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ノート:垣見一直

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垣見一直への改名提案

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提案 垣見家純から垣見一直への改名を提案します。
ノート:早川長政#長敏/長政の統合改名についての議論と似たような状態ですが、「国史大辞典」が「家純」を項目に採用しているようで、その流れが現状のようですが、1.記事に使えそうな文献では「一直」の使用例が多いようです。2.自署が「一直」であること、3.後述の2006年『戦国武将・合戦事典』にて「家純」には確証がないとの付記がある。以上から項目名を「垣見一直」に改名することを提案します。
津野倫明「慶長の役における軍目付の実名について」2001年(『ぐんしょ 14(4)(54)』)という研究では、垣見の実名について下記が紹介されています。
  • 「一直」 北島万次の研究、1982年『朝鮮日々日記・高麗日記』そしえて、1990年『豊臣政権の対外認識と朝鮮侵略』校倉書房、1995年、『豊臣秀吉の朝鮮侵略』吉川弘文館。
  • 「一直・家純」 中野等の研究、1996年『豊臣秀吉の対外侵略と太閤検地』校倉書房。
  • 「家純」 『国史大辞典』吉川弘文館。
  • 「垣見和泉守一直(花押)」 『松山市史料集第二巻』(一九八七年)加藤文書二六号
  • 「垣見和泉守一直(花押)」 『佐賀県史料集成古文書編第三巻』(一九五八年)鍋島家文書一一五号
その他
「一直」の単記
  • 2010年「軍目付垣見一直と長宗我部元親--軍目付研究の作業仮説」津野倫明(『人文科学研究16』高知大学人文学部人間文化学科)
  • 2006年『戦国武将・合戦事典』吉川弘文館、「垣見一直」の項(岩沢愿彦) (「一名家純(または家紀)ただし確証はない。」との記述あり)
  • 2000年『関ヶ原合戦と近世の国制』笠谷和比古
  • 2000年『秀吉の野望と誤算』笠谷和比古・黒田慶一
  • 1994年『関ヶ原の役』旧参謀本部、徳間文庫
「家純」の単記
  • 2011年第2版『大分県の歴史』山川出版社(1997年初版)
  • 1987年『大分県史 中世篇3』大分県
  • 1915年『大分市史』大分市
以上--Yasumi会話2012年5月6日 (日) 10:51 (UTC)[返信]
(追記)『朝日日本歴史人物事典』では一直が項目名となっており、「諱は家純,家紀とも」と書かれていますね。--立花左近会話2012年5月8日 (火) 13:50 (UTC)[返信]
こんにちは、よろしくお願いします。。その後の追加調査はどんな塩梅でしょうか?早川長政と同じように、過去の地方史系での誤転写を引き摺ってるんじゃないですかね(早川、垣見のように熊谷も「直陳」表記が伝播しているようですし)。『戦国武将・合戦事典』や『朝日日本歴史人物事典』の但し書きの通り、「確証がない別名」として「家純」が位置づけられているので、一直を項目名とする改名には充分だと思います。私の方の追加情報を記します。
「一直」単記
  • 2010年「慶長五年の戦争と戦後領国体制の創出--九州地域を素材として」林千寿(『日本歴史742』2010-03)
  • 2009年垣見一直:光成準治『関ヶ原前夜』NHKBOOKS
  • 2008年『文禄慶長の役』中野等、吉川弘文館
  • 2007年『関ヶ原合戦と大坂の陣 戦争の日本史17』笠谷和比古、吉川弘文館
  • 2006年『秀吉の軍令と大陸侵攻』中野等、吉川弘文館
  • 2009年『織豊政権と江戸幕府』池上裕子、講談社学術文庫
「垣見一直(家純)」カッコ並記
  • 1997年『島津義弘の賭け』山本博文、読売新聞社
「家純」が辞書項目(「一直」は「家純」への誘導項)
申し訳ありません。多忙になってしまい、調査が進んでいません。Yasumiさんの追加情報を拝見すると、一直が優勢なようで、発給文書もある以上、一直に改名するのは問題なさそうです。家純について確証がないというのは、おそらくその名前での発給文書が確認できないということだと思います。しかし、系図類か後世の軍記にその名があるのかもしれません(もちろん、そうしたものでは項目名をあえて家純とする根拠とはならないわけですが)。不確実なソースでは子孫が旗本になっているとのことで、寛政重修諸家譜に垣見氏の項目があるようなので、確認しようと思っています。それを待たずに改名していただいても結構です。--立花左近会話2012年5月13日 (日) 14:16 (UTC)[返信]
『新訂 寛政重修諸家譜 20』続群書類従完成会、1966年、323頁 の垣見氏の項を確認しました。系譜は良明からになっており、「家伝に良明は豊後国富来の城主垣見和泉守某が三代の孫なりといふ」(原文旧字体)とありました。子孫にも諱が伝わっていなかったのでしょうか。なお、『日本人名大事典 2』平凡社、1937年初版、1979年覆刻版は、垣見家純を項目名(単記)としていました。古いものほど、家純を採っているようでもありますが、何を根拠にしたのかわかりません。--立花左近会話2012年5月15日 (火) 13:20 (UTC)[返信]
傾向も判明したようなので、それでは改名処理へ進みます。以下は更に追加情報です。
  • 2005年『近世人名辞典』吉川弘文館、項目名は一直(別に家純(家紀)、著者:岩沢愿彦)。
  • 2001年『日本人名大辞典』講談社、項目名は家純(名は別に一直)。
  • 1994年『朝日歴史人物事典』朝日新聞社、項目名は一直(諱は家純、家紀とも)。
  • 1991年『新潮日本人名大辞典』新潮社、項目名は一直(名は家純とも)。
  • 1974年『大日本人名辞書第一巻』講談社、明治19年初版、項目名は家純のみ。--Yasumi会話2012年5月20日 (日) 10:06 (UTC)[返信]