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ノート:士大夫

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では、「先憂後楽」と「陞官発財」、どちらが士大夫の実態であったのであろうか。これはどちらも士大夫の実態であり、どちらかを過剰に強調して士大夫を捉えようとすることは慎まねばならないと考えられる。朱熹は浙東提挙を勤めていた際に、知台州唐仲友に対して公金横領や商人と組んでの汚職などといったことで弾劾し、その後慶元偽学の禁の際に朱熹自身に対して恣意的に裁判を行ったり、公金横領を行ったと弾劾された。後者は後に朱熹を尊崇する人によって真っ赤な偽であると断定されたが、実際にはどうであったか?これらの朱熹と唐仲友に対する非難はおそらく当時の士大夫層一般に通ずることであり、このような所が士大夫の実像であったのではなかろうか。

上記一文は、事実ではなく意見・私見ではないでしょうか? だとすれば、文章から削除するのが好ましいと思われますが?--210.232.213.238 2008年9月11日 (木) 05:14 (UTC)[返信]

「清朝の考証学に代表されるような、士大夫の知的文化的生活の高度な発達と、このような地域のボスとしての側面は、ひとつの物事の両面であり、そのいずれかのみを強調することは偏った見方であると、筆者は考える。」(山川出版社『中国史3』、P206。この部分の執筆者は森田憲司氏)
「浙東提挙であった朱熹が、あの唐仲友を弾劾して天下を騒がせたことを思い起せば、朱熹の唐仲友に対する弾劾の内容と、今回の沈継祖の朱熹に対する弾劾の内容とに、それほど異質なもの、格別に特異なものが見出せないのである。(中略)何時の時代であれ、何処の世界であれ、このような人間としての二面性を持っていることは、むしろ極めて自然な人間の在り方としてとらえられることであろう。」(『中国歴史人物選7 朱熹』、P254。衣川強、白帝社)
この記事を書く際に使ったのはこの二書です。他の研究などは調べていないのでこれがスタンダードな見方なのかは保証しかねますが、少なくとも私の私見ではないことはご了承いただけると思います。--らりた 2008年9月11日 (木) 08:57 (UTC)[返信]