ノート:外モンゴル/草稿20100604
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日本における「外モンゴル」の概念
[編集]外モンゴルは、日本において使用される、北部モンゴルに対する地域名称の一つ。「内」「外」とは中国の首都北京を中心とした基準で、「中国人による」呼称であることは共通の認識であるが、「中国人による伝統的な区分」として認識する見解がある一方[1]、20世紀初頭のモンゴル諸侯による対清独立運動を契機として成立した概念とする指摘もある[2]
臨時台湾旧慣調査会が編集・出版した『清国行政法』(東京,1914)では、藩部のモンゴル諸侯たち(外藩蒙古)を「外蒙古」「内蒙古」「青海蒙古」に三分している[3]が、この三分割も分類の用語も、「外藩蒙古」に対する清朝自身の法制上の区分にはみられない『清国行政法』独自のものである[4]。
かつては、1911年に清朝から独立を宣言したボグド・ハーン政権、これにかわった人民革命党政権など、ハルハ4部を中核とする北部モンゴルを実効支配したモンゴルの歴代政権に対する通称としてひろく使用されていた[5]。
歴史上の地理的名称としては、現在でも、東洋史、モンゴル史の研究者により、清朝時代初期からの通時的な地理的名称として、北部モンゴルに対して使用する例がみられる[6]。
南北の位置関係をあらわすのに「内」「外」を使用することは「中国への所属を前提とした区分」であり、客観的な地域名称とはいえないとして、地域名称としては、「外モンゴル」、「内モンゴル」という用語には問題があるという指摘がある[7]。
参考文献
[編集]- 石橋崇雄『大清帝国』(講談社,2000)
- 岡田英弘「モンゴルの分裂」『北アジア史』(山川出版社,1982, 第五章pp.214-228)
- 坂本是忠「現代のモンゴル」『北アジア史』(山川出版社,1982, 第六章pp.229-245)
- 田中克彦『草原の革命家たち』中央公論社, 1973
- 臨時台湾旧慣調査会編集・出版『清国行政法』(東京,1914)