コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:宥和政策

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「第二次世界大戦での宥和策の結果」欄で、「10年ルール」という言葉が突然出てきますが、 これはなんですか?Ibm 111 2007年8月16日 (木) 15:20 (UTC)[返信]

使用されている画像の削除

[編集]

この記事で使用されている画像:Europa1937-1939.gifについて、事実と異なる部分があるためということでコモンズで削除依頼が出されています。いったんこの記事から問題の画像を外し、Image:GDR.pngか現在英語版にあるen:Image:Nazi_Germany.pngで置き換えることを提案します。--Makotoy 2008年9月27日 (土) 00:50 (UTC)[返信]

コメント

[編集]

こちらは専門外なのでコメントのみにしますし、保護依頼を出す予定も今のところありませんが、ウィキペディアの加筆の出典にウィキペディアの記事が使われているようにみえる点は改善の余地があるかと思います。--倫敦橋 (Londonbashi) 2008年11月29日 (土) 18:56 (UTC)[返信]


ナチズム社会大衆党の残党が、戦前と同じく言論弾圧を始めた

[編集]

ようするに「ファシズム」の歴史を隠蔽したいというだけのこととしか思えない。

やはり、ファシズムで反省の真似もできなかった連中が戦前と同じく焚書行為をしている。 一党独裁思考の社会主義集団にとって都合の良い用語、歴史表現だけの偏向歴史観であって「中立性」なんぞどこにも見られない。 wikiの自殺行為だよ。

--61.124.78.216 2009年1月29日 (木) 06:00 (UTC)[返信]

ナチズム社会大衆党の残党が、戦前と同じく言論弾圧を始めた

[編集]

かつて、特高を使って、宗教家や自由主義者の言論を弾圧し、ナチスヒトラーと手を組む三国軍事同盟で日本を第二次世界大戦参戦に誘導した社会大衆党の残党は、またもや、今度はWIKIを使って言論弾圧をしてる。

(戦前)社会大衆党―(戦後)社会党、民社党―社民党、民主党

「近衛首相はこの精神をしっかりと把握されまして、もっと大胆率直に日本の進むべき道はこれであると、 かのヒトラーの如く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべきであると思うのであります」 (昭和13年3月16日、衆議院本会議、社会大衆党代表西尾末広、国家総動員法、三国軍事同盟熱烈賛成演説) http://www.c20.jp/1938/03nisio.html

--124.27.17.74 2009年1月15日 (木) 23:28 (UTC)[返信]

たいへん残念ですが、あなたの編集を差し戻させていただきました。WP:NOTの「ウィキペディアは演説をする場所ではありません」というところをお読みください。--Makotoy 2009年1月17日 (土) 09:17 (UTC)[返信]

「演説」というのは、Makotoyの恣意的な決め付け、「荒らし」だ

[編集]

--121.92.45.129 2009年1月17日 (土) 12:15 (UTC)[返信]


ナチズム迎合の歴史を隠蔽する為の言論妨害、弾圧

[編集]

Makotoyらの主張は、戦前に言論を弾圧し、ナチズムに迎合して戦争誘導したことの反省をまったくしてないものたちの戦争誘導責任を誰かに責任転嫁するための歴史隠蔽のための難癖。ナチズムがドイツ革命後の社会主義体制から生じた歴史も隠蔽している。

↓の体制で宗教家や自由主義者を言論弾圧し、戦争誘導したものたちが(又は、その末裔らが)また同じ言論妨害、言論弾圧を繰り返そうとしてるだけ。


(戦前)社会大衆党―(戦後)社会党、民社党―社民党、民主党

「近衛首相はこの精神をしっかりと把握されまして、もっと大胆率直に日本の進むべき道はこれであると、 かのヒトラーの如く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべきであると思うのであります」 (昭和13年3月16日、衆議院本会議、社会大衆党代表西尾末広、国家総動員法、三国軍事同盟熱烈賛成演説) http://www.c20.jp/1938/03nisio.html

--210.131.1.64 2009年1月17日 (土) 17:23 (UTC)[返信]


ものごとの理由付けというのは、あなたが「恣意的な決め付け」とか「荒らし」だとか一方的に宣言すればいいというものではありません。なぜそうなのかをウィキペディアで認められた原則・理念・ガイドライン・ルールを示しつつ論じなければそれこそ恣意的な決め付けです。例えば、問題になっている箇所の

それが史実である以上、日本の一部政治オイデオロギ-集団による、学校教育現場やウィキなどで実際にされている国連憲章の成立経緯、歴史についての隠蔽は、いかなる正当性も挙証もなされていない。
このように、「日本国内での反省」として主に、かつてナチス・ドイツと三国軍事同盟を締結するように熱烈運動した人々がする「枢軸国」側人としての反省や、それにもとづく「平和主義」は、それはそれで「自由」とされるべきものであったとしても、その元ナチズム迎合集団の反省や平和思想が、現在、国際標準となっている、ファシズム軍事侵略国家の侵略行為に対する宥和策に関する連合国側の反省、歴史的経験則を無効、無意味なものにするという主張にはまったく論理的合理性、論理的説得力がないことは明白である。

などは特定の政治的立場を第三者として紹介するのではなく、その立場そのものに立って一定の政治的主張を行っているので、WP:NOTに挙げられている意味での演説であり、ウィキペディアの記事の中ではみとめられないのです。それから、ウィキペディア内で「荒らし」という際にはWikipedia:荒らしで説明されている行為をさします。僕のしたことがあのページのどこに該当するのか説明できなければ撤回してください。--Makotoy 2009年1月17日 (土) 13:38 (UTC)


「ファシズム」の認識、反省をする能力が無かった人たちが主流っていうことは理解できた

[編集]

ようするに、利用者:Makotoyらは、近現代史における「ファシズム」というものの語義とか認識ができない教養レベルっていうだけの話だろうが。

そういった国連創設の経緯を無視する病的な歴史観をもったものが、日本の大学など教育界や政界で大きな顔して闊歩できてきたので、それがあたりまえになって掲示板やウィキでも、その化石化した自分たちの知識だけを絶対のものとして、異論を排斥するファシズム体質で開き直ってるというだけの話だ。

かつて、第一次湾岸戦争時、ときの国連事務総長は、安保理決議678号が採択された後、イラクのサダムフセイン政権に対し、国連創設の精神を基準にして「ファシズムは破滅への道」と警告、教え諭したが、そのとき、安保理常任理事国からも他の加盟国からもマスコミからも、それに対する批判、異議はまったくなかった。

つまりは自由主義陣営か共産主義陣営の如何に関わらず、現代では安保理常任理事国はもとよりのこと人類の教訓として、国際社会の共通の認識として独裁指向の政治家が「ファシズム」という軍事侵略膨張主義になる「病」の存在を認めていたのである。そして、その歴史観や現状認識から、軍事弱小国に侵攻した、「ファシズム」に「罹患」したサダム・フセインに警告したことは明白である。

しかしながら、そういった「国際標準」の歴史観は、ここの利用者:Makotoyらに代表される人たちの理屈では「偏向」とか「独自研究」とか「中立性がない」になるのだろう。

そういった連中に限って、日常は表向き「国連中心主義」とか「国連によるオーソリティー」とかって言ってるのではないのか?

そうして相手が国連でなく「極めて弱小な個人」となれば、ここのように「平和主義」を一方で自己喧伝しながら、厚顔無恥に言論弾圧の牙を剥いてる。まりで戦前の近衛体制で宗教家や自由主義者の言論を弾圧した手法に似ている。

とにかく、ここの「主流」と思われるが、Makotoyらに代表される人たちは、戦前の彼らの親や思想的先輩のファシズムに礼賛した社会大衆党員などと同じく、「ファシズム」を使った国際標準の歴史観は認められないというわけだ。

つまりは「ファシズムと戦争」の関係論は実質的には「焚書」と同じ措置とるっていうことだな。 ファシズムで全く反省していない、否、反省の真似すらできない社会大衆党の思想継承者らには、猿に人間の言葉が通じない如く、何を言っても無駄だということは理解できた。

--125.1.222.3 2009年2月10日 (火) 20:28 (UTC)[返信]

歴史的評価

[編集]

 チェンバレンは~肯定的な意見もある、という要出典がつけられた項目で、現代のイギリス人の意見ではなく、ドイツの小説家であるヨアヒム・フェルナウが同様の意見を述べている模様です。日本語訳の書籍から該当部分を引用すると

ここで一言申し上げたいが、頭の固いイギリスの歴史家連中と着たら、チェンバレンが戦争を勝利に導いたのだということが、今日に至るまでどうしてもわからないのだ。引き伸ばし策や躊躇策は当時として決して無駄ではなく、連合国が望みえた最も評価のある政策だったのだ。

歴史的にも解明されているが、一九三七年のイギリス、フランス、ポーランドの軍備状態は、絶望的なまでに立ちおくれ、ヒットラーが早期決戦をしていたなら、おそらく敗北を喫し、そうなれば「世界大戦」にもならなかったかもしれない。たとえアメリカが準備していたとしても。

とあります(以上は「アメリカこきおろ史」伝田敦夫訳、新潮社1982.10.20、P242より)。割と偏った意見のようですし、翻訳ですであくまでも参考意見ですが。 --Higrik会話2014年3月14日 (金) 15:00 (UTC)[返信]