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ノート:大友義鎮

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改名提案

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大友義鎮より大友宗麟の名前の方が一般的に使用されていますし、大友宗麟で項目を立てて義鎮はリダイレクトにすべきではないでしょうか?諱ではなく法名を使用している他の例としては、武田信玄上杉謙信など。--Blue-flame 2007年11月26日 (月) 17:12 (UTC)[返信]

  • (反対よりコメント)私が数ヶ月前にかなり時間をつけて宗麟へのリンクをすべて義鎮へ付け替えたのですが、その作業が無駄になるので反対します。というのは冗談なんですが、「鎮」という字をもらった戦国武将は同時期の九州地方にはかなり存在しますし、通称「森蘭丸」も森成利、通称「真田幸村」も真田信繁なのが現状ですので、むしろ武田信玄上杉謙信の方が改名の必要がありともいえるかもしれませんね。--Kangoshiyouichi 2007年11月26日 (月) 17:23 (UTC)[返信]
  • (賛成)賛成します。以前太田道灌でも同様の移動をしたことがあるのですが、基本的に歴史上の人物の記事はより一般的な通称名で立てるべきでしょう。全体的に見れば本名で立てられている人物記事はかなり少ないのではないかと思います。--shikai shaw 2007年11月30日 (金) 05:37 (UTC)[返信]
  • (反対より)通俗的な書籍やテレビはいざ知らず、アカデミックな文献において、大友義鎮と大友宗麟との使用状況に差はないようです。学術研究の場で一方の呼称が否定されているのならともかく、両者とも是認された呼称ですので、あえて宗麟へ項目名変更する積極的な理由はないと考えます。一般的に使用されているということと、その呼称が学術的に適切かということは別問題であり(e.g.,真田幸村、北条早雲、聖徳太子)、ここはいやしくも百科事典なんですから「一般的に知られているから」てな理由はちょっとなあ・・・なんて思ってみたりしています(「より正確だから改名しよう」という理由なら理解はできますけども)。--shimoxx 2007年12月1日 (土) 13:12 (UTC)[返信]
    • (コメント)おっしゃることはわかるのですが、人名の場合、何をもって正確な名称とするかは難しいところであり、それならば一般的な認知度が高いものの方が検索される回数も多くなりますので、そちらを採用したほうが自然だと思われます。まぁ、義鎮と宗麟の場合そこまで大きな差はないので無理に移動しなくてもいいのですけどね。たとえば北条早雲を伊勢宗瑞や伊勢盛時、西郷隆盛を西郷隆永、神武天皇をイワレヒコ、ヨシフ・スターリンをヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ、パブロ・ピカソをパブロ・ディエーゴ・ホセー・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソに移動すべきなんて意見にはちょっと賛成できかねます。無論最後のは冗談ですが、伊勢宗瑞や伊勢盛時はいくら学術的な使用状況が増えてきていたとしても北条早雲のほうが世間の認知度が圧倒的に上ですし、諱が比較的知られている謙信や信玄にしてもそれは変わりません。だとすれば宗麟も法号で合わせたほうが整合性が取れてよいのではないかと思うのです。--shikai shaw 2007年12月2日 (日) 17:01 (UTC)[返信]
      • (ふむふむ)本音を言うと「大友宗麟」へ改名しても別に構わないのです。私が何に引っかかってるかと言いますとですね、その改名理由の立て方です。「一般的に使用されているから」てえのは果たしてどうなんだろう。「大友義鎮」という呼称に特段の問題があるわけじゃーありません。それを敢えて変えようというのですから、それなりの裏づけ根拠があるのかと思いきや、理由は「一般的だから」・・・。例えばですけど「研究者○○氏は、宗麟の名のみで文書が発給されていることを根拠に宗麟の呼称が適切と論じていますよ」とか「義鎮で呼ぶ研究者は○○氏くらいであり、非常に限定的なんですよね」とか(いずれも架空の理由ですが)、せめてその程度の理由くらいは立ててくれないと、賛成のしようがないよなあ・・・、などと思ってしまうのです。「一般的だから」てな理由による改名が慣例化していっちゃうの?ウィキペディアそれで良いの?人々がまだ得ていない知識・情報を提供するのが百科事典の役割じゃなかったの?というのが私の偽らざる気持ちです。なんというか百科事典的ではない、これに尽きます。まあ、結果として本項が宗麟に改名しても文句言ったりはしません。ただ、「一般的だから」という改名理由が横行することに対しては抵抗していきたいなあと考えてみたりするのです。--shimoxx 2007年12月3日 (月) 15:39 (UTC)[返信]
        • 学術的な常識と世間一般の常識に大きなずれがあるとか、世間一般の常識に誤りがあるとかの場合ならばおっしゃるとおりだと思います。私が深くかかわっている分野ではギリシア神話がその一つですね。しかし、戦国大名の場合は必ずしもそうではありません。学術的な使用状況に大きな差がないのであれば、大友義鎮を積極的に採用する理由もないわけですし、一般的な認知度が上だから移動するという理論もあながち間違いではないと思うのですよ。--shikai shaw 2007年12月4日 (火) 04:44 (UTC)[返信]
          • (コメント)Wikipedia:記事名の付け方には、歴史的人物については具体的に決められていないものの、「歴史的事件」について「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」と決められていますので、歴史的人物について「一般的に使用されている」という観点を考慮に入れることにも一定の妥当性があるのではないかと思います。shimoxxさんがおっしゃる「人々がまだ得ていない知識・情報を提供するのが百科事典の役割」という点には全面的に賛成ですが、「人々がまだ得ていない知識・情報」にたどり着くためには、「人々が知っている知識・情報」からの道筋が準備されている必要があります。分かりやすい記事名にして敷居を低くすることは、その道筋として有効な手段だと思います。「歴史的事件」についてのルールがWikipedia:記事名の付け方で決められているわけですから、「歴史的人物」についてもWikipedia:記事名の付け方等で議論してはいかがでしょうか。--OiOiO 2007年12月8日 (土) 06:51 (UTC)[返信]
            • 「一般的な認知度」てのは果たしてウィキペディアンが依拠しちゃってよい基準なのでしょうか。「一般的な認知」の信頼性を保証するものは何もありません。我々の立脚点てですね、やっぱ信頼できる情報源なんじゃないかと思うのですよ。信頼できる情報源=研究者の著作をザッと読んでみますと「宗麟」も「義鎮」も同程度使用されている、むしろ「義鎮」を多く目にする印象すらあります(川岡勉『室町幕府と守護権力』、岸田裕之「統合へ向かう西国地域」(『戦国の地域国家』所収)など)。信玄や謙信とは違い、宗麟の使用頻度は研究者の間でもそれほど高くない。宗麟へ改名すべき積極的な理由を見出せないのは、ここなんです。どっちも正しい呼称なのですから、一方のみを採用すべき絶対的な理由なんて存在しません。「一般的な知名度」を理由に挙げる人がいるのと同時に、「諱を採るべき」と考える人だっているわけです。今までに何度かそうした無為な論争を目にしました。この論争に結論は出ません。両者とも決定的な裏づけを持たない、主観のぶつけ合いだからです。しかし、この場合でも「信頼できる情報源」に依拠して判断すれば無為な論争を回避することができます。なぜギリシア神話項目は許されて、日本史人物項目は信頼できる情報源に依拠することが許されないのか、世間の認識が優先されるべきなのか。そこに明確な根拠はないと思うのですけれども。。。shimoxx 2007年12月12日 (水) 19:34 (UTC)[返信]
          • (コメント)外山幹夫『大友宗麟』を開いてみますと、昭和くらいの古い文献では「宗麟」が一般的であるようです。参考までに。--でここ 2007年12月13日 (木) 15:51 (UTC)[返信]
            • (コメント)shimoxxさんの信頼できる情報源を根拠にすべきという点については同意します。しかし、信頼できる情報源は研究者の著作に限られるわけではありません。一般向けの雑誌や新聞の記事も信頼できる情報源です。また、「一般的な認知度」を基準とすることは「歴史的事件」についてWikipedia:記事名の付け方で合意されている方針ですので、この点に関する議論はWikipedia:記事名の付け方でした方がよいのではないかと思います。ただし、「大友義鎮」か「大友宗麟」という個別の問題については、学術論文(一般雑誌も含まれていますが)のデータベースである国立情報学研究所のNII論文情報ナビゲータで検索すると、大友義鎮 - 3件、大友宗麟 - 24件と大きな差があります。したがって、「一般的な認知度」を持ち出すまでもなく、論文・雑誌についてみても「大友宗麟」がより多く使われていると言えるのではないかと思います。--OiOiO 2007年12月15日 (土) 10:28 (UTC)[返信]
  • (コメント)議論が、正式な名称か一般に知られている名称かとか、正式な名称とは何か、などの一般的な問題に拡大してきているので、ここでの改名の議論はいったん中断して、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方(またはWikipedia:ウィキプロジェクト 日本史Wikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝)で、日本史上の人物の記事名について、一般的なルールを検討した方がよいのではないでしょうか。--OiOiO 2007年12月3日 (月) 11:58 (UTC)[返信]
    • (コメント)それほど議論がこじれているわけではないですが、そのほうがいいかもしれませんね。--shikai shaw 2007年12月4日 (火) 04:44 (UTC)[返信]
      • (コメント)当方もここでの議論がこじれているとは思いませんが、ここで個別の記事名の問題が解決しても、今後、武田信玄上杉謙信森蘭丸真田幸村太田道灌北条早雲等々について同様の問題が起こるかもしれないので(特に、義鎮で決着した場合には、他の記事でも法名からの改名が提案される可能性があるのではないかと思います)、より多くの方が参加しやすいところで一般的なルールを決めておいた方がよいのではないかと思います。--OiOiO 2007年12月8日 (土) 06:51 (UTC)[返信]
        • (コメント)今回の場合「どっちでもいいが現状の記事名が『大友義鎮』なのだから現状維持で義鎮」という意見も十分ありえるので、「特に、義鎮と決着した場合」の影響はあまり問題にはならないでしょうね。あと、蘭丸と幸村は既に歴史的に不正確な呼称として改名済です(信玄や謙信、道灌とは事情が異なります)。早雲については、北条姓を名乗ったのは子の代という歴史的事実があるのでこのノートでの議論とは無関係に改名提案は早晩だされるのじゃないですかね。あと、歴史上の人物である程度知名度が落ちる人物については、法名や通称での表記は実名が不明又は不明確な人物について便宜的に用いられることが多いことも考慮に入れなければなりません(福島越前守富田一白あと高山右近もそうかな)。--Kangoshiyouichi 2007年12月16日 (日) 01:42 (UTC)[返信]

大友の読み方

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「おおとも」よりも、「おおども」が正しいのではないでしょうか。学術書や一般への普及ではなく、資料から探ってどちらの読み方がより正しそうだと言えるのでしょうか。 名字の地、相模国大友郷は現在神奈川県小田原市の東大友「ひがしおおども」などに名をとどめているようです。

私の先祖が大友家の家臣でして、書状を持っています。大分県のある博物館からは、おおとも宗麟と呼ばれています。学芸員が言うのですからおおともの読み方で良いでしょう。 大友義統会話2015年10月24日 (土) 13:56 (UTC)[返信]

  • 書状ではおおともとおおども、読み方を証明できますか? 「とも」説としては、①一般にそう読むのが多数派 ②大分県のある博物館の学芸員がそう読んでいる 「ども」説としては、③名字の地が現在おおどもと読む ④福岡市博物館ではおおどもとルビ ⑤元寇についての(内容の信憑性が疑われる)資料『八幡愚童訓』所載の落首に「大友は子共うち連れ…」とあり、子共をこどもと読むなら大友もおおどもでは というものがあります。 ②と④双方の言い分を聞いてみたいところです。 宣教師文書の表記が当時の読み方の最有力資料となると思いますが、それが「とも」(Otomo?)なのでしょうか。--Dourakuoyaji会話2015年10月29日 (木) 02:26 (UTC)[返信]

家臣

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私は、最近Wikipediaの編集を始めたのですが、今までなら大友宗麟の家臣が書かれていましたよね?義統も同様です、 大友義鑑はちゃんと書かれています。なぜ無くなったのでしょうか?私は、あった方が良いのではと思います。どうでしょう 大友義統会話2015年11月4日 (水) 11:09 (UTC)[返信]

  • 2015年4月30日 (木) 11:33‎の編集にて、資料的裏づけを欠く「偏諱を与えられた人物」が削除された際、一括して「主な家臣および偏諱を与えられた人物」の項全体が削除されたようです。大友義統についても同様の処置がとられたようです。「主な家臣」について、再掲することは妥当だと考えます。「偏諱」についても、資料的裏づけの得られる範囲で再掲に問題はないでしょう。--Dourakuoyaji会話2015年11月5日 (木) 01:45 (UTC)[返信]

そこでなのですが、私は、Wikipediaの初心者なので「主な家臣」を復元する方法がよく分かりません(一応調べたのですが...)なのでもし、簡単なら復元していただきないのですが、できないのであればやり方などでも教えて頂けるとありがたいです。 大友義統会話2015年11月20日 (金) 14:01 (UTC)[返信]

戻したが、二段にした以外内容はほとんどいじってない。陪臣などは削除した方が良いかもしれない。少し多すぎる。紹運・道雪あたりの陪臣はそちらの記事に移すべきか。あるいは筑前、筑後、豊後、豊前で分けるともっと見やすいか。家臣団だけページ分割という手もあるが。ま、整理する人が考えてください。--Quark Logo会話2015年11月27日 (金) 13:50 (UTC)[返信]