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ノート:坂田昌一

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理由説明なき一部削除の復元

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114.156.36.32さんが2009年6月2日に理由を説明することなしに記述の一部を削除しましたので、削除分を復元しました。この削除は内容の劣化をもたらすだけで、有害無益だと考えます。もし削除に合理的な理由があるならば、まずこのノートに問題提起をして下さい。なお復元に関する議論の詳細については「Wikipedia:井戸端/subj/あるIP氏の編集活動についての対処」を参照して下さい。--Midz 2010年2月8日 (月) 07:06 (UTC)[返信]

坂田モデル 大貫のSU3群 と 朝永のコメントの意義

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朝永のコメントは、坂田の方法論、数学の意義を理解できていなかった事を示すものである。

同時に、SU3群を展開しきったことで開かれたゲルマンなどのクォークへの道が可能だったことを示す話である。

朝永のコメントの重大な意義をわかってください。 --240F:73:147F:1:4BF:86D7:F8AE:4008 2018年8月12日 (日) 14:18 (UTC)[返信]

衒学は他でやってください。  大貫や藤井は今も生きている。二人に衒学とあざけられては

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衒学は他でやってください。 --2402:6B00:5609:EF00:B0D7:4807:CF97:BB59 2018年8月12日 (日) 14:27 (UTC)[返信]

大貫や藤井は今も生きている。二人に衒学とあざけられては

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  • 大貫は今に至る素粒子論の基本枠組みを建設した大学者です。藤井にしても優れた学者です。その二人が事実の確定に多くの時間を費やし、日本で最高の権威を誇る専門誌のひとつ、素粒子論研究に投稿し、歴史として確定するよう努めた。

お二人は今も存命です。お二人に、彼らの努力に、衒学であると手紙を送られては。貴殿は、きっとペンネームをお持ちでしょう。雑誌、素粒子論研究にも衒学との手紙をお送りください。 --240F:73:147F:1:51B3:E482:7A5E:5890 2018年8月14日 (火) 15:40 (UTC) 修正--240F:73:147F:1:51B3:E482:7A5E:5890 2018年8月14日 (火) 15:54 (UTC)[返信]

衒学と書いた人の名前を消去した、それにしてもこの人は3件だけの書き込みである!!! 歴史的事実、その意義も分からず、素粒子論の今に至る基本枠組みを建設した大学者である大貫の行為とそれに割いた時間を「衒学」とはどういうことだ。貴殿は、そんなに「立派な業績」を挙げられたのか。貴殿の業績を示されては。話にならん。追加修正した--240F:73:147F:1:B0B3:B376:CFAB:3340 2018年8月15日 (水) 10:52 (UTC)[返信]

事実・歴史・出典・感情

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1.【事実】 朝永の発言・藤井と大貫の事実の確定にささげた異常ともいえる時間と労力は出典を参照
2.【出典】 朝永先生と対称性 大貫 義郎 Soryushiron Kenkyu Electronics 118(4), 261-264, 2011
3.【歴史】 同時に、SU3群を展開しきったことで開かれたゲルマンなどのクォークへの道が可能だったことを示す話である。
これは、出典に大貫が書いている。
4.【意義】 朝永のコメントは、坂田の方法論、数学の意義を理解できていなかった事を示すものである。
5.【感情】 大貫へのメールで、藤井は次の感情を書いている。
先生の発言の持つ意味を理解して課題を追求するに至らなかったことについては、忸怩たるものがあります。

すべて出典にあります。どこが衒学なのですか。--240F:73:147F:1:4BF:86D7:F8AE:4008 2018年8月12日 (日) 18:37 (UTC)[返信]

出典を読んでから、発言してください。--240F:73:147F:1:4BF:86D7:F8AE:4008 2018年8月12日 (日) 18:41 (UTC)[返信]

出典を読んでから、消去してください。--240F:73:147F:1:4BF:86D7:F8AE:4008 2018年8月12日 (日) 18:46 (UTC)[返信]

修正 --240F:73:147F:1:4BF:86D7:F8AE:4008 2018年8月12日 (日) 18:48 (UTC)[返信]

歴史と科学史

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歴史学において、戦争での敗戦は明確であり、敗戦に至る経緯や開戦や戦略¥戦術についての批判は、書かれるのが当然であす。歴史の分岐点として記載されれば歴史に深みが出ます。

科学史において、成功だけを書くのは当たり前で、失敗の事例はあまり書かれません。それでも、量子力学や統計力学や無限集合に対する当時の批判は、書かれます。これらの批判は、あたらしい理論の建設者を自殺にまで追い込んだりしています。そして新理論建設には全く役立っておりません。歴史的にはほとんど意味のない批判だったのです。

これに対し、量子論や素粒子論の日本での興隆は書かれますが、その後の衰退についてはほとんどかかれません。

衰退と言うのは、世界での科学の発展での敗戦と言えます。日本は戦前戦中戦後の1時期、世界をリードする成果を挙げました。しかし、この最後の時期に世界をリードできる多くの芽を生みながら、ことごとくその成果を海外に持っていかれました。

大貫のSU3群やゲージ理論です。この一つの分岐が、成功に至る重要な提案が朝永によってなされた。しかし、これが生かされなかった。

この慙愧の念が、大貫や藤井の執拗ともいえる事実確定や、朝永の提案についての二人の心情の吐露に表れており、また朝永の提示した道がクウォークに至るはずだったことまで書かれています。

大貫の素粒子論研究への寄稿は、重要な歴史事実として、素粒子論研究の編集権を持つ論文審査の委員によって受理されているのです。たんなる誰かが書いたというだけではなく、日本での素粒子研究の最も重要な雑誌の一つに採用されているのです。

なぜ、素粒子論が列島で興隆し、衰退したのか、これを書くのは辞典として決して悪いことではないと私は思っています。もちろん、そんな歴史は書く必要はない。それも一つの意見です。

書く必要はないという皆様の意見もある意味当然かもしれません。皆様の意向に逆らってまで、皆様に受け入れられる形に修正しつつ、執拗に書き直しました。まだ量が多すぎるかもしれませんが、以前から書いてきた列島での素粒子論の衰退の一因を、権威ある文献に依存して書き加えたのが、SU3群を世界で最初に見出しその後の素粒子論の流れを生み出した大貫その人の記載した朝永の北大でのエピソードだったのです。

このエピソードが不要と言われるなら、それなりの根拠・理由を書いてください。もしそれが納得できるものであるなら、記載を取り下げます。ただ、九州での戦国時代龍造寺氏が蒲池氏をだまし討ちにした歴史の事例がウィキペディアにあります。龍造寺氏の重臣がこの行為を、御家(龍造寺氏)の滅びの原因になると出陣しなかったことがこのウィキペディアの中で書かれています。滅びの原因であったかどうかは解りませんが、少なくともその後の反乱の原因にはなっているようです。

こういう戦いでの敗戦は歴史の重要な構成要因であることは誰の目にも明らかです。しかし、科学史においては敗戦は誰も注目しません。しかし、科学史においても、成功と同様、失敗も歴史ではないでしょうか。

失礼いたします。--240F:73:147F:1:A4B7:56F0:73A3:190B 2018年8月13日 (月) 17:51 (UTC)[返信]

掲げた文献を読んだのか。  出典の範囲の記述で独自研究は全くありません。 

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記述についての議論はありえますが、独自研究ではありません。すべて日本の最高とされる雑誌での文献にある範囲を超えていません。

どこが独自研究か指摘願います。

   挙げた文献は10数ページでしょうに。 --240F:73:147F:1:A4B7:56F0:73A3:190B 2018年8月13日 (月) 18:50 (UTC)[返信]

修正--240F:73:147F:1:A4B7:56F0:73A3:190B 2018年8月13日 (月) 18:53 (UTC)[返信]

なぜ、掲げた文献も読まず、議論もなく、消すのか。なぜ謝罪の言葉がないのか。 

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3.【歴史】 同時に、SU3群を展開しきったことで開かれたゲルマンなどのクォークへの道が可能だったことを示す話である。

  これは、出典に大貫が書いている。

4.【意義】 朝永のコメントは、坂田の方法論、数学の意義を理解できていなかった事を示すものである。

5.【感情】 大貫へのメールで、藤井は次の感情を書いている。

  先生の発言の持つ意味を理解して課題を追求するに至らなかったことについては、忸怩たるものがあります。

最初に【書いた内容】はすべて文献にある。

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なぜ文献を読まない。「朝永先生と対称性」との文献名をあげた。大学者、大貫の1/10の努力でもしてから消されては。

  Soryushiron Kenkyu Electronics 118(4), 261-264, 2011とは書いていないが、文献名を挙げている。議論してから消すのがスジだろう。

ノモンハンの指導者と同じ  保身・無知・傲慢--240F:73:147F:1:B0B3:B376:CFAB:3340 2018年8月15日 (水) 16:23 (UTC)[返信]

書きすぎですが、今も昔も列島人は同じ事を示すため残します。悲しいかなすべて同じです。何から何まで。日々これが行われている。

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江戸の仇を長崎でになるか。

もっとも良質な人でもこれなのだから。私には到底理解できない。私の周りはこう言う人ばかり。事実に向き合わない。わずかな努力もしない。仲間内で談合して、自己を正当化する。

それでも良識を保っておられるのは立派だと思う。大局で見れば、正しい。それで私には十分ですか。最後に、さすが、と書いておきます。

失礼します。大局で見れば、問題はありますが、正しいのでしょう。尻馬は話にならないが。ノモンハンは詳しくは書きません。

--240F:73:147F:1:B0B3:B376:CFAB:3340 2018年8月15日 (水) 16:53 (UTC)[返信]

最初に【書いた内容】はすべて文献にある。

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思う壺だろうが、巻き戻す。

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--240F:73:147F:1:BD05:7C4D:558D:F061 2018年8月17日 (金) 13:24 (UTC)[返信]