ノート:堂島米会所
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改名提案
[編集]- 「堂島米会所」になったのは明治4年で、明治6年には「堂島米油会所」に改称されます。わずか2年の名称よりも、江戸時代を通じての名称である「堂島米市場」が相応しいと思います。--Linea(会話) 2012年12月25日 (火) 06:37 (UTC)
- 反対寄りの コメント 「堂島米市場」が江戸時代を通じた名称というのは、事実誤認ではないでしょうか。むしろ後の時代の史家が、歴史的に振り返る際の総称として後付けしたものでしょう。明治2年は「再興」であって、それ以前にも「堂島米会所」は用いられていたのではないでしょうか。この辺、確認の上、提案理由の精緻化をお願いします。--rshiba(会話) 2013年1月1日 (火) 03:41 (UTC)
- 吉川弘文館『国史大辞典』の項目「堂島米市場(どうじまこめいちば)」「米穀取引所(べいこくとりひきじょ)」「会所(かいしょ)」を確認してみました。(1)堂島米市場(どうじまこめしじょう)ならば、上にわたくしが書いた「後の時代の史家が、歴史的に振り返る際の総称として後付けしたもの」になるのでしょうが、堂島米市場(どうじまこめいちば)は江戸時代に堂島に所在した市場(いちば)であることを知りました。一方、同じものを「会所」ともいったようです。図書館が開いてから『大阪市史』を確認します。--rshiba(会話) 2013年1月4日 (金) 09:50 (UTC)
- MARUAEN&ジュンク堂書店梅田店に行って、棚を覗いてきました。(1) 高槻泰郎『近世米市場の形成と展開--幕府司法と堂島米会所の発展』(名古屋大学出版会、2012年2月)、研究書。(2) 島実蔵『大坂堂島米会所物語』(時事通信、1994年6月)、一般向け。この2冊が「堂島」で検索すると存在していることが判り、現物を確認しました。--rshiba(会話) 2013年1月5日 (土) 14:17 (UTC)
- 近世前期を扱う『新修大阪市史 第3巻』(大阪市、1989年)と、近世後期を扱う『新修大阪市史 第4巻』(同、1990年)を確認しました。結論から言うと、「大坂米市場⊃堂島米市場⊃堂島米会所」という包摂関係になります。まず、初期に北浜米市場が立ち、それが堂島に移転して、堂島米市場となった。だから、「大坂米市場≠堂島米市場」で「大坂米市場⊃堂島米市場」。一方、堂島米市場の管理組織として後から堂島米会所が出現したから「堂島米市場⊃堂島米会所」であって「堂島米市場≠堂島米会所」である。結論として、ご提案の改名はしない方がいいかと存じます。--rshiba(会話) 2013年1月10日 (木) 10:58 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「堂島米会所」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月29日 (金) 19:56 (UTC)
大阪大学の宮本又郎教授の論文「堂島における正米価格・帳合米価格の動きとヘッジ機能」とは
[編集]内容を確認したいと思って論文名をスカラー · CiNii · J-STAGE · NDLに放り込んでも発見できず、「堂島における正米価格」だけに絞っても発見できず。著者名+ヘッジ、で検索して唯一出てきた『近世中後期大坂における米穀流通機能の変質過程||堂島帳合米商内のヘッジ機能を中心にして(加藤慶一郎)』に目を通すとたしかにそういう主旨のことが著書のどこかに書かれていても不思議ではないと思うのですが、現時点では非実在論文ではないかと疑わざるを得ません。調べるとこの版で追加された物で、加筆された方は近年の活動はないので問い合わせても仕方ない感じです。こういう場合、論文名をコメントアウトするのが正しいのか、パラグラフごとコメントアウトするのが正しいのか、どうなるのでしょうか。--シダー近藤(会話) 2020年10月3日 (土) 16:37 (UTC)