ノート:大逆事件
近藤富枝の著作の題名は確認していません。「菅野」とするのは明らかに誤りだと思いますが、「管野スガ」「管野すが」というのは表記ぶれがあるようですので、とりあえず元の表記に従いました。
KAWASAKI Hiroyuki 11:02 2004年1月19日 (UTC)
- 『「菅野」とするのは明らかに誤りだと思いますが』……はい、明らかに誤記でした。ただ、近藤富枝の著作は手元に持っていますので、字の誤記はともかくとして、持っている本をもとにして書きました。「管野すが」という人に関してはまだ十分調べていないのでよくわからないのですが、ひょっとすると管野須賀子という戸籍名だったかもしれません。多くの表記が錯綜しており、いまのところ整理ができていない段階です。[1] 追っていずれ調べまる予定にしておりますが(あなたがお書きになってもいいと思いますが)、わたくしが書くとすればいつになるかわかりませんが、時間をいただきます。しばらくお待ち下さい。
- Opponent 15:07 2004年1月19日 (UTC)
管野の名の表記について DK 2004.3.20 「幸徳秋水事件」の「ノート」にも記したのを貼りつけます。
管野の名の「表記」に関して
両親に付けられた本名は、ひらがなの「すが」ということらしいです それが1895年、15歳で大分県に「転籍」した時に戸籍上は「スガ」と カタカナで表記されてしまいます。 『管野須賀子全集』1984年発行、弘隆社刊の年譜。 編者、清水卯之助による註書き。戸籍法の改正かと疑問付き。 それまでの戸籍は、ひらがなの「すが」ということらしいです。
文章を書くようになって、執筆テキストの多くは須賀子を使っています。 1905年以降。獄外に居た時の書簡類も須賀子。 獄中からの手紙も須賀子を最後まで使っています。
官憲の資料、法廷記録は「スガ」と表記されています。 戸籍表記第一「主義」なのか。幸徳は「伝次郎」とされています。
ちなみに官憲の資料は堺の夫人、為子も「タメ」、 大杉の夫人保子も「ヤス」と表記されています。 (『社会主義者沿革』に掲載の動静事項において。)
私自身は本名を使いたいと思っていますが、「すが」。 しかし『全集』編者が「須賀子」を選択しているし、 本人が社会主義者になってからは須賀子で通しているようなので複雑なところです。
仲間うちでは幽月、幸徳宛には「月」と記す場合があります。
条文についてですが、旧刑法116条、1947年改正前の刑法73条のみが「大逆罪」で、旧刑法117条、改正前刑法74条などは「不敬罪」であるという理由から修正をしましたが、もしかしたら、第2編第1章「皇室ニ対スル罪」に規定されている犯罪すべてを指して、「大逆罪」と呼ぶ場合もあるかもしれません。
大逆事件として挙げられている事件を見ると、天皇ないし皇太子に対する暗殺計画ばかりなので、旧116条、73条だけでいいと思うのですが、確認することができませんでした。
oxhop 16:00 2004年1月19日 (UTC)
- いろいろ調べてみましたが、刑法第2編第1章の「皇室ニ対スル罪」の章に規定されていた4ヶ条は、73条と75条の「危害罪」、74条と76条の「不敬罪」との2つに分類され、特に73条だけは「大逆罪」とも呼ばれた、ということのようです。
oxhop 14:54 2004年1月21日 (UTC)
不正確な表現が気にかかります 2004.2.6 DK
1 概要 の項 アップされているテキスト「裁判は非公開で行なわれ」
制度としては非公開ではなく裁判官の裁量で開廷後「一般傍聴人」を退廷させています。 官僚、法曹関係者、新聞記者は在廷できています。
自己補足 2.8 DK
幸徳・大逆事件では新聞記者も閉め出されたとのこと。被告たちの弁護人としては選任
されていなかった布施辰治弁護士は傍聴を要求して認められ、森林太郎も監察医として 傍聴できたとのこと、判決公判は一般傍聴が認められたが(見せしめ的な意味で)、社会 主義者は警察により排除された(石川三四郎は私服の監視をすり抜け傍聴できた)。 神崎清『革命伝説』の記述より 金子文子・朴烈大逆事件では、免訴になり釈放されていた栗原一男が特別傍聴人として 認められている、やはり判決公判は一般傍聴を認めた、最初から新聞記者が傍聴できたか どうか不明。 記事解禁後の新聞記事(複写)、山田昭次『金子文子』より 他の二件は未確認。
2 朴烈事件の項 A「5月2日に朴烈が、5月4日に文子が、それぞれ大逆罪にあたるとでっちあげられた」 <書きかけということなので中途なのでしょうか>
不正確な表現だと思います。上記の日付は爆発物取締罰則での予審で 大逆罪を二人が「容認」したことを訊問調書として残した日付です。 「でっちあげ」の第一段階なので広い意味では間違いではないのですが…… この「容認」をもとに1925年7月17日に朴烈と金子文子に対し刑法73条と爆取罰則<管轄違い ということで再度起訴>で起訴。予審に付します。 そして10月12日に検事総長小山が大審院第二特別刑事部裁判長判事豊島に大審院公判に付すべ き、という意見書を提出します。 10月28日に大審院は公判開始することを決定します。
司法制度は専門ではないので表面的にしか説明できないのですが、 起訴から予審にまわされても裁判自体は「免訴」になるケースもあります。 日付は当時の弁護士、布施辰治の著作『運命の勝利者朴烈』『朴烈・金子文子、裁判記録』を もとにしました。
B「6000人にもおよぶ朝鮮人(朝鮮系日本人 - 現在いわゆる在日コリアンと呼ばれる人たち)が」
()内の説明は不要ではないのでしょうか。
1920年代<あるいは日本の朝鮮侵略以降>の日帝本国において朝鮮人の留学生、移住労働者、滞在者<あるいは後年の被強制連行者>がおかれていた立場と、解放後の在日朝鮮人-在日コリアンの立場とは異なると
思います。
C 「同年7月22日に栃木女囚刑務所で、文子は看守の目を盗んで首吊り自殺で縊死」 確か死亡を報道した記事で一紙だけ22日としたのがあるようですが、23日が刑務所側の発表 です。死に至る経過は今でも刑務所側は充分に説明をし得ていないので23日というのも官憲側 の発表という前提ですが。 「栃木女囚刑務所」というのは正式名称ではなく宇都宮刑務所栃木支所です。
- かなりお詳しいようにお見受けしました。ぜひご自身で加筆・修正していただけないでしょうか? U.S.S.Momotaro 07:13 2004年2月6日 (UTC)
とりあえず「文子」の項を埋めました。2004.2.7 DK
(朝鮮系日本人 - 現在いわゆる在日コリアンと呼ばれる人たち) ですが、××系日本人と在日外国人はその意味する内容が違うのでは? ××系○○国人というのは、該当国の国籍を有している者では?
2004.10.01.TI また、6000人の朝鮮人が虐殺去れた、とのことですが事実なのでしょうか? 当時の新聞などに記載されているのでしょうか? 2004.10.15 TI
関連文献
[編集]幸徳秋水事件関連
[編集]- 荒畑寒村著、森長英三郎編『大逆事件への証言』新泉社、1975年
- 糸屋寿雄著『大逆事件』(『三一新書』)、三一書房、1960年
- 糸屋寿雄著『大逆事件』増補改訂版(『三一新書』)、三一書房、1970年
- 糸屋寿雄著『大石誠之助 大逆事件の犠牲者』濤書房、1971年
- 岩城之徳著、近藤典彦編『石川啄木と幸徳秋水事件』吉川弘文館、1996年10月
- 上田穣一、岡本宏編著『大逆事件と「熊本評論」』三一書房、1986年10月
- 『熊本評論』関係年表あり
- 碓田のぼる著『石川啄木と「大逆事件」』(『新日本新書』)、新日本出版社、1990年10月
- 略年譜: p203~206
- 大原慧著『幸徳秋水の思想と大逆事件』青木書店、1977年6月
- 大原慧著『片山潜の思想と大逆事件』論創社、1995年11月
- 折り込表1枚
- 柏木隆法著『大逆事件と内山愚童』JCA出版、1979年1月
- 柏木隆法ほか著『大逆事件の周辺 平民社地方同志の人びと』論創社、1980年6月
- 加藤今一郎著、小栗喬太郎編『残徒夜話 大逆事件の思い出』小栗喬太郎、1966年
- 非売
- 神崎清著『革命伝説 第1』芳賀書店、1968年
- 各巻タイトル: 黒い謀略の渦
- 神崎清著『革命伝説 第2』芳賀書店、1968年
- 各巻タイトル: 密造された爆烈弾
- 神崎清著『革命伝説 第3』芳賀書店、1969年
- 各巻タイトル: この闇黒裁判
- 神崎清著『革命伝説 第4』芳賀書店、1969年
- 各巻タイトル: 十二個の棺桶
- 神崎清著『革命伝説 天皇暗殺の巻』中央公論社、1960年
- 神崎清著『革命伝説 爆烈弾の巻』中央公論社、1960年
- 神崎清著『大逆事件』(『グリーンベルト・シリーズ』)、筑摩書房、1964年
- 神崎清編『新編獄中手記』(『大逆事件記録』第1巻)、世界文庫、1964年
- 神崎清著『大逆事件 幸徳秋水と明治天皇 1』あゆみ出版、1976年12月
- 各巻タイトル: 黒い謀略の渦(『革命伝説』の改題)
- 大逆事件略年表: p.247~264
- 神崎清著『大逆事件 幸徳秋水と明治天皇 2』あゆみ出版、1977年2月
- 各巻タイトル: 密造された爆裂弾(『革命伝説』の改題)
- 神崎清著『大逆事件 幸徳秋水と明治天皇 3』あゆみ出版、1977年3月
- 各巻タイトル: この暗黒裁判(『革命伝説』の改題)
- 神崎清著『大逆事件 幸徳秋水と明治天皇 4』あゆみ出版、1977年5月
- 各巻タイトル: 十二個の棺桶(『革命伝説』の改題)
- 慶応義塾大学経済学部飯田研究会編『大逆事件 解説及び文献目録』(『飯田研究会論文集』昭和34年第1)、慶応義塾大学経済学部飯田研究会、1960年
- 謄写版
- 幸徳秋水全集編集委員会編『幸徳秋水全集』補巻、明治文献資料刊行会、1982年4月
- 各巻タイトル: 大逆事件アルバム 幸徳秋水とその周辺
- 大逆事件関係年表: p134~136
- 幸徳秋水ほか著、大逆事件の真実をあきらかにする会編『大逆帖 堺氏蔵』大逆事件の真実をあきらかにする会、1981年1月
- 大逆事件処刑七〇周年記念出版、はり込書簡31枚、付(13p 26cm):「大逆帖」のしおり
- 小松芳郎著『松本平からみた大逆事件』信毎書籍出版センター、2001年11月
- 斎藤道一著『大逆のとき ハレー彗星燃えて』筑摩書房、1985年11月
- 主な参考資料一覧: p285~289
- 坂本清馬著、大逆事件の真実をあきらかにする会編『大逆事件を生きる 坂本清馬自伝』新人物往来社、1976年
- 佐木隆三著『小説 大逆事件』文藝春秋、2001年1月
- 塩田庄兵衛、渡辺順三編『秘録大逆事件』(上・下)、春秋社、1959年
- 志田行男著『「暗殺主義」と大逆事件』元就出版社、2000年9月
- [スガ]秀実著『「帝国」の文学 戦争と「大逆」の間』(『以文叢書』6)、以文社、2001年7月
- 専修大学今村法律研究室編『大逆事件 1』(『今村力三郎訴訟記録』第30巻)、専修大学出版局、2001年3月
- 専修大学今村法律研究室編『大逆事件 2』(『今村力三郎訴訟記録』第31巻)、専修大学出版局、2001年3月
- 専修大学今村法律研究室編『大逆事件 3』(『今村力三郎訴訟記録』第32巻)、専修大学出版局、2001年3月
- 大逆事件記録刊行会編『証拠物写』(上・下)(『大逆事件記録』第2巻‐上下2冊)、世界文庫、1964年
- 「大逆事件」の犠牲者を顕彰する会編『90年を経て 『「大逆事件」の犠牲者を顕彰する会』設立より新宮市の顕彰決議まで』「大逆事件」の犠牲者を顕彰する会、2001年10月
- 大逆事件の真実をあきらかにする会編『大逆事件訴訟記録・証拠物写 第4巻』近代日本史料研究会、1960年
- 謄写版
- 大逆事件の真実をあきらかにする会編『大逆事件訴訟記録・証拠物写 第8巻』近代日本史料研究会、1960年
- 謄写版
- 大逆事件の真実をあきらかにする会編『大逆事件訴訟記録・証拠物写 第5巻』近代日本史料研究会、1962年
- 謄写版
- 武安将光著『幸徳秋水等の大逆事件』勁草書房、1993年3月
- 文献目録: p142~145
- 徳富健次郎著、中野好夫編『謀叛論 他六編・日記』(『岩波文庫』)、岩波書店、1976年
- 中村文雄著『大逆事件と知識人』三一書房、1981年12月
- 中村文雄著『中里介山と大逆事件 その人と思想』三一書房、1983年5月
- 中村文雄著『大逆事件の全体像』三一書房、1997年6月
- 茂木一次著『大逆事件のリーダー 新村と幸徳と私』金園社、1956年
- 森長英三郎著『風霜五十余年 大逆事件』森長英三郎、1967年
- 謄写版
- 森山重雄編著『大逆事件=文学作家論』三一書房、1980年3月
- 「大逆事件と文学」年表: p291~294
- 山泉進、荻野富士夫編・解説『「大逆事件」関係外務省往復文書』不二出版、1993年1月
- 吉田孤羊著『石川啄木と大逆事件』明治書院、1967年
- 幸徳秋水および大逆事件関係文献: p236-247
- 渡辺順三編『十二人の死刑囚 大逆事件の人々』新興出版社、1956年
- 渡辺順三編、江口渙解説『菊とクロハタ 幸徳事件の人々』新興出版社、1960年
- 『十二人の死刑囚-大逆事件の人々』の訂正改題
- 渡辺順三著『幸徳事件の全貌』社会書房、1948年
- Joseph Cronin (ジョセフ・クローニン) 『The Life of Seinosuke:Dr. Oishi and The High Treason Incident―誠之助の生涯:ドクトル大石と大逆事件』 White Tiger Press 2007年、入手:編集グループSUREより可能
虎ノ門事件関連
[編集]- 有田卓也著『大正の晩景 虎の門事件をめぐる人間模様』近代文芸社、1996年1月
- 参考・引用文献一覧: p441~445
- 岩田礼著『天皇暗殺』図書出版社、1980年1月
- 岩田礼著『煉獄 女たちの虎ノ門事件』三一書房、1995年7月
- 竹中労原作、かわぐちかいじ画『黒旗水滸伝 大正地獄篇』(上・下)皓星社、2000年
- 劇画、対談(竹中労、大田竜)
- 中原静子著『難波大助・虎ノ門事件 愛を求めたテロリスト』影書房、2002年2月
- 原敬吾著『難波大助の生と死』国文社、1973年
- 原敬吾著『難波大助の生と死』(第2版)国文社、1980年11月
- 松谷与二郎著『思想犯罪篇』(『世界犯罪叢書』1)、天人社、1931年
- 『難波大助大逆事件 虎ノ門で現天皇を狙撃』黒色戦線社、1972年
- 『難波大助大逆事件 虎ノ門で現天皇を狙撃』(増補版)黒色戦線社、1979年9月
- 折り込図2枚
- 『虎ノ門事件裁判記録』黒色戦線社、1992年
朴烈事件関連
[編集]- 金子ふみ子著『何が私をかうさせたか 金子ふみ子獄中手記』黒色戦線社、1972年
- 春秋社1931年刊の複製
- 金子ふみ子著『何が私をこうさせたか 獄中手記』(新版)、春秋社、1998年9月
- 金子ふみ子著『何が私をかうさせたか 金子ふみ子獄中手記』(増補版)黒色戦線社、1975年12月
- 金子ふみ子著『何が私をこうさせたか』(『筑摩叢書』286)、筑摩書房、1984年2月
- 金子ふみ子ほか著『日本人の自伝 6』平凡社、1980年12月
- 各巻タイトル: 福田英子、金子ふみ子、相馬黒光
- 内容細目: 福田英子著『妾の半生涯』、金子ふみ子著『何が私をこうさせたか』、相馬黒光著『黙移』、解説: もろさわようこ
- 福田英子・金子ふみ子・相馬黒光略年譜: p493~495
- 金子文子著、瀬戸内晴美ほか解説『赤いつつじの花 金子文子の思い出と歌集』黒色戦線社、1984年7月
- 金子文子略歴あり
- 金子文子著、瀬戸内晴美解説『金子文子歌集』黒色戦線社、1976年
- 金一勉著『朴烈』合同出版、1973年
- 朴烈関連略年表・主な引用・参考文献:p.245-254
- 再審準備会編集『金子文子・朴烈裁判記録 最高裁判所蔵』黒色戦線社、1977年9月
- 副書名: 「刑法第73条ならびに爆発物取締罰則違反」、付: 参考資料
- 鶴見俊輔編『現代日本記録全集 第14』筑摩書房、1970年
- 各巻タイトル: 生活の記録
- 内容細目: 『対談・金子ふみ子をめぐって』(井上光晴、鶴見俊輔)、松原岩五郎著『最暗黒の東京』、横山源之助著『日本の下層社会』、金子ふみ子著『何が私をこうさせたか』
- 布施辰治、張祥重、鄭泰成共著『運命の勝利者朴烈』世紀書房、1946年
- 布施辰治ほか共著『運命の勝利者朴烈』黒色戦線社、1987年7月
- 世紀書房1946年刊の複製
- 山田昭次著『金子文子 自己・天皇制国家・朝鮮人』影書房、1996年12月
- 金子文子・朴烈関係文献目録・年表: p344~376
桜田門事件関連
[編集]- 荻野富士夫編・解題『特高警察関係資料集成』第12巻、不二出版、1992年6月
- 各巻タイトル: 水平運動・在日朝鮮人運動
- 内容細目: 差別撤廃運動状況、最近ニ於ケル水平運動、労働農民水平社団体系統調、朝鮮人情報第一号、朝鮮総督府通報朝鮮内外ニ於ケル情報、国外在住朝鮮人情況、内地在留朝鮮人ノ最近ニ於ケル一般状況、義烈団一派ノ兇暴計画概要、最近ニ於ケル在留朝鮮人状況、外桜田町ニ於ケル李奉昌不敬事件顛末、上海ニ於ケル尹奉吉爆弾事件顛末、内外に於ける不逞鮮人の策動状況、所謂朝鮮人軍官学校の概要、支那事変ニ伴フ不逞鮮人の策動状況、居るぞ!不逞鮮人.最近に於ける在支不逞朝鮮人の策動状況、内地在住朝鮮人ニ関スル諸問題ニ就テ
- 山泉進『憑依する大逆‐「大逆事件」研究の現場から』
- 上村忠男ほか編『歴史が書きかえられる時』(『歴史を問う』5)岩波書店、2001年11月所収
虎ノ門事件へ記事分割することを提案します。--経済準学士 2007年3月29日 (木) 17:51 (UTC)
- すいません。提案読んでませんでした。虎ノ門事件に記事として執筆してしまいましたので、該当部分は概要を除き除去する事を提案します。--赤井彗星(人/話) 2007年9月1日 (土) 11:36 (UTC)
- テンプレートを除去しました。--赤井彗星(人/話) 2007年9月7日 (金) 22:50 (UTC)