コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:大森彌

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

氏は日本大学および中央大学の大学院での就学経験は有りません。中央大学法学部卒(学士)→東大大学院修了(博士)です。220.218.24.188 2008年2月1日 (金) 10:19 (UTC)[返信]

日本大学(学士)および中央大学で修士をとったという主張の方は、その根拠を提示する必要があります。Takuomo 2008年2月4日 (月) 00:45 (UTC)[返信]

大森氏が日本大学卒業であることは、紳士録、日本人物年鑑で参照して下さい。中央大学卒は、正式には、中央大学大学院修士課程終了のことです。逆に日本大学卒ではないことの証拠を二つ以上挙げてください。--Qweq 2008年3月24日 (月) 10:08 (UTC)[返信]

『現代日本人名録2002(1)あ~かと』(日外アソシエーツ、2002年、1485頁)では、「中央大学法学部政治学科卒」と記されています。『第八十版日本紳士録』(交詢社、2007年)には大森彌の項目は存在していません。Qweq氏がいう「紳士録」とは何を指すのか、該当する頁など具体的に提示して下さい。--133.19.126.5 2008年3月25日 (火) 02:47 (UTC)[返信]

2002年では古過ぎでは?確かめようもありません。何とでも言えます。--Qweqn 2008年3月25日 (火) 08:23 (UTC)[返信]

Qweqn氏が参照した文献の書誌情報を具体的に示してください。--133.19.126.5 2008年3月25日 (火) 08:25 (UTC)[返信]

『第八十版日本紳士録』(交詢社、2007年)には大森彌の項目は存在していないような無名の人ですから、院修了だけ書けばいいものと判断されます。--Qweqn 2008年3月25日 (火) 08:28 (UTC)[返信]

『読売年鑑別冊2008分野別人名録』(読売新聞社、2008年、171頁)では、中大法、東京大学大学院(博士)となっています。--133.19.126.5 2008年3月25日 (火) 08:32 (UTC)[返信]

そういうのは、誰でも言えます。--Qweqn 2008年3月25日 (火) 08:36 (UTC)[返信]

改めてQweqn氏が参照した文献の書誌情報を具体的に示してください。--133.19.126.5 2008年3月25日 (火) 08:39 (UTC)[返信]

あなたも具体的に目に見える形で提示してください。なお私は、提示した覚えなどありません。だれかとお間違いでは?--Qweqn 2008年3月25日 (火) 08:45 (UTC)[返信]

Qweqn氏が考える「具体的に目に見える形で」とはどのようなものかご教示願いたいものです。--133.19.126.5 2008年3月25日 (火) 08:54 (UTC)[返信]

加藤淳子「大森彌先生を送る言葉(含業績一覧)」『社會科學紀要(東京大学大学院総合文化研究科)』第49輯(1999年)には、「法学を専攻しようと進学した中央大学在学中…」「大学四年生の時、…辻清明先生の教えを受けたことが、東京大学大学院法学政治学研究科進学を決めるきっかけとなった」(1-2頁)と記されています。--133.19.126.5 2008年3月25日 (火) 09:36 (UTC)[返信]

googleで検索をかけても、そんな話は載っていない。目に見える形にすらならない。あちこちでおおばれしてている中央卒の学歴マニアであろう、君は。--Qweqn 2008年3月25日 (火) 16:48 (UTC)[返信]

大森彌「先生の文章指導」辻清明追想集刊行会編『回想の辻清明』(辻清明追想集刊行会, 1993年)には、「私が、初めて辻先生と直にお話したのは、昭和三七年五月頃だったと思う。中央大学法学部政治学科の四年生で、非常勤講師の先生の行政学を二一六号の大教室で受講していた」(252頁)とあります。またこの記述から中央大学卒業年は1962年ではなく1963年であることがわかりました。--133.19.126.5 2008年3月26日 (水) 02:42 (UTC)[返信]

そんなものはここで真偽の程はわからない。作り話であろう。一つの証拠じゃ、虚偽だの何だのと編集合戦になるから、以下で証拠をお見せしよう。つまりは、大森何某は、日大卒にしろ中大卒にしろ、公的には書かないわけだ。紳士録では日大卒となっているが、嘘だというのじゃ仕方あるまい。googleに登場してもらおう。

http://biz.sbrain.co.jp/keyperson/K-2911.htm

http://www.jiam.jp/workshop/seminar/20/tr08084.html

http://www5f.biglobe.ne.jp/~natu-love/profile_3p.html

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/policyrese/informat/gaibuhyouka.html

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/policyrese/informat/gaibuhyouka.html

http://www.zck.or.jp/column/writer.htm

http://sbkoushi.exblog.jp/6896820/

1940年、東京生まれ。68年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。同年、國學院大学法学部専任講師に就任。71年、東京大学教養学部助教授に就任。84年、同大学教養学部教授、97年から99年まで、東京大学大学院総合文化研究科長・教養学部長を務める。2000年3月、東京大学を停年退官、同年4月より千葉大学法経学部教授。同年5月に東京大学名誉教授となる。05年3月、千葉大学を定年退職。地方分権推進委員会専門委員(くらしづくり部会長)、日本行政学会理事長、自治体学会代表運営委員、川崎市行財政改革委員会会長等を歴任。現在、内閣府独立行政法人評価委員会委員長、社会保障審議会委員(介護給付費分科会会長)、富山県行政改革推進会議会長代理、都道府県議長会都道府県議会制度研究会座長、地域活性化センター全国地域リーダー養成塾塾長、NPO地域ケア政策ネットワーク代表理事などを務める。

だから、中央大学卒業なんて書いてはならん。全部、「68年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了」としか書いていない。まだまだあったが、めんどうくさいので、これぐらいにしてやろう。--Qweqn 2008年3月27日 (木) 02:55 (UTC)[返信]

大森本人および彼の同僚であった加藤の記述が「作り話」だと判断する根拠は何ですか。また彼らが恩師の追想集や大学紀要にわざわざ「作り話」を載せる必要性はどこにあるのですか。加えて「紳士録では日大卒となっているが、嘘だというのじゃ仕方あるまい」と書いていますが、Qweqn氏が参照した「紳士録」の書誌情報を具体的に提示してください。あるいは「大森氏が日本大学卒業であることは、紳士録、日本人物年鑑で参照して下さい」と記したQweq氏や 2008年3月24日の編集で「人物年間(ママ)で確認済み」と書いたYtk12氏でもかまいません。これまで「日本大学卒業」と編集した方々はいかなる情報源に基づいて編集したのか提示してほしいものです。--133.19.126.5 2008年3月27日 (木) 06:35 (UTC)[返信]

「検証不能な記述、大言壮語、一般人の名前・著名人の非公表の本名・在学が公式発表されていない著名人の記載をしないでください。」とかいてある。君はこの条件を満たしていない。中大卒であることの証拠を示すURLを3つ以上示しなさい。俺は、たくさん示した。もっと示せというなら示せる。できないから話をそらしているのだろう。IPで書き込んでいることからもわかるとおり。--Qweqn 2008年3月27日 (木) 08:17 (UTC)[返信]

Qweqn氏の提示した「証拠」なるものは「中央大学卒」と記載されていないことを示すだけであり、「中央大学を卒業した事実」に対する反証となっていません。また先に挙げた『現代日本人名録2002(1)あ~かと』(日外アソシエーツ、2002年)、『読売年鑑別冊2008分野別人名録』(読売新聞社、2008年)、『社會科學紀要(東京大学大学院総合文化研究科)』第49輯(1999年)、辻清明追想集刊行会編『回想の辻清明』(辻清明追想集刊行会, 1993年)は、最寄の公共図書館もしくは図書館相互貸借制度を利用して国立国会図書館などから取り寄せることによって閲覧できる十分に検証可能な情報源であり、大言壮語との批判は的外れであること、そして「googleなどネット上で検索できないから」という理由は情報源としての印刷物の価値をまったく失わせるものではないことは明らかです。またQweqn氏は、自らが参照したと記す「紳士録」の書誌情報を具体的に提示する責任を依然として果たしていないのはどういうことでしょうか。--133.19.126.5 2008年3月27日 (木) 08:49 (UTC)[返信]

「中央大学を卒業した事実」に対する反証の反証としてUrlを5つ程度提示してください。最寄の公共機関ですぐわかるようなものであれば、すぐインターネットで示せるはずです。話はそらさないように。提示できないなら、「東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了」と書くしかありません。--Qweqn 2008年3月27日 (木) 09:02 (UTC)[返信]

日大卒の東大教授の辻誠一郎氏の履歴など、インターネットで山ほど出てきます。

http://sbk.k.u-tokyo.ac.jp/03staff/kyouin/tuji.htm

http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/51/research_21_2.html

http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/ichiran/kozin/04/04.html

辻 誠一郎(つじ・せいいちろう) 1952年滋賀県生まれ。日本大学文理学部卒業。理学博士。大阪市立大学理学部講師、国立歴史民俗博物館助教授・教授を経て現在、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。国立歴史民俗博物館客員教授。

これぐらいでやめとくが、証拠とはこういうもの。数がある程度そろっていて、インターネットで皆が見れるもの。--Qweqn 2008年3月27日 (木) 09:52 (UTC)[返信]

いずれにせよ、日大にせよ中央大にせよ、学士の部分は本人が積極的に公開していないことは確実と思われます。どちらの学士号を取得したのかの真偽は棚上げにして、確実に確認できた「東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了」から学歴部分の記載をスタートする(学士や修士号については触れない)のが解決策として最も妥当だと思われますが、いかがでしょうか?

学歴部分を東大院から記載することに異論はありませんが、「日本大学卒業(ないし中央大学大学院修士課程修了)」と編集した計16名のユーザーの誰一人からもそれを証明する情報源が提示されていないこと、その一方で「中央大学卒業」に関しては大森本人の記述をはじめとして複数の検証可能な情報源が提示されていることを考えますと、十分真偽の判断は可能だと思われます。したがって真偽についての判断を棚上げする形での合意形成は拙速すぎると感じます。むしろ「日本大学卒業か中央大学卒業か確認できない」から記載しないとするのではなく、「中央大学卒業であることを大森本人が積極的に公表していない」との理由から学部卒の記載を控えるという方向で合意形成ならびに編集方針を立てるのが適切だと思われます。--133.19.126.5 2008年4月2日 (水) 12:18 (UTC)[返信]


保護をかけました。出典を持ち合って突き合わせて下さい。必要に応じて Wikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源 などを参照してください。--スのG 2008年3月25日 (火) 08:42 (UTC)[返信]

Qweqn純血主義と考えられます。議論はこちらが疲弊するだけでムダです。--Ihsanan 2008年4月3日 (木) 15:17 (UTC)[返信]