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ノート:孔舎衛坂駅

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読みについて

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読みですが、公式サイトの近鉄ストーリーによると「くさかざか」となっています。一方、『鉄道廃線跡を歩く』(宮脇俊三編著、JTB、1997年)p.171掲載の当時の写真中の駅名標には「くさえざか」と書かれています。どちらが正しいのでしょうか?Utsuda 2004年12月23日 (木) 20:59 (UTC)[返信]

駅名表には「くさえざか」と書かれているため、「くさえざか」のほうが駅名としては正しいと思います。但し、この周辺の地域の名前が「くさか」なので「くさかざか」もあながちまちがいとは言えないと考えます。Fjord
[1]にある駅名標と入場券によると、少なくとも廃止時の駅名の漢字表記は「孔舍衙坂」、読みは「くさえざか」であるといえます。もっとも、「孔舍衙」を素直に読むと(たとえば孔舎衙小学校がそうであるように)「くさか」なのですが。ただ近鉄のサイトがそうであるように「孔舎衛坂」と書かれていることも多いので、リダイレクトなどが必要かもしれません。もっとも、新字体といわゆる旧字体の関係である「舎」と「舍」を区別する必要はないかも。Anqmb 2004年12月26日 (日) 14:00 (UTC)[返信]
3年以上経っていますが、この件について私が知っている知識でもってちょっと整理しておきます。上のような混乱が起こったそもそもの原因は、駅名が『日本書紀』に由来していることにあります。原典は「孔舎坂」=「くさざか」なのですが、実は江戸時代の注釈書『日本書紀集解』で直前に「草香」=「くさか」が出て来るため、「孔舎坂」=「くさざか」の誤写だろう、という誤字説が出たのです。後にこの説は否定されるのですが、あたら説得力があるために非常に力を持ってしまいまして、地元でも混乱しています。たとえば孔舎衛坂の顕彰碑は二本あるのですが、麓の善根寺春日神社にある方は「孔舎坂」[2]、尾根にある方は「孔舎坂」[3]と真っ二つです(同じ年の建立なのでなお質が悪い)。さらに言うと、駅周辺の地名は昭和30年まで「孔舎村」だったりと混乱の材料を増やしています。駅名もこれの影響をもろに受けて揺れてしまっていることは充分に考えられます。
読みについては、Utsudaさんの挙げた宮脇氏の本の写真とAnqmpさんの挙げたサイト(←移転しています)では「くさえざか」なので、Fjordさんの言われる通り廃止直前はこの読みで決まりでしょう。それ以前は近鉄のサイト(←こちらも移転)に見られるようなこともあったかも知れませんが何とも言えません。
ただ、表記がどうにも……。入場券は確かに「孔舍衙坂」ですが、駅名標はじーっと眺めると「孔舍衞坂」=「孔舎衛坂」に見えるんですよ。元の地名表記からして先ほどのような混乱があるくらいなので、こちらも混乱を疑った方がいいかも知れません。とりあえず、近鉄の社史をいっぺん見てみないと結論が出ないと思います。駅名の由来だけ追加しておきます。MasakiTomasawa 2008年5月18日 (日) 11:27 (UTC)[返信]
善は急げでさっそく調査して来ました。まず表記ですが、改名時に発行された大阪電気軌道30年史、駅現役時の近鉄50年史、廃駅後の近鉄70年史・80年史と近鉄の社史を追ってみたところ、全て表記は「孔舎坂」でした。また駅のある枚岡市の市史および東大阪市の市史でも同様です。このことから、公式の表記は「孔舎坂」の方であると断定していいでしょう。読みは宮脇氏の本があったので「くさざか」の方が正式かとは思いましたが、一応確認のため、戦前陸軍測量・戦直後修正の地形図と駅現役時の枚岡市の地図を見ました。こちらも全て「くさざか」になっており、これが正式と見て間違いないでしょう。
ただ困るのが、営業最終日の「孔舍坂」表記の入場券ですね……。ただ、枚岡市の市史の方でも本文で「孔舎坂」と書いておきながら、すぐ側の写真のキャプションで「孔舎坂」と間違えているくらいなので、恐らく昨日書いたような混乱から起こった誤植の類ではないかと。もっとも確証があるわけではないので、「理由は不明」として書くつもりです。以上の調査の結果と昨日の話を盛り込んで加筆させていただきます。何か発見がありましたらまた。--MasakiTomasawa 2008年5月19日 (月) 08:03 (UTC)[返信]

項目記述における先人の皆様、おつかれさまです。駅名異同の要因である地名について、今回適正化したつもりですのでご査収ください。駅名が「衛」の字で「クサエザカ」なのは間違いありません。皆様の議論以降に上本町ハイハイタウン地下に開業した鉄道バーに琺瑯看板の現物が存在しており、訪店者の撮った画像などでネットでも容易に確認可能です(皆様の議論から十周年経ってますので既にご存じでしたらご容赦ください)。また万葉集の件ですが、万葉集には「草香江の入江にあさる葦鶴のあなたづたづし友なしにして」という歌があり、クサカという地名は相当古いと思われます。命名の正誤は別問題としても正式駅名が「クサエザカ」なのにかかわらず、最末期の入場券すら「衙」と誤植してしまう背景には、クサカおよび孔舎衙という読み/漢字の歴史が現地においてそれだけ長い歴史あることを示しているとも言えると思います。