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ノート:大数の法則

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DEATH NOTE

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どうせ何かの勘違いなんだろうなあ、と思いつつ、記述の妥当性を検証するために、わざわざ DVD を借りて見てみました。まあ、それなりに楽しめましたが。その上で当該部分を除去しました。「キラが学生であることを推理する場面で、L が大数の法則に言及した」くらいがまだしも正確なところでしょうか。そもそもここで L が大数の法則を持ち出すところがややズレており、閲覧者に大数の法則に対する誤解を与えるおそれがありますので、いずれにせよ記述は不要です。ターンエーガンダムといい、度胸星といい、数学記事に書き込まれる「一発ネタ」は(ノートにまともな説明でもない限り)問答無用で除去してもよいのではないか、という考えに傾きつつあります。一般に、きちんとした知識もなしにメディアの情報を鵜呑みにしないで頂きたいし、当該項目に対する理解を深めるために役立つ内容であるかどうかを吟味して頂きたいものです。--白駒 2008年5月2日 (金) 12:39 (UTC)[返信]

「経験的確率と理論的確率が一致する」という説明

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いま、この記事の(前半では)は「経験的確率と理論的確率が一致する」という線に沿って大数の法則が解説されています。しかし、これは不適切(もっとキツい言い方をすれば大間違い)ではないかと思うのです。なにかが確率 p で起こるというモデルとしてベルヌーイ分布を選んだときに、このような表現になるのだと思います。つまり特殊な場合の解釈を述べただけであって、大数の法則の説明としては不適切ではないでしょうか。もちろん、この〈特殊な場合〉は非常に重要で、歴史的にもヤコブ・ベルヌーイが最初に Ars Conjectandi (1713) で示したのはこの場合のようです(ドイツ語版de:Gesetz der großen Zahlen#Schwaches Gesetz für relative Häufigkeiten参照)。

似た表現をするならば「経験的期待値は理論的期待値に収束する」という方が適切だと思います。具体例も上のような誤解を与えないように、コイン投げではなくサイコロの目の例のように期待値が何かの確率にならないものをまず挙げた方がよいかもしれません。このような方向に沿って編集をするのは記事の半分を書き直すことになるので(大変ですし、加えて上のような「不適切な説明の解説」は注意深くノートまで見る読者にとって有用だと考えたので)、とりあえずノートに書き込みました。もちろん、なにか指摘やコメントがあれば歓迎します。--ARAKI Satoru会話2018年7月11日 (水) 18:40 (UTC)[返信]