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ノート:大関

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大関在位記録

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現役の千代大海と魁皇から、5月場所分の在位場所数を-1させていただきました。いくら確定事項だからと、まだ番付も発表になってない場所まで記録に含めることはないし、まだ実際に開催されていない場所も「在位場所数」にふくめると、「在位中成績」と整合性が取れないと思います。--橋川桂21:00の死線 2006年3月29日 (水) 14:57 (UTC)[返信]

  • 最短在位記録について、理論上は現役死の場合に「在位1場所」があり得るが、事典本体に書くような可能性でもないのでノートに補足するにとどめる。ちなみに、昭和以降その事例はない。--210.156.142.126 2007年7月10日 (火) 07:23 (UTC)[返信]

「大関昇進3場所前成績」の節

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平成以降だいたい1年から1年半にひとりのペースで新大関が誕生してるわけで、それほど急速なペースではないものの、このまま例示が増え続ける一方というのも困りものですよね。今ちょうど霧島から鶴竜まで20例(同時昇進1例)があがっているので、これから新大関を一例追加するたびに古い例をひとつ消していくことにしてはどうでしょうね。節の名前は「(平成以降)」となっているのを「(過去20例)」に改めて。--橋川桂02:30の死線 2014年7月23日 (水) 02:30 (UTC)[返信]

大関昇進の目安について

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大関昇進の目安が「30勝」から「33勝」に変わったのは、具体的にいつからなのでしょうか?私の記憶では大乃国のときはまだ「30勝」だったと思うのですが・・・--163.131.74.134 2017年7月11日 (火) 03:40 (UTC)[返信]

  • 具体的にいつからというのはなく、運用の積み重ねで自然とマスコミが目安を引き上げてしまったというのが実際のところです。「目安が上がって大関昇進が厳しくなった」のではなく、「(それまでと比較して)高レベルの大関昇進が続いたこと等により目安が上がってしまった」のです。大乃国の前後では、北天佑が37勝、北尾が35勝、北勝海が36勝と、ハイレベルでの大関昇進例があります。大乃国の例でいえば、朝日新聞1985年7月24日付夕刊では、大乃国の大関昇進を伝える記事において31勝での昇進について「過去の大関昇進の前例からみると勝率は落ちるものの、連続6場所関脇を守った」「横綱・大関とほぼ互角の力がある」として昇進に異論はなかった、としていますが、内規については30勝とも33勝とも伝えていません(33勝に届いていないことが問題視されているなら記事でそれに言及があるはずです)。一方、小錦の場合は1987年3月場所を終えて関脇3場所で31勝としましたが、3月場所前半戦で4敗したことでその翌日の朝日新聞1987年3月15日付朝刊では場所後の大関昇進は「絶望」と伝えています(実際、残りの取組をすべて勝ったのですが千秋楽翌日の紙面では大関昇進の可能性については全く触れていません)。翌5月場所を12勝で終えて33勝にして大関昇進を果たしていますが、このときは朝日新聞1987年5月25日付朝刊で「昇進には12勝が必要」としていて、内規自体には触れていませんが暗に大関昇進には3場所33勝が必要であることをにおわせています(小錦の場合、すでに5人大関がいたことで、この時点では前例のない6大関を極力回避したい協会の思惑にも紙面では触れていて、昇進に高レベルの成績が求めらていました)。小錦の次に大関に昇進した旭富士も同様に関脇3場所31勝では昇進できずに、33勝にしてようやく昇進していることから、小錦・旭富士のケースが前例となって30勝から33勝に目安を引き上げるきっかけになったと考えられています。--60.239.86.190 2017年7月28日 (金) 23:24 (UTC)[返信]