ノート:坪井信道/削除
気になったのでちょっと調べてみましたが、年譜について説明した記事中の最後の文章は、こちらの外部ページ[1]にある説明と、事実の取捨選択、順序、表現などが非常によく似ています。
また、生い立ちなどを記述した文は、こちら[2]のサイトに、よく似た表現の記述が見られます。Tomos 2004年7月21日 (水) 08:59 (UTC)
外部サイトとの類似が指摘されているので、確認してみました。複製権侵害かどうかの判断として、「著作物性」を判断してから、それに「依拠」して「類似性」のある著作物を複製したかどうかという観点から検証してみます。比較には2004年7月22日0時(日本時間)現在の外部サイト[1],[2]と、坪井信道の2004年7月21日 (水) 19:58(JST)の版を用いました。
まず、[1]について。ここで問題になっているのは、外部サイトの下から4段落目、「坪井信道については」から始まる2文です。これが坪井信道の記事の「年譜について」というセクションの内容(以下、「投稿部分」)と似ているのではないかという懸念です。
1.著作物性の判断
外部サイトの文章は、坪井信道の年譜についてこれまで用いられていなかった資料をもとに検証を行った結果、年譜を修正するに至ったという趣旨の、178文字からなる文章です。
第一文の前半は、これまでの年譜が墓碑銘によって作成されていたという事実を表現しようとすればこのような表現にならざるを得ず、創作性を欠くと判断してよさそうです。
後半は、これも同様、他の資料を用いて再検証をしたという事実を表現しているだけであり、特に語り口調に独自性が見られることもありません。また、前半と後半をこの順序で叙述することについても、過去にこうであったが今回このような試みを行ったという順序で書かかれるのは当然であり、結果としてはじめの一文は創作性を欠くと考えられます。
第二文は坪井信道の生涯において主要な出来事が発生した年について、通説とそれをどのように改めるにいたったかを年代順に叙述している文章ですが、誤りを指摘する際に「○○はAではなくB」という表現を用いることは、これもまた普通に行われていることであり、この3つの年代について通説の誤りを指摘しようとすれば(アイディア)、このような表現にならざるを得ないものだと考えられます。(そうでないならば、今後この事実を表現しようとする人がどのような表現を用いていいのかわかりません)
さらに、それぞれの年について、「信道が日習堂を開いた年」などと説明がされていますが、このどれもが簡潔に表現しようとすればこのようになるというものばかりで、いずれも創作性が認められるとは思えませんでした。
以上のことから、外部サイトの文章は著作物性を否定されるものだと考えられます。
しかし、ウィキペディアは決して、他者の著作物性を独自に判断すべき場所ではありません。この外部サイトの文章が著作物であるかどうかも、究極的には裁判の場で決定されることでしょう。
そうである以上、おそらく創作性を欠くだろうという予想ができたとしても、安易にそれを信じ込んで行動するのは危険なことだと言わなければなりません。
したがって、おそらく創作性を欠くだろうという予想をしつつも、リスクが完全に回避できると証明できない以上、著作物性があるものとみなさざるを得ません。(これについては、たとえば投稿者の方が訴訟になった際の責任をすべて一手に引き受ける旨の意思表示をしてくだされば話は別かもしれません。)
2.依拠の判断
依拠とは、複製行為者が元の著作物の存在を知っており、それを素材として著作物を作成した(別個独立に創作したのではない)という、主観的事情です。これを行為者以外が証明するのは困難なので、通常はアクセス可能性や、(依拠を推認させるに足る)類似性の程度を示すことによって証明がなされます。
- アクセス可能性について
外部サイトは「坪井信道」でGoogleで検索すると10位にランクインする文書であり、ウィキペディアに記事を投稿する際に検索サイトで対象を調べることがまま行われていることを考慮すれば、投稿部分の投稿者が当該サイトにアクセスした可能性は決して低くないといえます。
- 類似性の程度について
もしも依拠していなければこれほどまでに似ないだろうと思える程度に類似していれば依拠を推認してよいでしょう。今回の場合、当該部分は上の著作物性の判断のときにも書いたように、事実をありきたりの文章で普通行われる叙述方式で表現したものであり、依拠していなければこれほどまでに似ないだろうとまではいえないように思いました。
ですが、一点だけ。依拠を推認させるに足る重大な類似が一点だけ存在しました。それは、「天保l3年」の部分です。この3文字目の文字は「l」(エル)です。「1」(いち)ではありません。この誤記は外部サイトにも見られるものです。このような、通常決して間違えない誤記が一致している点から考えて、投稿部分が外部サイトに依拠して作成されたことは極めて高い可能性でありそうだと感じました。
よって、依拠はあるものだと考えられます。
3.類似性の判断
投稿部分は、外部サイトの文章をほぼそのままデットコピーした上で、1箇所読点を省き、「今回」を抜いて「社団法人研究産業協会の~調査によって」の部分を付加し、鉤括弧閉じるが「]」と誤記されている部分を「」」と改め、「等の」を「など」に変更し、外部サイトが「行った。」と文章を切っている部分を「行われ、」と改めたうえで続く「そして、」を省き、全角数字を半角にし(これは後の編集で変更された部分のようで、履歴には全角のものが残されています)、文末の言い回しを変更したという差異が見られますが、全体として用いられている用語・登場の順序は同一であり、細部の言い回し(たとえば「抱えられた」)が共通しています。一部付加されている部分がありますが、付加部分があるかどうかにかかわらず複製権侵害(あるいは翻案権侵害。ここでは区別の実益がないので区別しません)になります。
したがって、かなりの程度で類似しているといっていいでしょう。
以上のことから、投稿部分は他者の著作物に依拠してそれと類似のものを再製していると認められるため、複製権の侵害になっていると考えてよいと思います。
[2]について。ここで問題になっているのは、外部サイトの「◆経歴」内の「寛政七年」で始まる第一段落と坪井信道の記事の冒頭「寛政7年」からの部分が似ているのではないかという懸念です。
1.著作物性の判断
上で述べたように、ほとんどの場合著作物性があるとみなすべきですが、しかし、明らかに著作物性がないだろうと判断できるようなものにまでそのような対処をする必要はないので、一応の判断をしておきます。
外部サイトの文章は、坪井信道が生まれてから西国に行くまでの生涯についてを内容とする78文字からなる文章です。
第三読点までは、出生年、父親、出生地を順に記載したもので、この叙述順序は通常行われるものであることから、この部分に創作性が認められることはないと考えられます。
第四読点からは、坪井信道が幼いころに両親を失ったこと・そののち兄に育てられたこと、ほかの地に移り漢医学を学んで西国に行ったことを簡潔に述べているもので、おそらくこの事実に即して簡明な文章を書こうとすれば自ずとこのような表現にならざるを得ないものだと思われます。
したがって、全体として創作性が欠けると考えていいでしょう。ですが、やはり安易・軽率な判断は避け、ここでも創作性があり著作物性を有するとみなしたうえで話を進めたいと思います。
2.依拠
- アクセス可能性について
外部サイトは「坪井信道」でGoogleで検索すると1位にランクインする文書であり、前述のとおり、投稿部分の投稿者が当該サイトにアクセスした可能性は決して低くないといえます。
- 類似性の程度について
もしも依拠していなければこれほどまでに似ないだろうと思える程度に類似しているとはいえないだろうと思いました。
ですが、1位にランクインするというのはアクセス可能性が相当あると考えられる以上、依拠を推認してよいと考えられます。
3.類似性
外部サイトの文章と投稿部分の異同について。
まず、寛政七年一月と寛政7年1月が異なり(しかしこれは後の編集で手が加えられた部分で履歴内には漢数字のものが残っています)、外部サイトの「揖斐川町」が用いられていない代わりに「美濃国」が補われており、「早く」と「早くに」が異なり、長兄である「浄界」の名前が省かれ、外部サイトで「られ、」と続く部分で「られる。」といったん文章を切り「その後、」が補われているという違いがあります。
これら以外の点では同一ですが、当該部分の創作性の程度がそれほど高くないこともあって、本質的な点で決定的に類似しているとはいえないだろうと感じました。
とはいっても、使われている用語・その使用順序がほぼ一致していることから、類似性がないとも言い切れないだろうと思いました。
結論
以上のように、[1]については、外部サイトの文章に創作性を認めるのであれば複製権侵害になるだろうと、[2]については[1]より創作性の程度は低いですがこれに創作性を認めたとしても、権利侵害といえるほどの類似性があるかどうかは難しいところだろうと思いました。
結論としては、[1]の部分が安全と言い切れない以上、削除もやむをえないだろうと思います。Carbuncle (talk) 2004年7月21日 (水) 16:15 (UTC)
研究産業協会の調査によって従来の坪井信道の年譜に間違いがあったということは、『歴史読本』だったと思うのですが(もしかしたら別の雑誌かも)、記事に見たことがありました。どの年がどう違うかについて、細かいところは記録していないし、読んだ雑誌も覚えていない。「研究産業協会の調査」を手がかりに調べるしかなく、同協会の公式サイトを検索したのです。Tomosさんが示した坪井信道について書いてあるページは、そうしたことからみつかりました。同協会のものを使うとなれば、通説と異なることになるので、その根拠を示しておく必要があると判断し、同協会サイトの坪井信道のページの説明を改変して掲載しました。事実を告げることなので、著作権法でいう著作物の権利を侵害したものとは考えていませんでした。むしろ、「研究産業協会の調査による」ことを書かずに年号だけ変えることのほうが問題だと思います。
なお、年譜にしたところは、一般的なものなのでインターネットからもってきたものではありません。また、今日では坪井信道よりも名の知られている緒方洪庵や杉田玄白も坪井門下であったことなども示す必要もあったと思いました。書名などの読みは、ホームページ上には書かれていないと思うし、それぞれの書の説明も一般書にはないと思います。百楽天 2004年7月22日 (木) 04:06 (UTC)
過去、私が書いたオリジナルにおける明治6年以前の旧暦の表記はすべて漢数字を用い、できるだけグレゴリオ暦の年月日を併記しています。これまで、一貫してこのような書き方をしてきました。Wikipediaでは旧暦においてもアラビア数字で書くということになっていたのは後から気づきましたが、Wikipediaのどこかの論議で、「月日がグレゴリオ暦によるものか、旧暦なのか判断がつかないことがある」などの理由をあげて、私の方法を示したことがあります。しかし、研究産業協会の記述がアラビア数字であり、何かあったときの出典を明らかにする意味でも、同協会のページに書かれた年号表記を、そのまま利用しました。百楽天 2004年7月22日 (木) 07:43 (UTC)
コメントありがとうございます。「事実を告げることなので、著作権法でいう著作物の権利を侵害したものとは考えていませんでした」の点について。これは、著作権法10条2項にいう「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第一号に掲げる著作物に該当しない。」にあたるという趣旨でしょうか。
「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」がこのように言語の著作物に該当しないと規定されているのは、これらが「思想又は感情を創作的に表現したもの」だとはいえないからだと説明されます。
たとえば天気予報や死亡記事などが例としてよく挙げられますが、このような情報は誰が書いても似たような表現にならざるを得ず、そこに誰かの思想又は感情が創作的に表現されることはあまりないといえます。
一方、たいていの報道記事の場合、そこに記者の思想又は感情が表現されていたり、表現に創作性が見られたりして、誰が書いても同じようなものになることは少ないので、それらは単に「雑報及び時事の報道」にとどまらない、思想又は感情を創作的に表現した著作物であるということができます。
つまり、以上のことから考えると、「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」かどうかは、天気予報や死亡記事のような一定の類型に当てはまるかどうかによって判断されるのではなく、結局、その報道が「思想又は感情を創作的に表現したもの」といえるかどうかによって判断されることになります。
すると10条2項は、「思想又は感情を創作的に表現したといえないものは(言語の)著作物に該当しない」という当たり前のことを述べているに過ぎないことになり、これを指して「注意規定」「確認規定」と呼ばれることもあるようです。(たとえばスマップ・インタビュー記事掲載事件(東京地裁平成10年10月29日)判決内の「著作権法一〇条二項は、単なる日々の社会事象そのままの報道や、人事異動、死亡記事等、事実だけを羅列した記事が著作物でないことを確認的に規定したものである。」など)
よって、今回のケースについて「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」という概念を持ち出してきたとしても、それは著作物かどうかという問題を別の言葉で言い換えただけであって、結局著作物性を判断しなければならないという点は依然として変わらないことになります。
そしてすでに述べたように、著作物性の判断なんてものを誰が行うのか、その判断を軽信して行動して誤りがあった場合誰がどのような責任を負うのかという重大な問題が残る以上、著作物性の判断については消極的にならざるを得ないと思います。Carbuncle (talk) 2004年7月23日 (金) 04:24 (UTC)
私は、坪井信道に関する年賦作成にあたって、研究産業協会の調査によって得られたことから、これまで通説とされてきた坪井信道の年譜の年号を修正しました。これについて、、研究産業協会サイトにあったことを参考に、年号の修正を行ったことを明示しました。しかしそれが、著作権侵害になる可能性がるということなので、「削除依頼」を出したいと思います。
しだし、このようなときには、どのように説明したらよいか。俄かに思い浮かびません。よい案があったらご教示ください。同一文を削除依頼のページにも書いて、みなさんの意見をお伺いしたいと思います。百楽天 2004年7月23日 (金) 10:01 (UTC)
著作権で保護されるのは「表現」であって事実そのものやアイディアではないとされます。ですが、判例を通じて著作権法がどう運用されているかを見ると、実際に「表現」として保護されているのは単に字句や語の選択だけでなく、文章の構成や、素材となる事実や論点の取捨選択や、全体の流れなども含まれるので、かなり厄介だという印象を僕は持ちました。(というか、文章の構成とか、素材の取捨選択はアイディアだと考えることもできるものですし。)
また、百楽天さんのようにいろいろな資料を調べてから執筆される方は、このように広い範囲の保護を与える著作権の規定があると、調査するほど物が書きにくくなってしまうという、ある種不条理な面すらあるように思います。調査するほど、表現の細かな部分にまで目が利くようになり、ひいては影響を受けやすくもなりますし、また、何かの記述が他の人の文章などと似ていた場合に、「それは偶然の一致だ」という主張ができなくなります。むしろ意図的に他人の文章と違う文章を書かなければならないという、特許の世界のような話になってしまいます。
僕は余り執筆する機会はないですが、僕の考えている対策は、次のようなものです。
- 複数の資料をあたる
- 部分的にも、全体的にも、どの資料にも似ないようにする
- 記述する内容について、文中にとりこむ事実の取捨選択や、配列や用語法などが、どれにも似ないようにする
表記については、百楽天さんは余り苦労されないようにも思いますので(細かな用語法についての知見は豊富ですし、文章表現に詰まるという方ではないと思いますので)省略して、他の点についてあれこれ、これを具体的に、今回の件にあてはめて考えてみます。
例えば、次のような、外部サイトの文中で記載さえていない諸事実について書ける可能性はあるでしょうか?
- この研究はどのように受け止められているのか
- この研究が行われる以前に何か坪井信道の年譜に関して批判や疑問などがあったか
- これらの発見が他の研究に及ぼす影響が考えられるか
- どうして他の史料ではなく、このような史料によって年譜の改訂が行われたのか
- 特にこの時期にこの研究が行われた理由があるか? 社会背景なり、学問分野内での動向なり、あるいは研究に携わった研究者の業績の流れなどに照らして何か特記すべき点があるか
- 今後更に研究が進み、変更される可能性もあるか
- 年譜改訂の試みとしては、この研究はありふれたものなのか、あるいは何か特記すべき点などがあるか
- 一般に、坪井信道の年譜は、他の人物と比べてどの程度信頼がおけるものだと言えそうか。(他の人物一般と比べるのは無理があるでしょうから、同時代の人、というぐらいでしょうか。この当たりの詳細を考えられるほど僕は知識がないのですが。)
- 誰が調査にあたったのか
- この史料を用いて、何故年譜の改訂が行われ、他の研究が行われなかったのか? (あるいは他の研究にも同史料が用いられたか)
- 従来の研究は誰がいつ頃行ったものだったのか、またそれはどのように受け止められてきたのか
これらの点について、あるいはその他考えられる点について、多くを盛り込んで紹介することで、「坪井信道の年譜について」という主題に適した、それでいて外部サイトの記述とはかなり異なる文章にすることができるんじゃないか、と思いますがどうでしょうか。
また、逆に言えば、外部サイトの文章の書き手は、この研究を紹介するに当たって様々な点について書くことが出来たはずですが、それをああいう形で一連の事実に限って述べ、他の点については述べなかったわけで、その取捨選択に書き手の判断が反映されている(だから著作物である)という可能性があるのではないかというのが僕の心配する点です。
あるいは、逆に素っ気無く済ます方法として、「なお、この年譜は、近年の主要な成果である社団法人研究産業協会の平成10年度産業技術歴史・継承調査を参照した。」というようなことを一言だけ書いておくというのも一応可能かと思いますがどうでしょうか。で、その研究の詳細については外部リンクで済ます、というような。
この研究は既に発表から5年以上経っていることになるわけですが、現時点でもまだ広く受け入れられていないのであれば受容をめぐる状況について外部サイトだけでなく他のソースにも触れつつ紹介するのがいいでしょうし、逆にこれが広く受け入れられているのであれば、特に研究の手法や背景に触れることなく参考文献として挙げるだけでもいいんじゃないか(学問的な慣行としては)ということも思います。
より大掛かりな対処法としては、そもそもの話題の切り出し方を変えて、「研究史」などとして位置づけ、より広い範囲の資料を用いて、他の話題と併せて紹介する。-これは調査が必要ですが、取捨選択・配列いずれの面においても外部サイトと大きく異なる文章を書くのが簡単だろうと思います。
といった辺りで、どうでしょうか。参考になりますでしょうか。。
最後に、Carbuncleさんの詳細な検討、いろいろと参考になりました。どうもありがとうございます。
個人的には、この坪井信道の年譜についての解説文は、誰がこの主題について書いても事実の取捨選択が一致するわけではない、という点が問題ではないかと思います。(主題が坪井信道の研究史一般であっても、特にこの研究の紹介ということであっても。)これらの事実を表現する文章としては、配列についても、表現についてもさほど創作性が認められないというのがCarbuncleさんの検討のひとつの帰結だと思いますし、そこは確かに創作性が認めにくい部分だろうとは思いますが。(が、デッドコピーに類するものであればやはり慎重に扱う方がよさそうにも思います。)
あと、一般的に言って、学術研究のアブストラクト(抄録、要旨など)は、それ自体が著作物として扱われ、学術論文データベースなどではアブストラクトの作成者名が付記されていることもしばしばだという印象があるので、その点からも、この文章に著作性が認められる可能性はありそうだと思いました。
また、創作性があるかないかの線引きをどこでするか、というのは本当に厄介な問いで、直面したくないという思いと、何か明確な線引きができれば、執筆にも削除の議論にも大いに参考になるという思いとがあります。僕が見た範囲では判例によって、文章を扱ったものに限ってもかなり差があるように思いますが、その判断のいずれの基準によっても間違いなく著作物ではないとされるだろう、というようなものを探すのはそうとう難しいというか、ほとんどどんな文でも著作物になってしまう、という印象を持ちました。
そこで、この件についての意見としては総論としてはCarbuncleさんとは同じですが、具体的な理由としては、現に事実の取捨選択の余地がありそうなので創作性が認められるのではないかと想定できる、という点と、創作性の有無についてはできるだけ判断は避ける、という考え方のみではなくて、具体的に、素朴に考えたら凡庸としか思えないような文章についても現に創作性が認められたケースがあり、その根拠として、創作性の基準を緩くとって広く著作権を認めることが判断の恣意性を減らすためにも適当、という旨の意見が述べられていることが、とりあえずは重要だと思っています。
Tomos 2004年7月24日 (土) 18:56 (UTC)
Tomosさん、ありがとうございました。坪井信道の名と業績については知っていても、直接の史料を私はみたことがありません。、根本史料(写本)があればそれの解釈から掘り起こすことも可能でしょうが、研究産業協会の調査によって出てきた書簡などで、やっとわかってきたということでしょうね。
そうなると、少ない情報をもとに、既にあるものと表現を変えていくしかないと思います。百楽天 2004年7月25日 (日) 04:16 (UTC)
この件については例の外部サイト以外に情報が非常に少ないというのは確かに事を難しくしていると僕も思いました。そこで、手っ取り早く実行できる対処法は単に参考文献として挙げるといった類の扱い方ではないかと思いました。
ただ、例えば同協会に問い合わせるなどして調査の報告書を入手するといったことは可能ではないでしょうか? 報告書を読むといろいろ違う見方ができるようになるんじゃないかな、と思うのですが。あるいは、同協会が何かニュースレターのようなものを発行していて、そこでは少し違った紹介の仕方をされているとか。地元の自治体の発行物でも、あるいは他のソースでもいいんですが。Tomos 2004年7月25日 (日) 21:28 (UTC) Tomos 2004年7月25日 (日) 21:28 (UTC)
この記事については、通説の年号を修正したくらいですから、削除してください。百楽天 2004年7月26日 (月) 14:30 (UTC)