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ノート:宇賀島水軍

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宇賀島衆は尾道付近の水軍という説もあるようです

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既に「出典の明記」タグが貼られていますが、改めて「正確性」タグも貼りました。

確かに厳島の戦いにおいて宇賀島衆を率いていた宇賀島忠重なる人物が討ち死にしており、山口県周防大島に近い浮島を拠点にしていた水軍衆であるという話はある([1][2])のですが、一方で広島県尾道市の岡島を拠点にしていた水軍衆とする説もあるようです([3][4][5])。後者の説の出典である「向島町史」などを持っていないので(前述のブログ記事に長文引用はありますが...)何とも言えませんが、事実上有効な出典が無い現状では内容の正確性に問題ありと言わざるを得ないかと思います。

(全く個人的な想像で両方の説を合わせると、厳島の戦いに先立って毛利軍が備後宇賀島(=岡島)の宇賀島水軍を攻め滅ぼし、その生き残りが周防に逃げて大内水軍に合流して厳島の戦いに参戦したものの敗れ、防長経略により逃げ込んだ周防浮島で残党も全滅したというような出来事が尾道と周防大島それぞれの伝聞でごちゃごちゃになって今日に至っているんではないかな〜と思ったりしてます。そのあたりをちゃんと研究した資料はないんでしょうかね...)--TT mk2会話2017年9月21日 (木) 16:24 (UTC)[返信]

上記から約2年が経過しましたが他者による加筆がなく、浮島_(山口県)#歴史向島_(広島県)#中世の武家勢力でそれぞれバラバラに記述されてるままなので、とりあえずネットで見つかる資料(出典)の範囲で加筆しました。両論併記のような形なので、正確性・要出典のテンプレートは残してあります。--TT mk2会話2019年8月31日 (土) 14:29 (UTC)[返信]