ノート:富士氏
改名提案
[編集]本ページの家系は和邇部宿禰氏を本姓とする「イエ」であり、武家として活動した期間よりも社家として活動した期間が非常に長く、社家の性格が主であるため、ぺージ名を「富士家」に改名して「富士氏」を転送にすること、テンプレートの「Template:富士氏歴代当主」を「Template:富士家当主」に、「Category:富士氏」を「Category:富士家」に改名することも併せてここで提案します。--常熊存翁(会話) 2024年4月17日 (水) 07:00 (UTC)下線部を加筆。--常熊存翁(会話) 2024年4月17日 (水) 07:10 (UTC)
- 賛成 提案者票。--常熊存翁(会話) 2024年4月17日 (水) 07:00 (UTC)(階層調整。--常熊存翁(会話) 2024年4月21日 (日) 17:22 (UTC))
- コメント 少し学術的な視点からこの改名提案について考えてみようと思います。まず「富士氏」という用語ですが、歴史史料に多く見い出せます。提案者様の投稿当日ということもあり頭に思い浮かんだもののみとなりますが、伴信友『神名帳考証』には「浅間本宮ナリ大宮司富士氏云…」や羽倉簡堂『東游日歴』に「富士氏本姓和邇部氏」等とあるように、あくまで歴史史料上は「富士氏」だと思います。少なくとも往古、それで通っていた証左とは言えます。
- また他に一例を出しますと、天正5年(1577)『富士大宮神事帳』に富士氏として「富士兵部少輔」「富士常陸守」「富士又七郎」「富士左衛門」の名が見えます。一方、これらの面々がどのような立場であったのかすら現在分かっておりません(富士兵部少輔を除けば)。したがって「社家の性格が主である」と言えるのかは疑義が生じるところです。むしろ中世全体でみたとき、社家としての側面はあまり見えてこないものと考えます。
- 「本ページの性質」という点で言えば、やはり武家としての記述が大半である印象を持ちます。また「近世の一族動向」に関東の富士氏について言及がありますが、あくまで関東の富士氏で言えば社家としての側面は一切無いものとなっています。関東の富士氏も人物別ページが多く作成されており、当ページにおいても拡大の潜在性があります。また多くの刊行物で「富士氏」という表記で通っている・慣行となっている点は見逃せないところです。
- それらを総合すると、「富士家」というページ名に思う所があるといいますより、「富士氏」というページ名は特段修正される性質のものではないように感じます。 --Sablier de Verrie(会話) 2024年4月17日 (水) 14:18 (UTC)(階層調整。--常熊存翁(会話) 2024年4月21日 (日) 17:22 (UTC))
- 返信 (Sablier de Verrieさん宛) 提案すぐのコメント、ありがとうございます。詳述していなかったため、Sablier de Verrieさんのコメントを拝読したうえで、改めて改名すべきであると提案した理由およびコメントを受けて考えたところを述べようと思います。
- Wikipediaに於ける社家または社家の氏族の記事は、当初よりその命名に際して氏と家を明確に区別している節が有り(例=社家/社家の氏族、他のページの改名ついても検討中)、それに従ってページを新規作成したりカテゴリを作成したり、また同様の例に於きまして氏を家に改める改名提案について合意形成され、認められてきた先例があります(ノート=蓬莱家、千秋家、出雲国造千家家・北島家)。本提案はその一環でおこなったものです。そのうえで、「富士氏」が武家か社家か、どちらの性格が主かという視点についてですが、記事本文より富士豊麿が浅間神社の祀職に就いた延暦20年(802年)以降世襲が官選宮司となる明治6年(1873年)まで絶えていないとすると社家としては約1000年、武家としては南北朝期(14世紀)~大宮城開城後の武家的性格制限(16世紀)までと捉えても約200年と、大きく差が有ります。記事的に記述が少ないのは置いておいても、これだけで社家としての性格が主であると言えるのではないでしょうか。ゆえに、その他の社家の記事名と記事名の付け方より「5.首尾一貫している」ことを以て改名することを提案した次第です。
- そもそも、学術的な視点で考えるのであれば、後世の混同による史料上の用例や諸資料での表記に関わらず、「ウヂ(=氏)」と「イエ(=家)」の根本的な差異から「富士氏」ではなく「富士家」とするべきではないでしょうか。--常熊存翁(会話) 2024年4月21日 (日) 17:22 (UTC)
返信 先のコメントでは明確に「賛成/反対」という立場を取ることはあえて行わなかったのですが、コメントを拝読させて頂き、「反対」という立場を取ることとなりました。私は改名提案や先例を否定する立場ではなく、それは状況に応じてなされるべきであると考えています(私も改名を行ったことがあります)。例えば仮に「富士家」とページ命名されていた場合、「富士氏」と改名提案がなされ、合意形成され得る性質のものであると考えています。
何故なら先のコメントでも記しましたように、歴史史料上で確かに「富士氏」で確認されているためです。また、多くの刊行物で「富士氏」という表記で通っている・慣行となっているためです(平凡社『世界大百科事典』等)。ガイドラインの「1.認知度が高い」に明確に該当するものと考えます。この点一つだけをとっても、改名は相当慎重に判断されるべきでしょう。
また提案者様が「どちらの性格が主かという視点」に触れられていますが、これは大変に飛躍したものとなっています。まず「富士豊麿が浅間神社の祀職に就いた延暦20年(802年)以降…」とある部分は、神代から記されている「富士大宮司(和邇部臣)系図」というものに「富士浅間大神祭祀」という註があることによるものです。しかしこれは記事内に「「和邇氏系図」によると」とあるように、あくまでも系図に記されている内容を示したものであって、全くもって史実は不明です。学術的な媒体でも、それをそのまま「真」とするものは無いです。提案者様は系図の内容を元に「これだけで社家としての性格が主であると言えるのではないでしょうか」という個人的見解を示されていますが、これは明確に独自研究に該当するものと考えます。したがって、それを元として発生した「5.首尾一貫している」という見解も、成立しないということになります。
また史料上の用例(歴史用語)は決して蔑ろにできる性質のものではないと考えます。それが学術的な立場でしょう。あまり多くの例を指摘しても仕方が無いため、根拠地である静岡県富士宮市の例を見てみますと、富士大宮司の居館跡に「芙蓉館碑」というものがあり象徴的なものとなっております。そしてその銘文には「富士氏」という文言が多用されております(『国事鞅掌報効志士人名録』第1輯の128-130頁に全文があります)。
歴史用語が忌避される事態は望ましくないと考えますし、またその普遍性は個人的見解によって安易に覆るものではないと考えます。--Sablier de Verrie(会話) 2024年4月22日 (月) 14:40 (UTC)
- 取り下げ 最初に申し上げておきますが、Sablier氏のコメントに対して全てを納得したわけではありません。史料上の用例や歴史用語を蔑ろにしているような印象操作は看過できるものではなく、むしろそういったものを認めつつも誤用や誤認識であるならば直すべきであると考えています(吉田兼好が卜部兼好に修正されたものが良い例でしょう)。ただ、視点の面における飛躍さや誤用の見解統一がなっていない状態での提案は時期尚早であったと反省いたしました。最初の提案時より3週間ほど経過し、反対意見一件、それ以外のコメントも無し、として、提案を取り下げます。--常熊存翁(会話) 2024年5月12日 (日) 06:42 (UTC)