ノート:大アジア主義講演
ふと感じた疑問を書いておきます。
今のところ歴史的資料の引用に際しては、原文に忠実な表記(それがいわゆる旧かなや旧字体であっても)を用いてよいということで意見が一致しています。だからこの記事の演説の部分はこのままでいいのだろうと思っていました。
でも、よく考えると孫文自身が日本語で公演したわけではないので、原文に忠実というのとも少し違うケースであるような気もします。同じプラトンの書物の訳書が、時代によって異なる漢字体や仮名遣いで訳され、そのいずれかの訳が「原文に忠実」というわけではないように、孫文の公演も現代かなづかいに直してもいいのでしょうか?
原文を消さないべき、(現代かなに置き換えないか、併記にすべき)とする理由があるとしたら、
- 翻訳と速記と書き起こしの過程でいろいろ微妙な判断が入っているので、これを現代仮名遣いに換えると、その換え方次第では公演のニュアンスが失われてしまうことになる。
- ここで史料にあたる新聞に掲載された文自体が、歴史的な価値を持つのでそれを保存することが他の執筆者や読者の利益につながる。
辺りが思い付きます。どなたかご意見、提案のある方、よろしくお願いします。 Tomos 06:40 2003年3月17日 (UTC)
微妙。考えをまとめてから書きますが、微妙。0null0 08:15 2004年1月5日 (UTC)
日本に滞在して、日本人に向けて発せられ、その時に日本語に訳して報じられたのであるから、日本語で講演されたに等しいと言っても良いのではないか?その言い回しと仮名遣いは密接なモノと思われるので、旧仮名遣いを採用することに違和感は感じられない。
(いや、仮名遣いというより、「新聞の文面を書いたこと」そのものに問題があるのではないかと思ってます)訳である場合は、訳者の権利もあるわけですし、そこらへんを調査しないといけないのでは?0null0 08:57 2004年1月5日 (UTC)
- おお、そうであった。訳も何も、原文のままであろうとも、全文引用は講演者の権利侵害となる(口述であれ、著作物だったはず)。アウトですな(笑)
- ・・・と思ったが、大正時代ならもう時効?
だから微妙。訳が。新聞社の翻訳者を調査して、その方がいつ亡くなっていたかなんて・・・かなりやっかいではないかと。0null0 09:09 2004年1月5日 (UTC)
- 今の時代であれば新聞に掲載された記事は新聞社の著作物です。「法人その他の団体が著作の名義を有する著作物の著作権は、その著作物の公表後五十年(その著作物がその創作後五十年以内に公表されなかつたときは、その創作後五十年)を経過するまでの間、存続する」(著作権法第五十三条)とあるのでその解釈なら大丈夫と思います。大正時代もその解釈でいいのかが依然問題ですが。U.S.S.Momotaro 09:14 2004年1月5日 (UTC)
- ベルヌ条約をみた限りでは、権利は切れていると考えられますね。こちらについては安心。0null0 09:43 2004年1月5日 (UTC)
仮名遣いですが、変える理由が無いように思われます。訳書が仮名遣いを変えて出される事はありますが、じゃあ変える前と比べて変わったかというと差はありませんし。kzhr 09:40 2004年1月5日 (UTC)