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ノート:封神演義

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「原作」とは?

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「原作では~」という表記が多いですが、「原作」などというくくりなどないではないですか。

キチンとどの資料にてらしてか、それとも複数の原典に照らしてなのか、書いている人はあきらかにすべきです。 まるですべての原典に目を通しいるかのような書き方はよろしくないでしょう。 ただされるべきです。編集している人はキチンとすべきです。修正すべきです。--Babel3 2009年6月9日 (火) 12:38 (UTC)[返信]


原型に一番近い形で読める日本語版は、許仲琳版を元にした光栄の『完訳 封神演義』(上・中・下)と言われている。

とのことですが、安能務訳の講談社文庫版なんかはどうなんでしょう。 というか、「どれが原型に一番近いか」というのは荒れそうなので、日本で手に入る訳を列挙していった方がいいのかもしれません。 - Sketch 06:39 2003年2月27日 (UTC)

日本語版を列挙していくのは必要かも知れませんね。
なお、いくつかの意見をWWWで見て回った上では、概ね、許仲琳版(と、その比較的忠実な訳である光栄版)が「原型に一番近い」という意見が大勢である、と判断できました。(私自身が許仲琳版と光栄版とそれ以外とを読み比べて判断したわけではありません)
安能務版(講談社文庫版)についての評価は諸説ありますが、原型に照らす限り、「安能は何を書いとるんだ」と言われかねない部分もある超訳のようで。その辺を最初はぼかして書いていたのですが、Touryuuさんが書かれたようにやはりご指摘が入りましたので、マイルドな表現に書き換えつつ改めて明記しておきました。
- Gombe 08:42 2003年2月27日 (UTC)
(わかりやすくするため節を分けました)記事全体的に安能批判に偏った印象が感じられ、やや中立性に疑問があると感じます。確かに学者の中には強いアンチ安能な方も少なからずおられるようで、それは事実ですが、あたかも「安能はインチキであると学会で一致している」と言わんばかりの書き方になると、さすがに行き過ぎではないかと。安能氏自身が著作の中で言及していますが、安能氏は士大夫階層固有の儒教的価値観を通して中国社会を見てしまう日本人の中国史観と、道教的価値観がベースの中国大衆層の歴史観の違いを強く意識し、古典文学や民間伝承が継承されて講談として成立していく中で紛れ込んだ士大夫層的な儒教色を取り除き、本来の民間伝承が持つ道教色を強調した結果として安能版封神演義を書いたものです。したがって「原典に忠実でない」とか「原典とはここが異なる」といった指摘はそもそも安能氏自身が故意にそのようにした部分であり、これを学者が「正確ではない」と批判するのは、歴史ドラマの設定が史実と異なるという批判と同じように無意味なものだと思います。
百科事典であるWikipediaにおいてこのような批判的観点を軸にして安能版に言及するのは、やはり公正な立場ではないと考えます。--125.0.214.136 2011年7月9日 (土) 05:45 (UTC)[返信]

「CV」とは?

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主要登場人物のところに簡単な説明が入るのではなくCV(というのは声優のことでしょうか)が記載されるのはどうにも違和感があるのですがいかがなものでしょうか。--219.161.40.35 2005年4月9日 (土) 01:35 (UTC)[返信]

明らかにマンガ(少年ジャンプ版)とそれを元にしたテレビアニメについてのデータでしたので、取り敢えず前の状態に戻しました。マンガ版はかなり意識的に物語を改変しているはずですので、登場人物一覧もどこまで信用していいのか分からないところです。原作とマンガと、それぞれ詳しい方が別に一覧を作成すべきではないかと思います。 -- NiKe 2005年4月9日 (土) 01:49 (UTC)[返信]

近年の論文による改め

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『封神演義』の学術的な記載は、主に二階堂善弘氏の『封神演義の世界 中国の戦う神々』からの引用が多く、それだけでは意見の偏りがあると前から思っていました。

この本自体に大きな問題があるというわけでなく、2021年の時点では20年以上も前のものであり、古典文学研究の20年は新たな知見も増えているためそれらが反映されないのはどうかなって思いました。

幸い、近年二階堂善弘氏や他の方々からから『封神演義』の成立の問題や諸問題を扱う論文も増えています。そこで、読んだことのある論文から「版本」と「日本での受容と翻訳」に関して、誤解がありそうな部分や不十分なところを補いました。

問題があれば訂正やノートで指摘していただけると幸いです。

--ぴすけしあ会話2021年6月15日 (火) 13:06 (UTC)ぴすけしあ[返信]

安能版に対する見解について

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安能版について「哪吒~読み間違えるなどの初歩的なミスも散見される」の節ですが、出典のリンクが(5、6年前からでしょうか)切れていますね。ウェブアーカイブで見ることはできますが、そもそも記載に値するでしょうか? これはあくまである個人の方の意見であり、出典元にはそう判断する根拠も書かれてはいませんでした。端的に言えば憶測あるいは決めつけのようなものと理解しています。 なお、哪吒の頁では[「吒」の字に「タク」という発音は無い]という記載がノートの情報を元に削除除去されています。--ぬーじゃ会話2021年12月23日 (木) 17:42 (UTC)[返信]

報告 除去しました。独自性の高いルビ振りについては三浦義臣版も哪吒に同じく「なたく」と振っているようなのでどうかと思いましたが、情報として有益と思いますのでとりあえず残しています。この文脈ですとルビ振りも含めて安能氏の「意見」であるとも読めてしまいますが、私はそれもおかしいとは思いません。
また聞仲について、一般的なルビと安能版のルビが過去の編集過程で逆転してしまっていたようですので、この節に限らず編集される方はご注意いただければと思います。
なお、安能版のルビを誤りとする意見について私の受け止めを書いておきますと、小説のルビ振りは作者の自由裁量であるため、現在のように安能版をリライト小説として記載する場合、ミスと書くことは本人がそう語っていたという話でもない限りは不適当であり、翻訳として見る場合でも翻訳におけるルールのようなものを合わせて提示する必要があると考えます。(例えば仏教経典は一般的には呉音で読まれますが、漢音で読まれるものも間違いではないわけですよね。)--ぬーじゃ会話2022年1月14日 (金) 09:17 (UTC)[返信]