮮の小中華意識について)朝鮮のみが唯一の華であると主張したという点で、朝鮮中華主義とみなすことができる…中略…(小中華意識と朝鮮中華意識について)両者の間に明確な概念規定がなく、混同あるいは混用されている…中略…最近の韓国では十七世紀の小中華意識を朝鮮中華意識として理解する傾向がある。しかし、筆者は…中略…朝鮮中華主義として見ることに対して異なる見解を持っている。筆者は小中華意識と朝鮮中華意識を区分する基準は中国=中華という等式を脱皮したかどうかにというところにあると考える。十七世紀の小中華意識は…中略…崇明意識からは完全に脱皮できていないという点で、小中華意識の一つの部類として見るべき

(以上引用、P62,63より)とありますので、「我こそは中華だ」という意識については基本的には、小中華意識ではなく中華意識として扱うべきかと思いますがいかがでしょうか。--Inulab 2008年12月8日 (月) 13:08 (UTC)[返信]

転載

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ここここから転載されているが、履歴継承がされていない。--Clarin 2010年1月12日 (火) 02:23 (UTC)[返信]

金印

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以下の本文の叙述をいちおう除去します。朝鮮王朝に金印が贈られていたことは、中村栄孝『朝鮮』(吉川弘文館、1971年)に収められた「事大と交隣」という論考に明記されていて、p126には、印影も(やや不鮮明ですが)写真版で載っていることからもわかりますから。

しかしこういう考えは朝鮮のみで、中華思想の枠組みのもとでは、非漢民族であり中国大陸の東端に位置する朝鮮は、東夷としての位置づけを免れることはできなかった。古代中国での当時の朝鮮の位置づけは日本琉球王国よりもはるかに下とされており、国家としての認知も遅れていた。これは、倭には金印が、琉球王国には銀印が贈られたが、朝鮮には贈られていないことからも伺い知る事が出来る。中世には朝貢属国の筆頭であるとされ、冊封国としての認識が続いた。

--ねこぱんだ会話2013年4月2日 (火) 14:24 (UTC)[返信]

この記事は嫌韓反中に非常に偏向しています。

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この偏光記事の問題点は、ベトナムにおけるキン族の小中華意識を無視していること、そして中国中心主義と儒教の強引なこじつけです。中華文明とは道教や鬼道、景教など様々な文化宗教があり儒教だけが漢民族の文化ではありません。また歴史学者でもない宮脇順子、黄文雄、司馬遼太郎のエッセイやイデオロギーがさも学術的に引用されています。まず小中華意識の影響は、中世日本やベトナムにもあったのは朝鮮学や歴史学の正式な学者である井上智勝の書籍でもさんざん触れられています。

そもそも中華文明が人種差別やエスノセントリズムが根幹であったという学術的かつ客観的、帰納的な立証可能な学説は未だに発表されていません。

また聖徳太子が「日出君子から日没する君子へ」と書簡を送ったのが、日中の対等化であったとか中華意識を排撃したとかいう言説もモラロジー研究所が主張している根拠不明な言説です。きちんとした朝鮮学や支那学、歴史学に基づいた論文よりも宮脇や黄文雄にような活動家や司馬のような歴史小説家が引用されているのは記事のイデオロギー性の証だと思われます。 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/187529/1/ias_012_028.pdf https://cir.nii.ac.jp/crid/1520010379991913600--EdwardKaminski会話2024年7月2日 (火) 05:37 (UTC)[返信]