ノート:室生山暖地性シダ群落
「室生」の名前が冠された植物について
[編集]① ムロウマムシグサ(つまり、現在のキシダマムシグサ)の採集者について、本文では「1917年(大正6年)に岸田日出男が採集し牧野富太郎により命名された」とありますが、私の書いたキシダマムシグサでは、「洋画家岸田劉生の兄で、薬学者で植物採集家の岸田松若 (1888 - 1944) を記念したもの。中井猛之進 (1917) が『植物学雑誌』第31巻に本種を記載した際に、岸田松若が奈良県室生山で採集したものをタイプ標本とした」としています。出典の『植物学雑誌』第31巻p.284.(1917)では、「Hab.Hondo in monte Murou-san prov. Yamato (MATSUWAKA KISHIDA) 」と、YListでは、「Syntypes: Nara, in monte Murousan (M.Kishida, [8 May 1917] 」)になっています。
② ムロウマムシグサの命名者(記載者)は、牧野富太郎とされていますが、YList では、Arisaema kishidae Makino ex Nakai (1917) とされ、Makino ex Nakaiなので、牧野富太郎による裸名(いつのものかは分かりません)を中井猛之進 (1917) が正式に記載したのではないでしょうか。②については異論があるかもしれません。
③ 脚注で、「ムロウマムシグサはムロウテンナンショウとの混同を避けるため今日ではキシダマムシグサ (岸田蝮蛇草、学名:Arisaema kishidae Makino ex Nakai)と呼ばれることが多い」とされていますが、中井猛之進 (1917) は、新種記載の際、『植物学雑誌』第31巻p.284.(1917)で、和名をMurou-mamushi-gusa. としています。つまり、中井は新種記載の際、和名をムロウマムシグサとしています。
④ この辺の出典は、『室生村史』(1966) を主としているようです。もう一度出典に当たられたらいかがでしょうか。--Qwert1234(会話) 2023年6月26日 (月) 17:56 (UTC)、一部訂正--Qwert1234(会話) 2023年6月26日 (月) 18:04 (UTC)
- 返信 (利用者:Qwert1234さん宛) 、作成者のさかおりです。ひとまず出典に使用した文節を引用させていただきます。
なお、室生山附近で始めて採集されて、室生の名を冠した植物としては、一九一七年に岸田日出男氏採集品を牧野博士によって命名されたムロウマムシグサ Ariraeme Kishidai Makino と、一九二九年中井博士によって命名されたムロウテンナンショウ Arisaema Yamatense Nakai と、一九一七年にヤマトテンナンショウ Arisaema longilaminum Nakai とがある。〔ママ〕—小清水卓二、室生村史編集委員会、1966年2月11日 発行、『室生村史』P.881
ご指摘いただきました件については、上記引用の記載内容を元にしました。村史の記述内容のうち、該当部は植物学者の小清水卓二によるものですが、確かに単一の出典を元にしていることは否めませんし、いかんせん1966年の発行と古いものでありますので、今日の知見と齟齬がある可能性もあるかもしれません。私自身が専門知識を持っておりませんので、天南星に関する編集や多くの記事を作成されたQwert1234さんのアドバイスを頂き修正を図りたいと思います。よろしくお願いいたします。--さかおり(会話) 2023年6月27日 (火) 03:52 (UTC)
- 返信 (利用者:さかおりさん宛) へ。返信ありがとうございます。さて、三宅克典、「岸田松若について」、東京薬科大学研究紀要第23号、2020年によると、「岸田松若は日本各地で植物採集を行い、1万点以上のさく葉標本を残した。その一部は東京大学教授、国立科学博物館長を務めた中井猛之進博士に提供され、新種の記載の証拠となった。3分類群の学名の命名の際には中井博士により献名をされている。」として、「ムロウマムシグサ」が入っています。しかし、三宅によると「多くの植物を採集した岸田松若であるが、標本データを解析すると、同日に離れた2か所以上で採集された標本の記録が多数みられる。別の人物から植物の提供を受けて標本を作製していた可能性があることを記しておく。」とされています。
- したがって、実際には岸田日出男が採集し、それを岸田松若に提供して標本を作製した可能性も否定できないことになりますね。正式には岸田松若による採集とされている(『植物学雑誌』第31巻p.284.(1917)、「Hab.Hondo in monte Murou-san prov. Yamato (MATSUWAKA KISHIDA) 」)が、実際の採集者は岸田日出男(小清水卓二、室生村史編集委員会、1966)ってことも可能性がありますね。2説あるってことになりますか。--Qwert1234(会話) 2023年7月1日 (土) 12:29 (UTC)
- 返信 (利用者:Qwert1234さん宛) 、ありがとうございます。なるほど、何となくですが2説ある可能性が高いように思えますね。とりあえず、現状の記載部分について『室生村史』では、と断り書きを付記し、一方で『植物学雑誌』では「岸田松若が室生山で採集したものを 中井猛之進が記載した際にタイプ標本とした」とされる。この両論を併記するのが中立的な気がします。なお、『東京薬科大学研究紀要』で三宅が提示した疑念点(同日に離れた云々)については、本文中で記載すると、いささかくどくなるので、脚注で提示するのはいかがでしょうか?--さかおり(会話) 2023年7月2日 (日) 01:44 (UTC)
- 返信 (利用者:さかおりさん宛) へ。よろしくお願いいたします。--Qwert1234(会話) 2023年7月2日 (日) 02:01 (UTC)
- 返信 (利用者:Qwert1234さん宛) 、それでは両論併記の形で編集させていただきました。いろいろとありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。--さかおり(会話) 2023年7月2日 (日) 02:58 (UTC)