ノート:富野由悠季/過去ログ2
ガイドライン作成のための議論
[編集] 現在、本文には富野由悠季氏の「経歴」の表記について編集競合が起き『保護』がかかっております。少しでも早く編集不能の状態を解き、より良い記事にするために、皆様の議論への参加を要請いたします。
上記「中立的な観点について」をお読みいただけばお分かりいただけると思いますが、項目「富野由悠季」中、その「経歴」につきましてはかなり前から様々な議論を呼んでおります。私(Niki)もその一人で、6月3日にノートページに書き込みをした後、しばらく時間をおいて新たな意見の提示がなかったことを確かめた上で一度「経歴」を全面的に書き換えました。
最初は、ノートページで提案したように、極力シンプルな「経歴」を作成したのですが、監督作品リストを少々飾った程度の文章にしかなりませんでした。それではわざわざ「経歴」の項を作る意味がないと感じられたのと、上記「中立的な観点について」において「氏の作った作品についての大幅加筆が加えられた点は良」とする意見がありましたので、なるべく肯定的意見・否定的意見をバランス良く、読む人の先入観になりにくいことを念頭に文章を作り直し記事を更新いたしました。
ただ、この時の記事は私の側に十分な資料がなく推測の多い文章になっていたことは事実です。私自身そのことを自覚し、どなたか確かな資料や記憶をお持ちの方が補強・修正してくださることを期待している部分もありました。しかし、それがまずかったのでしょうか、その後修正を加えられる方たちの文章を拝見しますに自分の思い込みや意見を書いて「中立的な観点」を崩している方がいらっしゃるように思います。Wikipediaはウィキペディアは何でないかにも明示されている通り、誰かを糾弾する場でも自分の評論・論文を発表する場でもありません。ましてや今問題になっているのは富野由悠季氏の「経歴」に過ぎません。
本来、人の経歴に他人の評価は必要ないものです。(必要であるとすれば「○○年 ××賞受賞」くらいなものでしょう。)今のように編集に加わるすべての人がそれぞれの主観に沿って富野氏に対する個人的評価を書き加えたり書き換えたりし続けるのであれば、編集合戦に陥ることは避けられません。そのような事態を避けるために何を書くべきか、何を書くべきでないか、何を残すべきか、何を削除すべきか、議論の場を持ちたいと思います。皆様の御協力をお願いいたします。
なお、この場を設けたいがために、人が気付きやすいように本文上の「経歴」を全削除したのはやり過ぎでした。軽率な行動を深くお詫びいたします。
私は最終的には全削除、もしくは出典など根拠を明示できないあらゆる文章、推測や伝聞の形で書かれた文章はすべて削除もやむを得ないのではないかと考えています。(もとより推測や伝聞形式での表記はウィキペディアは基本的に禁止です。私が書き直した際により詳しい方がより正確な表記に書き直してくださることを期待して確かな記憶や資料がない部分は敢えて推測の形で残したという経緯があります。)皆様はどのような文章であれば残したいですか? あるいは削ったほうが良いとお考えでしょうか? ご意見をお寄せください。Niki 2005年10月27日 (木) 20:21 (UTC)
- 伝聞を伝聞の形で書くことを禁じるのはどうかとおもいますし、wikipediaのガイドラインにも「すべての記事に文書的裏づけを求めるべきではない」の意ことが記されていると思います。また、早期に合意が形成されることを望みますが、出来ればその際「富野伝」と「富野作品クロニクル」を分けませんか? みんなが入れたがってるノイズや不正確記事は主に後者に属するものですから。なにしろ現在固定されている版は、例えば、トリトンの項では、OPが間に合わないのはむしろここ10年ほどの状況であり、ダイターン3の項など紅を注したヒロインはタツノコではカラー化の初期からです。そもそも絵描きでもない富野氏の評価に関係のない余談記事がさらに間違っているというかなり救いのない状態で、気になって仕方ありません(笑)。LR 2005年10月31日 (月) 02:33 (UTC)
- 貴重なご意見ありがとうございます。情報が不確かだったり間違っているのはベースになった私の文章が貧弱な資料によっていたためです。私は一般の人が普通にイメージするアニメの作法と言うか文法と言うか、そう言ったものによらずに作品を作る富野由悠季という人物に興味があったのでその著作や作品に関するムックなどはいくらか持っておりますが、アニメ全体の歴史や業界についてはほとんど知識がありません。そちらの方面に造詣の深い方に検証していただけるなら心強いです。
- 「経歴」に作品に対する評価などを入れると無用に文章が長くなる上編集競合が起こるのは目に見えているので「経歴」は本当に「動かしようのない歴史的事実」だけにするというのに賛成です。「富野作品クロニクル」というのは具体的にどのようなものをイメージしていらっしゃるか分からないのですが、それはこの記事に加えるに相応しいものなのでしょうか? 観客の「作品に対する評価」ならそれぞれの作品記事(項目)に入れたほうが良いとする意見もあるようなのですが。その辺りはいかがお考えでしょうか?Niki 2005年10月31日 (月) 14:31 (UTC)
- アニメ史と富野作品史は同じになりません。だから、各作品の記事とは別に、ここかその派生記事に富野だけ見てる視点の作品史記事があってもいいと思うのです。例えば、アニメ史的にはトリトンの後番組はド根性ガエルとワンサくんですし、ライディーンの後番組はマシンハヤブサとコンバトラーVです。時間的に空いてないようでも、1stガンダムの後はトライダーG7、イデオンの前はタンサー5と009で後はダグラムでしょう。で、作品記事の概要やアニメ史視点項では富野足跡ばかりに拘る訳にはいかない替わりに、OPが間に合わなかったの、ヒロインが唇が色トレスだの、富野と無関係の事が書けますし書かねばならない。富野作品総覧でなら、そういう評論上ノイズにしかならないものは入れなくてよく(そんなものこちらに書いたら各作品記事に移します、例はすでにむこうに書いておいたり誤認だったりするので消すだけですが)、イデオンの次にダイオージャなんか無視してザブングルにいけるわけです。んで、焼き直しだの二番煎じだのと好きなだけ論じておればよろしい。アニメ史では、何しろ製作会社は興行的方針として確信犯的に二番煎じな企画をいくらでも立てるのだし、作家には作風というものがあってこその起用なのですから(富野の作風はつまり「成り行きでロボット持って船に乗ったやつらがオトナの世界と運命に翻弄されて禅問答しつつ渋々戦い続け彷徨った挙句破滅する」)それ自体を批判するのは馬鹿のすることなのですが、クリエイターに着目した文芸評論としてはアリです(といっても「焼き直し」じゃなくて「進歩の形跡無し」という批判になるはずですが)。LR 2005年11月1日 (火) 09:48 (UTC)
- すみません。すでにお話について行けません。『保護』が解除されたあかつきにはLR様に丸投げしてもよろしいでしょうか?(笑) Schwarz様からもガイドライン作成にご意見を出していただけるそうなので、もうしばらく皆様のご意見の提示を待ちたいと思います。構いませんでしょうか?Niki 2005年11月1日 (火) 15:40 (UTC)
- Schwarzです。なかなか時間が都合よく取れず参加が遅れました。申し訳ありません。先ずは争点となっている箇所を私なりに整理しますと、
- 人物の「経歴」と「作品一覧」の差別化
- 「経歴」の記述内容レベルの明確化
- と考えていますが、この点は認識は合っていますでしょうか。いずれにしても、「経歴」をどうするかと言う焦点であることは間違いないと考えています。
- 恐らくどの程度の記述にすればよいかは、Wikipedia:ウィキプロジェクト 作家やWikipedia:ウィキプロジェクト 漫画家が挙げられると思います。「ウィキプロジェクト 作家」より関連する項目を引用しますと、
- 文章でも箇条書きでもどちらでも可。デビュー・受賞などを記載する。冒頭定義よりも詳しく記述する必要があるが雑記程度のものは避けるほうが好ましい。詳しく記述するエピソード等は詳細項目に詳しく記す。
- その時代の歴史的背景を知るためにも、年のリンクは、好ましいがしなくとも良い。
- 結婚・離婚など仕事以外の活動、その他社会的に話題となった、流行になったなど、本業と離れた話題も(重要ならば)書く。
- ただし、噂と事実とを区別する。噂があったという事実は(重要ならば)書いて良い。(特にスキャンダル系の話題には名誉毀損の可能性が出てくるため注意する)
- とあります。それとは別に、「ウィキプロジェクト 作家」では「評価」を記載する事を可としています。引用を中心に先ずは述べましたが、今回ここで行なおうとしていることは正直、「ウィキプロジェクト (アニメ)クリエイター」を作るようなものだと思っています。富野氏一人にこだわらず、出来れば汎化した内容として纏め上げることで、今後のアニメ関連のスタッフを記述する指標になると思っています。
- で、私の意見を述べていませんでしたので、富野氏の「経歴」についての私の見解を纏めますと、
- 過去の実績に対して受賞歴など明確な指標が少ない為、重要な作品の記載は経歴上必要。
- 経歴上の作品については、初監督、初の劇場版オリジナル監督作品など、そのポジションにおける初めての行為は重点項目、業界初の行為は最重要項目(ほとんど無いと認識していますが)、それ以外は社会現象レベルのもの以外は除外すべき。
- 評価として記載するのは作品の評価ではなく、作品を制作した制作者としての富野氏の評価。作品に対する発言の反響は有。
- と考えています。
- 出来ましたら「富野論」ではなく、富野氏を含めた「アニメーターの記事をどう書くべきか」を中心に皆様にも考えて頂ければと思います。
- Schwarz(会/歴)2005年11月2日 (水) 02:33 (UTC)
- なるほど。確かにテンプレートのようなものがあったほうが新しくアニメ関係者についての新項目が立った時にも書きやすいし、読むだけの人にとっても親切ですね。経歴に書くべきこととしてはSchwarz様のご提案通りで十分でしょう。しかし、私はWikipediaにまだ詳しくないのですが、そういうことはここだけで話し合って決めて良いことなんでしょうか? 井戸端とかそういうところで提案してより広くご意見を求めるべきことなんでしょうか? 何分経験が浅いものでそこまで行ってしまうと何をどうして良いやら分からないので、お任せしてしまってもよろしいでしょうか?
- あと、「作品史」を置いて「経歴」部分を保護するというのも良い案だと思いますが、これは多分、項目「富野由悠季」ならではのイレギュラーですよね? 例えば「機動戦士Ζガンダム」などは「富野作品中では一番好き」と言う人がいる一方で滅茶苦茶に批判する人もいるわけで、中立的な観点からすれば双方の考え方が示されるべきかと思うのですが「好きなだけ論じ」てしまうとものすごく長文になってしまう可能性が出て来るんじゃないかと思います。その辺りを抑止するルールのようなものは無くても大丈夫でしょうか?Niki 2005年11月2日 (水) 14:20 (UTC)
- 好きなだけ、というのは流石に比喩的な発言で、作品評価だっていつかは総意の元に適度な分量に収束させねばなりません。wikipediaは論評会場ではなく百科事典ですから。ただ、こちらはその為に必要な時間が経歴よりずーーーーーっと長くかかるだろう、ということで、係争中の案件を圧縮する為の措置があのアイディアです。また、他の作家は富野ほどではないかもしれませんが、基本的には経歴はすぐ収束するが作品評価はもめる、というのは誰についても同じで、宮崎駿・高畑勲・河森正治・庵野秀明など詳述しようとすればいくらでも揉めそうなヒトは他にも沢山います。
- テンプレートというとwikipediaでは違う意味になってしまい、仰りたい事はスタイルマニュアルかウィキプロジェクトですね。たしかに敷衍しようとするとここだけでは決まりませんが、素案提出に当たって「富野」で成功したスタイル、という実績があったら反対するものはいないでしょう。さし当たってここでやってみるのはありです。LR 2005年11月2日 (水) 14:58 (UTC)
- すみません。Wikipediaで使われている用語には未だに理解できていないものが多くて、つい一般的な意味合いでのテンプレートという言葉を使ってしまいました。ご教示ありがとうございます。
- さて、流れを見ますに、議論にご参加くださった方の間では「合意に達した(あとは実践するのみ)」と考えて良いように思いますが、今の段階では実際に「経歴」の書き換えを行った方の参加が得られておりません。このような状態で『保護』解除依頼を出しても良いものでしょうか? もう少し待ってみるべきなのでしょうか? また、一応のガイドラインをどこかに明文化しておくべきなのでしょうか? いつも質問ばかりで申し訳ありませんが、ご意見・ご指示をいただければと思います。Niki 2005年11月3日 (木) 14:05 (UTC)
- 方針に関しては大筋合意が取れたと思いますが、具体的な編集レベルなど、記事構成に必要な合意はまだだと思っています。このノートに新たな章を切って、プロジェクトと同レベルの内容を検討したいと思うのですがいかがでしょうか。 Schwarz(会/歴)2005年11月6日 (日) 10:17 (UTC)
- 私としては全く異存はないと申しますか、何分経験自体がないことなので主導していただければ大変ありがたいことです。ぜひお願いいたします。Niki 2005年11月6日 (日) 12:50 (UTC)
記事内容テンプレート(案)
[編集]先ずはテンプレートとなる内容を作ってみましたので、検討頂きたいと思います。元ネタは「ガイドライン作成のための議論」でも記載しましたが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 作家になります。
なお、ノートにおける見易さを重視した関係上、本来レベル2の見出しをレベル3で表記、以下1レベルずつずれて記載しています。実際には"==="の"="の数は見出しの左右一つずつ少なくなります。
序段(「目次」以前:こういう見出しは作りません)
[編集]富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、アニメーション監督、~
- ほぼ現行のまま。一応、文の体裁など見直しは必要かと思います。
経歴
[編集]- 1964年 日本大学芸術学部映画科卒業後、~
- 経歴の年にはリンクを追加した方がいいでしょう。基本、1年で複数の事項がある場合も1段落で表記でいいと思います。
- 1段落は(ブラウザの設定にもよりますが)3行程度にまとめ、それ以上長くなる場合は以下の「エピソード」の章で説明を加える方式にしたいと思います。また、作品に関することは当該作品へのリンクを張って参照してもらうのが良いかと思います。
- 経歴として記載すべき項目は、以下を初案とします。これは別途検討が必要だと思いますので、ご意見をお待ちします。
- 虫プロダクション入社
- 虫プロダクション退社、オオタキ・プロダクションへ
- オオタキ・プロダクション退社、フリーとして活動開始
- これに関しては前段落の1年後のため、文を精査して1段落で記載するのもありかもしれません。
- 結婚
- 『海のトリトン』で実質的に初のチーフ・ディレクター
- 『勇者ライディーン』の監督
- 創映社が日本サンライズとして改組・独立
- 『機動戦士ガンダム』発表
- 『聖戦士ダンバイン』における失敗作発言
- 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で初の劇場版オリジナル作品
- 『機動戦士クロスボーン・ガンダム』で初めて手ずから漫画原作に参加
- WOWOW初のオリジナルアニメ『ブレンパワード』
- ガンダム20周年記念作品として『∀ガンダム』発表
監督を務めたアニメ作品の一覧
[編集](TVシリーズ)
[編集]- 海のトリトン (1972年)
- 現行のまま。
小説著作一覧
[編集]- 機動戦士ガンダムシリーズ
- 『機動戦士ガンダム (1-3)』~
- 現行のまま。但し、数字の表記は半角にします。
その他の著作一覧
[編集]- 『イデオン・ライナーノーツ』
- 現行のまま。
作詞
[編集]以下は井荻麟名義で作詞したもの~
- 翔べ!ガンダム(『機動戦士ガンダム』オープニング)
- 現行のまま。
エピソード
[編集]~~~にまつわる話
[編集]富野は~~~~~
- エピソードに関しては1つの話(1作品分?)を節単位で纏める方向にしたいと思います。
- 作品そのものに関する話題は極力該当の作品の記事に記載する方向で、記事の重複化・冗長化を防止したいと思います。
関連項目
[編集]- 現行のまま。但し、外部リンクより先にします。
外部リンク
[編集]- 現行のまま。但し、関連項目より後にします。
上記に関して、ご意見がありましたらこの下に記載してください。(出来ましたら上記テンプレート部分は修正しないで下さい) Schwarz(会/歴)2005年11月7日 (月) 01:44 (UTC)
一覧とエピソードを分けることはつまり短いリストと長いリストを作るだけになり、容量的にむだです。それより、作品リストを箇条書きではなく章立てで作ってしまってそこが直接批評欄になるようにした方が全体が短くなります。部分的に書き出せば、つまりこうです(内容はjokeです)。
関わった作品
[編集](TVシリーズ)
[編集]- 監督、チーフディレクター。
どうだこうだ。名作。
- 監督(前期)。
なんだかんだ。不運。
超電磁ロボ コン・バトラーV(1976)
[編集]- 支援。
あーでもないこーでもない、不当人事? (中略)
- 監督、OP「翔べ!ガンダム」・ED「永遠にアムロ」・挿入歌「シャアが来る!」同「今は(中略)作詞(井荻麟名義)
何が起こるか予想がつかない。転機。
んで、エピソード欄はなし。テレビの映画の仕事は分けずに時系列順がいいかもしれませんし、作詞はそれらと離れた位置に置くとデメリットしか思い付かない(書き方は、再考の余地有り)。また、駆け出しの時分や演出やコンテで関わったなど、監督以外の仕事も記す為には、頭から職務を限定しないほうがよいし、触れたくない作品にはだれも評をつけないこともあるでしょう。私の「クロニクル」のイメージは当初からこんな感じでした。LR 2005年11月7日 (月) 11:11 (UTC)
- 「監督した作品」にしてしまうと他のアニメーターや脚本家の記事に使い回しがきかないので「関わった作品」とか「参加作品」として、どういう役目で関わったかは作品名の下に列挙という形にしたほうが便利そうですね。TVシリーズと映画版、OVAを分けるかどうかという点は分けずに時系列順のほうが良いような気がします。今は「ガンダムシリーズを見たいんだがどの順番で見たら良いのか教えてほしい」という人もいる時代なので、「富野由悠季」のキーワードでこのページにたどり着いた人なら年代順で知りたいと考えるんじゃないかなと思います。また、「関わった作品」に書き込むことは、LR様の「クロニクル」イメージとは違ってしまうかもしれませんが、エピソードに限ってはどうでしょう? つまり、「このシリーズを作成中に(富野由悠季の周囲に)このようなことがあった」という歴史的事実のみを書くようにして作品の解釈や評価はその作品記事のほうへ丸投げしてしまえば少なくともここは静かなんじゃないかと(笑)。ある作品が気に入らなかったからと言ってその作品の作り手を悪く言うのはちょっと違うと思いますし、ましてやある作品を境にこの監督は自分の期待に応えるような作品を作ってくれなくなったからと言って「これは視聴者に対する裏切りだ」とか「独善的独裁者だ」などと言うのはさらに違うと思いますので。個々の作品に分散させておけば感情や妄想の暴走を止められる(主観に走り過ぎた編集を減らせる)のではないかと思ったので一応提案してみます。Niki 2005年11月7日 (月) 14:48 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。一つ私の説明不足で誤解があったらいけませんので補足しますと、「エピソード」に関しては全ての作品に対して記載するのではなく、「富野由悠季」と言う人物を語る上で非常に重要と思われる(判断基準が難しいかもしれませんが)物を選別して記載する方向で考えていました。これに関しては「作品一覧」の補足というよりは、「経歴」に対する補足のイメージで考えています。
- LRさんの「頭から職務を限定しないほうがよいし」に関しては確かに私も同感です。ただ、富野氏の経歴から考えるとそれだけで恐ろしい記事量になりそうで恐い面もあるのが懸念材料です。場合によっては「富野由悠季が係わった作品一覧」(記事名は仮)として別記事に切り出すことも検討に値するかもしれないでしょう。作品種類の分類に関しては、纏めるとしたらNikiさんの意見に近いです。さすがにアニメ内の挿入歌であれ、別の作品である以上はジャンルとして分ける方がいいのではないかと思います。
- 今回の皆さんの意見に対する私としての合意可能な妥協点は、
- 「参加作品」においてアニメはメディアごとの分類は行なわない
- アニメに関する参加作品は監督と限定せず、実際に参加した作品を極力(判る範囲で、と言う意味で)網羅する
- になります。逆に、私としては出来れば元案の状態で扱いたいのが、
- 「参加作品」は一覧。エピソード等は一覧には記載しない。
- です。(残りの部分は検討中、とさせてください)上記に関しまして忌憚の無い意見をお待ちしています。 Schwarz(会/歴)2005年11月8日 (火) 03:46 (UTC)
- すみませんがSchwarz様が「エピソード」として書きたい記事を一つ実際に書いてみていただけませんか? 私には『「富野由悠季」と言う人物を語る上で非常に重要』でありながら「経歴」には含まれず、且つ作品とも結びつかないエピソードというものがどのようなものなのか、どうにもイメージできないものですから。具体的にこんな感じというのが理解できれば意見も出せると思いますので。Niki 2005年11月9日 (水) 12:54 (UTC)
(一旦インデント戻します)そうですね、Nikiさんが仰るとおり、具体例がないとわかりづらいところかもしれません。ただ、私の説明が拙かったのか誤解されている気がしますので補足しますと、エピソードは「経歴」に含んだこと、「作品」に関連したことでも構わないと思っています。やはりどうしても「富野由悠季」と言う人はクリエイタとして百科事典に記載しているので、作品やそのクリエイタとしての経歴を中心に語らざるを得ないと思っています。その上で、作品の詳しい解説(世間の評価を含む)は各作品で行なうという点と、経歴(と言うか略歴、になると思いますが)は簡潔に一目で解るようにするを主眼に提案しています。その為のエピソードと理解して頂ければと思います。(もちろん、不要論もあると思いますのでそこは論議で、と考えています)では、以下にエピソードとしてのサンプルを記載します。
失敗作宣言
[編集]略歴の項で触れたが、富野は『聖戦士ダンバイン』において最終話放映前の段階で、大胆にも当作品が失敗作であったと宣言した。富野の「失敗作宣言」は『ダンバイン』だけにとどまらず、その後の作品においても行なわれることがあった。
その後の作品においては視聴者側も「ああ、トミノがまた何か言ってる」と冷静に受け取ることが多くなるが、『ダンバイン』においては初めての「失敗作宣言」であり、かつその宣言自体も思い切りよくかつ明るい口調で行なわれたため、視聴者をバカにするな」「失敗作だと言えば許されると思っているのか」等と激昂する視聴者が続出した。
富野としては監督した作品に対し監督した自らが総括して公表することは、スポンサー、参加スタッフ、そして最後まで視聴してくれたファンに対する責任と義務だと考えているようである。しかし、これまでのアニメ誌での記事や出演したテレビ番組でのコメントなどで歯に衣着せぬ、受取りようによっては傲慢とも思える富野の発言を直接あるいは間接的に知っていた視聴者には、視聴者に受け容れられにくい作品であっても失敗作と宣言することで納得させようとする責任逃れの言い訳であると感じた人も少なくなかった。
結局のところ、わざわざ自らの監督作品を出来・不出来と評価して視聴者の批判を浴びる姿を「愚直」と見るか、「作品を私物化して傲慢」と見るか、「独りよがりの目立ちたがり」と見るか。それは受け取る側が富野由悠季という人物をどう見なしたがっているかで決まる事であろう。
こんな感じで考えています。先頭で「概略の項で触れたが」と記載してあるのは『ダンバイン』に関して概略で一文「失敗作宣言」をしたことを記載する事を前提に考えています。と言っても説明だけだとわかりづらいのでこちらもサンプルを。
- 1983年 - 『聖戦士ダンバイン』原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの作詞。バイストン・ウェルと言う独自の世界観を背景に大河小説的手法で人物群像を描く。バイストン・ウェルの世界は後に小説などアナザーストーリーを展開し、富野のライフワーク的世界観になるが、本作品では富野自ら失敗作であったと宣言したことが物議をかもすこととなる。
サンプルとしてはこんな感じになります。
それと、今回のNikiさんのご意見とは別になりますが、小説などの連続物で、完結したものに関しては「(1-3)」ではなく「(全3巻)」と言う表記が一般的かと思うのですがいかがでしょうか。
ご意見お待ちしています。 Schwarz(会/歴)2005年11月10日 (木) 01:58 (UTC)
- うーん、元の文章を提供した人間の言うべきことではないかもしれませんが議論を呼びそうな文章ですね。(笑) 『ダンバイン』が初めての「失敗作宣言」のなされた作品であったかどうかについては私は正確な資料を持ちませんが、それは取りあえず置いておいても、過去に似たような文章を書いたところたびたび書き換えが行われていますから、もしこのまま記事にすればおそらくまた書き換えられるでしょうね。
- 例えば、「監督した作品に対し監督した自らが総括して公表することは、スポンサー、参加スタッフ、そして最後まで視聴してくれたファンに対する責任と義務だと考えている」というのは、このままの言葉ではありませんが著作『だから僕は…』にそれらしい趣旨の文章があったんじゃないかと思います。しかし、いわゆる「アンチ」と呼ばれる、富野氏に対して否定的な感情の持ち主はその発言自体を「嘘だ。言い訳だ」と考えるわけです。するともうこれを否定する文章でなければ許容できなくなって書き換えを行ってしまう。今までずっとこのパターンです。ならば、たとえ親切ではなくなっても、書き換えたくなるような文章は始めから載せないというのも一つの選択肢ではないかと思います。
- 『失敗作』発言
- 富野は著作『・・・』で「・・・・・」と述べており、実際に作品公開後のインタビューなどで自身の感想を率直に語ろうとするが、その中でしばしば『失敗作』という言葉を使うためファンの間に物議を醸す原因となっている。
- 程度の記載で十分なのではないでしょうか?
- 小説などの連続物で、完結したものに関しては「(1−3)」ではなく「(全3巻)」と言う表記が一般的なのでは、という点に関してはまったくその通りだと思います。Niki 2005年11月10日 (木) 15:16 (UTC)
ここでは記事の体裁を議論しているのだという事をお忘れなく。さて「エピソード」のイメージと必要性を理解しました。が、リストは単なるリストであって欲しいという要望に関してはもう少しごねさせて下さい。
- まず、そんなものがあるなら、経歴のなかに作品名が登場する必要はありません。無意味な重複情報だから要らない、と言う意味です。上の例で言えば、入退社と組織改変と結婚以外は要りません。
- また、個別作品記事が作家批判によって振り回されるのは御免蒙りたい。ここしか見てない分には厄介な議論を追い出せて結構なのかもしれませんが、私としてはまとめてクリエイター記事に引き受けて欲しい。各作品に散らしたら一度で済む説明を作品数だけしなければならないことも起こりますし(たとえば「(後に)○○で名を馳せ(る・た)××」とか「前作××で○○した△△」っていちいち言わねばならんのですよ)全体の見通し悪くなって書く方が大変です(書く気ですから)。
- しかも、複数の作品記事でそれぞれ連動した編集合戦が一度に起こったら、いくつ保護して何処で調整すればいいのですか。被害を最小限にするのがそもそもの目的でしょう。ですから、この点(作品製作順作家批評はこっちに書かせろ)は譲れません。
- さらに、人気クリエイターが終結した豪華スタッフ作品など、それぞれの批評が振られてきたら(作品批評と作家批評は別ものですから)作品そのものがそっちのけにすらなりかねない。
- だから、作家批評は一箇所にまとめて存在させるべきです。そしてそれはどうしても製作順を追った記述になるしかない。するとやはりそこに自動的に年代順作品リストを内蔵した記事が発生します。つまり現在の経歴記事と全く同じ体裁のものが出来てしまう訳です。そうなると、ただのリストはもはや場所塞ぎなだけの無用の重複記事です。だから、最初から合成しておけ、そうすれば批評の長文感も薄れてメリハリもつく、というわけです。LR 2005年11月10日 (木) 16:34 (UTC)
- すみません。体裁もさることながら書く内容もある程度規定を設けたほうが良いかと思ったものですから一つの指針として提案してみました。体裁が確率してからでないと意味がないということでしたらまったくその通りです。失礼しました。
- 1について。これには反対します。「初めて監督を務めた」とか「初めての劇場版オリジナル」等はあったほうが「経歴」のあり方として自然かと思います。「■『機動戦士ガンダム』発表■『聖戦士ダンバイン』における失敗作発言」辺りの条項はいらないと言うのであれば確かにいらないかもしれませんが、富野由悠季の「経歴」に『機動戦士ガンダム』の記載がないことを奇異に感じる人はいるかもしれません。このページに来た人がすべての記事を読んでくれるものと考えずに、「経歴」だけ見て帰る人もいるかもしれないと考えてみていただけませんか?
- 2について。ここであれ作品ページであれ「作品記事を作家批判によって振り回さ」せてはいけないでしょう。作品に対する不満を作家批判にすり替えるのは根本的に間違っています。ましてやWikipediaは百科事典ですから(世の評価はどうであったかくらいのことはともかくも)個人の評論・論文は必要ではありません。「(後に)○○で名を馳せ(る・た)××」「前作××で○○した△△」が具体的にどのような文章になるのか分かりませんが、「経歴」「エピソード」項目を設けるなら「関わった作品一覧」は削らなきゃいけないと言ったものでもないと思います。
- 3について。「関わった作品一覧(作品制作順)」はあって良いと思います。と言うよりあったほうが便利でしょう。また、作家の人となり、世間の評判みたいなものもこちらに書かざるを得ないでしょう。それが「エピソード」欄で収まるのか、また別の項目として書くべきなのかは議論の余地があると思っていますが。
- 4について。作家に対する評価まで作品ページに振るつもりはありません。作品の解説や評価は作品ページでやって、こちらと重複することのないようにしたいとは思っていますけれど。しかし、作品の評価を作品ページで書く以上は、作家評を切り離したとしても、編集合戦が起こる可能性はやはりあると思います。例えば前にもどこかで書いた覚えがありますが『機動戦士Zガンダム』などは「富野作品中で一番好き」な人もいれば「暗くてわけ分からなくて嫌い」な人もいるわけですから。
- 5について。「作家批評がどうしても製作順を追った記述になるしかない」というのがどういうことなのか、分かりかねます。一作ごとに作家評をやり直すんですか? 「経歴」を人生の転機になったかもしれないことに限れば「年代順作品リスト」と「経歴」が全く同じ体裁のものになってしまうことはないと思われますが? ひょっとして「年代順作品リスト」に何か私の想像が追いつかないようなことを期待していらっしゃるんでしょうか? 一度ジョークでなしに具体的な表記をしてみていただけませんか?Niki 2005年11月10日 (木) 20:26 (UTC)
現在の争点の再整理(1)作品リスト
[編集]文章が長くなり、追いづらくなりましたので一旦節を分けさせて頂きます。
経歴、と言うよりは作品リストの取り扱いについて、現状意見が割れている、と考えていますので、恐らくここが合意できれば、他は枝葉の部分だと思いますので、この点を集中的に扱う項とさせてください。
今のところの認識としまして、LRさんの案と、私の案が作品リストに対して大きく食い違っていると思います。具体的に書きますと、
- LRさんの案
- 作品リストにおいて、作品の概要、制作者としての富野氏の言動、世間の反応も記載。
- 経歴は作品事象にまつわらない、富野氏の身辺事象を記載する場所としての存在(であれば容認。でしょうか)。
- エピソードは独立させず、全て作品リストに包括する。
- Schwarzの案
- 作品リストは純粋なリスト。作品名と発表(放映・発売)年、役割のみを記載。
- 経歴は富野氏の重要系譜的位置づけ。
- エピソードは富野氏の特徴的なことを重点記載させる場所として存在。
となっていると思います。
Nikiさんの案が申し訳ないですが今のところは明確には理解できておりません。上記の2案と少しでもずれがあると思いましたら、この直下に記載して頂ければと思います。 Schwarz(会/歴)2005年11月11日 (金) 01:54 (UTC)
- Niki案
- ○作品リストは作品名・発表年・参加した役割。他に特筆すべきエピソード(作品の位置づけなど。例:劇場版『機動戦士ガンダム』の項に「TVシリーズの『機動戦士ガンダム』が三部からなる総集編にまとめられて劇場公開された。その第一部。」)があれば加えても可。作品概要や批評は不要。
- ○経歴は生年・最終学歴(無くても可)・就職先(していた仕事)・移籍先・初めての監督作品・代表作の発表年(一つか二つで可)・何か賞を受賞している時は受賞年と受賞作品名、程度のもの。
- ○「富野由悠季」にまつわる特筆項目があるなら別項として記載することも考えて良い。(例えば『アニメ新世紀宣言』についてちょっと触れておきたい、ということはあり得る。)
といったところでしょうか。Niki 2005年11月11日 (金) 14:21 (UTC)
具体的検討
[編集]案、に関しては上記の通りですので、ここからは案のすり合わせ(と言っても現状はかなり乖離がありますが)を続けて行きたいと思います。
蛇足かもしれませんし、私などが言うのもおこがましいのだと思いますが、いい記事を作り上げようと言う想いは同じで、今はその方法論が異なっているだけだと思っていますので、引き続きお互いに冷静で理性ある論議を続けていければと思います。よろしくお願いします。 Schwarz(会/歴)2005年11月11日 (金) 01:54 (UTC)
いや、もう少しは近いところにいますよ? フォーマットを拝借すると、現時点ではこんな感じです。
- LR案(051111)
- 作品リストにおいて、制作者としての富野氏の言動とそれに纏わる世間の反応、それらを総括した批評も記載。リストは頭から読んでいる前提可。
- 作品の概要および作品において富野氏の業績ではない部分の評価は、別途担当者記事若しくは作品別記事に記載。
- 経歴は作品事象にまつわらない、富野氏の身辺事象や賞罰を記載する場所として存在。
- 期間を跨り作品別に分割するにふさわしくないエピソード・顛末記などがあれば、別途項を設けるもよし。ただし、どの道作品に纏わる発言から起きた事件なら、発祥の作品と、収まった作品の項に書くのが望ましい。
富野の経歴にガンダムがないのは(河森の経歴にマクロスがないのは、押井の経歴にうる星がないのは)、おかしいという議論は、逆に経歴に作品に関する記載が一切なければ、それについてどこかに別途記載が必ずあるはずだ、と誰でもわかります。逆にこれは重要だから載せよう、これはいらない、とかはじめると、その判断をめぐって揉め事が起きます。そして、ずぶの素人さんに必要、ということなら経歴まで引っ張ること自体が不親切で、最初の定義文に作品3っつまで載せてよい、など、もっと早い記載順での対処が望ましいでしょう(ここで大揉めするのは見えてますので、初めから記載上限数を決めるのです。まあ、富野ならガンダムシリーズとブレンは決まり、イデオンとダンバインで揉めるかな、でしょうが、揉めるぐらいなら両方却下で定数割れにしとけ、というルールもありかもしれません)。LR 2005年11月11日 (金) 04:06 (UTC)
- 確かに「どれが代表作だ?」ということは起こりえますね(笑)。だからリストを見てくれと言うのであればそれは了解しますが、それならなおのことリストはすっきりしていてほしい気がします。「富野氏の言動とそれに纏わる世間の反応、それらを総括した批評も記載」してなお且つ読みやすいリストは実現可能ですか? 富野氏の言動が物議をかもすのは毎度のことなので別項仕立てにしちゃマズいでしょうか?Niki 2005年11月11日 (金) 14:38 (UTC)
wikipediaには目次という機能がございまして、そこに自動的にリストが出来て、定義文のすぐ下に表示されてしまうのです。マニュアルで切ってたりすると別ですけど。読み飛ばしたければ、大抵の環境で、見出しは本文とはっきり区別されたレンダリングになるはずだと思います(新聞の読み方と同じです)。どうしても別立てにしたきゃしてもいい、というルールで結構ですが、これ、他のもっと揉めないヒトのフォーマットにも使うんですよね。必要ないクリエイターさんのほうが多いと思います。LR 2005年11月11日 (金) 16:12 (UTC)
- 色々意見を伺った上で、代案と言いますか、この辺なら妥協できるかな、と言う案を考えてみました。
- 経歴 - 転機となる事象を、事象のみ記載。移籍、初担当、など。受賞歴があればここで。事象のみ、なので経歴には1'stガンダムもイデオンもダンバインも記載なし。
- 作品リスト - 全参加作品の年代順一覧と作品に対する役職。制作者としての富野氏の言動。
- エピソード - なし(暫定的に)
- まずは極力シンプルに、と考えて、その上でLRさんの案である作品リストに作品の概要等を含めると言う方向で考えてみました。「代表作」は定義文近くに記載されていると思いますのでこの際経歴からも除外、作品そのものに対する批評だけでなく、富野氏に対する批評も中立的観点を配慮して除外(項目を作成しないことで後々個人的批評を書き込もうとする人が現れることを防止)、で考えています。 Schwarz(会/歴)2005年11月12日 (土) 02:14 (UTC)
- 【目次】の利用は考えていませんでした。ノートや会話ページでは便利に使わせてもらっているんですが、記事は頭から順に読むのが礼儀かと思っていました。長い【目次】を飛ばすために【目次】を利用したことはあるんですが。(笑)
- そうですね。初っ端からあれもこれもと欲張るよりは可能な限りシンプルに、編集競合が起こりそうな批評・評論の類いは入れない方向で進められれば良いと思います。文学の世界でも存命の作家の評価を定めるのは困難とされていますし、まして漫画やアニメに関する評論というのはその立場さえ未だに確立されていない状態ですから。Niki 2005年11月12日 (土) 13:26 (UTC)
LR様、ご意見ございませんか? これでもう保護解除依頼を出してしまってもよろしいでしょうか? また、保護解除なりましたら記事の書き直しをLR様にお任せしても構いませんでしょうか? まだ詰めておきたい点などおありでしたら発言をお願いいたします。Niki 2005年11月15日 (火) 13:46 (UTC)
- まあ、そう性急にならなくても良いかと思いますよ。お忙しかったりすることもあると思いますので、1週間くらいは時間をおきましょう。別の方の意見も出てくるかもしれませんし。
- それに、作品リストにはもう1点、「全種別の作品を一本化」するか、「ジャンル別に分割」するか、この点が明確な合意には達して無いと認識しています。この点は上記が解決してから決めようと思いますので、一応認識だけしていただければと思います。 Schwarz(会/歴)2005年11月16日 (水) 04:23 (UTC)
- 私自身が別記事創造論で「冷却」を要していたものですから、数日wiki活動を控えていました。むしろ恐縮するぐらい私の意を汲んでいただいている素案になっており、これ以上意見するのもどうかと思うほどですが、ジャンル分割については、TVアニメと劇場映画を一まとめ、作詞はいずれかの仕事の付帯作業扱い(それ以外の作詞業はなさってないでしょう)、小説・漫画原作を一まとめに別項、でどうでしょう。LR 2005年11月17日 (木) 01:56 (UTC)
話はそれるのですが、「記事の履歴を保護する」と言う意図についてですが、少しこのノートを手直ししてみました。このノートを編集中にして頂いて、「記事内容テンプレート(案)」の箇所をご覧頂けますでしょうか。こういう手段もある、と言う一例に過ぎませんが、特に雑多な編集をかけられたりする可能性がある箇所には、他の履歴に影響しないと言う点で有効かもしれません。 Schwarz(会/歴)2005年11月16日 (水) 05:39 (UTC)
- おっと・・・Wikipedia:サブページをよく読んでなかった・・・記事名前空間にこの手法は禁止でしたね。 Schwarz(会/歴)2005年11月16日 (水) 09:27 (UTC)
- すみません。作詞リストへの書き込みをお待ちいただいていると思うとつい気が急いてしまって。保護をかける部分を限定できればこんな心配をする必要もないんですけどね。もちろん記事をより良いものにするための熟慮、試行錯誤は尊重いたします。Niki 2005年11月16日 (水) 13:21 (UTC)
皆様ご確認ありがとうございます。では、「作品リスト」と「経歴」の分担に関しては上記で明確になったと思いますので、この説は一旦クローズしたいと思います。 Schwarz(会/歴)2005年11月17日 (木) 03:18 (UTC)
現在の争点の再整理(2)作品リストの分類レベル
[編集]争点のレベルが変わりましたので再び節を分けます。
先ずはどういう分類の作品があるか、と言うのを並べてみたいと思います。
- アニメーション
- TVアニメ・劇場版アニメ・OVA・その他(ネット配信等)アニメ
- 文筆
- 小説・漫画原作・随筆、ドキュメンタリー
- その他
- 作詞
と言う認識でいますが、これ以外に考えられますでしょうか。
現時点の私の案は「同一表現形態のものはひとまとめ」と考えています。その為、
- アニメーション(TV、劇場版、OVA、その他含む)
- 小説
- 漫画原作
- 随筆、ドキュメンタリー
- 作詞
と考えていました。作詞に関してはアニメに付随するものだけと確認できればアニメに含めても構わないのかも知れませんが、作詞リストについての『ハッシャ・バイ』のような「声優のアルバムなどへの提供曲」が(『ハッシャ・バイ』は結果として使用されましたが)アニメに使用されない状況で存在していた場合の扱いを懸念しています。
確認になりますが、LRさんの現在の案は
- アニメーション(TV、劇場版、OVA、その他含む)
- 作詞は各アニメに含める
- 小説、漫画原作
- 随筆、ドキュメンタリーもここ、でしょうか?
で合ってますでしょうか。 Schwarz(会/歴)2005年11月17日 (木) 03:16 (UTC)
- ドキュメンタリー、というのは自伝や回想録の類ですね? ならおっしゃるとおりです。「ハッシャ・バイ」は、「オリジナルショートオーディオドラマ作品の挿入歌」と解すべきもので、「声優のアルバム」という括りが不適切、つまり、鈴置氏のアルバムそのものが富野作品一覧に載るべきかと思います。そして、この「ドラマCD」というジャンルを失念していたことは白状しますW。これは、アニメ作品の「関連」なのか「派生オリジナル」なのか分けて、後者のみ小説のジャンルにいれる、というのでどうですか。つまり私の案は「アニメと文筆」の分離ではなく「アニメとそれ以外」あるいは「プロダクション作業と個人創作活動」です。LR 2005年11月17日 (木) 04:51 (UTC)
- 「プロダクション作業と個人創作活動」という区分は悪くないように思いますが、「ドラマCDの派生オリジナル」を「個人創作活動」に入れて良いものかどうかは微妙になりそうですね。「ドラマCD」には興味がなかったので分からないのですが数は多いのでしょうか? 「オリジナルのオーディオドラマ」ってものは存在しますか? もし「アニメ作品の派生オリジナル」しか存在しないのであれば「作詞」同様「アニメ」に含めてしまったほうが見やすいかもしれませんね。
- あと、「富野全仕事」とか「富野語録」といった富野氏に関する著作だけれど富野氏本人の手によるものでない著作は無視しますか?Niki 2005年11月17日 (木) 14:51 (UTC)
- Nikiさんのコメントに対し簡単に。「富野氏に関する著作」は記載するとしたら「関連書籍」とするか、若しくは書籍に対する著者を明記するかのどちらかでいいのではないでしょうか。個人的には前者を推します。 Schwarz(会/歴)2005年11月18日 (金) 02:41 (UTC)
- 他者による「富野論」は当然に富野氏の仕事ではなく、重要参考文献でしょう。ドラマCDは、このメディアミックス時代、馬鹿にならん量があります(富野氏の仕事は多くはないと思いますが)。ラジオ先行とか「オリジナルなドラマCD」も、あります。後に映像作品が作られて辻妻があべこべになるようなものも含めて。「派生」の概念は個々の事例を揉むことになると思いますが、例えば小説の波嵐万丈シリーズはもうこれぜんぜんダイターン3じゃないですから別個に扱わねばならず、その小説世界の外伝ドラマCDなんてものが現れる可能性は大いにあり得たことです。アニメに登場しないオリジナルキャラが歌う「ハッシャ・バイ」の例も、すでにダイターンの枠に入れていいのかどうか議論を要するでしょう。LR 2005年11月18日 (金) 04:06 (UTC)
- では『他者の手による「富野本」は「関連書籍」として記載』で問題ないですね。「ドラマCD」のほうは原案なのか脚本そのものを手がけているのか、といった区別はつけられるんでしょうか?(同梱の小冊子にスタッフリストがある?) 声優さんのアドリブが入っていないかとか、監督・監修者が別にいないかとか、実物を見ていないのでまだちょっと心配しています。それと今日になって思い出したのですが、確か『ガイア・ギア』って小説は一度ラジオドラマになっていませんでしたか? 監督や脚本は誰だったのでしょう? あれはその後CD発売されたのでしょうか? 「派生」の概念は少し厄介なことになりそうですね。Niki 2005年11月18日 (金) 14:50 (UTC)
- 私の応答を待たれているのではありませんよね? ガイア・ギアについてはそれこそ動き出せば熱心な方が調べてくださると思いますので、ここではよく分からないものがある、と覚えるに止めていいでしょう。また、ドラマCDでの役割は、それこそアニメでもポジションをその都度特記する形で載せるんですから、同様に「原案」「監修」「構成」とか関わっていればなんでもよく、解らなければタイトルだけ載せ、勘違いであれば訂正し、関わってなければ抹消(どうやっても「原作」が残るが、これは無視しないと全ての同人誌を掲載する羽目に)すればよいと思いますよ。たとえ監督作品の関連メディアでもサントラや原画集へ賛辞、なんてのは普通載せませんよね? そういうのは個別作品の関連商品欄に載って作曲家やアニメーターにリンクが飛ぶわけで。LR 2005年11月21日 (月) 00:41 (UTC)
- 私としても「派生か、派生じゃないか」と言う点で論議になりそうな事を懸念します。特に小説に関しては『機動戦士ガンダム(全3巻)』は当然アニメの付随物、では「バイストン・ウェル」のシリーズは『聖戦士ダンバイン』の派生か否か、と言うことになり、結局はそれぞれを個々に判断する必要が出てきそうです。指標を作成している場合、既に例外的な扱いが判っていると言うのは好ましくない気がします。 Schwarz(会/歴)2005年11月21日 (月) 01:17 (UTC)
- すみません、何を心配なさっているのか今一つ伝わってきていないのですが。Zガンダムは1stの「派生」、にNoを返す人は少ないでしょうが、かといってZガンダムを別作品扱いする事に反対する人は皆無でしょう。ですから、私はそれほど心配していません。バイストンウェル系でも、ダンバインとリーンは別、オーラバトラー戦記もセルフカバーの翻案小説、と大抵のものはあっさりケリがつくでしょう。独立の基準が必要なら「キャラと世界と時間が共通か否か」ではないかと。バイストンウエル小説はキャラが違い、探偵波嵐万丈は世界が違い、Zガンダムは時間が違います。「ハッシャバイ」も時間が違うんですよね?LR 2005年11月21日 (月) 04:10 (UTC)
- 分かりました。述べておきたいことは一通り述べましたので、私としてはこの件に関して終わりにしたいと思います。後の部分に関しては、LRさんとNikiさんでは誤差程度の違いだと思っていますので、お二人に細部の決定をお任せします。 Schwarz(会/歴)2005年11月21日 (月) 05:38 (UTC)
- そうですね。確かに考え過ぎてもうまく行かないかもしれませんね。では取りあえず動き出してみますか? 基本となる記事をLR様にお願いしてもよろしいでしょうか? 私は前に一度失敗していますし、LR様のほうがより具体的なイメージをお持ちだと思いますので。その上で疑問や問題が出て来るようなら改めてこちらで話し合いの場を持つということでよろしいでしょうか?Niki 2005年11月21日 (月) 15:10 (UTC)
- はい、任されました。では編集可能になり次第、現在の記事内容を削減しないように以上の方針に従って徐々に再配置し、しかる後に記述の一部を各個作品記事に移動します(中途にもリバートできるように段階を踏みます)。LR 2005年11月21日 (月) 15:22 (UTC)
スタイル改稿後の方針修正など
[編集]まず、概ね上記方針に従い「再配置」、その際に体裁のつかない項を若干補筆しました。アニメと書籍では使っているマークアップが違います。これは議論が終結してから思いついたもので、目次に小説各巻のタイトルが並んでも誰も嬉しくないだろうという事から、データリスト形式にしたものです。ドラマCDの類は素材が出揃わないので、どなたかナカミを出してくだされば、統一スタイルらしきものには致します。
次の仕事は、作品評から富野氏の評価でないものを各々の作品記事のほうに移すことで(その際はまた「工事中」を掲げて作業します)、ここまでが体裁改変請負の仕事だろうと自認しています。で、その次に、それ以後は1ウィキペディアンとして、POVの排除と中和にあたります。ここまでの作業で、「話が、イメージが、約束が違う」という点がございましたら、ご意見ください。2005年12月1日 (木) 03:53 (UTC) --以上の署名のないコメントは、LR(会話・投稿記録)さんが 2005年12月1日 (木) 03:53 (UTC) に投稿したものです(Kitimi(会話)による付記)。
- LRさん、再配置及び補筆お疲れ様でした。かなり見やすい記事になったと思います。
- 今後の作業の方針に関しては、LRさんが上記で書かれている内容で問題ないと認識しています。冨野氏評価以外の移動など、手伝えるものであれば作業時間はかなり短縮できるとは思うのですが、複数の観点で作業を行なうとレベルの差が出てしまう事を憂慮しますので、お手数ですがお任せしたいと思っています。
- あと、ドラマCDの件は私の方では現状確認できる資料が見当たらない状況で、お手伝いできず申し訳なく思っています。 Schwarz(会/歴)2005年12月1日 (木) 05:04 (UTC)
- LR様 再配置作業お疲れさまでした。早速ですが序段の部分、少し書き換えさせていただきました。もうずっと気がかりでしたので。(笑) 作品評の部分にもまだ明らかな間違いがありますが、こちらは取りあえずLR様の作業が終了するまで私は手を出さないことにします。多分わかっていらっしゃると思いますので。
- ドラマCDに関しては私も力になれません。Seeds様辺りに声だけはかけてみます。(Seeds様はガンダムのファンと言うより鈴置氏のファンなのかもしれませんが。)
- それでは残りの部分もよろしくお願いいたします。Niki 2005年12月1日 (木) 13:49 (UTC)
- 作品評の誤り、私は気づけませんでした。ザブングルからの後ろの評論は比較的富野中心になっているので、本日あからさまなPOVだけ削ってそのままにしてあります。で、実は最初の二日でするべきことはおおむね終わらせたつもりになっていましたが、完了宣言を出さないばかりに執筆を遠慮していた方々が「他にも」いらっしゃいましたら申し訳ありませんでした。どうぞご参加ください。私も引き続き一アニヲタとして参加し続けます。LR 2005年12月22日 (木) 15:47 (UTC)
- お声を掛けていただいていましたのにお返事せずにすいませんでした。……私の所蔵していましたドラマCDが実家の引っ越し後行方がわからないので、正確なデータが提供できなく申し訳ありません。とりあえず、解る部分だけ追加しておきます。あと、『銀色ドレス』(Zガンダム挿入歌)も、TVシリーズ放映時に既に挿入歌として存在しましたので、移動しておきます。よろしくお願いします。Seeds 2006年2月13日 (月) 08:25 (UTC)
ノート再編提案
[編集]前回の保護解除後のLRさんによる全面再構成に向けた論議を行ないました結果、基本合意事項が出来上がったのは良かったのですが、ノートが非常に長くて煩雑になってきています。その為、合意事項による富野由悠季編集方針をノート先頭に持ってきて、過去の論議をサブページに移したいと思います。これから合意事項と思われる内容を列挙して行きたいと思いますので、不足分、認識違いがありましたらご指摘頂ければと思います。Schwarz (会/歴) 2005年12月26日 (月) 00:48 (UTC)
加筆がすっかり遅くなりまして申し訳ありません。現時点では論議は終了していますので、認識違いがありましたらガイドライン作成のための論議を参考に下記を記載変更して行ってください。
- 経歴に関して
- 富野氏本人の転機となる事象を事象のみ記載。移籍、初担当、など。受賞歴があればここで記載します。
- 上記に該当しない作品は、アニメ界に劇的な変化をもたらした作品でも経歴には記載しないこととします。
- 個別の解説において触れるか、該当作品の記事に記載するべきでしょう。
- 作品リストの構成
作品リストは、以下の分類により構成することとします。
- アニメーション(TV、劇場版、OVA、その他含む)
- アニメ附随の作詞は作品の中で補記。
- 小説
- 自伝・回顧録
- 漫画原作、派生オリジナルのドラマCD等その他作品
- 現在は未記載(2006年1月11日 (水) 05:02 (UTC)時点)
- 作品に対する解説内容
- 事実及び富野氏本人並びに周辺の事象を中心に、なるべく簡潔に記載します。
- 作品そのものの世間的評価は作品の記事へ。
- 憶測、類推の類は消去の可能性がありますのでご注意ください。Schwarz (会/歴) 2006年1月11日 (水) 05:02 (UTC)
雑談
[編集]カテゴリーにするには少し大仰でも 記事を書くには必要な雑多な話はこちらに。 愛称なんだけど 敬愛の念でキチガイ富野って言う人もいたりする。 ファンで好きなんだけどそう呼ぶらしい。 何故そう呼ぶかはよく分からないけど。--以上の署名のないコメントは、221.171.131.132(会話/Whois)さんが 2006年3月4日 (土) 23:11 (UTC) に投稿したものです。
220.97.69.240氏へご連絡
[編集]先ほど各作品に対するご意見を記事内にコメントアウトの形式で記載されておりますが、記事に対する内容の論議は本ノートで行う事になっております。
記事内にコメントアウトでコメントを挿入する事は成形上の問題が置きやすく、また本文でない為非常に見づらく、あまり好ましい方法ではありません。
ご意見に関してこのノートを利用して論議し、記事をよりよいものにすると言うのは非常に好ましい事ですので、お手数ですがこちらのノートでご意見をお願いします。 Schwarz (会/歴) 2006年4月10日 (月) 06:43 (UTC)
「エピソード」のコメントアウトについて
[編集]4月11日に書き加えられた「エピソード」を一時的にコメントアウトしました。理由は「記事に書き加える価値があるように思えない」ためです。もちろんこれは私の個人的感想なので、そう思われない方もいらっしゃるかと思います。必要だと思われる方はぜひご意見をお願いいたします。Niki 2006年4月23日 (日) 13:15 (UTC)
「禿」について
[編集]一部のファンが富野監督を指す言葉として禿という表現を使うのは事実であり、実用的な側面としてガンダムのファンサイトなどでの会話を理解するために「禿=富野監督」という認識を持っておくことはプラスになると思います。同様に「御大」という呼び方も知っていた方が便利です。そこで
- ファンが尊敬を込めて「御大」、愛情や親しみを込めて「禿」「ハゲ」と呼ぶ場合がある。
などの表現で復活させてはどうでしょうか。ファンの中に禿という言葉を悪いニュアンスで使ってる人がほとんどいないのもまた事実ですので。(荒らし等が悪意を持って使う場合も稀にはありますが)Bit 2006年7月9日 (日) 15:13 (UTC)
- 私も、細心の配慮の上で記載しておいたほうがいい情報だと思いますね、「禿」は(宮崎の「髭」も同様)。「御大」は、まあほっといても敬称ですから問題ないでしょうが、これが富野を指すのはガンダム話してる時だけでしょうから、これも記述に工夫が必要です。宇宙戦艦ヤマトの話してる時に出てくる「御大」は松本零士ですし。(宮崎は実はコアアニメファンの心象があまりよくなくて、ほとんど「御大」と呼ばれない。)LR 2006年7月10日 (月) 07:31 (UTC)
- 同意見です。そこで推敲して見たのですが、
一部の富野ファンは、(蔑称ではなく)尊敬を込めて「御大」、さらにその外見から愛情や親しみを込めて「禿」や「ハゲ」、双方の意味合いとして「禿御大」と呼ぶ場合がある。
- としてみたのですが、いかがでしょうか。ただ、こう呼ぶ時に割合的にはガンダムの話が多いのは確かですが、意外とそのほかの話題でも出てくるので、工夫がいりますね--Mercurius 2006年7月25日 (火) 16:44 (UTC)
- 「ハゲ」というのは、「めくら」とか「ビッコ」だとかいったあからさまな差別用語ではないので、割と気楽に使われがちですが、本人にとっては非常に深刻な場合もあり、Wikipediaのような公共の場で「(愛情がこもっていればいいじゃないかと)推奨した」と受け取られかねない記述をするのは避けるべきであるように思います。
- 表立って大っぴらにではなく、気の置けない仲間内で話す時だけこっそりと、というのは理解できないことではないのですが、お行儀の良いことではありませんね。本人の前で言えないことは、やはり「陰口」だと思いますがいかがでしょうか?Niki 2006年7月26日 (水) 18:14 (UTC)
- としてみたのですが、いかがでしょうか。ただ、こう呼ぶ時に割合的にはガンダムの話が多いのは確かですが、意外とそのほかの話題でも出てくるので、工夫がいりますね--Mercurius 2006年7月25日 (火) 16:44 (UTC)
- 「一部の富野ファンは」「と呼ぶ場合がある」という単なる事実の羅列、それも誤解を招きづらいように配慮した文章を、「推奨と受け取る人がいるかもしれない」という考えは私には到底理解の及ばないものですが、そうだとしても
- (ただし、このような呼び方をWikipediaが推奨するものではない)
- とでも書き加えておけば済む話なのではないでしょうか。陰口だろうが行儀が悪いことだろうがそう呼ぶ人がいるのは事実であり、その行儀の悪い呼び方を知っている(自ら使うかどうかとは全く関係ない)方がインターネットでの情報収集に役立つのも事実なのですから。Bit 2006年9月3日 (日) 15:44 (UTC)
- Bitさん、私はこのノート、【「禿」について】の項目において、【愛情や親しみを込めて「禿」「ハゲ」と呼ぶ場合がある】との表記が良いんじゃないか?という話になっているようなので、それでは誤解を招きませんか?というつもりで意見を書き込んだのですが。それに、【インターネットでの情報収集に役立つ】とおっしゃいますが、それは本当ですか? 「禿」のキーワードで検索をかけるんですか? カツラ屋の宣伝ばかり出て来ませんか? 「ガンダム」とか、他のキーワードと合わせて検索すればそれなりのものが出て来るでしょうが、それも2ちゃんねるとか特定のブログに偏りませんか? 私は「悪意なき人」の役には立ちそうもないと思うのですが。私は、どうせ書くなら、【富野は50代の頃、「半端に禿げるのは嫌だ」という理由から、自ら頭を剃ってしまった。以来、口さがないファンの一部は、富野を指して「監督」「御大」と並んで「禿(ハゲ)」とも呼ぶようになった】くらい堂々と書いてしまえばいいと思いますよ。半端に【愛情込めて】なんて言い訳がましい表記にするとかえって嫌らしくなるんじゃありませんか? その辺りはいかがお考えでしょうか?Niki 2006年9月4日 (月) 18:08 (UTC)
- 富野を指す「禿」に侮蔑がこもっていることはありますが、親しみがこもっていることはまず無いです。その意味ではNikiさんの指摘は的確ですね。
- それでは侮蔑がこもってない時の「禿」には代わりになにがこもっているかといえば、「私は富野の名だけではなく風貌も知っている、しかも同風貌の人物が業界の同クラスには存在しないので、その語で個人が特定出来ることも知っている業界通である」というヲタ知識自慢であり、それが「特定範囲にだけ通じる語を用いることによる帰属意識の強化」という符牒効果で広まったのであって、富野への正の評価はまったく含まれていません。ですので「禿」という呼称が存在すること、侮蔑的用法とは限らないこと(これがかつて述べた細心の注意)は記載されるべきですが、妙な関係美化は事実に反すると思います。LR 2006年9月5日 (火) 00:21 (UTC)
情報収集に役立つというのは、必ずしも検索キーワードとして有用であるという意味ではありません。ガンダムの関連サイトで唐突に、例えば「種より禿の作品の方が素晴らしい」とか出てきたときに言っている意味を理解できるかできないかという意味で役に立つということです。
- 富野は50代の頃、「半端に禿げるのは嫌だ」という理由から、自ら頭を剃ってしまった。
これがいづれかのメディアか著書で公開された事実であれば、Nikiさんの提案された記述でも特に異論はありません。私が愛情と言い出したのはそもそも「禿という単語は差別に繋がる表現である」として削除されてしまったことに対し、「禿と呼んではいるものの、そこに(髪がない事への)蔑視の意図はないだろうに。むしろ親しみをもって呼ぶ場合の方が多く見かけるのに」と感じたためです。ですので別に言い訳でもなければ、どうしても入れたい文言でもありません。「差別」よりは「親愛」の方がよほど事実に近いと思ってはいますが、言い訳がましく・嫌らしく感じられる可能性があるなら記述からは外しても良いと思います。Bit 2006年9月5日 (火) 00:47 (UTC)
- 私が富野氏の禿頭を最初に見たのは、『月刊ニュータイプ』1998年6月号別冊「まるごと富野」の表紙だと記憶します。友人に一見の価値があると言われて本屋に飛んで行き、見るなり吹き出してしまいました。あの歳でちょっと身を縮めるようにして拗ねたような目を向ける富野氏は「可愛」かったですよ。だから「必ずしも悪意がある訳ではない」というのは理解できないことではありません。(それでも私自身は富野氏のことを「禿」と呼びたいとは思いませんけれどね。私は、犬や猫ならともかく、人間に向かって「禿」だの「デブ」だの「チビ」だのという言葉を「親愛の情を込めて」使うと言う人間を信用しません。動物は言葉を介しませんから言葉をかけられた時の相手の様子で自分が好かれているか嫌われているか判断します。しかし、人間は言葉を介します。その言葉が「負」の性質を帯びていれば、発する側の心情がどうであれ、受け取る相手は傷つくのです。イジメの大半はこの心情的ギャップに端を発していると思います。)
- 私が差別を助長する恐れがあるとして「禿」の記載を削除したのは、【なお、ガンダムシリーズのファンからは頭部の毛髪が少ない事から禿と言うあだ名で呼ばれることがある。】という表記になっていたからです。富野氏を指して言う言葉に「総監督」「監督」「(一部ファンの間で)御大」「(若かりし頃は同業者うちで)おトミさん」「(アンチファンの間で)トミノ」といったものがありますが、それらを一切無視してここ数年だけごく一部で使われるようになった「禿」だけが書き込まれた点から見て、これは自身の情報通ぶりを自慢したい気分と、「禿」という一般的には絶対に褒め言葉とは受け取られることのない呼び名を強調したい意図があると判断したためです。また、私は「禿」という言葉が情報収集の役に立つとの発想も持ち合わせませんでしたので、そこに別の情報を付加して書き込みを生かすということも思いつきませんでした。(たとえそれが悪戯心程度のものであったとしても)悪意を感じさせる文章を記事中に残すことに抵抗を覚えて削除に踏み切りました。しかし、どうしてもあった方が良いと言うのであれば、
- ファンが富野を指して言う言葉に、一般的には「監督」「総監督」、コアなファンの間では「御大」、アンチファンの間では「トミノ」などがある。なお、富野が50代になって頭を剃ってしまってからは、「トミノ」は「禿(ハゲ)」に取って代わられつつある。
- くらいの文章にしたらどうでしょうか? 「半端に禿げるのは嫌だ」っていうのはネット上のどこかで読んで富野氏らしいと思って記憶しているのですが、どこで読んだかは残念ながらすでに覚えておりません。出典に心当たりのある方のご協力を待ちたいと思います。Niki 2006年9月6日 (水) 16:30 (UTC)
- 「おトミさん」「トミノ」が書かれていなかったのは別に無視していたわけではなく書いた人が知らなかっただけということもあり得るのでは?(富野ファンは、ファースト世代より若い世代にもかなり多く分布していますし) とはいえ、「毛髪が少ないことから」は問題ですね。禿、ハゲが広まったのは髪を剃ってからでしょうし。Nikiさんが削除された理由は把握致しました。反論は既に書きましたが、少なくともその時点で削除の判断をされたことに関しては納得しました。それで記述なのですが、「トミノ」が「禿(ハゲ)」に取って代わられつつあると書いてしまうと「禿」と呼んでいるのはアンチファンのみと受け取られかねません。
- 私は自分自身が見てきた色々なやり取りから、アンチファンではなくファンが親しみを込めてハゲと呼んでいる場合があると確信しています。奇しくもNikiさんが例に挙げられた「チビ」ですが、児童文学や童話などでも「おチビさん」「チビちゃん」などという形で、とても優しい文脈で使われている事がよくあるかと思います。(デブは滅多に見ないですが…ムーミンシリーズの日本語版で一、二度見たことがあるようなないような…)これは小さいもの弱いものを愛おしく感じる日本人のメンタリティに起因しているのではないかと考えるのですが、富野監督をハゲという人の場合もこれに少し似ていて、敢えて肉体的欠陥を示す言葉を使うことによって「あれだけの作品を作ってきた偉大な富野監督にも欠点はあるんだ、自分たちと同じ人間なんだ」ということを無意識に感じ、そこに共感して仲間意識に近い親近感を得ている面があるのではないかと見ています。(単に他の人がそう言ってるから、とか純粋に悪口だったりとか、はたまた全く別の理由の場合も当然あるのでしょうけど)
- LRさんの意見では、私が観察するこういった親近感は美化された幻想なのかも知れませんが、それだとしても富野監督をハゲと言っていながらそこに侮蔑を込めていない人は確かにいるようです。なので、アンチファンだけでなくファンの一部もそう呼ぶことを明記すべきだと思います。Nikiさんの案の後半だけを差し替えるとして、
- なお、富野が50代になって頭を剃ってしまってからは、アンチファンと一部のファンの間で「禿」「ハゲ」が広まりつつある。
- なお、富野が50代になって頭を剃ってしまってからは、アンチファンと一部のファンの間で「禿」「ハゲ」が広まると共に「トミノ」が廃れつつある。
- などが良いのではないでしょうか。剃った経緯の出典については誰かから提供されたらその際に加筆するということで良いでしょう。あと「おトミさん」はどうしましょうか?Bit 2006年9月6日 (水) 23:05 (UTC)
- 私から見れば、「おチビさん」「チビちゃん」は相手が幼児で言葉を十分理解していない、動物に近い時期にだけ許される、絶対優位者の大人が相手に安心感を与えようとして示す「過剰な馴れ馴れしさ」でしかありませんが、まあ、それはここで議論すべきことでもないので取りあえず棚上げしておきましょう。
- 「トミノ」や『禿(ハゲ)」が、富野由悠季という有名な年長者を自分たちと同レベルに引きずり下ろそうとする試みであることは同感です。男は、中学生にもなれば、父親のことを「親父」と呼ぶことで自分はもう一人前だと示そうとする生き物ですからね。でもそれは、後から考えると、2ちゃんねる言葉で「厨房(=中坊)」と呼ばれてしまうような、浅はかなツッパリに過ぎなかったりする訳ですが。(笑)良い方に考えれば「自分も同等の仲間としてつきあってほしい」気持ちの表われですし、悪い方に取れば「他人を貶めることで優越感に浸りたい」だけってことになります。アンチファンとして括ると前者を取りこぼすんじゃないかという心配は分かりますが、両者を区別することは難しいですね。両者に共通していることは、「富野監督の作品作りに一言もの申したい」気持ちがあることと、「どうしようもない甘え」があることです。リング上のボクサーやレスラーに無責任な野次を飛ばしながら「選手との一体感を楽しんでいる」と言う観客と一緒です。これ、何ファンと表現したら相応しいんでしょうね。一言で言い表わす言葉があるといいんですが。
- 現状のままで行くしかないのであれば、後者の「なお、富野が50代になって頭を剃ってしまってからは、アンチファンと一部のファンの間で「禿」「ハゲ」が広まると共に「トミノ」が廃れつつある。」のほうが状況に即している気がします。
- なお、「おトミさん」は、『リーンの翼』公式HPの「裏トミノブログ」などを見る限り、制作スタッフの方も富野氏より歳下の人間が多くなって、皆さん普通に「監督(カントク)」と呼んでいるようなので、今日的にはすでに使われなくなったと考えても良いようです。高橋良輔氏のような昔馴染みがプライベートで何と呼んでいるのかは分かりませんが。Niki 2006年9月7日 (木) 16:19 (UTC)
- では『「トミノ」が廃れつつある』の方で復活します。おトミさんについてはほぼ使われなくなったということですが、昔使われていたことを書く必要はありますかね?
- あと「そういう」ファンは…幼稚なファン、無神経なファン、無邪気なファン、という感じでしょうか。甘えがある精神構造による行動を理屈で以て自己正当化しようとするファン、辺りが正確なところなんでしょうけど長いし(笑)Bit 2006年9月7日 (木) 17:39 (UTC)
インデント戻します。 記事の編集、ありがとうございました。「おトミさん」は限られた業界内のことですし、どれほどの普及率だったのか分かりませんので、無視でいいんじゃないでしょうか? 「そういうファン」のほうは、なるべくスマートに当たり障りなくと考えると、やはり「口さがない」辺りが無難な気がしますね。「知識はあるが経験・行動・責任感が伴わない」という意味では「頭でっかち」も結構似合っていそうな気がしますが、記事のほうに書いたら十中八九「主観的すぎる」と怒られるでしょうね。(笑)まあ、いずれにしても、当面は現状のままで様子を見ましょう。お疲れさまでした。Niki 2006年9月9日 (土) 15:06 (UTC)
頭髪ネタは「富野に訊け」で本人のコメントがありました。20代から進行が始まっていたとか… 剃髪の経緯についても記載されていました。ウィナ・ツァハル 2007年6月26日 (火) 01:32 (UTC)