ノート:坂木司
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この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
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「外部リンク」に「ぶつり」を掲載する是非
[編集]「外部リンク」セクションにWWW上で公開されている作品「ぶつり」が掲載されています。これの掲載について検討したいと考えています。
私は、ガイドライン「Wikipedia:外部リンクの選び方」の基本的な考え方や何にリンクするかを踏まえた上で、掲載すべきではないと判断しています。1つの作品を提示しただけでは作家についての理解を深めるには不足していますし、基本スタイル(とされているもの)から外れるものならば尚更でしょう。--iwaim(会話) 2017年3月16日 (木) 15:02 (UTC)
- 「選び方」は初出を呑んだものであり、「偏り」は原則紙媒体/電子書籍発表の著者作品を、オンラインが1つだけだから偏りが生じる、とは「話にならない」というものであり、偏りが生じるものではないと考えます(多くの作品がある中の1作を読んだという「偏り」に過ぎないものと考えます)。人それぞれ、ネットで全てを済ます読者もいる、などといった善意はお止めください。都合の悪い「本人発言」を見なかったことにするというものは、立派な侮辱行為です。これ以上、著者・出版サイド作品成り立ち経緯・スタンスを無視し、単なる大小の問題として片付け「たとえ本人意向でも偏りは消して真っ平ら」とまで評したのならば、公式サイドへの侮辱行為(荒らし)を行ったかどでブロック依頼を行います--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月16日 (木) 15:47 (UTC)
- オンライン小説初出が百科事典の記事として重要であるならば、それは本来的には本文内に記載されるべきでしょう。「外部リンク」はそのような用途で用いるものではありません。--iwaim(会話) 2017年3月16日 (木) 15:59 (UTC)
- 事項が本文として、その事実(リンクそのもの)は、出典(証拠資料)ではなく、個別事項紹介として、その場で外部リンクとして消費され、「外部リンク」節で忘れ去られるものでもなく、先の要約通りの所蔵作品を経た作者自身のスタンスとして、それこそ「外部リンク」節に挙げられるものだと理解しています。またWikipedia:外部リンクの選び方ですが、冒頭の
- 本文書でいう外部リンクは、通常は、記事の末尾の外部リンクの節に挙げられます。 — Wikipedia:外部リンクの選び方
- は「外部リンク」節リンク内容は、記事と外部情報とを明確に区別し、記事中で挙げられる外部リンクの一切を集めている、広いものである、と理解しておりますが、間違いでしょうか。記事内にコンテンツ項目それ自体の外部リンクを置く基準はないので(ご存知でしたらお願いします。さもなくばあなた個人の編者経験に基づいた独りよがりな外部リンク選別思想に過ぎません)、真面目のその通りに受け取ると「外部リンクは全て外部リンク節にまとめる」として現状、考えの一として成立しています。私1人を指摘したところで、逆にあなたがコミュニティの裁断を仰ぐ身になる恐れがある現状ですが、いかがでしょうか。プロジェクト設立やボット依頼をも厭わず不要な外部リンクは除去するという理解でよろしいのでしょうか--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月16日 (木) 17:14 (UTC)
- 作者自身のスタンス等は「外部リンク」で表現するものではなく、本文内に文章として記載するべきものです。その点は合意できる点と理解してよいでしょうか?
- http://www.webmysteries.jp/lounge/sakaki0607.html については現状は「外部リンク」セクションに存在するからそこからの編集除去の話をしているだけです。件のガイドラインで述べられている「外部リンク」はComy9さんもご理解なさっているように「外部リンク」セクションに限らないものです。その点は私も承知しております。
- で、「ぶつり」のURLの記載についてですが、基本的な考え方や何にリンクするかを踏まえた上で編集除去という提案なのですが、その点に関しては《先の要約通りの所蔵作品を経た作者自身のスタンスとして、それこそ「外部リンク」節に挙げられるものだと》ということでしょうか。そうだとすれば基本的な考え方に即してないと判断しています。
- 《不要な外部リンクは除去するという理解でよろしいのでしょうか》については、気づいた範囲で(方針等を踏まえて自分が判断した)より適切な形に持って行くことは何ら問題はありませんし、むしろ全ての利用者はそのために活動していると判断しています。
- 《私1人を指摘したところで、逆にあなたがコミュニティの裁断を仰ぐ身になる恐れがある現状ですが、いかがでしょうか》については先にもブロック依頼について触れていたので今回は見解を述べますが、一般論としては合意形成中にそのような発言をなさることは適切な行為ではありません。個人的には投稿ブロック依頼でもコメント依頼でもご自由に、というぐらいでしょうか。--iwaim(会話) 2017年3月17日 (金) 04:30 (UTC)
- 再三に「著者リダイレクト」と申し上げてきましたが、いつまでも作者記事として偏りが出る、一般論等、抽象論で具体的事例のない作者記事外部リンクとして選ぶものではない、という作者記事姿勢を崩す気はないようなので、この度、所蔵作品名でリダイレクトを行い、作品記事兼務の紐付けを行いました。作品記事で記事本文を外部リンクで紹介する例は青空文庫所蔵のパブリックドメイン作品などでテンプレート用意に慣例となっています。除去は、作品記事としての除去荒らしとなります--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月17日 (金) 14:47 (UTC)
- さすがにそれは強弁でしょう。「作品記事」と「作家記事」とは別物です。本記事はもちろん「作家記事」です。故に《作品記事としての除去荒らしとなります》という主張は無茶苦茶でしょう。--iwaim(会話) 2017年3月17日 (金) 15:04 (UTC)
- 作品の著作権表記が著者なのですが、この場合、どう判断すればよいでしょうか.作品の評価は作者の評価ではありませんか。記事にも至らぬ作品を本記事の作者記事で肩代わりするという事象は成立すると考えています--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月17日 (金) 15:15 (UTC)
- 作家記事と作品記事では記載する内容や詳細度が変わることは当然だと考えています。むしろ何故同じ扱いになると考えているのか理解できません。
- 例えば、作品記事に「登場人物」セクションがあることが一般的だからといって、それと同等のものを作家記事内の作品のところに記載することは真っ当な判断だとは考えられません。--iwaim(会話) 2017年3月20日 (月) 07:46 (UTC)
- 作品の結果あっての作者で、作者独自とはどのようなことでしょうか。ましてこの作者は覆面作家です。インタビューのように自ら作者像を明かしたもの以外、作品の結果以上の作家像はないと考えています。ならば、まして、作品が直接、作者の1部として躍り出る行為が不自然という理由にはならないもののと考えていす。黙っていましたが、何か人と物かのような別物がされているのではないですか--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月20日 (月) 09:31 (UTC)
- 私としましては、記事に至らぬ作品情報の記載位置代替を作者記事に求めた(救済)にすぎないので、どうしても作者は作者、作品は作品というのならば、特筆性なし、代替なし、で取り下げます。代わりに語る作品がなくなり、ひいては作者に影響を及ぼす(ただでさえ覆面作家の作者像が一人歩きする)ことになりますが、それでも切り離して考えるものだと思いならば、それで構いません。作者の作品が1つ「削除」に価値を失うまでです--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月20日 (月) 09:57 (UTC)
- 1週間を過ぎましたが発案者からの発言はありませんでしたので、発案者からの一定の理解は得られた、または返答猶予期間内に覆すに足る論旨を用意できなかった、いずれにせよ、当該箇所編者本人が説明責任に対応に追われる峠は越えたものとし、当該リンクを追加した私からの状況説明は以上とさせていただきます--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月27日 (月) 13:57 (UTC)
- はい。この2人だけの対話では合意に至ることはないだろうと判断したので、ひとまずは現状のままで已むなしと考えております。--iwaim(会話) 2017年3月28日 (火) 10:10 (UTC)
- 1週間を過ぎましたが発案者からの発言はありませんでしたので、発案者からの一定の理解は得られた、または返答猶予期間内に覆すに足る論旨を用意できなかった、いずれにせよ、当該箇所編者本人が説明責任に対応に追われる峠は越えたものとし、当該リンクを追加した私からの状況説明は以上とさせていただきます--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月27日 (月) 13:57 (UTC)
- 私としましては、記事に至らぬ作品情報の記載位置代替を作者記事に求めた(救済)にすぎないので、どうしても作者は作者、作品は作品というのならば、特筆性なし、代替なし、で取り下げます。代わりに語る作品がなくなり、ひいては作者に影響を及ぼす(ただでさえ覆面作家の作者像が一人歩きする)ことになりますが、それでも切り離して考えるものだと思いならば、それで構いません。作者の作品が1つ「削除」に価値を失うまでです--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月20日 (月) 09:57 (UTC)
- 作品の結果あっての作者で、作者独自とはどのようなことでしょうか。ましてこの作者は覆面作家です。インタビューのように自ら作者像を明かしたもの以外、作品の結果以上の作家像はないと考えています。ならば、まして、作品が直接、作者の1部として躍り出る行為が不自然という理由にはならないもののと考えていす。黙っていましたが、何か人と物かのような別物がされているのではないですか--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月20日 (月) 09:31 (UTC)
- 作品の著作権表記が著者なのですが、この場合、どう判断すればよいでしょうか.作品の評価は作者の評価ではありませんか。記事にも至らぬ作品を本記事の作者記事で肩代わりするという事象は成立すると考えています--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月17日 (金) 15:15 (UTC)
- さすがにそれは強弁でしょう。「作品記事」と「作家記事」とは別物です。本記事はもちろん「作家記事」です。故に《作品記事としての除去荒らしとなります》という主張は無茶苦茶でしょう。--iwaim(会話) 2017年3月17日 (金) 15:04 (UTC)
- 再三に「著者リダイレクト」と申し上げてきましたが、いつまでも作者記事として偏りが出る、一般論等、抽象論で具体的事例のない作者記事外部リンクとして選ぶものではない、という作者記事姿勢を崩す気はないようなので、この度、所蔵作品名でリダイレクトを行い、作品記事兼務の紐付けを行いました。作品記事で記事本文を外部リンクで紹介する例は青空文庫所蔵のパブリックドメイン作品などでテンプレート用意に慣例となっています。除去は、作品記事としての除去荒らしとなります--Comy9(利用者‐会話) 2017年3月17日 (金) 14:47 (UTC)
- オンライン小説初出が百科事典の記事として重要であるならば、それは本来的には本文内に記載されるべきでしょう。「外部リンク」はそのような用途で用いるものではありません。--iwaim(会話) 2017年3月16日 (木) 15:59 (UTC)