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ノート:宗門人別改帳

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宗門人別改帳について

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本文に「はじめは毎年作成していたが、享保以降は6年ごとになった?」ようなことが書いてあるが、地域によっても差があるのではないか。
最近、関東の某村のものを調べたが、嘉永あたりは数年おきのものが残っていたが(毎年作成していなかったのか、作成したが残っていないのか、不明)、文久~慶応あたりは毎年の分が残っていた。
速水融氏の著書にもある美濃国西条村(岐阜県輪之内町、西松家文書)の場合、1772年から1869年まで、ほぼ毎年の分が残っていたようである。(参考[1]

また、奉公に出た者については、奉公先の下男下女として宗門改帳に記載されるが、いずれ戻る予定ということで、出身元の宗門改帳にも残して置いたようである。(石井良助『江戸時代漫筆』下に「江戸の人別帳のこと」「江戸の人別帳と天保の改革のこと」がある) 先の西条村の場合、出稼先について詳しく書いてあるが、何も書かない地域もあるという。

本文では無宿=非人というように書いているが、非人溜送りの他に、佐渡金山や人足寄場に送られることもあった。--忠太会話2024年7月26日 (金) 16:06 (UTC)[返信]