ノート:大谷光瑞
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まだ着手してませんが。結構、大谷光瑞師は好きなので、ぼちぼち書こうと思います。
大正から昭和初年の、日本が軍国化しつつも、世相的には(間違った面はあったにせよ)日本人が珍しく海外に希望を持って飛び出していった時代だったわけで、そういう時代に仏教でつながる亜細亜を意識していたと見える大谷光瑞という人物像は、宗教法人のトップというよりも、文化人であり実業家でもあり、非常にユニークな生き方をした人だと思う。
関東大震災で倒壊した築地本願寺を、伊東忠太博士の設計になるインド様式で再建するなど、「突飛な『かたち』によって、逆に『かたち』にとらわれない」事を表現したのかも知れないし、本願寺の金をたっぷり使って文化事業を行ったのも、宵越しの金は持たねぇ江戸っ子みたいで、逆に金には執着しないという生き方だったのかも知れない。
まあそういうことで、予約(笑)Adacom 16:11 2003年7月18日 (UTC)
光瑞さんが好きなんて、今時、とても本願寺では言えやしませんゼ>ダンナ
と言いつつ、ボクは公言しているんだけど。なんせ、本願寺の現代を作り上げた人ですから、スッゲー人間です。1千ページくらいの原稿なら立ったまま1週間もあれば書き上げて、生原稿に手を入れるスキがなかったという話です。近くの寺の老住が例の中学校に入れられて、とてつもなく厳しい勉強させられたらしい。
生きているうちに一度お会いしたかった人物の一人です。
booze 21:59 2003年7月18日 (UTC)