ノート:大正天皇
この「大正天皇」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2020年7月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
遠眼鏡事件について
[編集]遠眼鏡事件について戦前は言われていなかった事を信憑性が無い理由に挙げていますが、 戦前戦中の時期は皇室の尊厳を犯す事が強烈なタブーとされていた事から考えると 戦前の文献が無い事を事件が存在しなかったとする説の理由にするのは適当ではないと 思われます。--以上の署名のないコメントは、チムニー(会話・投稿記録)さんが 2004年8月30日 (月) 10:16 (UTC) に投稿したものです。
- いやいや、丸山は左翼だから信用できない。記事も朝日新聞だから大正天皇が弱いというのは左翼のデマだろう。中立的ではない。それに右翼ネタは中立的に云々いうのに左翼ネタはスルーというのは差別だ。記事の中立的観点に疑問を呈したい。--以上の署名のないコメントは、221.190.226.13(会話/Whois)さんが 2007年1月6日 (土) 05:59 (UTC) に投稿したものです(彩華1226による付記)。
- ↑の方の「左翼だから丸山は信頼できない」というのには同意できませんが、本稿では何が何でも大正天皇に問題があったとしたいようなニュアンスが取れます。「大正天皇は明治天皇に注意されてもビリヤードや庶民に話しかける癖を止めず、皇室の体面を考えなかった。だから障碍がある可能性がある」これだと例えばヴィクトリア女王に逆らってパリの娼館に入り浸っていたエドワード7世や、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ帝と対立し、新聞にアナーキズム的投書をしたルドルフ皇太子なども問題があるということになります。これには無理があるでしょう。「勅書を遠眼鏡にしたことは戦前の不敬罪との兼ね合いがあったからで、虚構ではないだろう」この話しは不敬罪が存在した戦前にもいわれてたことですし、「戦前だから」という理由で事実とされることの方が適当でないと思いますが。--61.210.120.169 2007年1月10日 (水) 15:41 (UTC)
- エドワード7世フランツ・ヨーゼフと比較するのは無理があります。彼らか普通の大人です。大正天皇は、一般大衆から今で言う知識障害者であったと疑われていたのです。皇室にはそれを否定する証拠が無かったのです。和歌の筆跡、握手している写真、生活している写真、ご学友の話など一切出していないのです。愛子様で同じような問題に直面したときは、皇室から映像の提供があり、その疑問がかなり解消しました。大正天皇の場合、多くの問題が有り、学校に行くことも、天皇としての職務も出来無かったのです。病状は精神的、肉体的多岐にわたり、長い期間にわたっています遠眼鏡事件だけしか報道されないのは問題です。病弱とだけ発表されていますが、そのような病名は無いのです、具体的な病名があるはずです。天皇が障害者であって何が問題なのでしょう昭和皇后は20年にわたって寝たきりでした、今後とも皇族の寿命が延びると、障害者や寝たきりの皇族が増えると思われます。右翼・左翼というのは一つの事象に対するスタンスの違いでしかない。一つの人格が単純な二元論のみであらわされると考えているなら噴飯ものである。例をあげれば、皇国史観(記紀の歴史観に重きを持つと考えてもらっていい)を持つ夫婦別姓賛成派の人間などは右翼的でもあり左翼的でもあるといえる訳だ。右翼とか左翼とかの言葉の意味すら怪しいのに使う浅慮には苦笑を禁じえない。「戦前」に皇室に関しての報道に縛りがあったのは事実である訳だし、地方というか田舎であればあるほど神聖視されていたのは当然でしょう。敗戦後の人間宣言まで天皇を本当に天の子と信じていた(そういう教育を受けていた訳ですが)庶民もかなり多かったわけです。「遠眼鏡」などはうわさ話としても、友人などの親しい内輪話を除けば、さほど心を許してない者に対してやオフィシャルな場面で口に出すことは到底考えられないでしょう。--以上の署名のないコメントは、218.114.69.64(会話/Whois)さんが 2007年2月18日 (日) 07:28 (UTC) に投稿したものです(彩華1226による付記)。
- ↑の方の「左翼だから丸山は信頼できない」というのには同意できませんが、本稿では何が何でも大正天皇に問題があったとしたいようなニュアンスが取れます。「大正天皇は明治天皇に注意されてもビリヤードや庶民に話しかける癖を止めず、皇室の体面を考えなかった。だから障碍がある可能性がある」これだと例えばヴィクトリア女王に逆らってパリの娼館に入り浸っていたエドワード7世や、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ帝と対立し、新聞にアナーキズム的投書をしたルドルフ皇太子なども問題があるということになります。これには無理があるでしょう。「勅書を遠眼鏡にしたことは戦前の不敬罪との兼ね合いがあったからで、虚構ではないだろう」この話しは不敬罪が存在した戦前にもいわれてたことですし、「戦前だから」という理由で事実とされることの方が適当でないと思いますが。--61.210.120.169 2007年1月10日 (水) 15:41 (UTC)
素朴な疑問ですが、皇室の尊厳を犯す事が強烈なタブーなら、なんで小学生レベルにまで噂が広がってるんでしょうか?--彩華1226 2007年3月25日 (日) 18:32 (UTC)
事実の誤り
[編集]細かいのですが、人物像のところで、「即位前は4人の息子たちと気軽に合唱を楽しむなど良き父親であったという」という記述があります。 三笠宮さまは即位後にお生まれになっているので、ちょっと気になり、ノートに残しておきます。--素牛(会話) 2015年12月8日 (火) 08:04 (UTC)
大幅加筆について
[編集]今年の5月ごろ、急に、今までこのページには無かった、大正天皇を不適切に貶めるような記述が新たに書き加えられるようになりましたので、どうしても気になる部分を、削除させていただきました。私個人では判断がつきかねたもので、歴史に詳しい友人数名と一緒に見てもらい、何が何でも大正天皇に問題があったと言いたいような、どうしても私たちからみて気になる部分を、削除させていただきました。ただ、長くこの「大正天皇」のページでは、そのような一方的な記述を見かけなかったし、どうして長年なかったこの種の改稿を、5月以降にされたのか、逆に聞きたいところです。
あとは、単に日本語として気になった「唱歌はまあまあ」とか、百科事典サイトとしては些か表現に疑問が残る「政治能力の無さを示す」という見出し、「1912年11月、大正天皇は桂太郎内大臣に突然(おそらく思い付きで)元帥任命を打診する」といった部分も気になりました。 ファウスト567 (コメントの位置を移動しました--Iso10970(会話) 2020年6月26日 (金) 14:02 (UTC))
- 大幅加筆を行ったものです。大正天皇については、近年、存命であった当時の記録(例:医師の診断書)や関係者の日記(例:原敬日記)等を基にした研究が進められ様々な本も出ているものの、過去の記事はそうした文献を反映していない不十分なものでした。今回の加筆にあたっては、ゴシップ本や小説などではなく天皇や皇室などを研究する専門家による書籍や論文(Wikipedia:信頼できる情報源に該当するものばかりです)を踏まえており、ネガティブに見える事柄も学会では広く共有されているものです。そしてそれに触れないことには、当時の人々が大正天皇の体調をどう観察していたのかなどが分からず、一人の人間としての天皇の実像を描いた伝記記事にはならないことから記述が必要だと考えました。ファウスト567さんが書かれている内容に疑問を持つのはご自由ですが、まずは参考文献に挙げた本(入手しやすいところで、原武史『大正天皇』『皇后考』や古川隆久『大正天皇』など)に目を通され、その上でご議論できればと思います。なお私は以前から大正天皇や貞明皇后はじめ近代の皇族に関心があって調べており、改稿が今年5月になったのはたまたまで執筆に着手してから数か月かかっています。あと文章表現について、「唱歌はまあまあ」ですが、これは参考文献(古川隆久『大正天皇』p.20)に書かれている通りの表現であり、「突然(おそらく思い付きで)元帥任命を打診する」は、同じく古川の本のp.131-132にある「突然天皇から元帥の称号付与を持ち掛けられて(中略)桂は、天皇の申し出を天皇の気まぐれとみなして応じなかった(中略)これが大正天皇の単なる思いつきであった可能性が高いが、」を私なりの言葉で書き換えたものです。「政治能力の無さを示す」の見出しは趣味の問題でしょうが、私は違和感を感じておりません。それと、Wikipediaでは署名の方法が定められていますので、Wikipedia:署名をご覧ください。--Iso10970(会話) 2020年6月26日 (金) 14:02 (UTC)
私も大正天皇については興味があり、原武史先生の「大正天皇」「皇后考」と古川隆久先生の「大正天皇」などはすでに何度も読んでいますが、古川先生の本はあなたの記事同様、必要以上に(おそらくは原先生への反論のために必要、ないし「押し込め説」否定のために)、大正天皇の無能さ、暗愚さ、素人レベルの詩才、などを強調していて、読んでいて、違和感、不快感を覚えてしまう箇所が多かったと記憶しています。良心と感性の問題でしょうが、難しいところです。原先生、古川先生の両著作にはそれぞれいいところもあれば悪いところもありますが、加筆部分のほとんどが古川先生の著作から引かれており、なんだかなぁと。さらに、「まあまあ」という変な表現までそのまま引用されても・・・と思いました。「己れは別に身体が悪くないだろー」という言葉の表現も、最後の伸ばし棒があるかないか、「ー」か「う」か、その前後の表現で、この場面の大正天皇の印象もガラッと変わってくるため、注意していただきたいです。まあこれもただ単にそのままの引用なのでしょうが・・・
四竈(しかま)孝輔の日記の話など、まだまだ有名なエピソードがあるのにそういうのは出さないで、天皇のネガティブな情報、ネガティブな回想ばかりが前面に出てきていて、やはり納得はいきませんが、記事の訂正に応じてくれなさそうなので、半分あきらめていますが、皆さんが見ることのできる「ノート」に、私のような意見を書きこめるのでまだ私のような意見も救われるかなと思います。今度はミネルヴァ評伝選の「大正天皇」を読んでみる予定です。--ファウスト567(会話) 2020年6月27日 (土) 11:05 (UTC)
いやいや、ノートページは、私の文章が最後になっていますよ? 私の意見に返信しなかったのはあなたの方では? 大正天皇に対する悪意のようなものが全面的に感じられはしますが、その辺をもう少し表現を改めてくれるだけでいいのですがね。 では、これからは、大正天皇の人柄や、温かい話題にも、言及・加筆していこうと思いますが、こういう行為も「荒らし」とされてしまうのでしょうか?返答願います。 --ファウスト567(会話) 2020年7月23日 (木) 13:46 (UTC)
大正8年勅令304号についての記述削除
[編集]「この6月に大正8年勅令304号を発布したが、その内容は、日本政府がドイツ、オーストリア、ハンガリー及びトルコの個人や法人の財産を管理できるとするものである(1920年に効力停止)。」
という記述を削除しました。これに伴い、効力停止のリンク切れについてのテンプレートを削除します。削除理由としては以下。
- そもそも出典未記載。
- 他にも勅令がある中でこの勅令を特記した理由が不明。「体調悪化」の直後に出された勅令だから?
- 「この(大正9年=1920年)6月」に出された大正8年勅令304号が「1920年に効力停止」となっていることについても説明がない。緊急勅令の項によると、この勅令は審議未了により失効になったとのこと。
--narumi(会話) 2022年6月1日 (水) 11:56 (UTC)
画像のライセンス
[編集]報告 Sashi Suseshiさんが2023年9月7日 (木) 09:15 (UTC)にアップしてくれた画像「Showa Emperor Hirohito in 1970.jpg」ですが、ライセンス上の問題があります。Sashi Suseshiさんは、この写真は「PD-Japan-exempt」だと主張しています。また、81.41.175.237さんは「PD-Japan」と主張しています。しかし、この写真は1970年1月に撮影されたものですので、明らかに著作権侵害と考えられます。(秦澄美枝『昭和天皇御製にたどるご生涯』PHP研究所、2015年。この本によれば、この写真は「昭和45年1月」に撮影されたとされています。)したがって、ライセンス上の問題が生じています。申し訳ありませんが、このような画像は掲載できません。ゆうゆうゆうゆうやん(会話 / 投稿記録 / 記録)さんの2023年10月21日 (土) 14:27 (UTC)の編集によって、こちらの記事に掲載されましたが、除去いたしました。大正天皇の記事において、このような行為が堂々となされたことは大変残念です。--Nnkrkrhhdi(会話) 2023年10月31日 (火) 17:59 (UTC)
- 削除された画像なんですが、僕は無断転載かな?と思いました。 ゆうゆうゆうゆうやん(会話) 2023年10月31日 (火) 23:56 (UTC)
- コメント 無断転載ならば、著作権が残存している以上は削除対象ですね。--Nnkrkrhhdi(会話) 2023年12月10日 (日) 20:34 (UTC)
- 情報 削除依頼の結果、当該画像はウィキメディア・コモンズから削除されました。なお、削除されたのは2023年12月2日 (土) 15:52 (UTC)のはずです。--Nnkrkrhhdi(会話) 2023年12月10日 (日) 20:34 (UTC)