ノート:大黒屋光太夫
「最近の調査により1度故郷伊勢へ戻っていたことがわかった。」とありますが、最近とは具体的にいつの調査なのかご存じの方がいましたら加筆訂正をお願いします。 - SEKIUCHI 2004年10月1日 (金) 12:40 (UTC)
光太夫の帰国後の詳細ですが『江戸・小石川の薬草園に死ぬまで幽閉』が長い間の通説でした、が、1986年に発見された南若松村文書により、その解釈に変化がありました。ロシアから帰国後、江戸で暮らしていた光太夫は、帰国後からの10年後の享和2年(1802)の春、一度だけ許されて故郷・鈴鹿の土を踏んでいたことが明らかになっています。三重県の光太夫の故郷 若松の役所 亀山役所に帰郷の願いを申し入れて40日ほどですが 『無事(日本に)帰国出来たことの感謝の気持ちを、故郷の神宮に奉納したい』と幕府に願い申し入れて その記録が役所に残っていたようです。漂流中も神仏にずっと祈願していたのではないかと思います、記録によると実家には帰れず 甥の家に泊まることになり 40日ほどの滞在後 また江戸の幽閉元に戻ったそうです。帰郷というか里帰りを1度だけ許されたような感じですね。--Eddyground(会話) 2019年9月6日 (金) 09:00 (UTC)
「帰国後は鎖国の禁を破った罪人として扱われ」とありますが、将軍上覧に加えて、金30両づつが支給されたとの事ですから、もう少し丁重に扱われていたのではないでしょうか? --volcaos 2004年12月19日 (日) 09:19 (UTC)
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