ノート:安藤昌益
表示
中国の諸子百家の中に農家というのがあり、孟子の中にその言説が紹介されています。それによると農家の指導者許行は万人が自ら耕して自分の食を得るべきだと主張しており、その派の人が孟子に議論をふっかけてきた。孟子が「許子(許先生)は自ら着る服を作るのか」と聞くと「そうではなく服をを作る人と交換して着る服を得ている」と答える。「なぜ自ら布を織って自分の服を作らないのか」と孟子が問うと、「服を作るのは手間がかかり農事の合間にはできないからだ」と言う。そこで孟子が「ならばなぜ政治は農事の片手間にできるのか。服を機織り職人と交換するように政治を政治家と交換してはなぜいけないのか」と孟子が問いつめると、相手は答えることが出来なかったといいます。安藤昌益がどう答えているかによっては、昌益の思想は二千年以上前に葬られたものだということになります。--210.156.142.200 2006年5月4日 (木) 11:39 (UTC) リンク訂正しました。 --ねこぱんだ 2008年2月26日 (火) 23:34 (UTC)
- 階級制度を前提とした上で王侯貴族の農耕義務化を唱えた許行と、万人が農業に従事することによって搾取のない社会を築こうと考えた安藤昌益では、主題が違うと思います。--侍情報員 2010年7月16日 (金) 15:38 (UTC)
「レーニンを唸らせた」というエピソードの出所はどの書物なのでしょう。狩野亨吉氏が「自然真営道」を発表したのは1928年だそうで、レーニンの死後です。今のところ、Wikipediaの当項目のほかには情報源が見つかりません。せめて、どこそこの誰が書いたこういう本にそういう挿話がある、くらいの情報は欲しいところです。参考図書として挙げられている本も全てレーニンの死後に書かれた本ですね。--fdsa7890(会話) 2013年3月9日 (土) 09:23 (UTC)
- 立項直後の初期段階でのIPユーザーによるこの加筆[1]が9年以上改善なく残り続けているもので、今後も改善が見込めないと判断して除去しました。--2014年12月27日 (土) 02:46 (UTC)