ノート:宮澤喜一
従軍慰安婦
[編集]1992年 首相当時 韓国を訪問し従軍慰安婦問題で真偽を確かめずに謝罪。韓国および世界に日本国の従軍慰安婦責任を認める決定的な役割を果たした。--以上の署名のないコメントは、220.33.200.32(会話/Whois)さんが 2004年6月22日 (火) 10:16 (UTC) に投稿したものです(Nnkrkrhhdiによる付記)。
「御三家」
[編集]「御三家→東大法学部→大蔵省」云々と書かれていましたが、東大合格者上位校ということから麻布・開成・武蔵が「名門」(あくまでかぎカッコつきの)とされ、「御三家」と称されたのは戦後の、それも1970年代以降のことです。宮澤のように戦前の東京に生まれ育ち、教育課程を経たものであれば、「武蔵出身」というのは「府立一中(その他のナンバースクール)→一高(その他のナンバースクールあるいは国立の高校)→東大」がエリートコースの代名詞であった当時において必ずしも「誇らしげに語られる」経歴ではありません。宮澤のエピソードにおける表現としては不適切であると考え、削除しました。Tai_i 2005年2月27日 (日) 17:39 (UTC)
ただ東大以外の出身者には冷淡な対応をするというエピソードが伝わってる事も確かなので、手を入れた上で復活させるべきかと思われます。戦前の武蔵についても7年制高校という事で高校受験が省略できる事からナンバースクール並みの人気を誇っていたという記述をどこかで目にした記憶があります。御三家という記述が不適切だというご指摘には同意しますが。Woyzzeck 2005年3月5日 (土) 20:44 (UTC)
- 「「武蔵出身」というのは…必ずしも「誇らしげに語られる」経歴ではありません」という主張はまったくの独自研究で「要出典」ですね。丸山眞男は「七年制高等学校の入試に落ちたために、東京府立第一中学校へ入学した」と『丸山眞男集 1: 1936-1940』131ページにあります。丸山眞男は「府立一中というと、いわゆる名門校ということになっているけれども、その当時、入るのがいちばん難しいのは七年制高校です」(『丸山眞男回顧談』第1巻19ページ)とも述べています。中村稔も旧制七年制高等学校尋常科について「府立一中よりも試験に合格するのは難しいといわれていた」と『私の昭和史』37ページで述べています。--126.13.102.134 2019年12月28日 (土) 09:07 (UTC)
宮沢喜一の政治家としての功と罪
[編集]2005年9月17日 (土) 07:12の宮沢財政の項の記述は中立性を欠いていてなおかつ表現法も感情的なものでしたのでとりあえずコメントアウトしました。ただ宮沢喜一の政治家としての功と罪に関する記述は必要だと思います。とはいえ編集合戦が起きやすいところでもありますので予めここで大枠を検討しておきたく思います。211.128.209.152 2005年9月17日 (土) 17:18 (UTC)
画像
[編集]画像が分かりにくいので取り替えてください。--以上の署名のないコメントは、210.228.190.142(会話/Whois)さんが 2010年5月27日 (木) 04:10 (UTC) に投稿したものです(Nnkrkrhhdiによる付記)。
画像が分かりにくいので取り替えてください。(人物のわかる顔写真にしてください。)--以上の署名のないコメントは、210.228.190.142(会話/Whois)さんが 2010年7月16日 (金) 05:45 (UTC) に投稿したものです(Nnkrkrhhdiによる付記)。
叙位叙勲の辞退についての補足
[編集]報告 「叙位叙勲辞退(内閣総理大臣経験者としては前代未聞)」との記述がなされていたのですが、削除いたしました。理由は、正確性を欠いていることと、テンプレ内に書くことではないように思うからです。その後記述が復活されたようなので、念のためノートに書いておきます。
まず、「内閣総理大臣経験者としては前代未聞」との表現ですが、これは明らかに正確さを欠いた表現のように思います。たとえば、宮澤喜一氏の数代前の内閣総理大臣だった中曽根康弘氏が勲一等を辞退したように(御厨貴監修・聞き手、伊藤隆・飯尾潤聞き手『渡邉恒雄回顧録』中央公論新社、2007年、410頁。頁数は中公文庫版。ただし、のちに大勲位を授与されている)、内閣総理大臣経験者が叙勲を辞退した例が「前代未聞」とは考えられないためです。
また、「内閣府賞勲局の担当者は当時(2007年7月)の時点で内閣総理大臣経験者の死去に際し遺族から一切の栄典を辞退すると申し出た前例はないと語っている」とのご指摘がありますが、それは単純に「内閣総理大臣経験者の没後に栄典を打診された遺族が辞退した事例としては初」ということですよね。生前に辞退したかどうかは特に触れられておらず、「叙位叙勲辞退(内閣総理大臣経験者としては前代未聞)」とは言い切れないと思います。また、「戦後の総理大臣経験者で自ら辞退した例は2010年7月現在他にありません」とのことですが、たとえ戦後に限定したところで辞退した例がありますので、「内閣総理大臣経験者としては前代未聞」というのは不適当だと思います。おそらく、最終的に手にした最高位の位階勲等を単純集計してそのように仰っているのだと推察しますが、その手法では位階勲等の有無はわかっても、辞退経験の有無まではわからないと思います。
もちろん、特筆性はありそうですので、テンプレ内に書くよりも本文に詳述した方がよいのではないでしょうか。テンプレに所持している位階や学位などを書くならともかく、わざわざ所持していないものまで明記する必要があるのかなぁと思います。たとえば、学位を所持していないからといって、田中角榮氏のテンプレにわざわざ「所持する学位:なし」とはさすがに書かないと思います。所持していないなら未記入にしたうえで、特筆性があれば文章で記事本文に詳述するのが普通ではないかと思います。--Taiwaan 2010年7月15日 (木) 05:00 (UTC)
親族への侮蔑的表現は必要なし
[編集]>>なお、彼の娘も息子も、いずれも東京大学出身ではない。妻も、東京女子大学出身である。>>
これを書き込んだ人の人格がにじみ出ている記述ですね。削除してしかるべきと思います。--2012年10月10日 (水) 07:02 (UTC)
著作権を侵害する画像
[編集]報告 Daffy123さんが2012年11月17日 (土) 03:25 (UTC)にアップした画像ですが、明らかにeBayのウェブサイトから無断転載したものです。ウィキメディア・コモンズにて、即時削除依頼が提出されており、現在審議がなされています。eBayの当該ページには「Copyright © 2009 - Present, Historic Images, Inc. - historicimages-store」とコピーライト表記が明記されています。また、この写真については「Japan's Min of Foreign Affairs,Kiichi Miyazawa」と記載されていますが、宮澤喜一氏が外務大臣を務めていたのは1974年から1976年にかけてですので、1956年より後に撮影されたことは明白です。なお、Daffy123さんは「アメリカ合衆国で1923年から1977年の間に発行され、それに加え、著作権表示がされていなかったため、パブリックドメインだ」と主張したいようですが、その当時にアメリカ合衆国で発行された証拠や、発行時に著作権表示がなされていなかった証拠は、一切提示されていません。したがって、申し訳ありませんが、このような画像を掲載することはできません。Daffy123(会話 / 投稿記録 / 記録)さんが2012年11月17日 (土) 03:27 (UTC)にこの画像を掲載しましたが、記事から除去いたしました。ご留意いただければと思います。--Nnkrkrhhdi(会話) 2012年11月18日 (日) 18:28 (UTC)