ノート:大クロアチア
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この「大クロアチア」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2008年6月10日 | 月間新記事賞 | 受賞・良質な記事自動選出 |
2. | 2021年4月13日 | 良質な記事の再選考 | 除去 |
クロアチア人による地政学的評価節について
[編集]複数の問題を追加しました。引用されている言葉が概ね100年前のもの(しかも脚注が絶無)であるのに、現在形で語るのは論外でしょう。もしかすると現在のEU加盟国クロアチア共和国の政治家にもそんな時代錯誤な考えが蔓延っているのから現在形なのだ! ということかもしれませんが、それならちゃんとした出典を出せとしか言えないでしょう。--シダー近藤(会話) 2021年4月12日 (月) 10:26 (UTC)
地図について
[編集]地図に出典の明記および要出典範囲を追加しました。「この範囲の領土こそが我々が正統な所有権を持つ範囲だ」という大クロアチア主義者の主張を再現したものであればあるいは載せる価値があるかも知れませんが、「こんなに広い領土の領有を主張する帝国主義者の集団がクロアチアだ!」と攻撃する政治的意図で作成された地図であれば大分意味合いは変わります。現在の記事にはその辺の「大クロアチア主義者以外の目に映る大クロアチア」という観点が皆無であり、地図の出所が明示されない限りは、その種の懸念を払拭できないと思います。--シダー近藤(会話) 2021年4月13日 (火) 05:56 (UTC)
- 英語版からキャプションおよび脚注つきで地図を導入しました。あと、二重帝国時代の地図はどうにもおかしいのでコメントアウトしました。英語版を読むと、当時は大クロアチアというかイリリア運動が「東と南にハプスブルク帝国の拡張主義を正当化するために使用されました」とある通りで、当時は帝国外にあったセルビアをもターゲットにしていたという側面が完全に欠落している地図を載せる意義は疑問というか誤解を招くだけと判断したためです。--シダー近藤(会話) 2021年4月16日 (金) 13:39 (UTC)