ノート:大和 (戦艦)/過去ログ1
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バルバスバウ
[編集]前から気になっていたので調べたのだが、バルバスバウは翔鶴の方が先に採用しているのではないか?0null0 08:40 2004年1月8日 (UTC)
- お久しぶりです。:-)
- おお、いつの間にかそういう記述が……。>最初に採用
- 私はどの艦が日本で最初かなど詳しくは知らないのですが、とりあえずコメントアウトしておきましょうか。
- - Gombe 09:38 2004年1月8日 (UTC)
沈没場所
[編集]大和の沈没場所は、男女群島南方と言うのは知名度が低く分かりにくいのでは?やはり奄美北方とか屋久島西方とかの方が良いのではないでしょうか?ロリ 14:41 2004年1月12日 (UTC)
知名度云々はあまり関係ないのでは。地図を見れば分かることですし。 --以上の署名のないコメントは、61.116.169.250(会話/Whois)さんが 2004年1月12日 (月) 14:50(UTC) に投稿したものです。
その地図はここには載っていませんので・・・。ロリ 14:58 2004年1月12日 (UTC)
- そう、その地図をあらためて見ないと行けない(と先に書かれたX-<)。
- あと、沖縄特攻の燃料についての記載は誤りです。片道分と満載の半分が勘違いされたのではなく、片道分しか載せないということになっていたが、燃料タンクの「へそくり」をかき集めてなんとか半分にまではした ということです(本当は満載させてやりたかったがそこまでは「へそくり」が無かった)。Pochi
奄美大島や屋久島が女島より知名度があると言っても、それらの島もやはり地図を見ないと分からないわけですから、女島南方と書いていようが同じことだと思うのですが。緯度経度も書いてあるのですから、知名度云々は関係ないと思います。それから燃料の件は私も変だと思っていました。結構誤った記述があったのは閉口ものです
- ちょっと違うんじゃないかな?奄美や屋久島は多くの人が知っていて位置もだいたい想像がつくけど、女島と書いて位置がわかる人ほとんどいないのでは?と言う意味です。それと何で知名度の薄い小さな女島を選んだのか不思議です。あと、何でも良いのでハンドルネームを記していただけると見やすいのですが。(菊水作戦の出港地や、主砲弾が苦し紛れに発射されたものばかりだったとか)これは私が記したのですがHNKのドキュメンタリーで言ってました。ロリ 16:02 2004年1月12日 (UTC)
- 奄美大島や屋久島と聞いて場所をどれくらいの人が知っているか(=地図を見なくて済む人)、女島と聞いて場所をどれくらいの人が知っているか という問題だと思います。緯度経度は大体の場所ではなくて詳細な場所を知りたい人(地図見ること前提)やデータとして知りたい人向けであって、異なるニーズだと思います。
- 誤った記述に関してはプロジェクトの性質上致し方ないかと。
-
- またしても競合か・・・
- Pochi
- 男女群島の女島なんてローカルな地名誰がどこから引っ張ってきたんだ?そんな誰にもわからん地名書いても意味ないんじゃない?よく出るのは奄美大島沖とか坊の岬沖っていう表現だし、「戦艦大和」の本には徳之島の北方200海里って記述してあるぞ。--61.201.194.24 2007年3月3日 (土) 08:02 (UTC)
編集のマナー
[編集]5月25日に「設計に関する負の評価」として追記した者ですが、その後61.211.205.129氏によってその内容がごっそり削除されています。内容的には不備な点は当然あったと思いますので、誤りに対しての指摘や訂正、あるいは不備のない内容へ書き換えて頂くというのなら納得致しますが、有無を言わさず削除されるというのは甚だ遺憾です。削除の一方で氏によって追記された内容を見ると恐らく私の追記した内容が氏のお気に召さなかったのだろうということは察しがつくのですが、だとすればそのような理由で削除されるというのもこの辞書の意義としては妙な話です。削除するならせめて私の記述の奈辺に問題があったのかをログに残すなり、変動IPではなくログインして削除して頂くなりの配慮を頂きたかったです。もしよろしければ本件につきまして皆様のご意見をお聞かせ下さい。486FR 12:53 2004年5月28日 (UTC)
- マナーの問題ですね。大幅削除、変更する時は何かコメントを残すなり議論するべきです。ルータを使ってる人はログインできないのかどうか知りませんが、特にログインしないで編集する人はマナーが悪い人が多いです。ロリ 15:27 2004年5月28日 (UTC)
- マナー問題はさておき、486FR氏は集中防御と言う概念が発生した経緯をご存じ無いのではないしょうか?要約すると「浮いていても大砲が撃てなければそれは存在しないのと同じなので戦艦は火力を失う時=沈む時と言う設計であるべき」です。つまり、「集中防御を採用」と書かれている時点で486FR氏の記述された内容は織り込み済みなのです。もちろん、大和も抜かれた後の対策を行っていない訳ではありませんが。詳細はユトランド海戦における被害報告にふれた書籍などを参照してください。真実一路の魚雷は大人になってからシリーズにて比較的まとまった記述がなされています。
- また、水雷防御は注水した細かな防水区画を多層用意するのが最善手であり、大和のヴァイタルパートのそれはどちらかと言えば水中弾対策に重きをおいた設計です。
- 以上余談ながら--T-ohara 16:15 2004年5月28日 (UTC)
- ご意見有難う御座います。T-ohara様のご指摘、痛み入ります。私ごときが追記するなど僭越でした。やはりこの程度の知識で手を出すべきではなかったと痛感しております。これ以上は恥の上塗りとなりますのでどうぞこの件はお忘れ下さい。ご迷惑をお掛けいたしました。486FR 17:31 2004年5月28日 (UTC)
- 私が記述した内容は、本来61.211.205.129氏が要約に記述すべき事項ですので、486FR氏のマナーに関する問題提起は有意義なものです。--T-ohara 18:00 2004年5月28日 (UTC)
- ちと気になってtracert かけてみました。一連の削除とrevertもどきの改変、項目のみの追加はTNC TOKAIネットワーククラブのPPPアクセスユーザですね。たぶん同一人物でしょう。--T-ohara 09:21 2004年5月29日 (UTC)
- 戦艦は火力を失う時=沈む時と言う設計であるべき これはあなたの独自論でしょう。火力を失っても浮いているべきです。人的資源の点でも、修理補修の点でも、戦力を完全喪失しても浮いているべき設計にすべきでしょう。--メルビル 2008年5月27日 (火) 01:35 (UTC)
61.211.219.154氏へ。自らの記述に拘泥るのは構わないが、艦上構造物に関する記述を船体形状に記述するのはいかがなものかと。あと、コメントにも書いたが雑踏と言う単語は人が集まった様を示す単語であり、構造物の場合は乱雑あたりを使用するのが適当である。--T-ohara 07:24 2004年6月5日 (UTC)
疑問
[編集]「パナマ運河を往来しなければいけないアメリカ海軍は、構造的に40センチを超える砲門を搭載し得る船幅を持つ艦艇を建造できず」とありますが、防御力や速力等を犠牲にすれば可能なはずで、相応の防御力を持ったバランスの取れた性能の艦艇が建造できないだけです。N3や13号艦は33m以内に収まる予定だったようですし。 「八八艦隊の設計者である平賀造船官の伝統を受け」とありますが、艦艇は設計しても艦隊は設計しないでしょう。 「5月29日ミッドウェイ海戦に参加」とありますが、「5月29日柱島を出港、MI作戦に参加」くらいの方が良いのでは? 「おとり艦に守られアメリカ軍基地撃破を目指し湾の入り口まで来たが」とありますが、守られではなく、支援され、等の方が適切では?また基地の撃破ではなく、上陸部隊(船団)の撃破が目的では?あと、湾の入り口とありますがレイテ湾のことですか?さらに、サマール沖海戦の記述と順序を入れ替えた方が良いのでは? 「米軍に占領された沖縄奪還の名目の元」とありますが、まだ占領されていなかったのでは?「上陸された沖縄支援」等が適切では? 以上--KZY 09:59 2004年6月5日 (UTC)
同型艦に信濃を挙げていますが、細かく言うと信濃と命名されたのは空母となってからです。戦艦としても信濃という艦名になったかは今となっては分からないことだと思います。「第110号艦(空母信濃となる)」としておく方が良いのでは?--KZY 11:33 2004年6月19日 (UTC)
横から見たシルエットは、主砲配置はサウスダコタに、外観デザインはダンケルクにかなり似ている、という趣旨の記述がありますが疑問です。主砲配置だけならいくらでも同じ艦があります。ダンケルクと似ているというのは何を指していっているのでしょうか?元の通り、サウスダコタとシルエットが似ている、の記述の方が適当では?--KZY 2004年7月2日 (金) 16:44 (UTC)
>外観デザインはダンケルクにかなり似ている ええと、恐らくは外観デザインならびに偽装の近似性を言っているのだと思います。ダンケルク級と大和級は艦橋構造物の下に缶を置くオフセット方式はフランスのダンケルクから普及した技術です。缶から煙突への強制廃棄方式もそうですね。 名無し氏はそういった事を言っているのではないでしょうか? ダンケルク級の船体構造図と大和級の船体構造図を見比べてみると、一般に範とされたネルソン級 よりかは前者の方に近似性が見て取れます。 K-SYAN --以上の署名のないコメントは、221.191.88.215(会話/Whois)さんが 2004年8月1日 (日) 15:06(UTC) に投稿したものです。
- シルエット云々の記述なので、そのようには受け取れませんでした。単に文章表現上の問題ですかね。--KZY 2004年8月4日 (水) 14:54 (UTC)
「砲塔そのものは大和型用に新造」とありますが、測距儀の位置変更、防熱板の装着といった改修を行ったため外観はかなり変わったが、あくまで「改造」、というのが定説だと思います。新造説の出典は....?--KZY 2004年12月11日 (土) 08:26 (UTC)
「大和」と名付けられた戦艦は他にも(以前にも)あったはずですが、全く(?)記載がないのはおかしい。せめて一言触れるべきと思います。220.145.66.112 2005年7月4日 (月) 15:14 (UTC)
「戦艦大和」から「大和型戦艦」の記事を分離
[編集]本記事(以下戦艦大和)ですが、内容に「大和型戦艦(以下大和型)」で独立可能な記事があるように思います。そこで「戦艦大和」から記事を抜き出し、「大和型戦艦」として独立項目にしたいと思います。
対象となるのは
- 概要
- 主要諸元
- その他
- 関連内の「大和型 (架空戦記)」
そのほかの記事も、「大和型」を書いていると思われるものを抜き出したいと思います。よろしいでしょうか。 --A6M4 2005年10月25日 (火) 09:01 (UTC)
大和の主砲超40サンチ砲の事
[編集]大和の主砲は正確には46サンチ45口径ではなく 46.5サンチなのですが、
大抵出版社に語呂合わせの為に0.5センチ分切り捨てられています。 此処は如何したら良いでしょうか?
超40サンチは主砲の大きさを知られないための暗文 なのですが記述すべきでしょうか。 --219.165.160.140 2006年1月5日 (木) 03:28 (UTC)
- 46サンチで良いのでは? 18インチではなく46サンチが正解(約0.5サンチ異なることになる)というのが、どこかで話がずれた? また「超40サンチ」なんて呼称はありましたっけ? 制式名称は「九四式四十糎砲」。制式名称について記述するのは望ましいことだと思います。--61.24.43.84 2006年1月6日 (金) 23:25 (UTC)
- 制式名称については大和型戦艦に記述があります。West 2006年1月8日 (日) 01:31 (UTC)
- 設計図にその名称で記載された旨の記述はありますが、制式名称であることは記述されていませんね。--61.24.43.84 2006年1月8日 (日) 05:32 (UTC)
- この際なので大和型戦艦の記述を変更してみました。--61.24.43.84 2006年1月8日 (日) 05:37 (UTC)
- 設計図にその名称で記載された旨の記述はありますが、制式名称であることは記述されていませんね。--61.24.43.84 2006年1月8日 (日) 05:32 (UTC)
- 制式名称については大和型戦艦に記述があります。West 2006年1月8日 (日) 01:31 (UTC)
ちなみに掲載された写真(靖国神社の46センチ砲弾)は、手で押してみると解りますが、鉄板を丸めて作った贋物です。本来は実物大模型だったはずで、削除したほうがよいと思われます。 --以上の署名のないコメントは、210.146.21.31(会話/Whois)さんが 2006年5月29日 (月) 18:52(UTC) に投稿したものです。
保護依頼
[編集]本記事の半保護依頼をいたしました。理由は信濃 (空母)を荒らしたユーザーと同一人物と思われるIPユーザーの荒らし行為が繰り返されたためです。不正確な記述はいい加減にしていただきたい。--STB-1 2006年5月27日 (土) 07:15 (UTC)
呉工廠 造船船渠と第四船渠の混用について
[編集]呉工廠造船船渠(造船ドック)と第四船渠(第4ドック)が混同されているので加筆しました。造船ドックは建造・補修・整備のすべてが可能ですが。深さが11mと浅いため、修理用ドックとしては制限がありました。とくに完成した「大和」型では浅すぎて浮揚できず整備ができません。ドックそのものの水の容積が足りず、浮力が得られないのです。船体工事の段階でぎりぎりでした。そこで整備・補修には第三船渠をはさんでその隣の第四船渠(第4ドック)が用いられました(他艦では艤装も可能です)。戦後になってドックの呼称が変更されているので、情報が錯綜するなか編集された光人社さんの『日本海軍艦艇写真集1 戦艦大和・武蔵・長門・陸奥』(1996年 44頁)の説明がそのまま現在もいたるところで採用されているみたいなのでお知らせします。当時としては情報が少なかったため仕方ないと思います。とてもいい本ですが、そろそろ改訂版が必要かもしれません。ちなみに呉工廠造船船渠は世界最初の大造船ドックとして明治45(1912)年3月に開渠式を行っています(呉工廠編『呉海軍工廠造船部沿革史』20頁)。当時は全長270m、幅35m、深さ10m。第四船渠(第4ドック)は、昭和4(1929)年11月16日の竣工です。大きさは長さ338m、幅44m、深さ17m。かつての第4ドックはIHIマリンユナイテッド呉工場のなかで今日も護衛艦の整備をするなど健在です。と、いうことでまるきり別ものですので皆様ご理解くださいませ。(署名し忘れてました)--Yoshiro SAITO 2006年7月14日 (金)
- :8月8日付でWESTというかたが「署名修正」???していました。内容は何も変更ありませんでしたので削除しています。私Yoshiro SAITOの執筆部分をさも自分の記述のようにするのはやめてください。--Yoshiro SAITO 2006年8月9日 (水) 03:35 (UTC)
- 修正したのは署名の日付部分です(差分をご確認ください)。あなたの執筆部分を自分の記述のようにしたつもりはありませんが、ご不快に思われたのならすみませんでした。West 2006年8月9日 (水) 11:00 (UTC)
燃料について
[編集]タンクの底にあった燃料をかき集めただけではなく、護衛総隊向けの燃料7000トンのうち 4000トンを第二艦隊向けとして削られたと、当時の護衛総隊参謀の大井篤氏が 著書「海上護衛戦」で記述されてますので燃料について加筆しました。 因みにこの無茶な作戦のために行われた燃料削減によって 護衛計画が滅茶苦茶になったと恨み節も述べておられますが。2006年7月17日 (月) 15:57 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、GFcommander(会話・投稿記録)さんによるものです。
連合艦隊旗艦の変更を示すことばについて
[編集]表現についてGFcommander さんと「移揚」なのか「委譲」なのかはたまた「移譲」なのかといくつかやりとりがありましたのでノートに書き込むことにしました。 ここで対象となるのは「指揮権」そのものではなくて、それを保有する人物の所在、「旗(flag)」をどの艦に掲げるのかということにかかってきます。 司令長官が移動するだけで司令長官が交代するわけではないのですから「譲る」ものではないですよね。 連合艦隊司令部がどこに移動したのか、それを示す旗がどの艦に移動して揚げられたのかということです。 だから、二等巡洋艦「大淀」が連合艦隊旗艦となった時にも、連合艦隊司令長官の将旗が移動して掲げられるので、やはり「移揚」となりますし、陸上に司令部が移動した折にも結局は「移揚」ってことになってしまいます。 そもそもこれは日常用語ではなくて海軍が文書中に用いている専門用語ですのでなかなか難しい表現ですね。 結局、普通に「○○から△△に旗艦が替わった」と書けばいいだけのこと。 このような難解な表現はミリタリーの世界ではいくつもあるのではないでしょうか? こういう議論の展開でページがわかりやすく、より完成度の高いものになればそれでいいですよね。--Yoshiro SAITO 2006年8月8日 (火) 15:43 (UTC)
- なるほど、納得です。私が先にこちらに書けばよかったですね。お手数おかけして申し訳ないです。勉強になりました。--GF 2006年8月10日 (木) 13:24 (UTC)
- 私も不勉強なので、教えていただきたいことは沢山あります。艦艇に掲げる旗の種類に関しては『海軍辞典』にもあるのですが、詳しい海軍専門用語や地方出身者同士の意思疎通を補うことにもなった独特の「隠語」となると掲載が少なく、正確な記述もないようです。一部は『日本海軍錨揚ゲ』に皮肉を交えて登場しています。近年の戦争を扱った映画やドラマ・書籍の用語使用方法批判も交えて阿川弘之・半藤一利の両老にわかりやすくまとめていただくといいなと思っています。お元気なうちに。--Yoshiro SAITO 2006年8月11日 (金) 06:59 (UTC)
- なるほど、納得です。私が先にこちらに書けばよかったですね。お手数おかけして申し訳ないです。勉強になりました。--GF 2006年8月10日 (木) 13:24 (UTC)
戦艦大和の海上特攻の解釈について
[編集]「1億総特攻のさきがけ」説が完全に否定されているように書かれていたので表現を変えました。「航空特攻のおとり」説の当否を完全に判断できるほどの識見はありませんが、さきがけ説のほうが一般的であるため、このような変更を行った次第です。坊ノ岬沖海戦の記事ではさきがけ説が取り上げられています。--Akitsumaru 2007年2月13日 (火) 02:12 (UTC)
- 百科事典に反するような論考記述を、編集、修正してくださり有難うございます。「さきがけ説」は無謀な作戦を正当化する戦後の説だとは思いますが、この点を強調しすぎてしまい申し訳ございません。たしかに、多くの方が「さきがけ説」が信じられている以上、それに矛盾する記述は適切に変更していただきたく思います。--Chiba007 2007年2月13日 (火) 15:58
はじめまして。「1億総特攻のさきがけ」というのは無謀な作戦を強行させるための単なる大義名分だと思われます。このスローガンによって菊水隊員たちの士気高揚に役立ったことは容易に想像できます。--マナー向上委員会 2007年3月1日 (木) 09:26 (UTC)
そもそも「一億総特攻のさきがけ説」っていったい何でしょうか? 1.の説明を見ると全国民を特攻に駆り立てるための宣伝効果として「戦艦大和の海上特攻」が行われたという説のようですが、そんな説は今まで聞いた事もありません。文中にあるようにそもそも大和の存在は国民はもちろん、海軍の兵でさえ知らないものが多かったのですから。--マナー向上委員会 2007年3月5日 (月) 09:03 (UTC)
本文内に記述があるように、「一億総特攻のさきがけ」は伊藤長官以下第二艦隊首脳を納得させるために窮余の言葉として使われたいわば「方便」であり、伊藤長官以下もその言葉が出たことで反論を止めたとされています。既に下された命令を拒否することはもとより不可能であり、その上で納得させ納得するための言葉だったと一般には解釈されていると考えます。つまりこれは別に国民や軍を奮起させるために、宣伝として使おうとして出された言葉でもなく、流布しようと考えて用いられた言葉でもありません。「一億総特攻のさきがけ」説など、そもそも存在しないのではないでしょうか。 一応リンクも貼られていましたので目を通してみましたが、「鳥飼行博」氏のサイトの記述はわざわざ一項目を割いて取り上げるほどのものではないように思います(それにしても、鳥飼行博氏関連の項目や編集履歴を見てみると、何とも言えない感を覚えますが・・・)。 この項目は削除してしまってよいと思うのですが、如何でしょうか。 。--Ryuga 2007年3月6日 (水) 14:55 (UTC)
私も上記編集者と同意見で削除してかまわないと思います。。「一億総特攻のさきがけ」説など、そもそも存在しないと感じます。
それは別にして私としては「鳥飼行博」の主張自体にもかなり疑問があります。
- 1,2の大和の存在を国民が知らなかったというのはわざわざ主張するまでもない常識であり
- 3の豊田大将は「戦艦大和の沖縄突入成功の確率は50%もなかった」と証言したが、と記述してありますが実際にはそのあとに「うまくいったら奇跡だ」という言葉が続きます
- 4,5「海上特攻中止命令を、戦艦大和に乗艦していた伊藤整一長官が発したという説が流布されている」そんな説も聞いたことがありません。ちなみに駆逐艦が沈没艦乗員の救助を打ち切ったのが午後6時15分で連合艦隊司令部からの中止命令はその前の4時39分には発信されてます。駆逐艦3隻は大和沈没後から現場で救助活動をつづけており「退却し始めた水雷戦隊の行動を追認するかのように、沖縄突入中止の命令を発した」という退却の事実もありません--マナー向上委員会 2007年3月7日 (水) 17:40 (UTC)
反論も無いようですので、本稿はリンクと共に削除します。--Ryuga 2007年3月26日 (月) 11:10 (UTC)
削除しましたが元に戻されてしまったようです。編集合戦にする気は無いのですが、元に戻すのであればノートを見ていただきたいものです。もう一度削除し、誘導しておきます。。--Ryuga 2007年3月28日 (水) 10:10 (UTC)
>一億総特攻のさきがけ
戦後と言うより、つい最近ではないでしょうか。私は00年頃に初耳として聴きました、主にTVで。
世の中拡大解釈が好きな人たちはいる訳ですし、放置でもよろしいかと。
少なくとも、私は2000年まで、一億特攻の先駆けとか言う単語を聴いたことがありません。
例の本ですら、眉唾ですし、そもそも文学に近いものであり、
多少のフィクションや演出があってもしょうがないと思います。
>マナー向上委員会氏
海上特攻の中止命令、そして漂流者救助については、同じく戦記文学「雪風は沈マズ」が詳しいかと思います。
また、別の話ですが、駆逐艦涼月は中破しながら、
しかも機械室における故障で後進しか出来ない状態(5ノット前後)で佐世保まで撤収しています。
最後に、戦後数十年たってもプロパガンダに利用される大和はまさに悲劇の艦であるし、
それを声高に主張する右左にもいい加減うんざりですね。
新しいメディア(ここにせよ)は修正主義者の糊口を凌ぐ場所でもありますからね。
--以上の署名のないコメントは、Kanakana89(会話・投稿記録)さんが 2007年9月28日 (金) 22:36(UTC) に投稿したものです。
分割提案
[編集]履歴継承のない分割が行われたので、差し戻されましたが、再発を回避するため分割を提案します。分割先は、戦艦大和に関係する作品の一覧。こちらには
のみを残す形で。--open-box 2007年3月10日 (土) 16:18 (UTC)
- 分割には賛成ですが、記事名は「~が登場する作品の一覧」の方がいいように思います。更に、大和よりは少ないかもしれませんが武蔵も合わせて「大和型戦艦が登場する作品の一覧」ではどうでしょう(信濃の立場がありませんが……)。West 2007年3月10日 (土) 19:23 (UTC)
- 登場する作品にすると、模型の類(今のところ記述はありませんが、大和はこちらも豊富です)やウルトラセブン(大和そのものは登場しない)が除外されてしまうので……。武蔵は今のところ無風状態ですが、登場作品ではなく武蔵についての作品になっていますし、この際まとめて大和型戦艦に関連する作品の一覧ではいかがでしょうか。--open-box 2007年3月13日 (火) 14:14 (UTC)
- 賛成大和型戦艦に関連する作品の一覧 --宮本すぐる 2007年3月16日 (金) 01:59 (UTC)
- 賛成です。大和型戦艦に関連する作品の一覧--玄史生 2007年3月16日 (金) 10:05 (UTC)
- 大和型戦艦に関連する作品の一覧にフィクションの項を分割、整理した後に参考文献を転記(転載)しました。フィクションと戦艦大和を描いた作品を分け、参考文献から戦記を後者に追加、据わりが悪いのですが残りを研究・調査等としてとりあえずまとめてあります。さらに、模型の例として呉市海事歴史科学館の10分の1模型を出しておきました。過大かも知れませんので、不要と思われた物は削除して下さい。信濃は、参考文献しかなかったので節だけ準備してあります。--open-box 2007年3月23日 (金) 16:22 (UTC)
「三大無用の長物」という言葉の削除
[編集]「また、万里の長城、ピラミッドと並んで、世界三大無用の長物の一つ」というのは俗説というか、与太話の類かと思われますので削除しました。直感としては分かりやすい話ですが、どれも計画・建築(建造)時には十分意義があったものですし、大和型戦艦に昭和三大馬鹿査定へのリンクもありますので、少なくとも本項目の定義部に書く内容ではないと考えられます。--Akitsumaru 2007年6月6日 (水) 14:15 (UTC)
- KASAGI氏によって4回も記載されているが、どれも全て除去されていますね。--Kuron 2007年6月6日 (水) 14:20 (UTC)
ミッドウェー攻略について
[編集]根拠を示さずに記述を書き換える方がいるのであえて書くが、米国にとって、ミッドウェー島の占領が許容できなかったのは、暗号解読などで兵力的に不利であることを認識しつつも、虎の子の空母3隻を投入したことでも明らかである。日本が空母を失ってもなお、戦艦部隊でミッドウェー攻略を試みた場合、空母2隻と基地航空部隊だけで撃退できるとは考えられず、ハワイ西北1,200浬に配置した戦艦部隊を投入することになる。この時点で日本側が上陸部隊を上げていたとしても、ミッドウェーは遮蔽物のない島であり、戦艦部隊の砲撃を防ぐことは不可能である。つまり、島を夜間砲撃しようとする米戦艦と、同島を防衛しようとする日本戦艦との間で、艦隊戦が生起することは、充分に考えられる。繰り返すが、ミッドウェーが失っていい根拠地であるなら、空母の投入はない。失えない根拠地の危機に対し、戦艦6隻ものまとまった戦力が近隣にいて、投入しないこともあり得ない。砲撃戦の経緯云々と言われるが、日本側が制空権・制海権を保持していないミッドウェーに米軍が戦艦を投入しない理由があるなら、ぜひご教示頂きたい。--59.157.176.1 2007年7月17日 (火) 05:01 (UTC) (本文から転記)
- 御自分の意見は記事本文にコメントアウトで書き込まず、こちらで主張するようにしてください。West 2007年7月17日 (火) 10:38 (UTC)
君が自分の説を完全否定されて、頭にくる理由はよくわかる。 けれど、君の書いてることは見当はずれだろう?
第一に指揮官が誰かを忘れている。 ミッドウェーを保持するためには莫大なコストが必要であり、帝国海軍にそんな余力はなかった。あれはあくまで餌。米空母撃滅のための餌。MI作戦は米残存空母の撃滅だ。それができなくなった以上、司令官が山本であるかぎり、島は忘れてよい。日本軍は必ず撤退するのでこの話はそもそもない。
第二に米空母の攻撃能力は限界に来ているので、補給の必要がある。したがって米戦艦は航空支援は受けられない。現に米艦隊は撤退している。
第三に航続力の長い零戦が空母沈没後にB17へ攻撃をかけてきた為、新たな空母の出現を米軍は確信していた。
第四にアメリカのオンボロ戦艦が世界一の日本戦艦群に戦いを挑むわけがない。挑んでも島の奪還は不可能。
この話はそもそも、大和とはあまり関係ない。戦艦部隊は本来MI作戦では不要です。
最後にミッドウェーは根拠地じゃないよ。
=高槻 --以上の署名のないコメントは、高槻(会話・投稿記録)さんが 2007年7月18日 (水) 09:50(UTC) に投稿したものです。
挑発的な書き方をされるのはなぜでしょうか。辞書の記述を論じるのに対し、頭にくる理由がどうこうとか、わざわざご自身の主観を書かれる理由がわかりません。大和ホテルに関しての記述にも感じますが、ご自分のサイトならともかく、辞書の記述ですから、根拠を明示されない感情的な批判はさけたほうがよいかと。 では1~4について反論致します。
1.「山本五十六提督ならミッドウェー占領後に必ず撤退する」という、資料的根拠を示してください。ミッドウェーを保持するために、どれほど多くの船舶が必要かについては知っておりますが、山本提督の基本構想が短期決戦指向であり、ミッドウェー後にハワイ作戦を考えていたという資料も残っています。そしてハワイ作戦の場合(どれほど補給船舶の負担が大きかろうと)哨戒・航空支援などの根拠地としてミッドウェー島の確保は不可欠です。 また、文章化された作戦目的として、米空母撃破と島の占領が両立していたのも事実であり、山本提督の判断のみで、陸軍を巻き込んでの島からの撤退などが行えるというご説には、無理があるように思います(そんなに山本提督に指導力があるなら、“不要な”戦艦部隊を出撃させないことが可能だったでしょう。私は不要と思いませんが)。そして、ミッドウェーの占領自体、ドーリットル空襲を受けて哨戒強化のためという目的があるわけで、補給負担が重いだろうから、占領後すぐに撤退するというご発言は、何を根拠にされているのでしょうか。 また、残存米空母撃破以外は作戦目的ではないと言われますが、莫大な艦船を動かし、貴重な燃料を60万トンも使って、その目的がたかが米空母数隻の撃破なのでしょうか。到底割に合うものとは思えませんね。当然「次の一手」のためのミッドウェー攻略ではないかと思いますが。
2.4空母喪失後に栗田艦隊の重巡に航空攻撃を行ったのは、どこの国の艦載機なのでしょうか。ハワイ西北に護衛空母を含む艦隊を配置したのは、艦載機の補給手配を含めてのこととしか思えないのですが。
3.私が申し上げたのは「日本の4空母が沈没してもなお、日本戦艦部隊がミッドウェー攻略のために進撃した場合」の話なのですが。史実において4発重爆が示した索敵能力を考えても、日本戦艦が来る頃には、米側は当然、航空索敵で日本4空母の全滅を確認していることでしょう。高槻さまが3.で何を言われたいのか、私にはわかりませんが、当然日本戦艦部隊迎撃のために、空母、基地航空隊、水上艦隊の投入は行われるわけです(でなければ、あの位置に米戦艦部隊を待機させる理由がありません)。
4.戦艦の性能差など、米海軍が戦いを挑まない理由にはなりません。例えばカタログ値で性能が劣る伊・仏新型戦艦に対し、英旧式戦艦は果敢に戦いを挑んでいます。米軍が英軍に闘志や艦艇の補充能力で劣るとは思えませんが。また、米側は日本戦艦の改装後性能について熟知しており、自軍戦艦は性能が劣ると認識していたのでしょうか(大和型、長門型、金剛型の米側評価については知っておりますが、米側は全然わかっていなかったとしか思えません)。また、米戦艦6隻のうち、コロラド級2隻は16インチ砲搭載戦艦であり、残りの4隻も14インチ砲12門搭載の有力艦です。制空権が空母や島の航空支援を受けられる米側にある以上、観測機は使えないため、命中率は米側有利です(この時期の日米戦艦は散布界に大差ありません。また大和は散布界過大に悩まされていた時期です)。そして数ノット程度の速度優位差は日本海軍自身が認めている通りで、戦闘結果には影響しません。 また、高槻さまは「日本戦艦が世界一だった」と言われますが、その根拠はどこにあるのでしょうか。6隻の米戦艦は「殴り合い」だけを考えた場合、日本の改装戦艦にさして劣る艦艇ではありません(例えば1934年までに改装を終えたニューメキシコ級3隻は垂直装甲で日本戦艦に勝り、水平装甲でも長門型とほぼ同等です)。そしてわずかな射程や速度・水平装甲での優位より、航空支援を受けられるほうが、砲戦に効果的なのはサマール沖海戦での日本艦隊を見れば自明の理です。従って日本艦隊が敗北して、ミッドウェー攻略が失敗する可能性も充分にあります。
追記の部分について:大和についての項目に「日本海軍は戦艦に固執しており、米海軍より兵術思想に劣っていた」とか「(当時の艦隊運用や艦艇の巡航性能を調べずに)戦艦部隊は鈍足なので、機動部隊に随伴できなかった」のような、根拠を示さない主観を書かれる方がおられるので、「そんな事実はありませんよ」という意味で書いているだけのことです。本来、大和がミッドウェー海戦に参加した、とか、ガダルカナル戦時には燃料の手配が付かないこともあって、出撃できなかったという「客観的事実だけ」書けばいいところに、「大和や戦艦についての主観的(批判的)評価」を書きたがる方がおられる自体が、私には不可解なのですが。
ちなみに、高槻さまは戦艦不要と断言されますが、仮に日米の空母が相打ちで戦闘不能となり(空母戦は大抵相打ちです。これは戦前の演習結果で既にわかっていたことです。だから装甲空母が必要という考えに行き着くのです)、しかも味方空母がまだ浮いているという状況は充分想定できます。この場合、味方に戦艦部隊がいれば、作戦を続行できる可能性はかなりあります。史実でも4空母沈没後の状況からでも、その気になればミッドウェー攻略を行うことは可能なのです(そのために史実でも隼鷹と龍驤を呼び戻したり、重巡に島の砲撃を命じたりしているわけです)。
また、味方空母が損傷を受けたのち、上陸部隊を上げた後で、米艦隊が夜間に来たらどうするのでしょうか。ガダルカナル戦の経過を考えれば充分にあり得ますよね。有力な水上艦隊がなければ、夜間来襲する敵水上艦隊を阻止することはできないのですが。高槻さまのご説は「ミッドウェーが遠く、味方の基地航空部隊の支援が受けられないため、水上艦隊の総合的支援が不可欠」という基本的事実を認識せずに、空母機動部隊万能を解かれているようなので、私は同意できません。
あとそもそも、私は貴方のご意見の「資料的根拠」について伺っているのであって、貴方の個人的感想について聞いているわけではありません。辞書は根拠のない個人的感想(=主観)を書く場ではありません。貴方が上げられた4つの項目の全てに、根拠が示されていないのは、いかがなものかと思いますが。--59.157.176.1 2007年7月24日 (火) 17:51 (UTC)
最近、珍説が跋扈する遠因は、すべからく基礎的史料の精読が足りない為と考えます。
参考文献。
光人社 写真・太平洋戦争 第2巻 及び 丸 平成四年 6月臨時増刊 日米戦争・ミッドウェイ。
生出寿著 日本海軍の驕り症候群、淵田美津夫・奥宮正武共著 ミッドウェイ
奥宮正武著 太平洋戦争と十人の提督(各種航空部隊の編成史料が収録されています)
阿川弘之 山本五十六(下)(その巻末にある参考史料の数、
インタビューした人間の数は圧倒的です) その他 丸本誌 別冊丸 既刊分。
上の物は古いのですが、私たちの世代では、その内容を精読しいているのが常識でした。
むしろ、こう言う基礎的な事で、フレーム合戦が起こることが理解出来ません。
古本屋を巡ることをお勧めします。
で、このノートにおけるトピックは錯綜しているので、両者纏めて解説します。
もうちょっと、整理していただきたい。
>「山本五十六提督ならミッドウェー占領後に必ず撤退する」という、資料的根拠を示してください。
史料は前述しました。神保町の古書街ならば、必ず手に入ると思います。
という訳で、ミッドウェイ島の意義と維持に関しては以下。
1.ミッドウェイ島は、10月に行われる予定であった
「ハワイ攻略作戦まで維持出来ればよい」と言う前提があります。
2.MI作戦において、同島に進出し(基地航空隊)同時に補給を担当する、
塚原二四三中将麾下の司令部は、この補給に不安を覚え、主席参謀の高橋千隼は、
連合艦隊司令部に出向き、この件に対し説明を求めた件に付随した逸話として
ミッドウエイ島占領後、維持が出来無くなった場合はどうするか?に対し。
「その場合は、全島施設を破壊し撤収する」と申し送りをしていること。
3.事実、AL作戦で占領したアッツキスカも、当初は夏場のみの占領であり、冬前に撤収する予定でした。
しかし、MI作戦は大失敗し、そのまま占領を恒久的なものとせざる終えなかった。
4.以上の点から、MI作戦で、四空母が事実上戦闘不能になった段階で、
ミッドウェイ島の占領作戦は放棄された。 これが前提です。
>ミッドウェーを保持するために、どれほど多くの船舶が必要かについては知っておりますが
>山本提督の基本構想が短期決戦指向であり、
>ミッドウェー後にハワイ作戦を考えていたという資料も残っています。
それは、丸 写真・太平洋戦争148ページ~149ページ「ミッドウェイ作戦で勝っていたら・・・」
(その後の連合艦隊の作戦計画)だと思いますが。
>そしてハワイ作戦の場合(どれほど補給船舶の負担が大きかろうと)
>哨戒・航空支援などの根拠地としてミッドウェー島の確保は不可欠です。
それに関しては、否定されております。(前述の書籍で30年前に結論が出ております)
理由 餓島への長距離攻撃で名を馳せた一式陸攻でも、ハワイへは届かない(往復出来ない)
基地設備が不十分で設置場所もない、防御力もない。
(但し、MI作戦で米空母を殲滅出来れば、
10月のハワイ攻略作戦まで防御の面は問題無いと判断された)
ある意味、矛盾しておりますが、これが日本海軍の不気味なところです。
対する米軍は、ミッドウェイ戦勝後、ミッドウェイ島を重要視しておりません
>また、文章化された作戦目的として、米空母撃破と島の占領が両立していたのも事実であり、
>山本提督の判断のみで、陸軍を巻き込んでの島からの撤退などが行えるというご説には、
>無理があるように思います。
誤解なされてますね、陸軍は、第二段作戦における陸海軍における協定により、
部隊を「派出した」だけであり、その為、ミッドウェイ作戦失敗後、
一木支隊はサイパントラックグアムに留め置かれ、
8月の餓島米軍上陸まで、編成上、宙ぶらりんの状態になっておりました。
ですので、巻き込んだのではなく「協定で陸軍が必要と思われる兵力」を出しただけです。
>(そんなに山本提督に指導力があるなら、“不要な”戦艦部隊を出撃させないことが可能だったでしょう。
>私は不要と思いませんが)。
山本五十六個人の資質については、阿川弘之「山本五十六上下巻」が詳しいと思います。
答えになっておりませんが、読めば自ずと分かってくると思います。
>そして、ミッドウェーの占領自体、ドーリットル空襲を受けて哨戒強化のためという目的があるわけで、
>補給負担が重いだろうから、占領後すぐに撤退するというご発言は、何を根拠にされているのでしょうか。
これについては、先述いたしましたので割愛します
>また、残存米空母撃破以外は作戦目的ではないと言われますが、
>莫大な艦船を動かし、貴重な燃料を60万トンも使って、
>その目的がたかが米空母数隻の撃破なのでしょうか。
その空母を叩きつぶすのが主目的です。
その後のFS作戦でも、所在基地の航空兵力を無力化し
フィージーサモアに上陸後、基地施設を徹底破壊した後に撤収するとなっております。
無論、残存の米空母が出れば叩きつぶすともなっております。
また、その数隻の空母が太平洋に散在する日本軍占領地域(マーシャル・ラバウル)を、
荒らし回り跳梁して、長官を常に悩ませていたことを忘れてませんか?。
またホーネット・エンタープライズによる東京空襲(B-25)が、
その意図を余計に強くしたことを忘れておられませんか?
燃料消費、規模については余り関係ないかと思います。
>到底割に合うものとは思えませんね。
太平洋戦争自体割に合っていないので、その論旨は乱暴かと思います。
>当然「次の一手」のためのミッドウェー攻略ではないかと思いますが。
その次の一手で躓いたのですから、後の作戦がすべておじゃんとなった訳です。
それと、ミッドウェイ敗北後の話ですが、もし米軍の餓島上陸がなかった場合、
新編成の第三艦隊はインド洋に向かう予定でした。
南東方面は、第八艦隊を編成し、ラバウル・ニューギニア・ソロモン方面へ備えております。
>2.4空母喪失後に栗田艦隊の重巡に航空攻撃を行ったのは、
どこの国の艦載機なのでしょうか。
米空母機動部隊、第16任務部隊エンタープライズ及び、ホーネット艦載機です。
>ハワイ西北に護衛空母を含む艦隊を配置したのは、
>艦載機の補給手配を含めてのこととしか思えないのですが。
意味が分かりませんが、ハワイ北西に配置した空母部隊は日本のでしょうか?
角田覚治少将率いる第二機動部隊の龍驪・隼鷹のに空母のことでしょうか?
それとも、鳳翔の艦載機が誤認して打電した、幻の米空母部隊でしょうか?
判断致しかねます。
>3.私が申し上げたのは「日本の4空母が沈没してもなお、
>日本戦艦部隊がミッドウェー攻略のために進撃した場合」の話なのですが。
ここは i f を語る場所ではないと思いますが。
戦史の史実を、公正な視点により要約し記述するところと私は理解しておりますが?
>史実において4発重爆が示した索敵能力を考えても、
>日本戦艦が来る頃には、米側は当然、航空索敵で日本4空母の全滅を確認していることでしょう。
>高槻さまが3.で何を言われたいのか、私にはわかりませんが、
>当然日本戦艦部隊迎撃のために、空母、基地航空隊、水上艦隊の投入は行われるわけです
>(でなければ、あの位置に米戦艦部隊を待機させる理由がありません)。
ノーコメントです、大体米戦艦とはどこの部隊でしょうか?
>4.戦艦の性能差など、米海軍が(以下割愛)
ifは死子の年齢を数える愚に等しいのでコメントは差し控えます。
>追記の部分について:大和についての項目に「日本海軍は戦艦に固執しており、
>米海軍より兵術思想に劣っていた」とか「(当時の艦隊運用や艦艇の巡航性能を調べずに)
>戦艦部隊は鈍足なので、機動部隊に随伴できなかった」のような、
むしろ、燃料がネックでした。
餓島に大和が行けなかった以前に、陸奥長門が行けなかったのも、すべて油です。
シーレーンがどういう状態であったかに付いてまでは述べなくてもよいと考えます。
既に、S17の9月の段階で、連合艦隊司令部は、軍令部より以下のように通達を受けております
「艦隊への燃料備蓄も11月の中頃以降は心許なし」
結局、油不足とタンカー不足が、すべての理由です。
パレンバンでは溢れていたんですが、
日本に持ち込めたのは一部のみでした。
蛇足ですが、特型駆逐艦は全速で走ると36時間で燃料タンクが空になる燃費の悪さがありました。
(写真太平洋戦争・第一巻より)
そもそも、日本海軍の艦艇はあまり長距離を航行することを想定して建造されておりません。
ハワイ作戦においても、問題になったのは「航続力と燃料搭載力」でしたので、
これ以上の説明は不用と存じます
>根拠を示さない主観を書かれる方がおられるので、
>「そんな事実はありませんよ」という意味で書いているだけのことです。
しかし、常識の範囲内と思いますが……こうなると両者ともどうかと思います。
>本来、大和がミッドウェー海戦に参加した、とか、
>ガダルカナル戦時には燃料の手配が付かないこともあって、
>出撃できなかったという「客観的事実だけ」書けばいいところに
>「大和や戦艦についての主観的(批判的)評価」を書きたがる方がおられる自体が、
>私には不可解なのですが。
筆が滑ったと考えるべきでは?
で、引っ込みが付かなくなったと。学者さんには良くあることです。
で、私自身と致しましては「こんな数十年前に結論が出ている基礎的なことで、
揉めまくる理由が不可解でなりません」
一部横レスです。
>ちなみに、高槻さまは戦艦不要と断言されますが、
それは、個人の考え方であり、いろんな視点があってもいいと思います
ただ、それをここに持ち込むのは慎むべきと思いますけどね
>仮に日米の空母が相打ちで戦闘不能となり(空母戦は大抵相打ちです。
むしろ一発勝負ですね。やり直しがきかないんですよ。
>しかも味方空母がまだ浮いているという状況は充分想定できます。
>(中略)、その気になればミッドウェー攻略を行うことは可能なのです
それは希望であって、現実的ではありません。
それ以上はifなので私もノーコメントです
>(そのために史実でも隼鷹と龍驤を呼び戻したり、
実は、その前後、隼鷹は機関故障で引き返しています。
角田司令官が猛然と南下したのは史実ですが、燃料補給の点から間に合いません
到着には60時間以上掛かる上に、もし全速の場合補給船(タンカー)が随伴出来ません
太平洋のド真ん中で立ち往生です。
>重巡に島の砲撃を命じたりしているわけです)
ミッドウェイへ急行中、七戦隊栗田司令部で交わされた談話を書いときます。
「空母四隻喪失で、GF司令部は血迷ったな」
蛇足ですが、最上と三隈が衝突した際、熊野(旗艦)鈴谷は無視して離脱したとありますが間違いです。
鈴谷艦長であり、後のキスカ撤収作戦の司令官になる木村晶福は、
旗艦熊野に向かい発光信号で「我、機関故障、先に行け」と伝えた後、
三隈最上救援に向かっております(艦長達の太平洋戦争(全)より)
>また、味方空母が損傷を受けたのち、上陸部隊を上げた後で、
>米艦隊が夜間に来たらどうするのでしょうか。
私が申し述べることではないので、返答は差し控えます。
>あとそもそも、私は貴方のご意見の「資料的根拠」について伺っているのであって、
>貴方の個人的感想について聞いているわけではありません。
>辞書は根拠のない個人的感想(=主観)を書く場ではありません。
>貴方が上げられた4つの項目の全てに、根拠が示されていないのは、いかがなものかと思いますが。
私も、問題に挙げているサイトを拝読したのですが、
終戦工作に関し、重要な役目を果たした高木惣吉の名前が出てこないのは如何なものかと思いました
しかし、何れにせよ百科事典における「大和」の項目に関して全く関係がないことは確かです。
また、両者(高槻氏とIPさん←愛称)に言えますが、
もうちょっと整理して記述していただかないと、レスが非常に難しいです。
で、元と思われるのにもしておこうと思います。
>第一に指揮官が誰かを忘れている。
>ミッドウェーを保持するためには莫大なコストが必要であり、
>帝国海軍にそんな余力はなかった。あれはあくまで餌。
>米空母撃滅のための餌。MI作戦は米残存空母の撃滅だ。
>それができなくなった以上、司令官が山本であるかぎり、島は忘れてよい。
> 日本軍は必ず撤退するのでこの話はそもそもない。
かなり乱暴な論旨ではありますが、大体その通りでしょうね。
先述したように明確なビジョンがあってミッドウェイを目指した訳ではないので
>第二に米空母の攻撃能力は限界に来ているので、補給の必要がある。
ニミッツの大海戦史(ニミッツ・ポッター著)に、ミッドウェイ作戦における、
米任務部隊航路図が記載されております。そこから伺えることは補給を行っていることですね
>したがって米戦艦は航空支援は受けられない。現に米艦隊は撤退している。
ifの事に口を差し挟みたくはないのですが、残念ながら、それはあり得ません。
海戦後の米空母(ホーネット・エンタープライズ)艦載機は、数は少なくとも、
その海域において最強です。兵力差とは相対的なことを忘れてはおられませんか?
>第三に航続力の長い零戦が空母沈没後にB17へ攻撃をかけてきた為、
>新たな空母の出現を米軍は確信していた。
ニミッツの大海戦史にはそんな記載はないのですが
日本の第二機動部隊に対しては、既に別の艦隊を派遣しております。
>第四にアメリカのオンボロ戦艦が世界一の日本戦艦群に戦いを挑むわけがない。
それは過信です。戦中、日本海軍は米海軍の魚雷を指して「射法も何もなっていない」と評しましたが
日本海軍艦艇は、その射法も何もなっていない魚雷に散々やられた事実をお忘れか?
(85%が米潜水艦ではありますが)更に、淵田も米海軍将兵の士気は極めて旺盛であると、
南雲部隊に来襲した米陸海軍機を見て評しております。
ただ、術数においてはダメだとは言ってますが
その瞬間の差で三空母が炎上してしまったのは、やはり驕りでしょうな。
>挑んでも島の奪還は不可能。
ifの派生Verだと思うのでノーコメントです
>この話はそもそも、大和とはあまり関係ない。戦艦部隊は本来MI作戦では不要です。
結果論として不要なのであって、当時としては「作戦の性格上必要だった」と解釈しております
主兵ではなかったかもしれませんが決して無駄な存在でなかったことは、
S18年以降における米任務部隊の編成やその行動、
そしてサイパン守備隊や、その後の日本海軍攻撃隊が発した電報がよく示していると思います
サイパン守備隊「揚がってきた米兵はどうにでも出来るから、大砲を撃ち込む戦艦を何とかしてくれ」
日本海軍攻撃隊「空母の横で頑張って弾幕張っている戦艦に目くらましでいいから攻撃してくれ」
>最後にミッドウェーは根拠地じゃないよ。
緊急着陸基地つう程度ですね、
空母エンタープライズが接岸出来る桟橋ぐらいはありますが。
所で、そう言う桟橋の威力はご存じでしょうか?
実のところ、日本の真珠湾トラックの港湾能力はミッドウェイにも劣ります。
具体例
1.空母を横付け出来る桟橋がない(接岸する航路水道すらない)
2.護衛空母(特設航空母艦)に搭載された30機前後の飛行機全機を、
陸上に揚げるのに1ヶ月掛かったりした。
根拠地という定義が曖昧なので、具体的に港湾能力のみで、
単純にミッドウェイとトラックを比べると、そういう悲惨な実情が浮かび上がるんです。
ですので、余り軽率な記述は控えた方がよろしいと考えます。
以上です、この話はこれで打ちきりという訳で。
ログインしておりませんでしたので、ログインし直して書き直しました
各トピックでログイン情報が維持出来ないとは……
--以上の署名のないコメントは、Kanakana89(会話・投稿記録)さんが 2007年9月28日 (金) 20:39から21:32(UTC) に投稿したものです。
- 「ログイン情報が維持出来ない」のは、ページを開くたびにブラウザを新しく立ち上げてしまっているからでしょう。IEでの操作例ですが、
- ログインしているウィンドウ上で、次に開きたいページへのリンク上で右クリックし、表示されるメニューから「新しいウィンドウで開く」を選択する。
- などの開き方をすれば、ログイン状態を維持したまま新しいウィンドウを開くことができます。唐突にセッションが切断されることも時々ありますが、投稿を確定する前にプレビューで確認しましょう。--しまあじ 2010年5月4日 (火) 01:28 (UTC)
大和ホテル発言について
[編集]これは漫画での話。軍艦旗に敬礼しないだけで、目をむく海軍の参謀にそんなマネはできない。第一辻は後に山本の下でこそ死にたいとうそ泣きしている。--高槻 2007年7月14日 (土) 01:51 (UTC) (本文から転記)
- 上に同じ。検索したところ、大元は漫画ではなく豊田穣の『激流の孤舟』という本(また、当該書籍の記述によれば激怒ではなく揶揄口調の発言)らしいですが、読んでいないので真偽のほどは判断しかねます。ただし、「陸軍の高級将校が海軍の参謀に面と向かってそう言った」のが作り話だとしても、一般の兵士が偉い人に聞こえないところでホテル呼ばわりしていたのは事実ではないでしょうか。West 2007年7月17日 (火) 10:38 (UTC)
当時「大和ホテル」と呼ばれていたことは事実ですね。クーラー付き、バストイレ完備ですからね。食事も陸に比べれば豪華でしたから。どのみち、桂島にせよ、戦艦はのんびりあそんでいたわけです。そのことは書くべきでしょうね。--高槻 --以上の署名のないコメントは、高槻(会話・投稿記録)さんが 2007年7月18日 (水) 07:31(UTC) に投稿したものです。
武藏旅館 大和ホテル 柱島艦隊 とよく言われていることです。
>軍艦旗に敬礼しないだけで、目をむく海軍の参謀にそんなマネはできない
間違いです、そんな海軍士官は居ません、陸式海軍士官なら別でしょうが。
具体例としては5.15事件での海軍将校ですか、後は敗戦間際の一定期間
それを一緒にして論ずるのは如何なものかと思いますよ。>高槻さま
あなたも日本海軍について、肝心な点で何もご存じない様な感じを受けます。
まず、海軍旗は「備品」なので神聖さとかはハナから存在しません。
汚れたり破れたりしたら替える、ただそれだけの存在です。(国際儀礼上の問題は別です)
一体どこでそう言う珍説をお読みになられましたか?是非お聞かせ願いたい物です。
確か過去そう言う、「海軍をなーんもご存じない」人が映画を作ったことがあり、
そのシーンで大和の海軍旗を護ろうとするおかしなシーンがありました。
タイトルは失念しましたが、最近の映画も「海軍を何もご存じない人」が作ったとしか思えない
非道い出来です。
蛇足ですが、陸軍の連隊旗(よく房だけで旗の部分が欠落した旗竿持った人を思いだして欲しい)は別です。
あれは、無くしたり汚したり、ましては敵に奪取されたら切腹ものです。
問題としては、天皇から頂いたものか備品かの違いでしょうが、
それを解らない人が最近多いですね。 海軍主計士官の本でも読めば直ぐに分かることですが……。
氏のページは拝見しましたが、基礎となる史料が偏りすぎている感があります。
大筋ではその通りですが、それは戦争の一部を切り取ったものでしかありません。
政治と、軍事学の上に立つ海軍、そして艦とは切り離して考えるべき物です。
その辺、ご理解の程よろしくお願いいたします。
--以上の署名のないコメントは、Kanakana89(会話・投稿記録)さんが 2007年9月28日 (金) 22:17(UTC) に投稿したものです。
2008/4/18 コメントアウトについて
[編集]直前の編集のなかで、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触する部分ならびに明らかに百科事典的でない部分をコメントアウトしました。Freedonian 2008年4月18日 (金) 00:37 (UTC)
- 件の説は「戦艦大和」というより「大和型戦艦」に関するものなので、どうしても記述するならそちらに移すべきだと思いますがどうでしょうか。West 2008年4月18日 (金) 13:33 (UTC)
- 正式に一部転記を提案しました。West 2008年6月24日 (火) 16:51 (UTC)
- (と言うか要らないのでは)内容を見ましたが、記載内容はそれぞれ「大和型戦艦#46cm砲」「大和型戦艦#防御」「大和型戦艦#諸外国から見た大和型戦艦」「大和型戦艦#46cm砲について」に記載してあるもので十分と思いますし、一放送番組からの記述ですから。転記ではなく削除で良いのではないでしょうか。--A6M4 2008年6月25日 (水) 10:21 (UTC)
- 発端は確かにディスカバリーチャンネルでしたが、番組独自の解釈というわけでもないようですし、「諸外国から見た大和型戦艦」の節には戦後の評価に関する記述がないので、重複する部分を整理した上で概要のみ転記するというのではどうでしょうか。West 2008年6月25日 (水) 17:36 (UTC)
サルベージの記述に関して
[編集]「技術的に深海にある6万トンの艦船をサルベージすることは困難であり、全体の引揚げには数百億円かかるといわれている」とあるが、技術的には困難にも関わらず、引揚げには数百億円かかるというのは論点が矛盾している。数百億円で引き揚げが可能なのであれば、技術的にはではなく経済的には困難とすべき。 --以上の署名のないコメントは、121.103.225.37(会話/Whois)さんが 2009年11月25日 (水) 10:58(UTC) に投稿したものです。
- サルベージに関する記載は削除した方が良いでしょう。どこかのサルベージ会社に見積もりを取った訳でもなし、そういう考想もないし、そもそも爆発してバラバラになって深海に沈んだ船をサルベージした事例など、何処にも無いでしょう。--uiui2000 2010年3月19日 (金) 08:19 (UTC)
- 私も、この記述を除去することに賛成です。1週間ほど待ってみて反対意見がなければ私が除去してもよろしいのですが。--しまあじ 2010年4月27日 (火) 04:11 (UTC)
- 「技術的」「数百億円」の記述は除去しました。--しまあじ 2010年5月4日 (火) 01:28 (UTC)
スケートからの雷撃について
[編集]潜水艦スケートから雷撃をうけて、弾薬庫と機械室に浸水したという記載についてですが、弾薬庫に浸水したというのは聞いた事がありますが、機械室まで浸水したでしょうか?大和が3軸運転で帰還したなんて話は聞いたことがありません。出典を明らかにしてもらえませんか?またノースカロライナも潜水艦からの雷撃でバイタルパート内部の弾薬庫に浸水を起こしています。魚雷攻撃をうけて弾薬庫に浸水したことが、それほど大和型特異の構造的欠点のような書き方には問題があるのではないでしょうか?--uiui2000 2010年4月6日 (火) 17:24 (UTC)
- Uiui2000 改め メルビルですが、機械室への浸水は当方では確認できませんでした。また弾薬庫への浸水ですが、衝撃によってリベットが飛んでしまったことによる漏水程度のようです。漏水は上部火薬庫で発生しましたが、少量であったためか、下部火薬庫も浸水していません(上部火薬庫と下部火薬庫の間は防水構造にはなっていません。上部火薬庫が水没すれば、それより前に下部火薬庫が水没する構造になっています)。魚雷による被害状況の資料が最近発見されましたが、それを見ても浸水範囲は狭く、魚雷被害はかなり少ない印象と持ちました。確か浸水量は550トンだったかな?これは大和のアキレス腱というより、むしろ大和の防御力の高さを証明する事実かと思いますが・・・。--メルビル 2010年6月5日 (土) 17:31 (UTC)
主砲塔の脱落に関して
[編集]現在の本文の中に、
- 「また転覆によって火炎の向きが変って主砲弾が加熱されるようになって爆発したという考え方もあるが、加熱には時間が必要であるし、第一転覆直後に大和の主砲塔は3つとも船体から脱落して海底に落下している事が戦後の海底調査で判明しているので、そのような時間はないことになる。」
とありますが、砲弾は砲塔よりもバイタルパート内のほうが主積載場所であり、転覆直後に砲塔が脱落しても艦体には砲弾・装薬が残っています。「そのような時間はない」というのは変。「要出典」を貼るより、この文はまるごと除去してよいと思うのですが。--しまあじ 2010年4月21日 (水) 22:12 (UTC)
- 反対の御意見がなければ、この記述は近日中に除去したいと思うのですが、よろしいでしょうか。--しまあじ 2010年4月25日 (日) 07:08 (UTC)
- 除去しました。ついでなので、このノートの署名の無い投稿のうち、投稿したあとで投稿者自身が意見を改変している(どの時点の日時を記せばわからない)ものを除き、署名を補完しました。--しまあじ 2010年4月27日 (火) 04:11 (UTC)
大和の46センチ砲弾
[編集]戦艦大和の46センチ砲弾は、確かに破壊力はありますが実際は発砲した衝撃で探索兵器がバラバラになったとゆう話は聞いたことがあります。 しかも、旧海軍は戦艦が主力とゆう古い発想で戦艦大和を作ったと思われます。今で換算すると費用は約2604億762万もかかります。 それに比べて米海軍は、空母が主力だと考え空母の量産を、始めました。そして、圧倒的な力で日本を占拠しました。 --以上の署名のないコメントは、220.157.194.76(会話/Whois)さんが 2010年5月19日 (水) 12:39 (UTC) に投稿したものです。
サマール沖会戦の記載内容について
[編集]~の可能・・・という記載が多いようです。そもそも砲撃戦では、命中した砲弾がどの艦船のものか特定困難でしょう。「~と共に~を攻撃した。~は沈没した。」・・・のように、事実のみ記載しては如何でしょうか?推論や、その推論への反論などが記載され、難解になっています。如何でしょうか?--メルビル 2010年11月20日 (土) 01:27 (UTC)
- 編集してみました。ややこしい記載は索引として残しましたので、情報としては減っていません。--メルビル 2011年1月26日 (水) 23:24 (UTC)