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ノート:天下五剣

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「てんがごけん」の訓みの出典について

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「てんごけん」という読み方の出典に挙げられそうな刀剣研究書等がありましたら、定義文の編集をお願い致します。普通にあると思うのですがちょっと見つけられなかったので…。自分でも捜してはみます。それと2020-03-01T16:21:41の版でそれ以前の記事とほとんど正反対の記事内容に書き換えました。ウィキペディア初心者ですので不備などがありましたらご指摘・ご訂正いただければありがたいです。--小萩きりく会話2020年3月1日 (日) 08:58 (UTC)[返信]

初心者とはとても思えない良い編集で感心しました。『諸家名剣集』『名劔伝』は知らなかったので、大変勉強になりました。貴重な情報をありがとうございます。「てんがごけん」については、申し訳ないですが、私も存じ上げません。また、差し出がましいようですが、若干体裁調整いたしました。特に気になったのは、段落分けする時の改行は2回で十分(行間の空行は1つで十分)なのと、文全体に出典を追加する時は、「〜<ref>〜</ref>。」と、句点の前にsfnやrefを置くぐらいでしょうか(ここは各国語で違って、英語版だと「〜.<ref>〜</ref>」とするのでややこしいですが…)。他の体裁は編集者に拠ると思うので、気になった点があったらどんどん再編集してくださって構いません。どうぞよろしくお願いいたします。--Senu会話2020年3月3日 (火) 13:32 (UTC)[返信]
「てんがごけん」をGoogleの期間指定検索で絞ってみましたが、最古のページが2013年7月7日付の個人のブログでした。利用者:Ghvkgyvupさん(投稿ブロック中)による天下五剣 2012-12-24T16:12:07(JST)の版での「てんがごけん」の方が古いので、私見では、日本三大悪妖怪有職読みと同じく、「てんがごけん」の出典はウィキペディア自身な気がしてしまいます。ただ、「天下」には「てんが」「てんげ」といった訓みもあるので、何とも言えないのが難しいところですが。--Senu会話2020年3月4日 (水) 12:49 (UTC)[返信]
まずは文章や段落や節分けの「何だか座りが悪いけれどどうしてよいものやら分からない」と思っていたところを全て美しく直していただきまして大感謝です。ありがとうございました。作業中、記事の文章書くよりヘルプページを見ている時間のほうが長いくらいなので大変助かりました。アドバイスいただいた点もこれから注意してまいりたいと思います。
「てんがごけん」はGoogleブックスの方で『朝日百科日本の国宝 第10巻』1989年というのがありました(同じ本ですがこれこれ)。多分大典太のページの出典節に《小笠原信夫 「太刀 銘光世作 (名物大典太)」…》と載っている本かと思います。10号あわせて1巻になる分冊売りだったようです。ということで出典がないというわけでもなさそう? Googleブックスの精度がアレなので実際に本を見てみないと確かなことは言えないのですが、ひとまずこれはキープしておくとしてもう少し探してみます。--小萩きりく会話2020年3月4日 (水) 14:44 (UTC)[返信]
「てんがごけん」という訓みもありそうなのですね。さすがです。
あと「天下五剣」について昭和初期の文献を見てましたが、内田楚天の『日本刀通観』(1937年)のこのページには、天正安土桃山時代)から五名剣が知られていたと載ってますが「天下五剣」という名前は使われてなくて、本阿弥光遜の『日本刀大観』(1942年)のこのページには「天下五剣」という言葉が載ってました。光遜の昔の著作を見ればもうちょっと遡れるかもしれませんね。余談ですが、光遜のだと童子切と大包平で「東西の両横綱」となってるのが、楚天のだと次のページ辺りから大包平評が載っていて、「名刀を通越て神品」と五名剣より上位に置かれているのも面白いです。 --Senu会話2020年3月5日 (木) 14:18 (UTC)[返信]
(インデント戻し)光遜の『刀剣鑑定秘話』(初版1941年)だと、鬼丸(「日本第一」)>童子切・大包平(「東西の両横綱」)って扱いになっていて、天下五剣の話は出ていませんでした。とすると「天下五剣」の名称や今風の格付けを光遜が言い出したのは1942年の『日本刀大観』からでしょうか…? 色々と調べてらっしゃるようなので、既にご存知でしたらすみません。--Senu会話2020年3月6日 (金) 13:23 (UTC)[返信]
ちょうど『刀剣鑑定秘話』を眺めていたところでした。133コマあたり「古名刀を語る」という対談が載っていますが、宮形光盧(光遜の弟子)が《あの三日月宗近は「天下五口の太刀」と云はれたそうです。》と発言していますね…うーん。口は「ふり」と読むのでしょうが、これは『諸家名剣集』の表現と「天下五剣」という名称とのどちらに近いのか。ちなみに対談時期は1935年(高島屋名刀展覧会がテーマ)です。意外とこの頃に名称が固まってきたのだったりして…。まあ独自研究になってしまいそうなので「天下五剣」という名称の初出を確定する必要はないと思うのですが、記事に《本阿弥光遜・本阿彌日洲など明治時代から昭和時代に活躍した刀剣研究家の著書では多く使われている》と書いてしまうと少々誤解を与えてしまうかもしれないと思えてきました。明治時代の本に天下五剣についての記述が存在しない可能性も考慮しておきます。あと《「天下五剣」という名称自体は江戸時代以前の本にはみえない》の一文は私がそれまでの版の記述を雑にまとめただけなので消しますね。繋がりを考えて前後の文も少し編集する予定です。--小萩きりく会話2020年3月6日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
やや脱線しますが、大包平のページは「評価」の節など作って研究者の誉め言葉を比較してみると面白いかもしれませんね(神品とはすごい)。『日本刀通観』の名五剣の部分は「日蓮上人遺愛名物数珠丸記」とありますから、数珠丸を再発見して本興寺に寄付した杉原祥造の同名の書(1922年頃)の引用のようです。記事の参考文献に挙げた立道論文によれば《『諸家名剣集』が最初に紹介されたのは…『日蓮上人遺愛 名物数珠丸記』であろうか。》だそうです。考えてみれば大正8年頃に数珠丸が見つかるという大きな出来事があったわけですが、明治・大正のそれまでに五振がまとまって言及されたことがあったのかどうか?--小萩きりく会話2020年3月6日 (金) 15:03 (UTC)[返信]
おー、なるほど興味深い指摘です。『日本刀通観』と『日蓮上人遺愛 名物数珠丸記』の関係性を見て取ったのは鋭いですね。楚天や光遜ほどの人ならいつ歴史に埋もれた古文献に目を通していてもおかしくないかもしれませんが、確かに特に『諸家名剣集』の五振りの刀剣がセットで注目されるようになったのは、数珠丸再発見の報道の影響は大きそうです。これこれが初出である等と言い切ってしまうとウィキペディアの記事としては独自研究になってしまいますが、言い切らずとも、文献の年代順で書かれ方や引用のされ方を並べると色んなことが見えてきそうですね。しかし何でまた『諸家名剣集』の著者(あるいはさらにその参考元)は日蓮の伝・佩刀を五振りに撰んだのでしょうか?--Senu会話2020年3月8日 (日) 09:29 (UTC)[返信]
(インデント戻し)ご質問をうけて、しまった!と気づいて『諸家名剣集』の注釈へ「本阿弥家の一族か周辺のきわめて近い人物により」書かれたという記述を足しました。こう書くとお気づきかもしれませんが、本阿弥家の人々が日蓮上人を敬っているから、というのが数珠丸を五振りに入れた理由になるでしょうか。立道論文にはそう断定的に記述されていないのですけれども、「代々熱心な法華信者である本阿弥家にとって、『享保名物帳』中、最も重要な太刀であるといえよう」という考察があります。--小萩きりく会話2020年3月10日 (火) 06:31 (UTC)[返信]
そういう事情があったんですね。色んなカラーの太刀が選ばれているのは、さすが多趣味な本阿弥家というか趣があります。--Senu会話2020年3月13日 (金) 14:14 (UTC)[返信]
チェック 『朝日百科日本の国宝 第10巻』(1989年)に「てんごけん」の振り仮名があることを確認できたので、とりあえずその部分の出典として記載しておきました。「てんごけん」の方の出典が福永酔剣の『日本刀大百科事典』なのでそれに釣り合うというか、もう少し事典的な定義づけをしている資料で好例が見つかるといいのですが。適切な書籍等をご存知の方は加筆をお願い致します(できれば古めの資料のほうが◎です)。--小萩きりく会話2020年3月27日 (金) 08:43 (UTC)[返信]