ノート:坂田三吉/過去ログ2
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出身について
[編集]上から下まで全部読んでもなんでこの人が被差別部落のカテゴリに入ってるのか全然判らないんですが。本人或いは遺族が公表してるのならはっきり被差別部落出身と書けばいいし、そうでないのなら被差別部落のカテゴリにつなげるべきじゃないでしょう。また、本人の出自以外で被差別部落とつながりがあるとしたら、それはそれでそのエピソードを書くべきでしょう。--202.231.131.231 2007年7月2日 (月) 15:57 (UTC)
- [1]にあるように、舳松人権歴史館との関連で被差別部落のことは書けると思います。カテゴリに入れるのは、ちょっと躊躇しますが。--Tamago915 2007年9月8日 (土) 12:49 (UTC)
- 1年前の議論の蒸し返しになります。この部分が一度除去されましたが、とりあえず差し戻しました。その際にリンク切れになっていたURLを修正しています([2])。
- そもそも記載すべきか、記載するにしても人物セクションの冒頭に書くべきかなど、検討すべき余地はあると思いますので、現状のままでよいのかどうかご意見をいただければと思います。--Tamago915 2008年9月28日 (日) 13:47 (UTC)
名前の「吉」の表記
[編集][3](阪田三吉記念室の公式サイト)では「つちよし」になっていますが、正式にどちらというのがわかる資料はあるでしょうか。--Tamago915 2008年2月7日 (木) 04:28 (UTC)
改名の是非について
[編集]事前の改名提案はなされていないようですが、直ちに差し戻しを実施すべきでしょうか。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2013年12月26日 (木) 22:44 (UTC)
- 合意形成のない移動を差し戻しました。その過程で、移動先を間違える不手際がありましたことをお詫びいたします。--山田晴通(会話) 2013年12月27日 (金) 15:43 (UTC)
「坂田三吉」への改名について
[編集]「阪田三吉」から「坂田三吉」への記事名の改名を提案します。 理由は以下の通りです。
- 本人の著書や免状など、生前は「坂田」の表記が使われている。
- 戸籍名は途中から「阪田」に改名されているが、将棋界ではその後も「坂田」の表記を使っていたので、戸籍名変更後も棋士としての名前(いわば登録名)は「坂田」であったと言える。
- 様々な証言から本人は「阪」の字が書けなかった可能性が高く(一方、「坂」の字は書けたとの証言あり)、「阪田」への改名は戸籍改定時の何らかのミスか、あるいは坂田三吉以外の人物の意思によるものと考えられる。
- 「阪」と「坂」は異字体だが、
常用漢字正字体は「坂」であるので、「阪田」を「坂田」に書き換えるのは常用漢字準拠正字体への書き換えとして許容されうるが、「坂田」を「阪田」に書き換えるのは許容されない。 - (追記)世界大百科事典、日本人名大辞典、大辞泉、マイペディア、大辞林の表記は全て「坂田」となっており、「阪田」表記の辞典等は(少なくともweb上では)Wikipedia以外に見当たらない(坂田三吉 とは - コトバンク)。
- (追記)googleでの検索結果は、「阪田」が約27,800件("阪田三吉" - Google 検索)に対して「坂田」が約44,500件("坂田三吉" - Google 検索)であり、現在も「坂田」表記が主流であることがうかがえる。
- (追記)本記事の参考文献として挙げられた書籍は全て「坂田」表記である。
以上です。--Fewagkjawl(会話) 2013年12月28日 (土) 15:20 (UTC) (理由を3点追記:2013年12月29日 (日) 05:06 (UTC)、2014年1月4日 (土) 16:09 (UTC))
- >本人の著書や免状など、生前は「坂田」の表記が使われている。
- 当時の名前がどのように使われていたかよりも、現在の表記のスタンダードがどうなのかということで考えるべきだと思います。--TempuraDON(会話) 2013年12月28日 (土) 16:00 (UTC)
- 賛成 Web辞書ですが、大辞林、デジタル大辞泉、日本人名大辞典、世界大百科事典は全て「坂田」表記です。坂田三吉への改名に賛成します。
- なお、Fewagkjawさんの改名根拠の最後については、確かに「阪」と「坂」は異字体であり、「坂」が正字体とされていますが、2010年に「阪」も常用漢字になっているので適切ではなくなっています。
- リダイレクトの坂田三吉は削除依頼されています。有効な履歴があるので、本改名提案が「坂田三吉」への改名で合意された時は、削除依頼で削除してもらう必要があります。削除依頼には私がコメントしておきますので、改名で合意された時はFewagkjawさんから削除依頼に追記してください。--アルビレオ(会話) 2013年12月28日 (土) 20:52 (UTC)
- コメント 改名の是非は保留としますが、改名となる場合、現在のリダイレクト元はリダイレクトのみの履歴3版のため、改名先をリダイレクトの削除依頼をするのではなく、移動依頼での対処になるはずです。--Don-hide(会話) 2013年12月28日 (土) 21:04 (UTC)
- ご指摘通りです。失礼しました。--アルビレオ(会話) 2013年12月29日 (日) 11:36 (UTC)
- コメント ご指摘の通り、事実誤認があったため、訂正します。申し訳ありません。ただ、「阪」の字が常用漢字に追加されても正字体が「坂」であることは変わらないので、「阪」から「坂」への書き換えは許容されるが逆は許されないという点は依然改名の根拠として残ると考えます。Fewagkjawl(会話) 2013年12月29日 (日) 04:42 (UTC)
- Wikipedia:記事名の付け方#漢字で、原則常用漢字は固有名詞には適用されない、とあることから、固有名詞については常用漢字以外や異体字がしばしば使われている現状を鑑みると、正字体が「坂」であることを根拠にした「阪」から「坂」への改名は受け入れられないと思います。本件については他の根拠で十分だと考えますので、わざわざ議論になる可能性のある異体字問題は除外しておいた方が良いと思います。--アルビレオ(会話) 2013年12月29日 (日) 11:36 (UTC)
- コメント 改名の是非は保留としますが、改名となる場合、現在のリダイレクト元はリダイレクトのみの履歴3版のため、改名先をリダイレクトの削除依頼をするのではなく、移動依頼での対処になるはずです。--Don-hide(会話) 2013年12月28日 (土) 21:04 (UTC)
- 反対 坂田表記があることは分かりますが、堺市のサイトや日本将棋連盟関西本部のサイトには阪田表記があり、積極的に改名すべきではないでしょう。--Chiba ryo(会話) 2013年12月28日 (土) 21:20 (UTC)
- コメント「積極的に改名すべきではない」というのは、①どちらがより良いかと言えば「坂田」だが決定打がない以上は現状維持で「阪田」でいい、②「阪田」のほうが適切である、どちらの意味でしょうか。堺市や日本将棋連盟が「阪田」表記を主に使っていることは事実ですが、他の辞典類、文献、論文等で「坂田」が多数派であることについては、いかがでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月12日 (日) 05:14 (UTC)
- コメント2005年の記事作成以来、ウィキペディア日本語版の記事名が「阪田」表記であったことの影響も踏まえると、2005年以前の出版物で「阪田」表記をとっている文献がどれくらい挙げられるか気になるところです。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2013年12月29日 (日) 10:57 (UTC)
- コメント 2005年以前の「阪田」表記の出版物としては、東公平「阪田三吉血戦譜」(1978年)、内藤國雄「阪田三吉名局集」(1979年)の2点があります(他にもあるかもしれませんが、著名なものではこれだけです)。一方、「坂田」表記の出版物は非常に多く、たとえば本記事の本文で参考文献として挙げられている書籍はすべて「坂田」表記です。--Fewagkjawl(会話) 2013年12月29日 (日) 13:40 (UTC)
- コメント 出版物については国立国会図書館サーチで検索するのがセオリーです。「阪田三吉」で検索すると「坂田」のものもヒットしますが、古いものでは1913年の将棊新定跡講義が「阪田三吉著」のようです。おもしろいことに、国立国会図書館では「阪田」名義の所蔵本も、検索のためか「坂田三吉」を著者標目として登録しているようです。
- 題名に絞ると、実録王将伝 : 人間阪田三吉が1972年で、「阪田」表記では最古のようです。1980年以降は「阪田」表記が多くなりますが、「坂田」表記の物もあります。
- なお、CiNiiの検索では「坂田」が4点、「阪田」も4点ですが、うち3点は連載なので実質は2点。
- Google Scholarでは「
阪田坂田」47点、「阪田」10点で、「坂田」が優勢です。 - --アルビレオ(会話) 2013年12月29日 (日) 21:20 (UTC)誤記訂正--アルビレオ(会話) 2014年1月1日 (水) 09:53 (UTC)
- コメント 本人が主に使っていた表記を記事名にすべきと考えます。この記事の対象人物の場合は、本人が「坂田三吉」を使っていた(本人の免状などによる)ので、その表記を記事名にすべきでしょう。存命人物であれば当然本人が主に使っている表記を記事名にするでしょうが、その人物が死亡したからと言って他にそれなりの理由がなければ記事名を変えることはありません。確かに戸籍名が「阪田」であることや、その表記がそれなりに使われていることもわかりますが、あくまで本人が主につかっていた表記がはっきりしているので、その表記を記事名にすべきです。--アルビレオ(会話) 2014年1月5日 (日) 08:00 (UTC)
国立国会図書館サーチで検索した書籍の一部は国立国会図書館デジタル化資料として中が見られます。1913年の『将棋草薙之巻 : 高段棋士』(前田文進堂)も『一手千金将棋虎之巻 : 一名・昇進の友』(前田文進堂)も『将棊新定跡講義』(名倉昭文館)も奥付けは坂田三吉ですが、本文は阪田三吉です。『将棋秘手 : 附・詰将棋』(嵩山堂 1914 )『 名人天野将棋手鑑講義 上 』(嵩山堂 1914 )は、坂田三吉ですが、『将棋秘手 : 附・詰将棋』の序文(伯爵柳澤保恵)では阪田三吉表記です。日本将棋連盟関西本部や内藤國雄が阪田三吉表記を選んでいるあたり、棋士としては阪田三吉が望ましいのかという印象を受けますが、決定打に欠けます。--T6n8(会話) 2014年1月5日 (日) 13:48 (UTC)
- 反対 最終的には将棋大成会(現在の日本将棋連盟)の棋士であった以上、そちらの表記に従うのが正しいと考えます。現在の日本将棋連盟では阪田表記を使っている(参考[4]の藤内金吾八段の師匠欄を参照)ので、そちらを使うべきでしょう。Googleの検索結果については、映画などの『王将』の配役名が「坂田三吉」になっていることや、塩山和子の歌『王将~坂田三吉~』なども含まれるため、そちらの方が増えるのは当然のことであり、今回の提案の参考にはなりません。--Floter(会話) 2014年1月6日 (月) 00:46 (UTC)
- コメント確かに日本将棋連盟の表記に従うというのは取りうる選択肢の一つだと思います。しかし、免状の名前はすべて「坂田」で統一されていたように、連盟が一貫して「阪田」表記を用いていたとは言えません。仮に日本将棋連盟の公式な見解が「阪田」であったとしても、連盟以外の場における多数派が「坂田」であるという事実は無視できるものでしょうか。また、映画の配役名などが「坂田三吉」であることについては、むしろ「坂田」表記を支持する理由になると考えます。この人物は将棋棋士として有名であると同時に、戯曲の登場人物としても有名なのであり、後者における人名表記が「坂田三吉」で統一されていることは「坂田三吉」表記が正当であることの根拠になります。また、Googleの検索結果はあくまで補助的な理由づけとしているだけであり、これを改名の唯一の根拠としているわけではありません。他の辞典類、文献、論文等で「坂田」が多数派であることについては、いかがでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月12日 (日) 05:14 (UTC)
- コメント 過去はばらばらであったとしても、連盟では現時点で「阪田」と統一しているのですから、それに従うべきというのが私の意見です。映画の配役名が根拠というのなら、阪田の妻は小春になっちゃいますよ。支持する理由にはなりません。--Floter(会話) 2014年1月12日 (日) 18:09 (UTC)
- コメント戯曲の登場人物としてのみ有名ならば小春を記事名とすることに何ら問題を感じません。そして、繰り返しになりますが、Googleの検索結果はあくまで補助的な理由づけとしているだけであり、これを改名の唯一の根拠としているわけではありません。他の辞典類、文献、論文等で「坂田」が多数派であることについては、いかがでしょうか。他の辞典類よりも連盟の表記が優先すると言うお考えでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月13日 (月) 02:42 (UTC)
- コメント いや、実在の人物の表記に戯曲や映画の配役名を根拠にして「「坂田三吉」表記が正当である」とするのはおかしいでしょう、という意味です。それに最初から書いていますが、棋士ですから連盟の表記に従うべきと言うのが私の意見です。私は他の辞典類・文献より優先するべきと考えます。--Floter(会話) 2014年1月13日 (月) 03:35 (UTC)
- コメントですから、連盟の表記を他の辞典類文献よりも優先すべきとする根拠はなんですか?Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはに照らして説明してください。「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」は他の辞典類・文献等で使われている「坂田」表記でしょう。所属団体(そもそも坂田三吉が連盟に所属していた期間はごく僅かで本記事の内容も連盟から独立して活動していた期間を主に扱っていると思いますが)の表記に従うべきとは、ガイドライン上どこにも書いていないように思えますが、それはFloterさんが個人で考えたルールなのか、Wikipediaにおいて合意の得られたルールなのか、どちらでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月13日 (月) 08:54 (UTC)
- コメント それも最初から書いていますが、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはに照らして書くならば、「信頼できる情報源」=「棋士である以上、日本将棋連盟」であり、「最も一般的に使われている」=「過去はバラバラでも、現在では「阪田」表記」であるので、それに従うべきという考えです。「信頼できる情報源」を、今までの数の結果と、現在将棋を専門で取り扱っている最大の公益社団法人(しかも2014年現在、阪田の扇子を公に売っている)のどちらを取るかは個々の判断でしょう。私としてはガイドラインに沿った意見を述べていますし、マイルールを押しつけているつもりはありません。--Floter(会話) 2014年1月13日 (月) 11:20 (UTC)
- コメント 最初から書いているということは「最終的には将棋大成会(現在の日本将棋連盟)の棋士であった以上、そちらの表記に従うのが正しいと考えます」という文章でしょうか。この一文から「日本将棋連盟が信頼できる情報源である」という趣旨は私の読解力ではどうやっても読み取れません(その団体の信頼できるできないとに関わらず最終所属団体の表記に従うべきとの趣旨にしか読めない)が、Floterさんはそういう意図で書いていたのですね。それは大変失礼いたしました。「日本将棋連盟は将棋を専門に扱う最大の公益社団法人であり、坂田三吉の最終所属団体でもあるから、坂田三吉に関する信頼できる情報を持っていると思われる」という主張でしたら理解はできます。私は日本将棋連盟が数々の辞典類よりも信頼できる情報源だとは全く思いませんが、長くなるので下に書きます。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月14日 (火) 13:05 (UTC)
- コメント それも最初から書いていますが、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはに照らして書くならば、「信頼できる情報源」=「棋士である以上、日本将棋連盟」であり、「最も一般的に使われている」=「過去はバラバラでも、現在では「阪田」表記」であるので、それに従うべきという考えです。「信頼できる情報源」を、今までの数の結果と、現在将棋を専門で取り扱っている最大の公益社団法人(しかも2014年現在、阪田の扇子を公に売っている)のどちらを取るかは個々の判断でしょう。私としてはガイドラインに沿った意見を述べていますし、マイルールを押しつけているつもりはありません。--Floter(会話) 2014年1月13日 (月) 11:20 (UTC)
- コメントですから、連盟の表記を他の辞典類文献よりも優先すべきとする根拠はなんですか?Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはに照らして説明してください。「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」は他の辞典類・文献等で使われている「坂田」表記でしょう。所属団体(そもそも坂田三吉が連盟に所属していた期間はごく僅かで本記事の内容も連盟から独立して活動していた期間を主に扱っていると思いますが)の表記に従うべきとは、ガイドライン上どこにも書いていないように思えますが、それはFloterさんが個人で考えたルールなのか、Wikipediaにおいて合意の得られたルールなのか、どちらでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月13日 (月) 08:54 (UTC)
- コメント いや、実在の人物の表記に戯曲や映画の配役名を根拠にして「「坂田三吉」表記が正当である」とするのはおかしいでしょう、という意味です。それに最初から書いていますが、棋士ですから連盟の表記に従うべきと言うのが私の意見です。私は他の辞典類・文献より優先するべきと考えます。--Floter(会話) 2014年1月13日 (月) 03:35 (UTC)
- コメント戯曲の登場人物としてのみ有名ならば小春を記事名とすることに何ら問題を感じません。そして、繰り返しになりますが、Googleの検索結果はあくまで補助的な理由づけとしているだけであり、これを改名の唯一の根拠としているわけではありません。他の辞典類、文献、論文等で「坂田」が多数派であることについては、いかがでしょうか。他の辞典類よりも連盟の表記が優先すると言うお考えでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月13日 (月) 02:42 (UTC)
- コメント 過去はばらばらであったとしても、連盟では現時点で「阪田」と統一しているのですから、それに従うべきというのが私の意見です。映画の配役名が根拠というのなら、阪田の妻は小春になっちゃいますよ。支持する理由にはなりません。--Floter(会話) 2014年1月12日 (日) 18:09 (UTC)
- コメント確かに日本将棋連盟の表記に従うというのは取りうる選択肢の一つだと思います。しかし、免状の名前はすべて「坂田」で統一されていたように、連盟が一貫して「阪田」表記を用いていたとは言えません。仮に日本将棋連盟の公式な見解が「阪田」であったとしても、連盟以外の場における多数派が「坂田」であるという事実は無視できるものでしょうか。また、映画の配役名などが「坂田三吉」であることについては、むしろ「坂田」表記を支持する理由になると考えます。この人物は将棋棋士として有名であると同時に、戯曲の登場人物としても有名なのであり、後者における人名表記が「坂田三吉」で統一されていることは「坂田三吉」表記が正当であることの根拠になります。また、Googleの検索結果はあくまで補助的な理由づけとしているだけであり、これを改名の唯一の根拠としているわけではありません。他の辞典類、文献、論文等で「坂田」が多数派であることについては、いかがでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月12日 (日) 05:14 (UTC)
コメント坂田三吉の著書は、私が調べたところでは7点が存在します。そして、奥付の表記は7点すべてが「坂田」です。一方、本文の表記は「阪田」のものと「坂田」のものとがあります。なお、アルビレオさんが指摘している「国立国会図書館では「阪田」名義の所蔵本も、検索のためか「坂田三吉」を著者標目として登録している」というのは、単に国立国会図書館が奥付に記載された「坂田三吉」を著者標目としただけのことではないでしょうか(推測ですが)。
- 本文、奥付ともに「坂田」:『將棋手鑑講義 上下』1914、『將棋秘手』1914
- 本文は「阪田」だが奥付は「坂田」:『將棊活法』1910、『將棊新定跡講義』1913、『將棋虎之卷』1913、『將棋草薙之卷』1913、『將棋大全』1916
--Fewagkjawl(会話) 2014年1月11日 (土) 18:37 (UTC)
コメント議論が収束しないので、改名を主張する理由を明確化するためにも、改めてここまでの情報をまとめておきます。
- 改名への賛否
- 賛成:3名(Fewagkjawl、アルビレオ、倫敦橋 (Londonbashi))
- 反対:3名(Chiba ryo、Floter、TempuraDON)
- Google 検索
- 「坂田」:約44,600件("坂田三吉" - Google 検索)
- 「阪田」:約26,000件("阪田三吉" - Google 検索)
- Google Scholar
- 「坂田」:49件("坂田三吉" - Google Scholar)
- 「阪田」:10件("阪田三吉" - Google Scholar)
- CiNii Articles 検索
- 「坂田」:4件(CiNii Articles 検索 - "坂田三吉")
- 「阪田」:2件(CiNii Articles 検索 - "阪田三吉")
- Web上の辞典類
- 「坂田」:世界大百科事典、日本人名大辞典、大辞泉、マイペディア、大辞林(坂田三吉 とは - コトバンク)
- 「阪田」:Wikipedia
- 参考文献(記事中で参照したもの)
- 「坂田」:岡本嗣郎『9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝』、内藤國雄「坂田三吉」『大阪学講座 なにわを築いた人々』、加藤一二三『日本将棋大系14 坂田三吉・神田辰之助』、北條秀司『王將』
- 「阪田」:中村浩『棋神・阪田三吉』
- 主要団体の公式ウェブサイト
- 「坂田」:大阪市、大阪同和・人権問題企業連絡会など
- 「阪田」:日本将棋連盟、堺市など
- 当時の表記
- 「坂田」:出生時の戸籍、免状、著書、サイン、表札など
- 「阪田」:死亡時の戸籍など
- その他
- 「坂田」:王将碑、戯曲など
- 「阪田」:墓など
- 補足
- 「坂」と「阪」とは異字体の関係にあり、正字体は「坂」である
- 本人は「坂」は書けたが「阪」は書けなかった可能性が高い
以上です。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月11日 (土) 18:50 (UTC)(更新--Fewagkjawl(会話) 2014年1月12日 (日) 13:14 (UTC))
- 反対 反対票を投じます。理由は、Floterさんの「 最終的には将棋大成会(現在の日本将棋連盟)の棋士であった以上、そちらの表記に従うのが正しい」という主張に賛同します。また、Googleの検索結果の数の単純比較をすることについては、同姓同名の野球漫画の登場キャラクターがカウントされているのを無視しているように思います。--TempuraDON(会話) 2014年1月12日 (日) 04:07 (UTC)(修正)--TempuraDON(会話) 2014年1月12日 (日) 11:02 (UTC)
- コメント野球漫画のキャラクターについては考慮しておりませんでした。申し訳ありません。ただ、「"坂田三吉" 将棋」などで検索しても「坂田」が上回ることから、同キャラクターを除外してもなお「坂田」が多数派であると思われます。また、Googleの検索結果はあくまで補助的な理由づけとしているだけであり、これを改名の唯一の根拠としているわけではありません。他の辞典類、文献、論文等で「坂田」が多数派であることについては、いかがでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月12日 (日) 05:14 (UTC)
- 賛成 以前のコメントでも示唆したつもりだったのですが、ウェブサイト上の表記がどうであるかは、作成を依頼した団体の意向というよりも作成者(業界内部の人間とは限らない)の側の事情や環境が大きく作用する場合が考えられます。連盟がウェブサイトの「阪田」表記を「修正」していないという点にしても、それは連盟としては「阪田」でも「坂田」どちらでもいいから特に修正しなかったとも考えられます。文献資料では「坂田」の方が優勢なのは明白なのですので「坂田」表記への改名を支持します(戯曲の影響で歪んだ可能性も小さいようですし)。なお正字体であるからという理由や、本人が坂の字しかかけなかった可能性などは考慮しません。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年1月12日 (日) 06:45 (UTC)
- コメントなお、平成15年に出た『日本将棋連盟公式 将棋ガイドブック』に掲載されている棋士系統図では「阪田」表記でした。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年1月12日 (日) 07:14 (UTC)
- コメント >連盟がウェブサイトの「阪田」表記を「修正」していないという点にしても、それは連盟としては「阪田」でも「坂田」どちらでもいいから特に修正しなかったとも考えられます。
ここの部分については根拠のないご自身の考えでしかなく、明らかに「独自研究」であるという点だけは指摘しておきます。なお、将棋年鑑や、日本将棋連盟が販売している扇子も現在は「阪田」名義です。--Floter(会話) 2014年1月13日 (月) 00:51 (UTC)- コメント連盟のウェブサイト表記がさほど決定的な要素とはいえない、ということを指摘したまでですので、連盟の立場を明確に示した証拠をしめすべきなのはFloterさんらの側だと思います。なお、「現在は「阪田」名義」ということは、過去においてはそうではなかったという証拠をFloterさんはお持ちであるという認識でよろしいでしょうか。もしそうなら、情報源の提示をよろしくお願いします。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年1月26日 (日) 15:19 (UTC)
- コメント >連盟がウェブサイトの「阪田」表記を「修正」していないという点にしても、それは連盟としては「阪田」でも「坂田」どちらでもいいから特に修正しなかったとも考えられます。
- コメントなお、平成15年に出た『日本将棋連盟公式 将棋ガイドブック』に掲載されている棋士系統図では「阪田」表記でした。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年1月12日 (日) 07:14 (UTC)
- コメント 検索結果が出ているので、ついでにG-Searchによる新聞・雑誌記事横断検索をかけてみました。
1990-2000 「阪田三吉」106件、「坂田三吉」205件
2000-2010 「阪田三吉」261件、「坂田三吉」255件
2010- 「阪田三吉」148件、「坂田三吉」 74件
記事の表題や中身を見ていない(両方併記の場合もある)のであくまで参考程度にしかなりませんが、近年は「阪田」表記の方が増えているという見方もできます。--Floter(会話) 2014年1月13日 (月) 01:00 (UTC)
コメント 論点が散逸してしまい、このままではいつまでも議論が終わりません。迅速に議論を進めるために以下のように論点を絞ってはどうかと思うのですが、いかがでしょうか。
- まず、以下の2点はそれぞれ争いはあると思いますが、本質的に食い違いはなく、正しいものとします。
- 三吉の最終所属団体であり、将棋を専門とする公益社団法人の日本将棋連盟は「阪田」表記を正としている。
- 辞典、論文、書籍等の文献資料では「坂田」表記が多数派である。
- 次に、これを前提としたうえで、以下を検討します。
- Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはにおける「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」は「坂田」か「阪田」か。換言するならば「日本将棋連盟」と「文献資料」のどちらがより「信頼できる情報源」であるか。
この点が互いに主張が食い違う本質的な個所だと考え、この点に絞って議論すべきと考えます。いかがでしょうか。このままでは永久に議論が終わらず、改名を提案している私としてはそれは本意ではありません。(なお、当然のことながら私は文献資料ののほうがより信頼できる情報源であると考えるから改名を提案しています)--Fewagkjawl(会話) 2014年1月14日 (火) 13:05 (UTC)
- 議論を発散させたくはないのですが、私の最大の改名理由は「当事者の表記を優先すべき」ということです。私は三吉本人は主に「坂田」表記を使っていたと考え、記事名にもその表記を使うべきだと考えています。これに対する反論として、
- (1)本人が、特に晩年「阪田」表記を使っていた根拠がある。
- (2)死亡した人物については当事者の表記を優先する必要がない。
- (3)存命人物であっても当事者の表記を優先する必要がない。
- のどれかが多数であれば私の改名賛成は取り消します。--アルビレオ(会話) 2014年1月15日 (水) 02:12 (UTC)
- コメントまず、(1)についてはおそらくありません。書籍などで関係者の証言を当ってみても、「阪」の字は書けなかった可能性がきわめて高いと思われます。また、晩年どころか三吉が死亡してから後も表札が「坂田」表記であったことは確認できています。(2)と(3)については、記事名の付け方に関するルールの問題ですから、私が上で書いた点と合わせて検討すると言うことではいかがでしょうか。私の述べた趣旨は「記事名の付け方に関するルール(Wikipedia:記事名の付け方)の解釈が食い違っている。細かい事実認定を争ったところで、認識しているルールが違うのであれば永久に合意には達しないから、ルールに関する議論を中心に行おう」ということです。最終的に記事名をいかなるルールで付けるかという認識が異なっているのでは、「本当に日本将棋連盟は「阪田」表記を使うことを公式な見解としているのか」とか「本当に「坂田」表記の文献のほうが多いのか」とか、そういった事実レベルの議論は無意味ではないでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月15日 (水) 13:13 (UTC)
コメント 東公平『阪田三吉血戦譜』(1)に、長女からのコメントで、コザトヘンが正しい、本人は字が読めないのでどっちでも気にしていなかったと思うという旨があると検索で拾ったのですが、本書に当たることができないのでわかりません。本をお持ちの方がいれば、より詳細な内容も含めて教えて頂けると幸いです。
また、日本将棋連盟が「阪田三吉」名義で扇子を売っているので、遺族の許可を得ている可能性は十分にあると思いますが、現状で確認する方法はありません。--Floter(会話) 2014年1月15日 (水) 02:34 (UTC)
- コメント 長女への取材時点において戸籍名が「阪田」であるという意味であり、情報としては既出です。1916年までに何らかの理由(手続上のミスか他者の意思)で「坂田」から「阪田」へと戸籍上の氏名が変更されたことは疑いようのない事実です。もっとも、私としては、これ以上情報を集めることに大した意味はないと考えます。というのは、Wikipedia:記事名の付け方の解釈において決定的な対立があるので、仮に「神の目」からすべての情報が見えたとしても、Floterさんは「阪田」、私は「坂田」を主張するであろうと思われるからです。「日本将棋連盟が「阪田」表記を使っていること」「遺族が「阪田」表記を使っていること」「当人の死亡時の戸籍名が「阪田」であること」など、これらについて争うつもりはありません。仮にそれらが真実だとしても「文献資料(書籍、論文、辞典類、本人の免状、サインなども含む)において「坂田」が多数派であること」をもって、私は「坂田」にすべきと考えます。ルールに関して合意できなければ、いくら事実を集めても無意味ではないでしょうか。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月15日 (水) 13:13 (UTC)
コメントお気づきの方もいらっしゃるようですが、2ちゃんねるに当該議論のスレが立っています(坂田三吉と阪田三吉、果たしてどちらが正しいのか)。 出典が曖昧なため、真実かどうかは改めて確認する必要があるでしょうが、ここでの議論に挙がっていない「坂田」表記を裏付ける情報がいくつか寄せられているので紹介します。
- 32 山縣有朋や東條英機は、現在では一般的でない旧字表記を記事名に採用している(→存命中の表記が記事名に一切影響しない訳ではない)
- 41 サインに「坂」の一字を使っていたとの証言がある(→当人の認識は坂田であった)
- 55 芹澤博文は日本将棋連盟の表記は「芹沢」なのに記事名は「芹澤」となっている(→日本将棋連盟の表記に従うというルールは存在しない)
- 60 日本将棋連盟の前身の将棋大成会に所属したのは晩年の僅かな期間だけである(→日本将棋連盟の表記を絶対視する必要はない)
- 74 「阪田」表記を広めたのは東公平で、戸籍名は出生から一貫して阪田であったという事実誤認に基づくものだ(→戸籍変更の事実が明らかになった以上は採用すべきではない)
- 96 本人は「坂田の坂は大坂の坂」と自己紹介していたため、「大坂」が「大阪」表記になったことで「阪田」と誤認する人が現れたのではないか(→本来は坂田と表記するのが正しい)
- 98 本人は漢字がほとんど書けなかったため、誤って「阪田」と書かれても癖字というくらいにしか思わず訂正しなかったのだろう(→本来は坂田と表記するのが正しい)
- 102 瀧安治(読売ジャイアンツの表記は滝安治)のように、所属団体の表記と記事名は一致していないことがある(→所属団体の表記に従うというルールは存在しない)
以上です。議論が停滞しているようですので、あくまで参考ということで共有しました。--198.23.71.119 2014年1月18日 (土) 07:04 (UTC)
- 阪田表記の根拠となる文献として東公平『阪田三吉血戦譜』(1)が挙がっていますが、ぜひ「阪田」表記を支持している側の方に実際に確認していただきたいな、と思います。「坂田」表記を支持している側が確認作業をしてもあまり説得的な報告にはなりそうにないですから。もし誰も実際に確認しないのであれば、一時的に「坂田」に改名した上で、確認後にあらたに改名の是非を論じる、ということでどうでしょうか。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年1月26日 (日) 15:25 (UTC)
- 余裕があればしたいのですが、現在の私の状況では色々と厳しいです。それに私の場合はそもそもの根拠が現在の連盟表記なので、第一根拠に挙げているわけではないですよ。意見を見るうえでは他の方も同様に思われますが。ですので、「一時的に「坂田」に改名する」という方針上の根拠がないなし崩し的な改名に私は反対します(大多数の方がそれが良いというのであれば別ですが)。--Floter(会話) 2014年1月27日 (月) 00:09 (UTC)
- 一時的に「坂田」表記に改名するということについて、(阪田表記を支持している方のご意見が重要かと存じますが)私は賛成です。現在の記事が阪田表記であるのはたまたま最初に作成した方が阪田表記を採用していたからに過ぎないので、阪田表記を維持する有力な根拠がないのであれば、細かい議論が終結するまで現状の記事名を維持するというのはどうかと思います。ところで、IPユーザ氏ご指摘の芹澤博文の記事についてはいかがお考えでしょうか。確認したところ、確かに日本将棋連盟の公式サイトや公式系統図では「芹沢」表記ですが、Wikipediaでは「芹澤」表記となっておりました。日本将棋連盟の前身である将棋大成会に晩年のほんの一時期だけ所属していた坂田三吉について、日本将棋連盟の表記を最大の根拠として「阪田」表記の維持を主張なさるのであれば、入門から死去まで日本将棋連盟所属の棋士として活動した芹澤博文については改名提案をなさるのが筋と考えます。現状で、芹澤博文の記事において日本将棋連盟公式と異なる表記をしている以上、「阪田」表記を維持する根拠はほとんどないものと考えます(ですから、一時的に坂田表記に改名し、阪田表記を支持する他の根拠が提示されたならば再度議論すればよいのではないでしょうか)。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月30日 (木) 14:30 (UTC)
- >入門から死去まで日本将棋連盟所属の棋士として活動した芹澤博文については改名提案をなさるのが筋と考えます。
それでは「芹澤博文」から「芹沢博文」への改名提案させていただきます。そもそも記事名「芹澤博文」では「芹澤博文」とすることに議論はなかったようで、たまたま最初に作成した方が「芹澤」表記を採用していたからに過ぎないのではないでしょうか? 何の議論もなく初稿作成者が記事名「芹澤博文」としたまま既成事実に乗っかる形で「坂田三吉」とする根拠にする場合は、まずノート:芹澤博文で「芹沢博文」よりも「芹澤博文」がふさわしい論拠を提示していただきたく思います。--TempuraDON(会話) 2014年1月30日 (木) 16:12 (UTC) - 芹澤博文についての情報が寄せられてから2週間近くも経つのに同記事について改名提案がなかったため、これを黙認しているのかと思い、「芹澤」は黙認するのに「坂田」は認めないのはおかしいと主張したまでです。芹澤博文について改名の提案をしていただけるのであれば、坂田三吉についても日本将棋連盟の表記に従うべきだとの主張をしていただいても筋が通ると思います。(ただし、当然のことながら日本将棋連盟の表記よりも他の文献類の表記を優先すべきであるという点は変わりません)--Fewagkjawl(会話) 2014年2月1日 (土) 02:25 (UTC)
- >入門から死去まで日本将棋連盟所属の棋士として活動した芹澤博文については改名提案をなさるのが筋と考えます。
- 一時的に「坂田」表記に改名するということについて、(阪田表記を支持している方のご意見が重要かと存じますが)私は賛成です。現在の記事が阪田表記であるのはたまたま最初に作成した方が阪田表記を採用していたからに過ぎないので、阪田表記を維持する有力な根拠がないのであれば、細かい議論が終結するまで現状の記事名を維持するというのはどうかと思います。ところで、IPユーザ氏ご指摘の芹澤博文の記事についてはいかがお考えでしょうか。確認したところ、確かに日本将棋連盟の公式サイトや公式系統図では「芹沢」表記ですが、Wikipediaでは「芹澤」表記となっておりました。日本将棋連盟の前身である将棋大成会に晩年のほんの一時期だけ所属していた坂田三吉について、日本将棋連盟の表記を最大の根拠として「阪田」表記の維持を主張なさるのであれば、入門から死去まで日本将棋連盟所属の棋士として活動した芹澤博文については改名提案をなさるのが筋と考えます。現状で、芹澤博文の記事において日本将棋連盟公式と異なる表記をしている以上、「阪田」表記を維持する根拠はほとんどないものと考えます(ですから、一時的に坂田表記に改名し、阪田表記を支持する他の根拠が提示されたならば再度議論すればよいのではないでしょうか)。--Fewagkjawl(会話) 2014年1月30日 (木) 14:30 (UTC)
- 余裕があればしたいのですが、現在の私の状況では色々と厳しいです。それに私の場合はそもそもの根拠が現在の連盟表記なので、第一根拠に挙げているわけではないですよ。意見を見るうえでは他の方も同様に思われますが。ですので、「一時的に「坂田」に改名する」という方針上の根拠がないなし崩し的な改名に私は反対します(大多数の方がそれが良いというのであれば別ですが)。--Floter(会話) 2014年1月27日 (月) 00:09 (UTC)
- コメント通りすがりのIPなので賛否は表明しません。本日付の朝日新聞夕刊では「阪田」が使用されていました。--180.13.135.79 2014年2月25日 (火) 13:39 (UTC)
ここまでの議論についてのまとめ
[編集]コメント議論が収束しないので、改名を主張する理由を明確化するためにも、改めてここまでの情報をまとめておきます。
- 改名への賛否
- 賛成:3名(Fewagkjawl、アルビレオ、倫敦橋 (Londonbashi))
- 反対:3名(Chiba ryo、Floter、TempuraDON)
- Google 検索
- 「坂田」:約48,800件("坂田三吉" - Google 検索)
- 「阪田」:約27,500件("阪田三吉" - Google 検索)
- Google Scholar
- 「坂田」:53件("坂田三吉" - Google Scholar)
- 「阪田」:11件("阪田三吉" - Google Scholar)
- CiNii Articles 検索
- 「坂田」:4件(CiNii Articles 検索 - "坂田三吉")
- 「阪田」:2件(CiNii Articles 検索 - "阪田三吉")
- G-Search新聞・雑誌記事横断検索
- 「坂田」:568件(坂田三吉 - 新聞・雑誌記事横断検索|G-Searchデータベースサービス)
- 1990年-2000年:205件、2000年-2010年:255件、2010年-:74件
- 「阪田」:524件(阪田三吉 - 新聞・雑誌記事横断検索|G-Searchデータベースサービス)
- 1990年-2000年:106件、2000年-2010年:261件、2010年-:148件
- 「坂田」:568件(坂田三吉 - 新聞・雑誌記事横断検索|G-Searchデータベースサービス)
- Web上の辞典類
- 「坂田」:世界大百科事典、日本人名大辞典、大辞泉、マイペディア、大辞林(坂田三吉 とは - コトバンク)
- 「阪田」:Wikipedia
- 参考文献(記事中で参照したもの)
- 「坂田」:岡本嗣郎『9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝』、内藤國雄「坂田三吉」『大阪学講座 なにわを築いた人々』、加藤一二三『日本将棋大系14 坂田三吉・神田辰之助』、北條秀司『王將』
- 「阪田」:中村浩『棋神・阪田三吉』
- 主要団体の公式ウェブサイト
- 「坂田」:大阪市、大阪同和・人権問題企業連絡会など
- 「阪田」:日本将棋連盟、堺市など
- 当時の表記
- 「坂田」:出生時の戸籍、免状、著書の奥付(本文は混在)、サイン、表札など
- 「阪田」:死亡時の戸籍など
- その他
- 「坂田」:王将碑、戯曲など
- 「阪田」:墓、扇子など(いずれも日本将棋連盟が作成したもの)
- 各種検索結果について考慮すべき影響
- ドカベンの登場人物である坂田三吉の影響(なお、これを除外するために「"坂田三吉" 将棋」などで検索したとしても「"阪田三吉" 将棋」より多数派である)
- 2005年から現在までWikipediaに「阪田三吉」という記事が存在した影響
- 補足
- 「坂」と「阪」とは異字体の関係にあり、正字体は「坂」である。
- 本人は非識字者であり、「坂」は書けたが「阪」は書けなかったと思われる。
- 議論の対立点
- 日本将棋連盟における表記(阪田)と、その他の文献等における表記や本人の用いた表記(坂田)と、どちらを優先すべきかというのが本質的対立であるように思います。この点、私は以下の理由から日本将棋連盟における表記を採用する必要はないと考えます。なお、以下の理由に対する有効な反論はないものと認識しています。
- 本人は日本将棋連盟に所属したことはない。
- 日本将棋連盟の前身である将棋大成会に所属したことはあるが、晩年の一時期のみである。
- そもそも、日本将棋連盟の表記は、その信頼性において、他の辞典類等の文献の表記に勝るものではない。
芹澤博文の記事では、日本将棋連盟の表記とは異なる記事名を採用している。(芹澤博文の記事に対して改名提案がなされているため、保留とします)
- 日本将棋連盟における表記(阪田)と、その他の文献等における表記や本人の用いた表記(坂田)と、どちらを優先すべきかというのが本質的対立であるように思います。この点、私は以下の理由から日本将棋連盟における表記を採用する必要はないと考えます。なお、以下の理由に対する有効な反論はないものと認識しています。
以上です。--Fewagkjawl(会話) 2014年2月12日 (水) 10:54 (UTC)G-Searchによる新聞記事検索結果を追記--Floter(会話) 2014年2月12日 (水) 11:24 (UTC)G-Searchについて補足、バイアスについて追記--Fewagkjawl(会話) 2014年2月12日 (水) 12:36 (UTC)細部を補足--Fewagkjawl(会話) 2014年2月12日 (水) 14:27 (UTC)指摘を受け修正--Fewagkjawl(会話) 2014年2月15日 (土) 06:06 (UTC)
- 当時の表記
- 「坂田」:出生時の戸籍、免状、著書、サイン、表札など
- 「阪田」:死亡時の戸籍など
というまとめ方は、これまでの調査から著書本文は両方の表記が用いられていることを無視した不適切なまとめであると思います。
また、「正字体は『坂』である。」も根拠が示されていないように思います。ちょっと調べると阪が本字とか正字という話 (知恵袋 干禄字書)もあるようです。主要な根拠にしないということで問題にしないのなら良いのですが、根拠を示さずにここに並べるのは感心しません。--T6n8(会話) 2014年2月14日 (金) 13:51 (UTC)
- コメント ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通りですので「著書」は「著書の奥付」に修正しました。また、「正字体は『坂』である。」という点については、2010年まで「坂」のみが常用漢字であったことから顕著な事実であり、ここまでどなたからも反論がなかったから根拠を示す必要がなかったというだけです。国内(中国のものでは違います)の一般的な漢和辞典でも坂を正字体にしています(Wikipediaに関連するものとしてはwiktionaryの記述もそうなっています)。ただし、特に重要な根拠でもないので、「干禄字書の記述と一致しないので納得できない」ということであれば削除しても構いません。なお、本字は正字体という意味ではありません。--Fewagkjawl(会話) 2014年2月15日 (土) 06:06 (UTC)
岡本嗣郎『孤高の棋士・坂田三吉伝』に表記の由来があります(集英社文庫,P123-126)。それによると当時の新聞は両方があり、坂が使われているのは免状を代筆した中村眉山が坂を使ったからではないか、など。また眉山は三吉に字を教えたのですが、書けるようになったのは「三」「吉」「馬」の三文字と言われており、他に謝礼の受領書に「坂」一文字の署名をしていたなど。記事名への意見は、(1)三吉の棋士としての事蹟の主なものは関根戦や名人戦であるので、公式な記録としては将棋連盟のものに従うしかない。(2)公式記録に準ずるものとして門下筋(内藤九段など)による表記も参考にする。(3)三吉を題材にしたフィクションや文芸類は参考にする必要は無い。よって「阪」であろうということです。--Sugitaro(会話) 2014年3月9日 (日) 13:12 (UTC)
- 門下筋による表記、とのことでしたら、谷川浩司の『ちょっと早いけど僕の自淑伝です』では「坂田」表記です。また門下筋ではありませんが三吉と面識のある木村義雄や大山康晴の著書でも「坂田」表記になっています。なお、将棋史に関する多くの書籍を著している増川宏一氏や山本享介氏の本もおおむね「坂田」表記であり、「阪田」表記を採用しているは東公平氏ぐらいでしょう。増川氏や山本氏の本も「三吉を題材にしたフィクションや文芸類」に含まれるということでしょうか。個人的にはむしろ岡本氏の本の方が「三吉を題材にした」「文芸類」に近いような印象がありますが。なお、Wikipedia:記事名の付け方の「その記事へのリンクを作成しやすいもの」であることも重要です」という観点からすると、「三吉を題材にしたフィクションや文芸類は参考にする必要は無い」というご意見はやや硬直的ではないでしょうか。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年3月11日 (火) 16:29 (UTC)
- 加藤治郎・田辺忠幸・原田泰夫『証言 将棋昭和史』(毎日コミュニケーションズ)や中平邦彦『棋士-その世界』(講談社文庫)などは「阪田」表記なので、「「阪田」表記を採用しているは東公平氏ぐらいでしょう」というのは言い過ぎでしょう。--Floter(会話) 2014年3月11日 (火) 22:48 (UTC)
- それらの人が「将棋史に関する多くの書籍を著している~」という条件に該当するなら、「言い過ぎ」にあたるのでえしょうね。「将棋」じゃなくて「将棋史」ですよ。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年3月12日 (水) 16:57 (UTC)
- 掲載媒体が数年前の『将棋世界』だという点も考慮する必要がありますが、『将棋博物誌』などの著書を持つ越智信義さんの文章で「阪田」表記を用いているものを見つけました。必要ならば何年何号かも明記しておきます。ところで、Sugitaroさんからはお返事はいただけない、ということでしょうか。今読むと、「~公式な記録としては将棋連盟のものに従うしかない」という点もよく分からないのですが。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年3月31日 (月) 17:19 (UTC)
- 加藤治郎・田辺忠幸・原田泰夫『証言 将棋昭和史』(毎日コミュニケーションズ)や中平邦彦『棋士-その世界』(講談社文庫)などは「阪田」表記なので、「「阪田」表記を採用しているは東公平氏ぐらいでしょう」というのは言い過ぎでしょう。--Floter(会話) 2014年3月11日 (火) 22:48 (UTC)
- 外部団体で、関根名人記念館が「阪田」表記でした。追加願います。--Floter(会話) 2014年3月11日 (火) 22:48 (UTC)
- 最近出た増川宏一『将棋の歴史』では、「坂田」表記の部分と「阪田」表記の部分が混在していました。増川先生はその点には特にこだわらなかったのか、それとも参照元の表記に忠実であっただけなのかはよくわかりません。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年3月12日 (水) 17:02 (UTC)
- 加藤治郎先生については、昭和55年に出版された自伝である『昭和のコマおと』で「阪田」と表記してありました。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年3月12日 (水) 17:09 (UTC)
議論が中途半端な状態で止まってしまい残念ですが、「日本将棋連盟の公式見解」について、刊行物やウェブサイトの表記からの推測以外の理由は依然として提示されていない、という認識でよろしいでしょうか。また「阪田」が正しいとする東公平氏の著述について直接見た上で意見を下さる方がいるとありがたいです。現状では「阪田」表記のままであることは、根拠があやふやなままで東氏の見解が正しいというPOVのみを記事にもたらしているのではないか、という危惧感もあります(広く知られている「坂田」表記においては「「坂田」が正しい」というPOVをもたらす危険性は相対的に低いことはご理解いただけるでしょう)。調査が進んだら私が主体となって再度提案を行う予定です。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年7月8日 (火) 22:42 (UTC)
- 将棋に一番関係の深い日本将棋連盟の公式や『将棋世界』等の雑誌、出版物等で「阪田」表記が使われていることや、今年で27回を迎えた「阪田三吉名人杯将棋大会」[5]があることを考えると、なぜPOVになるのか私にはわかりません。最近Kindle本で出た『将棋哲学』も「阪田」名義です[6]。2014年に出版された谷川浩司『怒濤の関西将棋』(角川oneテーマ21)でも、「第一章 関西に王将あり-阪田三吉という伝説」とあるように、「阪田」名義が使われています。全部の統計を取っているわけではありませんが、上にあるG-Searchによる新聞記事検索結果や、出版物等を見る限り、新規の印刷物では「坂田」よりも「阪田」の方を多く目にすると言っていいと思います。--Floter(会話) 2014年7月9日 (水) 02:26 (UTC)
「銀が泣いている」の一局について
[編集]関根との対戦であるとする見解と井上との対戦であるとする見解が二通りあるようなので、両論併記の状態にしました。充実させられるのであれば、独自記事の作成も可能かもしれません。--倫敦橋 (Londonbashi)(会話) 2014年7月8日 (火) 22:42 (UTC)
改名提案 (2020)
[編集]6年前の上記改名提案が、賛成派の方、反対派の方の感情的対立で中途半端なまま終わってしまったように見えるので、年月を経て編集に関わる人が入れ替わったと思われる現在、改めて坂田三吉への改名を提案します。 根拠については、上記の提案のうち、重要と思われる部分を参考にさせていただきます。
- 事実関係…棋士として活躍していた当時は「坂田」表記が多数派だったが、のちに戸籍上の本名が「阪田」にかわった(6年前の議論および記事本文を参照)。本人は非識字者。阪は坂の異字体。坂は元々常用漢字だったが、阪は2010年に地名専用の漢字として常用漢字に追加された(参照:常用漢字#都道府県名など)。
- Wikipediaによる表記基準…Wikipediaでは、原則として常用漢字表記を行いるが、固有名詞は別(Wikipedia:表記ガイド#漢字)。Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはによると、「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」の5条件があげられている。坂田か阪田かで問われるのは認知度の点であると思われる。つまり、「信頼できる情報源で最も一般的に使われていて最も著名な表記は『坂田三吉』か『阪田三吉』か」ということが問題。
- サカタ三吉に詳しいと思われる専門家の表記…記事本文の出典・参考文献に挙げられているサカタ三吉をテーマに単著を執筆している専門家の表記を見ると、坂田表記は、岡本嗣郎『9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝』、大山勝男『反骨の棋譜坂田三吉』、加藤一二三『日本将棋大系14 坂田三吉・神田辰之助』、北條秀司『王將』の4名、阪田表記は、中村浩『棋神・阪田三吉』、内藤国雄『阪田三吉名局集』の2名となっていて、坂田のほうが多数派である。
- 他の辞典類の表記…現在のところ『ブリタニカ国際大百科事典』、『大辞泉』、『百科事典マイペディア』、『日本人名大辞典+Plus』、『世界大百科事典(平凡社)』、『大辞林』、『日本国語大辞典』はすべて坂田表記を採用している。一方、阪田表記は『日本大百科全書(ニッポニカ)』のみ。(坂田三吉(コトバンク)、阪田三吉(コトバンク))。
- 反対意見として考慮すべき要素…日本将棋連盟が「阪田」表記を採用している。結局「阪田」表記を維持すべきとする理由はこの一点しかないように思われる(6年前の議論を参照)。しかし、この見解には疑問がある。
- 疑問1 所属団体の表記は絶対なのか?…確かに所属団体はある程度「信頼できる情報源」だとは思う。しかし、例えば所属団体の表記がAだが、文献類の表記ではBが多数派という場合、「最も一般的に使われており、最も著名である」のはBだと思う。所属団体は信頼できる情報源の一つにすぎないはず。そもそも、文献類の執筆者はふつう「所属団体がAと表記している」という事実を踏まえてあえてBと表記しているのであって、そこにはBが支持される理由がある。一般人の認知度の点からしても、所属団体の公式サイトなどをチェックしている熱心なファンにとってはAがなじみ深いと思うが、それ以外の大多数の人々から認知されている表記は文献類で採用されているB。
- 疑問2 そもそもサカタ三吉の所属団体は日本将棋連盟なのか。私は詳しく知らないので間違いがあれば訂正して欲しいが、調べてみるとこの人物は日本将棋連盟所属とはいいがたい。まず、サカタ三吉は主に日本将棋連盟設立前に活躍していた歴史上の人物であり、当時の将棋界に統一団体はなかった(日本将棋連盟#前身団体の結成から棋界統一まで)。のちに将棋連盟ができたが、サカタ三吉は名人僭称問題などから設立には参加できず、晩年に特例で一年間参加したにすぎない(名人戦_(将棋)#順位戦創設以前(第2期から第5期まで))。記事本文の記載もそのほとんどが連盟とは独立に活動していた時期の内容である。しいて言えば、大阪朝日嘱託として活動していた時代の内容が多いので、所属団体はむしろ大阪朝日新聞ということになる。なお、朝日新聞の表記は統一されていない(坂田表記の例、阪田表記の例)。
- 結論…最も一般的で最も著名な表記は「坂田」。「所属団体が阪田と表記しているから阪田と表記すべきだ」という理屈は正しくない。よって坂田表記が百科事典の項目名になるべきとおもう。
以上です。 私はオセロプレイヤーの記事を書きたいのですが、オセロ連盟の表記と本人の著書の表記が異なる場合にどちらに準拠すべきか迷っており、先例としてこちらに決着をつけていただきたいと思いました。坂田三吉というプレイヤーは(生涯のほとんどが)日本将棋連盟所属ではないにも関わらず、日本将棋連盟の表記だけを根拠に「阪田」となるのであれば、オセロプレイヤーの名前もオセロ連盟に準拠すべきということになるでしょう。阪田表記を支持していたのは、「最終所属団体の表記が絶対である」という意見をお持ちの方のようですので、Wikipediaのルールとしてこれが正しいのかどうか(私は正しくないので「坂田」にすべきと思う)ご意見をいただければ。 よろしくお願いします。
--WKPDJP(会話) 2020年3月27日 (金) 03:46 (UTC)
- 反対 ここまでの経緯を考えれば、合意形成の過程を飛ばしてのWKPDJP氏による改名提案が、時期尚早であり不適切なのは自明です。
- WKPDJP氏による改名提案は「私はオセロプレイヤーの記事を書きたいのですが、オセロ連盟の表記と本人の著書の表記が異なる場合にどちらに準拠すべきか迷っており、先例としてこちらに決着をつけていただきたいと思いました。」が動機とのことですが、目的と手段が逆転しているように思えます。--Pooh456(会話) 2020年3月28日 (土) 10:51 (UTC)
- コメント すみません、Wikipedia:ページの改名を読み、改名の合意形成というのは提案をしてから行うものだと思ったので、まず提案しました。Wikipediaの不文律として、合意形成の過程を経てから提案するのが常識なのでしょうか。そのあたりの事情が理解できていなかったので、不手際があれば申し訳ありません。なお、オセロの記事を書きたいというのは、個人的な動機を説明したにすぎず、改名提案の主目的ではありません。坂田のほうが相応しいのではないかという理由は上で述べた通りですので、できればその内容についてもコメントいただけるとありがたいです。--WKPDJP(会話) 2020年3月28日 (土) 11:07 (UTC)
- コメント 「サカタ三吉に詳しいと思われる専門家の表記」として「北條秀司『王將』」を挙げている時点で貴殿の阪田三吉への理解に疑問符を呈さざるを得ません。「北條秀司『王將』」は、阪田を題材にしたフィクションに過ぎず、事実との相違が多数存在すると指摘されており、北條秀司は演劇界の人です。ウィキペディアの記事「北條秀司」すら読まずに改名提案を行ったのでしょうか?それとも「将棋界と演劇界は異なる」ことを理解していないのでしょうか?
- 貴殿が将棋分野に詳しくないのであれば、将棋分野の記事に関わらないようにして下さい。--Pooh456(会話) 2020年3月28日 (土) 11:23 (UTC)
- コメントなぜそんなに高圧的なのでしょうか? まず、「合意形成の過程を飛ばしてのWKPDJP氏による改名提案が、時期尚早であり不適切なのは自明です」の根拠をお伺いしたいです。私は合意形成というのは「誰かが提案を行い、その提案の妥当性についてみんなで意見を出し合い、(場合によっては提案の内容を改善し)結論を出す」ということだと認識しています。ですから、合意形成の過程を飛ばしての提案は不適切とする理由が分からず質問させていただきました。そのようなルールがあるのであればご教示いただきたいです。また、「将棋分野に詳しくないのであれば、将棋分野の記事に関わらないようにして下さい」とする根拠もよく分かりません。将棋分野の特定の記事について興味があり、適切な出典を提示できるならば、誰でも編集できるのではないのですか? この部分もご説明いただきたいです。以上2点、Pooh456さん独自のルールであれば、撤回していただきたいところです。失礼ながら、Wikipedia:規則の悪用とWikipedia:礼儀を忘れないはお読みになりましたか?(私は読みました)。あと、一応言っておきますが、そもそも私は人並みに将棋も分かります。オセロが一番得意ですが将棋も有段者です。
- 北條秀司『王將』が100%史実でないことももちろん知っています。しかし、『王將』はサカタ三吉の生涯を描いた作品であり、その作品で坂田三吉と表記されていることは意味があると私は思います。例えば、天野宗歩の記事に「天野宗歩の四天王」という記述がありますが、これは元々は『将棋太平記』などのフィクションが出典であることをご存じですか? もっとも、私は別に『王將』を除外しても構いません。それでも坂田表記のほうが多数派だからです。要するに、『王将』が史実でないというのは、反対の本質的な理由にはなりませんよね。Pooh456さんが反対なさる「本質的な理由」をおっしゃっていただきたいです。そうしないと議論にならないです。
- 冷静にお願いします。--WKPDJP(会話) 2020年3月28日 (土) 12:08 (UTC)
- 補足です。一応言っておきますと、「お前はサカタ三吉に詳しいのか?」と聞かれれば特別詳しいということはないです。それは認めざるを得ません。ですから私の提案が正しいのだとごり押しするつもりはないです。ただ、自分なりに調べて改名すべきと思ったから提案したわけです。Pooh456さんがお詳しいのあれば、なぜ「阪田」とすべきなのか、その理由をお聞かせいただきたいです。--WKPDJP(会話) 2020年3月28日 (土) 12:18 (UTC)
コメント 手元にある文献で、阪田に言及したものを示します。いずれの文献もWP:Vを満たします。
- 加藤治郎(監修)『写真でつづる 将棋昭和史』(毎日コミニュケーションズ、1987年):「坂田」表記(10頁など)
- 加藤一二三『将棋名人血風録』(角川書店、2012年):「阪田」表記(59頁など)
- 『マイナビムック 将棋名人戦』(マイナビ、2014年):「阪田」表記(121頁など)
- 谷川浩司『怒涛の関西将棋』(KADOKAWA、2014年):「阪田」表記(6頁など)
上記のことから、現時点においては『阪田』表記が、WP:CRITERIAが下記のように示していることに合致すると判断でき、改名の必要性を認めません。
認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
--Pooh456(会話) 2020年3月28日 (土) 12:45 (UTC)
- コメントえーと、申し訳ないのですが、議論というのは相手の意見を踏まえたうえで反論しないと意味がないのです。あなたがお持ちの文献だけを根拠に「反対だ」と言われても、それは延々と平行線になるだけなので結論は出ないですよね? 私は先に坂田表記が採用されている文献について指摘しています。ですからあなたは「お前の挙げた文献にこれらの文献を加えると『阪田』が多数派になるぞ」というように指摘しなければならないわけです。お判りでしょうか。
- 『王将』を除外するとしても、坂田表記が『9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝』、『反骨の棋譜坂田三吉』、『日本将棋大系14 坂田三吉・神田辰之助』、『ブリタニカ国際大百科事典』、『大辞泉』、『百科事典マイペディア』、『日本人名大辞典+Plus』、『世界大百科事典(平凡社)』、『大辞林』、『日本国語大辞典』、『写真でつづる 将棋昭和史』
- 阪田表記が『棋神・阪田三吉』、『阪田三吉名局集』、『日本大百科全書(ニッポニカ)』、『将棋名人血風録』、『マイナビムック 将棋名人戦』、『怒涛の関西将棋』
- 坂田が多数派のままとなります。
- こういうと、「『ブリタニカ国際大百科事典』だとかは将棋専門書でないからサカタ三吉についての主要なリファレンスとは言えない!除外しろ!」とおっしゃるかもしれませんので、先にその点に反論しておきます。まず、他の事典類も三次資料として有効なものであり、そこでの見出しが一様に「坂田三吉」となっているのは、二次資料・一次資料の多くが「坂田三吉」と記載していることを示唆しています。そもそも、Pooh456さんが挙げていらっしゃる例えば加藤一二三『将棋名人血風録』などのほうが「サカタ三吉についての主要なリファレンス」としては不適切ですよね。こちら、私も所有していますが、加藤先生ご自身が対戦した歴代名人について語る書籍です。加藤先生はサカタ三吉と対戦したことがないので、イントロダクションで将棋名人の数百年の歴史を振り返る中にちらっとサカタ三吉が登場するだけです。
- 結局、この本はどうだあの本はどうだと言いあうのはあまり意味がないかもしれません。とりあえず、現在のところサカタ三吉についての最も主要なレファレンスとしてWikipediaで合意が形成されているのは、記事本文の参考文献欄に記載された6件と言っていいでしょう(まさかここに異論はないですよね? ちなみに、履歴を確認していただければ分かりますが、私が編集して追加したものではありません)。これらの表記を見ますと、岡本嗣郎『9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝』、加藤一二三『日本将棋大系14 坂田三吉・神田辰之助』、内藤國雄「坂田三吉」『大阪学講座 なにわを築いた人々』、北條秀司『王將』の4件が坂田表記、谷川浩司『怒濤の関西将棋』、中村浩『棋神・阪田三吉』の2件が阪田表記となっています(なお、王将を除いても坂田が多数)。ご確認いただければと。
- あと、あまりこういうことは言いたくないのですが、私のコメントは読んでいただけているのでしょうか? 「改名提案の前に合意形成すべきだ」「将棋に詳しくない者は将棋関連の記事を編集してはならない」などなど、Pooh45さんの主張するルールの根拠をお伺いしたのですが、一切ご返事いただけないので困惑しております。これらは根拠がないので取り下げていただけるということでしょうか? そうであれば一言そう言っていただかないと分かりません(別に謝罪しろなどと言うつもりはないので安心してください)。
- 一生懸命コメントしていただいているところ本当に申し訳ないのですが、ちょっと私にはPooh45さんと有益な議論をする自信が持てません。本当に申し訳ないのですが。--WKPDJP(会話) 2020年3月28日 (土) 14:04 (UTC)
ウィキペディアには「文献間の多数決」という考え方はありません。なお、ウィキペディアでは利用者間の多数決も否定されております(WP:WIKINOTVOTE)。
私は「現時点において、『阪田』表記がWP:Vを満たす最近の3つの文献において使用されていることを示した上で「WP:CRITERIAに照らし、本記事の改名の必要性を認めない」と述べました。貴殿がそれに同意できないなら「現時点において、『坂田』表記が、信頼できる情報源において最も一般的に使われている」ことを具体的に示してください。
付言しますと、日本将棋連盟が採用している表記が『阪田』であることに加え(例)、阪田の地元である堺市が採用している表記も『阪田』です(阪田三吉記念室(堺市立人権ふれあいセンター))。--Pooh456(会話) 2020年3月28日 (土) 15:38 (UTC)
- 報告対話困難で議論も無益だと感じましたので、Wikipedia:コメント依頼/Pooh456_4回目を提出させていただきました。
- 何を言っても別の屁理屈が出てくるだけだと思いますので、これで最後にしますが、一応反論しておきます。
- ウィキペディアには「文献間の多数決」という考え方はありません—Pooh456さん
- これはまあある意味ではそうでしょう。それは低質な出典(例えばあなたが提示した坂田三吉とほぼ無関係の文献です)を同じ一票として扱うわけにはいかないからです。
- しかし、「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」を選ぶのですから、(高品質な出典に基づいて)比較をして決めなければならないのです。
- 私は「現時点において、『阪田』表記がWP:Vを満たす最近の3つの文献において使用されていることを示した上で「WP:CRITERIAに照らし、本記事の改名の必要性を認めない」と述べました。貴殿がそれに同意できないなら「現時点において、『坂田』表記が、信頼できる情報源において最も一般的に使われている」ことを具体的に示してください—Pooh456さん
- これは全くの詭弁です。私は私で最初から「坂田」表記がWP:Vを満たす多数の文献で使用されていることを示してWP:CRITERIAに照らして記事の改名を提案しているわけです。これでは、議論は永久に決着しないです。どちらの根拠がより説得力を持つかという話をしなければ議論にはなりません。
- もしかしたら「現時点において」という部分で最新の出版物以外は認めないという主張をしていらっしゃるのでしょうか。はっきり申し上げますが、
- - 1997年に出版された坂田三吉の人物伝の単著で表紙から本文まで一貫して坂田表記が使われていて、阪田か坂田かを本文中で議論までしたうえで坂田を採用している『9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝』
- - 2012年に出版された加藤一二三先生が対戦した名人との思い出を語る本(阪田三吉とは対戦したことないので関係ない)で、プロローグに話の流れの都合でちょっとだけ阪田と書いてあった『将棋名人血風録』
- この二者を比べて、出版年が新しいから後者が重要、という考え方は、あまり一般的でないように思います。将棋の定跡書ならば新しいことの価値は大きいでしょうが……。「最新の出版物以外は認めない」というルールの根拠は何なのでしょうか。また、一体何年以降ならばいいのか、最新ならば坂田三吉とほとんど無関係の書籍でもいいのか。結局、Pooh456さんが都合がいいようにそのときどきでルールを作っているだけなんですよね。
- また、私はそもそも最初から最近の文献もたくさん挙げております。大山勝男『反骨の棋譜坂田三吉』は2014年です。『日本人名大辞典』は2015年です。さっきも言いましたが、議論は相手の意見を踏まえたうえで反論しないと意味がないです。Pooh456さんのコメントは、私の意見を踏まえたご意見がここまで一つもなく、すべて屁理屈でございます。ただの意見の押し付け合いは建設的でなく、議論とは呼べません。
- 付言しますと、地元のウェブサイトが採用しているからというのが根拠になるならば、浪速区でも大阪同企連でも坂田表記が見られます。日本将棋連盟が阪田表記であることは私は改名提案時から指摘したうえで反論しています。
- これで最後です。--WKPDJP(会話) 2020年3月28日 (土) 17:27 (UTC)
この議論での発言について過ちがあったことを謝罪いたします。また、この議論から手を引きます。詳細はこちらをご覧ください。WKPDJPさんには、ご不快な思いをさせてしまい、余計なお手数を取らせてしまい、深くお詫び申し上げます。--Pooh456(会話) 2020年3月29日 (日) 10:21 (UTC)
- 反対 「坂田」への改名に反対します。在籍期間が短いとはいえ当該人物の最終所属団体(前身も含む)であり、現在将棋を専門で取り扱っている最も著名と思われる団体である日本将棋連盟が現在「阪田」を用いていること、上述の「G-Search新聞・雑誌記事横断検索」では「2000年-2010年」及び「2010年—」では「坂田」表記より最近の記述では「阪田」表記が多いと思われることから現状維持を支持します。--六子登科(会話) 2020年3月29日 (日) 13:11 (UTC)
- コメントご意見ありがとうございます。3点ご指摘いただきまして、いずれも一理あるのですが、反論がありますので以下ひとつづつ記載します。
- まず、最終所属団体である日本将棋連盟が阪田表記との点。これは六子登科さんもご認識の通り、極めて短期間の所属であり、坂田三吉の知られている業績のほとんどは日本将棋連盟とは無縁のものです。将棋とは全然違う例で考えてみると分かりやすいかもしれません。例えば、長年売れ続けた歌手が晩年に別名でとある音楽グループに加入してCDを1枚出したら、最終所属団体ではそうだからという理由で記事名が変わるのですか? 坂田三吉の記事では、日本将棋連盟所属前の内容が大半を占めているのですから、最終所属団体だからという理屈は説得力を持たないと考えます。
- 次に、将棋を扱う最も著名な団体である日本将棋連盟が阪田表記であるとの点。確かに将棋を扱う団体としては最も著名ですが、「将棋史」を扱う団体として最も著名なのかどうかは疑問です。将棋史に関して言うならば、例えば観戦記者・将棋ライター・将棋史研究者などで構成されている将棋ペンクラブのほうが著名でしょう(なお、将棋の文化的な側面にも強い興味がある一部の棋士の方々は、日本将棋連盟だけでなく将棋ペンクラブにも所属しています)。将棋ペンクラブは別に阪田か坂田かを定めてはいないと思いますが、将棋ペンクラブ大賞には、岡本嗣郎『9四歩の謎-孤高の棋士・坂田三吉伝』が選出されており、岡本氏は坂田表記の正統性を主張していらっしゃいます。そもそも、Wikipediaの坂田三吉の記事は岡本氏らの著書を含め、多数の出典・参考文献に基づいて書かれているわけです。そして、これらの文献の多くは坂田表記を採用しています。日本将棋連盟が将棋史におけるオーソリティーに値するのであれば、どうして文献類は阪田表記を採用しないのでしょうか? 答えは簡単なことで、日本将棋連盟は将棋史におけるオーソリティーではないのです。
- 最後にG-Searchでは最近の記事で阪田表記が多いという点。これはそこまで重視すべき項目とは思えません。坂田三吉について触れた記事というのは無数にあるわけですが、そのほとんどは大した影響力はないわけです。もし、影響力があるのであれば、その記事を出典とする加筆がWikipediaの阪田三吉の記事に加えられていてもよさそうなものですが、現実はいかがでしょうか。坂田表記を正とする文献による加筆が過半を占めているのが現状ですね?
- 以上により、六子登科さんご指摘の点は、根拠としてはそこまで強いものではないように思います。逆に、六子登科さんとしては、現在の記事の参考文献に坂田表記が多数並んでいることをどのように評価していらっしゃいますか? 阪田表記が正であるとの見解をお持ちであれば、ここに整合的な理由付けをお願いしたいところです。--WKPDJP(会話) 2020年3月30日 (月) 04:52 (UTC)
- Pooh456さん、六子登科さんを含めまして、私の提案を不快に思われた方に対して、この機会にお詫びいたします。引き続き、ご納得いただけない部分がございましたらお返事をお待ちしております。--WKPDJP(会話) 2020年4月2日 (木) 12:25 (UTC)
- 条件付賛成 分かりました。この記事では日本将棋連盟所属前の記述が大半を占め、参考文献の大多数も「坂田」であるというWKPDJPさんの意見を認めて改名には賛成します。ただし日本将棋連盟では「阪田」表記だという事実を無視すべきではないので、日本将棋連盟に強く関連した他の記事内では「阪田」と表記しても良いという条件を付けてください。--119.170.48.139 2020年4月9日 (木) 00:54 (UTC)
- Pooh456さん、六子登科さんを含めまして、私の提案を不快に思われた方に対して、この機会にお詫びいたします。引き続き、ご納得いただけない部分がございましたらお返事をお待ちしております。--WKPDJP(会話) 2020年4月2日 (木) 12:25 (UTC)
- コメントありがとうございます。たしかに、日本将棋連盟に強く関連した他記事では阪田表記のほうが適切な場合もあるかもしれません。あくまでこの記事の記事名をどうすべきかという範囲での提案のつもりでしたので、他記事内での表記をすべて坂田に改めよと言うつもりはありません。ご提示いただきました「日本将棋連盟に強く関連した他の記事内では『阪田』と表記しても良い」という条件で大丈夫です。--WKPDJP(会話) 2020年4月9日 (木) 06:23 (UTC)
- 報告合意が成立したようですので移動依頼を提出しました。--WKPDJP(会話) 2020年4月9日 (木) 06:33 (UTC)
- 移動依頼に基づき移動を実施しました。ただ、これに関するものとして、本文中の「坂田」か「阪田」かについては、一見して独自研究のようにみえます。坂田か阪田かについて論争を取り上げている文献はありますか?単なる表記ゆれの話であれば、表記ゆれがある経緯についてを簡単にまとめて、それぞれの表記に対して出典を明記してください。「多数派である」とかは必ずそれを示す出典(数を示すのではなく多数派であることに言及した出典)が必要です。文献数の調査を行って、それによって多数派であるから記事名に採用したという根拠にしたことを本文に書くのは不要です。--アルトクール(会話) 2020年4月10日 (金) 14:38 (UTC)
- コメントお手数おかけしました。対処していただきありがとうございます。本文中の「「坂田」か「阪田」か」の節は私が執筆したものではないので、執筆した方の意思は分かりません。ただ、この人物の苗字がどちらなのかという議論自体は文献類にも記載があります。たとえば、岡本嗣郎『9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝』では、112ページから115ページまでかけて「坂田」か「阪田」かについて一次資料に当たって詳しく事実関係を整理しています(そのうえで坂田表記を正としている)。ですので、「坂田」か「阪田」かという節を設けること自体は独自研究ではないように思います。ただ、本文中「文献類では「坂田」表記が多数派である」としている部分は明らかに独自研究だと思いますので、後ほど整理したいと思います。--WKPDJP(会話) 2020年4月10日 (金) 22:42 (UTC)
- 報告独自研究部分を削除しました。--WKPDJP(会話) 2020年4月11日 (土) 00:25 (UTC)
存命時の表記
[編集](コメント) 存命当時(1944年)の日本紳士録. 47版では「坂田三吉」
存命当時の報知新聞では「阪田三吉」
どちらかと言えば坂田三吉が妥当かも知れませんがが阪田が誤りということはないと思います。--以上の署名のないコメントは、217.178.18.211(会話)さんが 2020年4月14日 (火) 05:21 (UTC) に投稿したものです(WKPDJP(会話)による付記)。
関西将棋研究会について
[編集]「1910年(明治43年)7月、坂田を盟主とする関西将棋研究会が発足する。」とありますけどメンバーはいたんですか?いたなら主要な人物くらい書いてほしいです。 --118.45.51.59 2020年4月17日 (金) 05:24 (UTC)
大阪朝日新聞社が作った団体だったと思います。坂田三吉は大阪朝日の嘱託で大阪朝日系の棋士が集まっていたはず。神田辰之助もメンバーです。--101.141.2.155 2020年4月17日 (金) 11:10 (UTC)
今本が手元にないので今度図書館が開いた時に気が向いたら確認して書きます。--101.141.2.155 2020年4月17日 (金) 11:12 (UTC)
ちなみに神田辰之助は途中から加盟しました。--101.141.2.155 2020年4月17日 (金) 11:23 (UTC)