ノート:大日本帝国海軍航空隊
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立項ご苦労様です
[編集]分量も多いだけにかなりな手間を掛けられたのではないかと想像します。ところで恐らく英語版を叩き台になさったのではないかと思うのですが、そのせいか気になるところが何箇所かありました。自信の有る個所は自分で編集したのですが、どうもおかしいんじゃないか?って疑問点を上げてみます。
- 帝国海軍航空隊とアメリカ軍の最初の遭遇(1932年) の節
- この事実は知りませんでしたが、このパイロットは後のフライングタイガーズのような義勇兵、つまり米国籍の中国軍人ではないでしょうか(もしくは傭兵)。となるとアメリカ軍ではなく単に米国籍のパイロットと戦ったと言うことに過ぎず、記事にする特筆性が感じられません。以上の理由からコメントアウトしました。
- "太平洋戦争の開戦当初、空母を基地とする航空隊には1,500名以上の操縦士と、それと同数の航空機が所属していた。"
- 信じられません。当時の空母の艦載機合計がどれくらいだったかの資料は持っていませんが、仮に1隻平均70機としても10隻で700機にしかなりません。「操縦士」が「搭乗員」の間違いだとすると、艦戦1人・艦爆2人・艦攻3人で大雑把に計算して航空機数は平均半分で750機前後となるのですが(この見積もりでも過大かと)。しかも次節の"地上基地航空隊の航空機は第二次世界大戦前夜まで日本の海軍航空の大部分を形成していた"とも矛盾します。とりあえず「太平洋戦争の開戦当初、空母を基地とする航空隊には1,500名以上の搭乗員が所属していた。」に編集しました。
- "地上基地航空隊の航空機は第二次世界大戦前夜まで日本の海軍航空の大部分を形成していた"
- 提示してある出典を読めないので分りませんが、当時の海軍航空隊は基地航空隊と空母航空隊の2本柱で成り立っていたのではないかと認識しています。航空機の絶対数では基地航空隊のほうが多かったのでしょうけど、戦力的には空母航空隊は無視できるものではなくこの記述では不適切に思います。また「大部分」がどの程度を指すのか(50%を超えれば大部分なのか?)、「大戦前夜」がどの時点を指しているのか(文字通りの意味なのか、翔鶴・瑞鶴竣工前の1941年初頭なのか)分りません。
- 歴史-黎明期 の節について
- イギリス海軍の影響を受けて航空隊設立の動きが始まったような記述となっています。実際には英国海軍とはかかわりなく、ライト兄弟の初飛行の4年後、1907年から航空隊設立への動きが始まっています。センビル教育団が日本海軍に与えた影響は大きいのですがそれは第一次大戦後のことです参考。この節も書き換えようかと思いましたが記述が長くなりそうだったのでそのままにしてます。
- どうでもいいこと
- 第二次世界大戦 の節は書くべきことが多くて膨大な分量になりそうな気が・・・・・
--Soica2001 2011年1月2日 (日) 08:25 (UTC)
- 反応がありませんでしたのでとりあえず自分の思うように編集し、疑問タグを除去しました。内容は概ね前述の通り。他に出典付きの記述ではありましたが以下の文章を除去しました。
- 太平洋戦争の開戦当初、海軍航空隊は五つの海軍航空艦隊で構成されていた[7]
- 開戦当初、航空艦隊と呼べるのは2つしかありませんでした。--Soica2001 2011年1月17日 (月) 22:03 (UTC)
- 太平洋戦争の開戦当初、海軍航空隊は五つの海軍航空艦隊で構成されていた[7]
- 編集いただきありがとうございます。自分はあまり知識がないのでお恥ずかしい限りです。ただ「海軍航空隊」の全般を記述した項目が無いのが残念だと思い、とりあえず英語版の記事をそのまま翻訳して記事を作成した次第です。今後もどんどん直していただけるとありがたいです。--114.155.195.243 2011年1月31日 (月) 09:16 (UTC)