ノート:塗壁
この記事は2008年3月28日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
仮面ライダー響鬼
[編集]魔化魍から飛んできました。響鬼の事が文中にあってもいいと思います。--以上の署名のないコメントは、61.27.123.253(会話/Whois)さんが 2007年11月21日 (水) 00:24 (UTC) に投稿したものです(逃亡者による付記)。節付与--逃亡者 2010年4月9日 (金) 21:10 (UTC)
- 2年半近く後のコメントで失礼します。Wikipedia:関連作品やそれに連なるWikipedia:井戸端/subj/「~に関する作品」「~の登場する作品」への掲載基準について、Wikipedia‐ノート:関連項目#拡張・整備提案などの議論もあり、この妖怪が作品に登場した「だけ」では記述の意味が薄いと思っていて次第で、登場したことにどのような意味があるかを記述した資料、特に二次資料を捜しておりましたが、最近発掘しましたので、先日の編集にて加筆いたしました。--逃亡者 2010年4月9日 (金) 21:10 (UTC)
カベヌリについて
[編集]- また前述の『妖怪談義』の刊行の10年前の1967年には、「カベヌリ」という妖怪の伝承が報告されている。妖怪研究家・山口敏太郎の調査によれば、これは大分県臼杵市の伝承であり、
このあたりなのですが。『妖怪談義』は1956年の刊行です。「10年後」の間違いでしょうか? また、柳田が最初にヌリカベを記したのは1938年の「妖恠名彙(四)」『民間伝承』4巻1号12ページです。
前半はよいとして、「カベヌリ」とヌリカベの関連の指摘は2007年の山口の著作よりさかのぼるはずです。たとえば2001年の化野燐「「塗り壁」は海を越えたか」にありますし、もっと以前のもありそうです。……というか、「もっと以前」のがネット上のどこかにあったはずなんですが、見つかりません。私の記憶では、2000年ごろにネット上の妖怪サイトではコナキジジやイッタンモメン、ヌリカベなどの水木妖怪の伝承を探索しようという試みがあって(山口や化野も中心的に参加していた)、いずれの妖怪についても新しい知見が得られたということがありました。で、カベヌリもそのころ地元の人々の協力があって発掘された妖怪だったと記憶しています。ただ、このあたりの情報や出典が曖昧で、追記できません。あのころのことを詳細にご存知の方がいらしたら是非とも追記していただきたいです。--toroia 2008年8月22日 (金) 11:08 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。まず『妖怪談義』に関しては、私の手元のものは1977年刊行の文庫本版でしたので勘違いしておりました。申し訳ありません。また2000年ごろにあったネット上の妖怪サイトは私も存じませんので、こちらはご存知のどなたかにお願いしたいところです。今回お教え頂いた「塗り壁」は海を越えたかに参考文献が挙げられており、手元にある文献も読み足りない箇所があるかもしれませんので、こちらでも引き続き文献関連の調査を続行してみます。--逃亡者 2008年8月23日 (土) 02:18 (UTC)
土木用語の「塗壁」
[編集]最近の編集内容のコメントアウト内に「土木工学分野の「塗壁」(未立項)が第一義としてあるべき」とあったのを見て「なるほどそれはもっともだ」と思い、土木関係記事から本項へリンクしているケースもありましたので、P:ARCHにて塗壁 (土木)の執筆依頼を挙げました。ウォッチリストに入れておきましたので土木用語の立項次第、改名提案したいです。--逃亡者 2010年4月9日 (金) 21:10 (UTC)
- 対処していただきありがとうございます。実は少し前に歴史的建築物の「壁」について調べていて、様々な歴史・文化や技術(例:左官技術は勿論、フレスコ画法も塗壁と関連性大)・材料(例:アフリカなどで見られる牛糞の塗壁[cf.]まで網羅)・効果等で説明される古今東西の「塗壁」をウィキペディア上 でも 確かめてみようとしたところ、妖怪「塗壁」に行く手を阻まれて立ち往生した、という事がありまして、そのような実体験も踏まえた上で、「(古今東西の土木工学分野で言う)塗壁」についての項目の必要性を感じた次第です。既にある「壁#材料」とはごく一部が重複しているだけですし、単独で立項するに十分と思いました(※これって、ここじゃなくてP:ARCHの人達の目に触れやすい何処かに書かないといけないんだろうか…)。--Cyclops 2010年4月10日 (土) 04:03 (UTC)
確立時期
[編集]上記と同時期の加筆で、気になる箇所を発見しました。冒頭の「原典は室町期にあったらしく、おぼろげなイメージが江戸期に確立……」の一文、出典がありませんが、これは塗壁#妖怪画のことをおっしゃっているのでしょうか。
件の絵巻の発表前までの定説では、塗壁の文献上の初出は昭和以降、柳田國男氏により採取された民俗語彙とされていました。つまりは昭和以前に塗壁の伝承は存在しなかったと考えられていたわけで、だからこそ江戸期にすでに「ぬりかべ」の名の画が存在したことが大ニュースとなったわけです。しかしながら湯川豪一氏、京極夏彦氏、多田克己氏、村上健司氏らは、件の画が本項の妖怪ぬりかべと同一のものかは「わからない」という結論に至っており、偶然名前が同じなだけの別物ではないかとも述べられています(以上、参考『怪』vol.0024 ISBN 978-4-04-883992-1)。
一部メディアで「江戸時代に塗壁が存在した」と報道されてしまったのは事実なのですが、本当に江戸期に塗壁が存在したのであれば、日本の妖怪文化にとってとんでもない大発見となってしまいます(個人的には、朝日新聞の記事もかなり早まった記述だなぁ、と思います)。絵巻のぬりかべが本項の妖怪とイコールだとする確実な出典がない限り、昭和以前に塗壁が存在したといった文章を、「~である」という断定的な文体で、しかも目立つ冒頭の位置に書いてしまうのはいかがなものかと考え、あくまで「ぬりかべの名の画が江戸期にあったが、この妖怪と同一かどうかは不明」程度の扱いにとどめておくのが無難かと思う次第です。
以上、該当記述の出所を勝手ながら絵巻と仮定して述べさせていただきましたが、妖怪画とは別に、塗壁の原典が室町期に存在し、江戸期に確立したといった出典がありましたら、その旨を別途提示して頂きたく思います。--逃亡者 2010年5月20日 (木) 20:50 (UTC)