ノート:天理王命
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この記事は2014年7月27日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
(異議)
- 本文は記事名を間違えている。「命」(みこと)は神に対する敬称です。ですから記事名は「命」を取って[[天理王]]にするべきです。もしくは「王」も取って[[天理]]にするべきです。
- そもそも本文は文章の量が少な過ぎる。これ以上の増補が不可能ならば天理教の記事に統合するべきです。--義人路也 (上) 2005年10月29日 (土) 12:23 (UTC)
- 単に「天理」と呼ぶことは(教団内はもちろん教団外でも)ないように思いますので、「天理王」が落とし所かと思います。ただ、これだけの内容しかない上、実質的に天理教だけで信仰されている、天理教と不可分の神なのですから、「天理教の記事に統合すべき」との意見に賛成します(天理王に限らず、特定の新宗教のみで信仰されている神は、まづその新宗教の項目内で説明することを検討すべきと思います)。ちなみに、手元の『神道事典』でも「天理王(命)」は独立項目になっていません(という以前に、天理教の項目の中に「天理王」のことが書かれてない……)。nnh 2006年5月27日 (土) 01:38 (UTC)
- (異議への異議)てんりおうのみこと」と神自身が中山みきの口を通して名乗った時点で、天理教の祭神名は信者にとって「天理王命」であることは不変の事実です。「天理」+「王」+「命」と分けることが出来ません。明治期に教派神道傘下で「天理大神」と神名を改変させようとする事件がありましたが、質問主と同じ概念(神名+尊称)で改変させようとしたわけですが、やはり違うと言うことで、「天理王命」以外の呼び方は天理教では許容出来ませんでした。同様の質問の前例に、「金光大神」の「大神」部分が尊称であるから項目名としておかしいという意見があり、それも同様で言語学的にはおかしくても、それ以外の項目名は立てられないものです。逆に「天理」「金光」「天地金」を神の名としての項目名にせよという意見の方が非常識のように思えます。また、「天理王」と呼ぶ場合も「天理王って誰?」という意見が出ることでしょう。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月21日 (日) 07:34 (UTC)
(という以前に、天理教の項目の中に「天理王」のことが書かれてない……)。
天理教は、神道ではありません。 天理大学に、東京大学・助教授の松本滋先生という方がいますので・・・・・。 天理教の神は、キリスト教の主と同じです。 “この世の創造主・神は、時代時代に聖者を遣わして、教えを説いた・説いている のであって、全ての偉大なる宗教の根本は同じである” というのは、宗教学の最先端の思想と同じものです。
- 天理王命の創造主としての一面などをとらえて、キリスト教の主と同じと言うご意見があるという事ですが、これは自らの信仰に当てはめて考えようとする、信仰者のよく陥る考えであり、「全ての偉大なる宗教の根本は同じである」ということも、同様に意見でしかあり得ません。それぞれの信仰の独自性、多様性を阻害するもので、天理教側から見たら逆の意見があると言うことも考慮すべきです。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月21日 (日) 07:34 (UTC)
天理王命に対して、いずれ現れてくるという「十社十柱」とは? 「世界治めている者一人居る」とは?
- 「十社十柱」は、「中山こかん」など天理教で親神の手足となって将来人助けをする沢山の「霊神」のことです。「世界治めている者一人居る」は「一人」は元の神実の神である親神「天理王命」を指します。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月21日 (日) 07:34 (UTC)