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ノート:富野由悠季/記事内容テンプレート案

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記事内容テンプレート(案)

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先ずはテンプレートとなる内容を作ってみましたので、検討頂きたいと思います。元ネタは「ガイドライン作成のための議論」でも記載しましたが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 作家になります。

なお、ノートにおける見易さを重視した関係上、本来レベル2の見出しをレベル3で表記、以下1レベルずつずれて記載しています。実際には"==="の"="の数は見出しの左右一つずつ少なくなります。

序段(「目次」以前:こういう見出しは作りません)

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富野 由悠季とみの よしゆき1941年11月5日 - )は、アニメーション監督、~

ほぼ現行のまま。一応、文の体裁など見直しは必要かと思います。

経歴

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  • 1964年  日本大学芸術学部映画科卒業後、~
経歴の年にはリンクを追加した方がいいでしょう。基本、1年で複数の事項がある場合も1段落で表記でいいと思います。
1段落は(ブラウザの設定にもよりますが)3行程度にまとめ、それ以上長くなる場合は以下の「エピソード」の章で説明を加える方式にしたいと思います。また、作品に関することは当該作品へのリンクを張って参照してもらうのが良いかと思います。
経歴として記載すべき項目は、以下を初案とします。これは別途検討が必要だと思いますので、ご意見をお待ちします。

監督を務めたアニメ作品の一覧

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(TVシリーズ)

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現行のまま。

小説著作一覧

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  • 機動戦士ガンダムシリーズ
    • 『機動戦士ガンダム (1-3)』~
現行のまま。但し、数字の表記は半角にします。

その他の著作一覧

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  • 『イデオン・ライナーノーツ』
現行のまま。

作詞

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以下は井荻麟名義で作詞したもの~

  • 翔べ!ガンダム(『機動戦士ガンダム』オープニング)
現行のまま。

エピソード

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~~~にまつわる話

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富野は~~~~~

エピソードに関しては1つの話(1作品分?)を節単位で纏める方向にしたいと思います。
作品そのものに関する話題は極力該当の作品の記事に記載する方向で、記事の重複化・冗長化を防止したいと思います。

関連項目

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現行のまま。但し、外部リンクより先にします。

外部リンク

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現行のまま。但し、関連項目より後にします。

上記に関して、ご意見がありましたらこの下に記載してください。(出来ましたら上記テンプレート部分は修正しないで下さい) Schwarz(/)2005年11月7日 (月) 01:44 (UTC)[返信]


一覧とエピソードを分けることはつまり短いリストと長いリストを作るだけになり、容量的にむだです。それより、作品リストを箇条書きではなく章立てで作ってしまってそこが直接批評欄になるようにした方が全体が短くなります。部分的に書き出せば、つまりこうです(内容はjokeです)。


関わった作品

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(TVシリーズ)

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  • 監督、チーフディレクター。

どうだこうだ。名作。

  • 監督(前期)。

なんだかんだ。不運。

  • 支援。

あーでもないこーでもない、不当人事? (中略)

  • 監督、OP「翔べ!ガンダム」・ED「永遠にアムロ」・挿入歌「シャアが来る!」同「今は(中略)作詞(井荻麟名義)

何が起こるか予想がつかない。転機。


んで、エピソード欄はなし。テレビの映画の仕事は分けずに時系列順がいいかもしれませんし、作詞はそれらと離れた位置に置くとデメリットしか思い付かない(書き方は、再考の余地有り)。また、駆け出しの時分や演出やコンテで関わったなど、監督以外の仕事も記す為には、頭から職務を限定しないほうがよいし、触れたくない作品にはだれも評をつけないこともあるでしょう。私の「クロニクル」のイメージは当初からこんな感じでした。LR 2005年11月7日 (月) 11:11 (UTC)[返信]

「監督した作品」にしてしまうと他のアニメーターや脚本家の記事に使い回しがきかないので「関わった作品」とか「参加作品」として、どういう役目で関わったかは作品名の下に列挙という形にしたほうが便利そうですね。TVシリーズと映画版、OVAを分けるかどうかという点は分けずに時系列順のほうが良いような気がします。今は「ガンダムシリーズを見たいんだがどの順番で見たら良いのか教えてほしい」という人もいる時代なので、「富野由悠季」のキーワードでこのページにたどり着いた人なら年代順で知りたいと考えるんじゃないかなと思います。また、「関わった作品」に書き込むことは、LR様の「クロニクル」イメージとは違ってしまうかもしれませんが、エピソードに限ってはどうでしょう? つまり、「このシリーズを作成中に(富野由悠季の周囲に)このようなことがあった」という歴史的事実のみを書くようにして作品の解釈や評価はその作品記事のほうへ丸投げしてしまえば少なくともここは静かなんじゃないかと(笑)。ある作品が気に入らなかったからと言ってその作品の作り手を悪く言うのはちょっと違うと思いますし、ましてやある作品を境にこの監督は自分の期待に応えるような作品を作ってくれなくなったからと言って「これは視聴者に対する裏切りだ」とか「独善的独裁者だ」などと言うのはさらに違うと思いますので。個々の作品に分散させておけば感情や妄想の暴走を止められる(主観に走り過ぎた編集を減らせる)のではないかと思ったので一応提案してみます。Niki 2005年11月7日 (月) 14:48 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。一つ私の説明不足で誤解があったらいけませんので補足しますと、「エピソード」に関しては全ての作品に対して記載するのではなく、「富野由悠季」と言う人物を語る上で非常に重要と思われる(判断基準が難しいかもしれませんが)物を選別して記載する方向で考えていました。これに関しては「作品一覧」の補足というよりは、「経歴」に対する補足のイメージで考えています。
LRさんの「頭から職務を限定しないほうがよいし」に関しては確かに私も同感です。ただ、富野氏の経歴から考えるとそれだけで恐ろしい記事量になりそうで恐い面もあるのが懸念材料です。場合によっては「富野由悠季が係わった作品一覧」(記事名は仮)として別記事に切り出すことも検討に値するかもしれないでしょう。作品種類の分類に関しては、纏めるとしたらNikiさんの意見に近いです。さすがにアニメ内の挿入歌であれ、別の作品である以上はジャンルとして分ける方がいいのではないかと思います。
今回の皆さんの意見に対する私としての合意可能な妥協点は、
  • 「参加作品」においてアニメはメディアごとの分類は行なわない
  • アニメに関する参加作品は監督と限定せず、実際に参加した作品を極力(判る範囲で、と言う意味で)網羅する
になります。逆に、私としては出来れば元案の状態で扱いたいのが、
  • 「参加作品」は一覧。エピソード等は一覧には記載しない。
です。(残りの部分は検討中、とさせてください)上記に関しまして忌憚の無い意見をお待ちしています。 Schwarz(/)2005年11月8日 (火) 03:46 (UTC)[返信]
すみませんがSchwarz様が「エピソード」として書きたい記事を一つ実際に書いてみていただけませんか? 私には『「富野由悠季」と言う人物を語る上で非常に重要』でありながら「経歴」には含まれず、且つ作品とも結びつかないエピソードというものがどのようなものなのか、どうにもイメージできないものですから。具体的にこんな感じというのが理解できれば意見も出せると思いますので。Niki 2005年11月9日 (水) 12:54 (UTC)[返信]

(一旦インデント戻します)そうですね、Nikiさんが仰るとおり、具体例がないとわかりづらいところかもしれません。ただ、私の説明が拙かったのか誤解されている気がしますので補足しますと、エピソードは「経歴」に含んだこと、「作品」に関連したことでも構わないと思っています。やはりどうしても「富野由悠季」と言う人はクリエイタとして百科事典に記載しているので、作品やそのクリエイタとしての経歴を中心に語らざるを得ないと思っています。その上で、作品の詳しい解説(世間の評価を含む)は各作品で行なうという点と、経歴(と言うか略歴、になると思いますが)は簡潔に一目で解るようにするを主眼に提案しています。その為のエピソードと理解して頂ければと思います。(もちろん、不要論もあると思いますのでそこは論議で、と考えています)では、以下にエピソードとしてのサンプルを記載します。

失敗作宣言

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略歴の項で触れたが、富野は『聖戦士ダンバイン』において最終話放映前の段階で、大胆にも当作品が失敗作であったと宣言した。富野の「失敗作宣言」は『ダンバイン』だけにとどまらず、その後の作品においても行なわれることがあった。

その後の作品においては視聴者側も「ああ、トミノがまた何か言ってる」と冷静に受け取ることが多くなるが、『ダンバイン』においては初めての「失敗作宣言」であり、かつその宣言自体も思い切りよくかつ明るい口調で行なわれたため、視聴者をバカにするな」「失敗作だと言えば許されると思っているのか」等と激昂する視聴者が続出した。

富野としては監督した作品に対し監督した自らが総括して公表することは、スポンサー、参加スタッフ、そして最後まで視聴してくれたファンに対する責任と義務だと考えているようである。しかし、これまでのアニメ誌での記事や出演したテレビ番組でのコメントなどで歯に衣着せぬ、受取りようによっては傲慢とも思える富野の発言を直接あるいは間接的に知っていた視聴者には、視聴者に受け容れられにくい作品であっても失敗作と宣言することで納得させようとする責任逃れの言い訳であると感じた人も少なくなかった。

結局のところ、わざわざ自らの監督作品を出来・不出来と評価して視聴者の批判を浴びる姿を「愚直」と見るか、「作品を私物化して傲慢」と見るか、「独りよがりの目立ちたがり」と見るか。それは受け取る側が富野由悠季という人物をどう見なしたがっているかで決まる事であろう。


こんな感じで考えています。先頭で「概略の項で触れたが」と記載してあるのは『ダンバイン』に関して概略で一文「失敗作宣言」をしたことを記載する事を前提に考えています。と言っても説明だけだとわかりづらいのでこちらもサンプルを。

  • 1983年 - 『聖戦士ダンバイン』原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの作詞。バイストン・ウェルと言う独自の世界観を背景に大河小説的手法で人物群像を描く。バイストン・ウェルの世界は後に小説などアナザーストーリーを展開し、富野のライフワーク的世界観になるが、本作品では富野自ら失敗作であったと宣言したことが物議をかもすこととなる。

サンプルとしてはこんな感じになります。

それと、今回のNikiさんのご意見とは別になりますが、小説などの連続物で、完結したものに関しては「(1-3)」ではなく「(全3巻)」と言う表記が一般的かと思うのですがいかがでしょうか。

ご意見お待ちしています。 Schwarz(/)2005年11月10日 (木) 01:58 (UTC)[返信]

うーん、元の文章を提供した人間の言うべきことではないかもしれませんが議論を呼びそうな文章ですね。(笑) 『ダンバイン』が初めての「失敗作宣言」のなされた作品であったかどうかについては私は正確な資料を持ちませんが、それは取りあえず置いておいても、過去に似たような文章を書いたところたびたび書き換えが行われていますから、もしこのまま記事にすればおそらくまた書き換えられるでしょうね。
例えば、「監督した作品に対し監督した自らが総括して公表することは、スポンサー、参加スタッフ、そして最後まで視聴してくれたファンに対する責任と義務だと考えている」というのは、このままの言葉ではありませんが著作『だから僕は…』にそれらしい趣旨の文章があったんじゃないかと思います。しかし、いわゆる「アンチ」と呼ばれる、富野氏に対して否定的な感情の持ち主はその発言自体を「嘘だ。言い訳だ」と考えるわけです。するともうこれを否定する文章でなければ許容できなくなって書き換えを行ってしまう。今までずっとこのパターンです。ならば、たとえ親切ではなくなっても、書き換えたくなるような文章は始めから載せないというのも一つの選択肢ではないかと思います。
『失敗作』発言
富野は著作『・・・』で「・・・・・」と述べており、実際に作品公開後のインタビューなどで自身の感想を率直に語ろうとするが、その中でしばしば『失敗作』という言葉を使うためファンの間に物議を醸す原因となっている。
程度の記載で十分なのではないでしょうか?
小説などの連続物で、完結したものに関しては「(1−3)」ではなく「(全3巻)」と言う表記が一般的なのでは、という点に関してはまったくその通りだと思います。Niki 2005年11月10日 (木) 15:16 (UTC)[返信]

ここでは記事の体裁を議論しているのだという事をお忘れなく。さて「エピソード」のイメージと必要性を理解しました。が、リストは単なるリストであって欲しいという要望に関してはもう少しごねさせて下さい。

  1. まず、そんなものがあるなら、経歴のなかに作品名が登場する必要はありません。無意味な重複情報だから要らない、と言う意味です。上の例で言えば、入退社と組織改変と結婚以外は要りません。
  2. また、個別作品記事が作家批判によって振り回されるのは御免蒙りたい。ここしか見てない分には厄介な議論を追い出せて結構なのかもしれませんが、私としてはまとめてクリエイター記事に引き受けて欲しい。各作品に散らしたら一度で済む説明を作品数だけしなければならないことも起こりますし(たとえば「(後に)○○で名を馳せ(る・た)××」とか「前作××で○○した△△」っていちいち言わねばならんのですよ)全体の見通し悪くなって書く方が大変です(書く気ですから)。
  3. しかも、複数の作品記事でそれぞれ連動した編集合戦が一度に起こったら、いくつ保護して何処で調整すればいいのですか。被害を最小限にするのがそもそもの目的でしょう。ですから、この点(作品製作順作家批評はこっちに書かせろ)は譲れません。
  4. さらに、人気クリエイターが終結した豪華スタッフ作品など、それぞれの批評が振られてきたら(作品批評と作家批評は別ものですから)作品そのものがそっちのけにすらなりかねない。
  5. だから、作家批評は一箇所にまとめて存在させるべきです。そしてそれはどうしても製作順を追った記述になるしかない。するとやはりそこに自動的に年代順作品リストを内蔵した記事が発生します。つまり現在の経歴記事と全く同じ体裁のものが出来てしまう訳です。そうなると、ただのリストはもはや場所塞ぎなだけの無用の重複記事です。だから、最初から合成しておけ、そうすれば批評の長文感も薄れてメリハリもつく、というわけです。LR 2005年11月10日 (木) 16:34 (UTC)[返信]
すみません。体裁もさることながら書く内容もある程度規定を設けたほうが良いかと思ったものですから一つの指針として提案してみました。体裁が確率してからでないと意味がないということでしたらまったくその通りです。失礼しました。
1について。これには反対します。「初めて監督を務めた」とか「初めての劇場版オリジナル」等はあったほうが「経歴」のあり方として自然かと思います。「■『機動戦士ガンダム』発表■『聖戦士ダンバイン』における失敗作発言」辺りの条項はいらないと言うのであれば確かにいらないかもしれませんが、富野由悠季の「経歴」に『機動戦士ガンダム』の記載がないことを奇異に感じる人はいるかもしれません。このページに来た人がすべての記事を読んでくれるものと考えずに、「経歴」だけ見て帰る人もいるかもしれないと考えてみていただけませんか?
2について。ここであれ作品ページであれ「作品記事を作家批判によって振り回さ」せてはいけないでしょう。作品に対する不満を作家批判にすり替えるのは根本的に間違っています。ましてやWikipediaは百科事典ですから(世の評価はどうであったかくらいのことはともかくも)個人の評論・論文は必要ではありません。「(後に)○○で名を馳せ(る・た)××」「前作××で○○した△△」が具体的にどのような文章になるのか分かりませんが、「経歴」「エピソード」項目を設けるなら「関わった作品一覧」は削らなきゃいけないと言ったものでもないと思います。
3について。「関わった作品一覧(作品制作順)」はあって良いと思います。と言うよりあったほうが便利でしょう。また、作家の人となり、世間の評判みたいなものもこちらに書かざるを得ないでしょう。それが「エピソード」欄で収まるのか、また別の項目として書くべきなのかは議論の余地があると思っていますが。
4について。作家に対する評価まで作品ページに振るつもりはありません。作品の解説や評価は作品ページでやって、こちらと重複することのないようにしたいとは思っていますけれど。しかし、作品の評価を作品ページで書く以上は、作家評を切り離したとしても、編集合戦が起こる可能性はやはりあると思います。例えば前にもどこかで書いた覚えがありますが『機動戦士Zガンダム』などは「富野作品中で一番好き」な人もいれば「暗くてわけ分からなくて嫌い」な人もいるわけですから。
5について。「作家批評がどうしても製作順を追った記述になるしかない」というのがどういうことなのか、分かりかねます。一作ごとに作家評をやり直すんですか? 「経歴」を人生の転機になったかもしれないことに限れば「年代順作品リスト」と「経歴」が全く同じ体裁のものになってしまうことはないと思われますが? ひょっとして「年代順作品リスト」に何か私の想像が追いつかないようなことを期待していらっしゃるんでしょうか? 一度ジョークでなしに具体的な表記をしてみていただけませんか?Niki 2005年11月10日 (木) 20:26 (UTC)[返信]