ノート:天池氏
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百科事典の記事として?
[編集]参考文献らしき記載があるのですが、ただの1つも明らかな情報が記載されてはおらず、百科事典の記事としては成り立っていないのではないか?
- 「天池氏(あまいけし)は、全国では珍しい名字。出自不詳」としながら、直後の「主な発祥」節では「尾張国中島郡天池邑発祥といわれる」と伝聞調の曖昧な表現がなされている。
- 「岐阜県加茂郡地域に分布している」ということだが、その地域に「天池」という姓を持つ者が居住しているという意味なのか、天池氏という氏族にゆかりの何かなのか不明である。
- 「天池村」節では「愛知県中島郡。地名からなづけた」の意味が不明である。地名から何を名付けたのか?地名から誰か「天池」という姓名を名付けたという意味なのか?
- 「天池(チョンジ、ティエンチ 朝鮮語:천지) 朝鮮族の聖なる山とされている。 この名を由来として使い始めたともいわれる」らしいが「中国吉林省と北朝鮮両江道の国境地帯」の地名が日本人の姓に用いられたという真偽が曖昧すぎるのではないか。
--Shigeru23 2011年1月13日 (木) 23:08 (UTC)
検証結果
[編集]ご執筆者、または情報をご存知の方へ
- 「富加町羽生には渡来系で、地名を姓としてなのる氏族が天池氏である」とあり、出典が『富加町史』「地名考」としてありますが、『富加町史 下巻 通史編』付録 p.136 の「地名考」には、「あまいけ(天池)」の地名の由来(資料の節に丸ごと引用されているもの)しか書かれておらず、天池氏が渡来系で地名を姓して名乗ったことが明記されている箇所を見つけられませんでした。そのような記載があるならば、具体的なページ数をお願いします。
- 「西村治郎兵衛(別名、天池治郎兵衛)」とありますが、『富加町史』では西村治郎兵衛の別名が天池治郎兵衛だったという記述は見つかりませんでしたので、出典をお願いいたします。
- 「徳川幕府時代では天池氏は集落の奉行や庄屋、酒造、役職を歴任した」とあり、出典が『富加町史通史編』「第五章 近世」「第一節 近世の支配体制」「第七節 町内九か村の沿革と村況」とありますが、該当箇所を読んでみても、そのような記載は見つかりませんでした。広範囲であるいは見落としがあるかもしれませんので、記載があるならば具体的なページ数をお願いします。
- 「天池氏族は現在でも富加町加治田(絹丸)に多くあり、天池氏族が部落で集まっている」とあるのは、出典の『富加町史』「絹丸部落地図 天池教一ら作図」(『富加町史 下巻 通史編』付録 p.130 - 131)を見ますと、昭和53年7月現在の時点で同地域に天池姓の方が多く住んでいるのは見て取れますが、文章での説明は一切なく、このように書いてしまうのはいささか独自研究ぎみのような気もします。
- その他に、日本の苗字7000傑 苗字検索、名字由来net、朝鮮族netなどのサイトは、Wikipedia:信頼できる情報源とは言い難い気がします。できれば、他の出典によるのが望ましいと思います。--立花左近 2012年2月6日 (月) 03:00 (UTC)
(追記)富加町にゆかりのある半布里戸籍が奈良正倉院に遺されていたのは事実ですが、この戸籍には渡来系の秦氏(秦人・秦人部)、漢氏・勝氏が記載されていますが、天池氏の記載はありません。出典として挙げられている『富加町史』にもそんなことは書かれていませんし、半布里戸籍は日本最古の戸籍で他の史書にも載っていますから、検証は比較的容易と思います。--立花左近(会話) 2012年3月31日 (土) 13:42 (UTC) 一部誤謬修正。--立花左近(会話) 2012年3月31日 (土) 15:48 (UTC)
なお、歴史関連や氏姓関連の事典類をいくつか当たってみましたが、天池氏の項目がなかったり、あっても百科事典として書けるだけの情報が載っているものはありませんでした。前述の出典にない記述や信頼できる情報源とは言い難いサイトを参考にした記述を除去してしまうと、この項目は維持できないのではないかと思います。残念ながら、削除が妥当ではないでしょうか。--立花左近(会話) 2012年3月31日 (土) 14:47 (UTC)