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ノート:天命

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編集への反論

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Cosimic Dragon氏の反論

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AVANZAREさん、  こんにちは。

 編集いただいた内容に関して反論します。

 天命は儒家思想に限定するのは賛成できません。 佐藤貢悦先生の「古代中国天命思想の展開」にもあるように、 儒家以前から受命思想は、存在しています。

 また、日本の神道という思想には、 万物に神が宿るという「天命思想」が存在してきました。 戦後、日本思想は、不当に評価され、すばらしいものがあるにも かかわらず軽視されてきました。

 Wikipediaはこのような偏見を超えて、正当な視点から 「天命」を扱うべきであると思います。

 また、誤った「翻訳」と記述されていますが、 どこが誤った翻訳なのでしょうか。ご指摘、ご指導頂ければ 幸いです。--Cosimic Dragon 2008年3月6日 (木) 02:11 (UTC) 出口光[返信]

まず、私の編集が中国思想に限定したように思われたのでしたら、その点は訂正します。
しかし、ウィキペディアは「百科事典」です。個人の考えや研究成果を記す場所ではありません。また、記事のスタイルもある程度定められています。もしまだガイドブックをお読みでないのでしたら、必ず読んでおいてください。
「誤った翻訳」というのはテンプレート上の文章のためついてきたもので、本記事では該当しないものと思います。--Avanzare 2008年3月6日 (木) 02:28 (UTC)[返信]

編集コメントに関して

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Avanzareさん、こんにちは。 ご回答ありがとうございます。

 私の天命に関する記述が、個人の意見や研究と考えておられますが、 誤解であると思います。  これは、日本の神道思想や儒教思想に詳しい人であれば、 一般的な内容です。つまり、日本の儒教は受命思想を取り入れるのではなく、 神道や仏教に影響を受け、万物に「命」が宿るという考え方をしています。

 例えば、儒学者の荻生徂徠、佐藤一斎(言志四録) 日本資本主義の父である渋沢栄一(論語と算盤)なども、明確に万物に 天命が宿るという考え方をしています。

 私の記述が一般的な内容であることをご理解賜れば幸いです。 --Cosimic Dragon 2008年3月7日 (金) 05:29 (UTC)[返信]

人間の寿命

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天命の意味の「拡大解釈」で、「人間には全員に生まれ持った天命がある。それは自分や他人にはわからない(まれに自分自身でわかる時もある)。天命を達成するまで人間は死なない・死ぬ事がない、自殺しよう(=若い年齢で自殺した人の中には、幸か不幸か若くして天命を達成した人がいる)としても死ぬ事ができない。また自分自身で天命を達成できたと、気がつかないまま(後年、他の人物によってその人の天命が判明する)死ぬ事もある」という思想もある。〔--以上の署名の無いコメントは、211.121.52.57会話投稿記録)さんによるものです。 --Bokemiann 2011年2月6日 (日) 05:57 (UTC)[返信]

参考文献削除について

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「天命」のところで、私の参考文献を削られ「占いまがいのの本」と書かれましたが、大いなる誤解だと思います。本当に読んでいただいたのでしょうか。まだでしたら読んでいただいた上でご批判たまわりたいと思います。よろしければ本をお送りします。この件は私のライフワークなので。出口光 2008年7月26日。〔--以上の署名の無いコメントは、210.151.222.1会話投稿記録)さんによるものです。 --Bokemiann 2011年2月6日 (日) 05:57 (UTC)[返信]

まずIPさんが出口さんご自身かどうかは存じませんが、本人であるという前提でお応えします。(まずあなたの著書は読んでおりませんが、HP内の文章は少し拝見しております。その上での判断です。)
  • まず第一に、掲げられた参考文献で叙述された内容が記事本文で叙述されておりません。いきなり叙述と直接関係のない文献が参考文献として挙げられるのは百科事典としてまず不適切だと判断しました。
  • 次に、それと関連しますが、このような行為は自著や自分の思想の宣伝行為と見なされます。これも不適切な行為です。
  • さらに、これが一番重要なのですが、たとえ出口氏の天命理解についての記事が当人の手によってUPされたとしても、その行為自体がWikipedhiaにとっては違反行為に当たります。あなたは、Wikipedhiaの基本文献を一度でもお読みになった上で編集に参加されたのでしょうか。まだ読んでいないならば、Wikipedia:基本方針とガイドラインとその関連文書、特にWikipedia:独自研究は載せないは必ず一読されることをお薦めします。
要するに、あなたは私のノートでも「この件は私のライフワーク」だと述べられていますが、そのこと自体が「独自研究」なのです。なお、独自研究に関しては、「Wikipedia:独自研究は載せない」にはたとえば次のように記述されています。分かりやすい文章だと思うので参考までに挙げておきます。≪なお、ウィキペディアから排除されたからといって、それが「品質の劣る」ものであるとは必ずしも限りません。ピューリッツァー賞クラスのジャーナリズムやノーベル賞ものの研究でさえも、それがウィキペディアで最初に発表されることになるのであれば、掲載を拒否せざるを得ないのです。もしあなたがウィキペディアという知の集大成に加えるべきだと考える情報をお持ちでしたら、まずそれを査読制度のある雑誌か評判の良い報道メディアで発表し、その後中立的な観点の流儀にのっとり、あなたの業績を証拠として示すのが最良の道です。≫
よって結論として、あなたのライフワークを記事内で展開することは独自研究としてWikipedhiaからは排除されなければなりませんし、自著を参考文献として挙げることも自著及び自己の思想の宣伝行為と見なされ、百科事典であるWikipedhiaとしては認められない行為です。そのこともあって削除したのです。(なお、自著や自己のHPをリンクすること自体は必ずしも違反行為にはなりませんが、今回の件は独自研究とその宣伝行為としか判断できず、よって不適切な行為となります。)--Bokemiann 2008年7月27日 (日) 12:18 (UTC)[返信]


Bokemiannさん、こんにちは。ご返答ありがとうございます。  若干コメント人たいして、反論させてください。    まず、私の本を読んでおられず独自研究と断じて、削除されるのはいかがなものかと思います。 確かに、私の著書には独自の部分も大いに含まれていますが、それは先人の研究を言及し、それを踏まえて書かれています。 私がWikipediani挙げた他の参考文献も、年代が古いというだけで同じです。

 私がご提案したように、著書をお送りしますので、読んで頂いた上で判断して頂いた上で削除するに値するかどうかを 決めていただくことがフェアな態度であると思います。ご検討いただければ幸いです。                                        出口光 2008年8月1日。〔--以上の署名の無いコメントは、211.121.52.57会話投稿記録)さんによるものです。 --Bokemiann 2011年2月6日 (日) 05:57 (UTC)[返信]

独自研究の疑い

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※↑の議論もできれば参照下さい。

何年も前(2008年)から気が付いていながら、忙しさにかまけてほったらかしになってしまいました。反省しておりますが、考えを改め、今回思い切って{{独自研究}}のタグその他を貼付いたしました。

本記事の大半は、上のやりとりでも分かる通り出口光氏による編集が大半で、Cosimic Dragonさんがそのアカウントであることは明らかですが、パスワードを忘れたのか、中途からIPユーザー(210.151.222.1)としてアクセスするようになりました。その時に「出口光」と自署しているので同一人物であることは間違いないでしょう。出口氏は『天命の暗号』の著者ですが、自著を参考文献に挙げたり、過去にもたとえば「一霊四魂」において参考文献などに自著ばかりでなく自己のブログを挙げたりして([1])宣伝に努めていました。また、彼は最近また活動を始めたようですが、彼の2008年時点での様々な編集を見れば分かるように、(当時は特に)Wikipediaの規則を何も知らない、また、常識も弁えない人物だったようです。本稿は、そういった問題人物によって大半が執筆されています。

さらに問題なのは、本記事の内容が出口氏のブログ(出口光の天命と経営)からの転載であることです。Wikipedia上、自著作からの転載は著作権上も非常に厄介な問題があり、しかも内容が独自研究であることは由々しき問題です。上でも彼に指摘しましたが、「まず、私の本を読んでおられず独自研究と断じて、削除されるのはいかがなものかと思います。 確かに、私の著書には独自の部分も大いに含まれていますが、それは先人の研究を言及し、それを踏まえて書かれています。 私がWikipediani挙げた他の参考文献も、年代が古いというだけで同じです。」などと反論する始末で、Wikipediaの規則も何も理解していません。当時は私も時間を余り取れず、出口氏がその後編集をやめたようなので、私もついそのままにしてしまいました。(なお、Cosimic DragonさんやIP氏が出口氏でないとした場合は著作権違反の問題が発生し、これも極めて問題です。)

従って、Wikipedia:著作権侵害への対処#自著作物の持ち込みWikipedia:自著作物の持ち込みに純分に配慮して本記事の対処法を考えないといけません。出口氏は上のような方ですから、彼自身の対処は余り期待出来ないと思いますが、その場合は、残念ながら削除も必要であろうと思います。以上、問題提起しておきます。--Bokemiann 2011年2月5日 (土) 16:54 (UTC)[返信]

合意形成のためにご意見をお願いします

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本ページをどうしたらよいか私の一存では決められません。また、特にこうすべきだという意見を持っているわけではなく、どうしたらよいのか迷っています。

そこで、以下に私の考えた選択案を提出して意見を募りたいと思います。

  1. 出典の問題はあるが、「受命思想」に関しては必ずしも間違いとは言い切れないので、この部分だけを残して、後は基本的に削除する
  2. 出口光氏が編集に加わる直前の版(これ)まで一気に差し戻す(出口氏が抗議してきたら理由を話し、それでも納得せずに同様の編集をする場合はコメント依頼や投稿ブロック依頼も考慮する)
  3. 本ページをいったん削除する

個人的な要望を言えば、これらのうち、最後の案は採りたくないと思っています。私としては1案ないしは2案のどちらかで決めたいと思います。--Bokemiann 2011年2月10日 (木) 10:43 (UTC)[返信]

コメント依頼から来ました。1の案に賛成です。この記事は基本的に中国の「受命思想」に絞って扱う方が良いでしょう。。「万物に神が宿る」という神道の思想については、通常は「天命」や「天命思想」のような言い方をしないと思います。--Dwy 2011年2月13日 (日) 17:52 (UTC)[返信]
コメント Dwyさん、ありがとうございます。出典がないことに変わりはないので、何れは削除される可能性もあります。それと、この部分の記述も出口光氏のブログからの転載(自著作の持込み)でWikipedia上の著作権の問題も絡んでいるので厄介です。そのため、今のところ私は2に傾きつつあります。なお、現在別件でかなり時間を取られているため、他の人の意見も聞きながら気長に結論を出してゆきたいと思っています。--Bokemiann 2011年2月14日 (月) 05:00 (UTC)[返信]
コメント「天命」に関する学術研究は多いと思います。学術研究のみに依拠してもより内容豊かな「天命」の記事を作成することが可能でしょう。ですので、個人的には差し戻す編集までは必要はないが、どの文節にも査読研究の典拠を付加した形で全面的にリライトするのが望ましいと考えます。正直自分に分からないことを調べに来ても、目的の記事に全然専門外の人間の意見が書かれていて学術的に不確かなことを書かれていたら、時間の無駄と感じてしまいます。学術分野の記事は査読研究に基づき研究史をふまえつつ編集して欲しいものだとつくづく思います(ちと辛口)。--独頭 2011年2月14日 (月) 15:06 (UTC)[返信]
ありがとうございます。独頭さんは中国思想にお詳しいようですね。私には学術文献でこの項を埋める知識はありませんが、中国思想に詳しい人の編集が入るのならば「受命思想」のみを残す案がよいと思います。あとプラスするとしたら『中庸』における観点ぐらいなら、岩波文庫の解説などを参考に私にも書き込めるかも知れません。それと、孔子の天命に関しては「使命」と「運命」の両説あるとのことですが、百科事典の記述しか出典がないので、とりあえずコメントアウトが妥当かと思います。なお、それ以外の神道の思想云々に関しては、嘘ではないにしても、きちっとした出典がない限り、宗教や独自研究の領域ですので、削除が望ましいかなと思っています。--125.198.75.68 2011年2月14日 (月) 15:40 (UTC)〔いつの間にかログアウトしていたようです。--Bokemiann 2011年2月14日 (月) 15:42 (UTC)[返信]
私も、「受命思想」のみを残す1案に賛成します。自著作の持込みにまつわる著作権侵害については、本人によると信じるに足る状況がありますので、気にしなくてもよいかと思います。提案から十分に期間がとれましたので、もう実施に移してよい頃合いでしょう。--Kinori 2011年2月27日 (日) 13:46 (UTC)[返信]
ありがとうございます。私も1案がよいと思っていました。他の人がが為さるには構いませんが、今は目が離せない案件も抱えているので、実行は来月中旬以降にしたいと思っています。ある程度の加筆・修正もしなければなりませんし、仕事もあるしで、時間が中々つくれません。--Bokemiann 2011年2月27日 (日) 13:56 (UTC)[返信]
追記:仕事の進捗次第ですが、ごく簡単な編集ならば来週中にできそうです。--Bokemiann 2011年2月27日 (日) 14:13 (UTC)[返信]
そういうことでしたか。単に除くだけなら私にもできることですが、加筆の用意があるのでしたら、そのほうがよいですね。--Kinori 2011年2月28日 (月) 00:43 (UTC)[返信]
本格的な加筆は考えていませんが、いくら何でも多少の修正はしておかないとまずいので。世界大百科事典や広辞苑などを使って、ごく簡単な加筆・修正を行なう予定です。百科事典の出典に事典類はなるべく使いたくないのですが。--Bokemiann 2011年2月28日 (月) 07:37 (UTC)[返信]

報告 ノートでの合意に基づいて明らかに独自研究と思われる部分をコメントアウトし、残した受命思想の部分などに関して最小限の加筆修正をしておきました。あと、Wikipedia:加筆依頼にも提出しました。--Bokemiann 2011年3月3日 (木) 16:52 (UTC)[返信]