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ノート:大山綱毅

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薩摩藩では下級武士(郷士含む)の分家はけっこう実例があるのですが、禁じられていたという出典はあるのでしょうか。ちなみに、分家は本家より家格が下がり、門構えで区別が付くのですが、これは薩摩藩だけかも?--盛風力 2008年2月3日 (日) 10:49 (UTC)[返信]


以前、分家を禁じた主旨の文献を目にしていますが、現在、なんだったのか調査中です。分家を原則禁止していたために、他家に養子いったりしたと、同文献にありましたが、調べてから、内容を変更したりするつもりです。--220.111.240.206 2008年2月4日 (月) 10:45 (UTC)中村次郎[返信]


 もとになった資料は今もって調査中ですが、その資料(郷土史関係だったように思いますが)「薩藩政要録」の4巻をもとにしていた記憶があるので、どうぞ調べてみてください。違っていたら、削除願います。--210.237.32.170 2008年2月7日 (木) 07:36 (UTC)中村次郎[返信]

 薩摩藩の分家の事実(郷士を含んだ)は知っていましたが、当初、この書き込みをした時点では特例だと思っていました。なぜなら、郷士については分家しているのは上級郷士の家がほとんどで、また、城下士についてはそれなりの役職についたものの代でが分家しているものですから。ただ、門構えについてはしりませんでしたが・・・。資料は調査中--220.111.240.207 2008年2月9日 (土) 08:47 (UTC)中村次郎[返信]

問題は、分家禁止の決まりがあったとしても、それがこの大山綱道・綱毅の事例の説明として適当かどうかです。「綱毅の分家は父や祖父が島津継豊の近臣となって、出世したために出来た事なのである」と胸を張って言い切れる史料的根拠がなければ書くべきではないのでしょうか。ましてや「綱毅も病没しなければ、もう少し出世したかもしれない。」などと個人的感想を加えるのはいかがなものかと。分家は下士でも経済的に豊かであれば実例があるので建前はどうあれ一概に身分で定義できるものでもないと思います(上級郷士も薩摩藩では下級武士です)。それから、「どうぞ調べてみてください。違っていたら、削除願います。」はどういうことでしょうか。自らの記述に責任を持って、出典が明らかに出来なければ自分で削除なりコメントアウトするのが筋ではないでしょうか。--盛風力 2008年2月9日 (土) 12:33 (UTC)[返信]

 では削除しときます。調べているうちに自信なくなったので。--60.38.255.134 2008年2月11日 (月) 09:33 (UTC)中村次郎[返信]